ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

世界史の入試問題を解いてみた(2024 東京大学)

 今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。

 ぶんぶんの論述の解答例にアクセスが集まるのは次の年度の夏ごろから、新しい受験生が学習の素材として使っている模様です。

 そのため、語句を並べて部分点を稼ぐような解答例では勉強にならないので、解答例は教科書の限界で書き、解答にいたるプロセスを重視し、解説は後学のためにやや詳しい話をしています。

 今回は東京大学です。毎年第1問の大論述は「現代の問題を過去に問いかけ考察する」という形で東京大学の問題意識を世に問う場になっています。

 解答例であって正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。

*解答例作成の方針

  1. 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
  2. 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版帝国書院、東京書籍、山川出版社の2冊)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
  3. 仕上げに河合塾駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
  4. 解説は関連する一般書を利用する

問題は東進過去問データベース(要会員登録)

www.toshin-kakomon.com

一問一答と小論述の難易度

◎:必答 ○:まあいける △:やや難しいが解答すれば合格に近づく

▲:かなり難しい ×:ドボン

出題パターン

ま:判別が紛らわしいもの   や:書くのがややこしいもの

こ:事項の細かいいつどこだれ 

り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する

ぜ:有名な事項のあとひとつ  ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム

て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件

ク:他教科クロスオーバー   グ:グローバルもの 

目次

 

2001~2024年の第1問の出題

Type

A:狭いスパンで広い地域の関係性を問う

B:長いスパンで狭い地域の展開を問う

C:そこそこ長いスパンでそこそこ広い地域の関係性と展開を問う

年度 課題 字数 Type
2001 エジプト5000年の歴史 540 B
2002 近代中国のアメリカと東南アジアヘの移民とその中国への影響 450 A
2003 帝国主義時代の運輸・通信手段の発展とアジア・アフリカの植民地化および各地の民族意識の高まり 510 A
2004 16~18世紀における銀を中心とする世界経済の一体化 480 C
2005 第二次世界大戦中の出来事が1950年代までの世界に与えた影響 510 A
2006 近代以降のヨーロッパにおける戦争の助長・抑制傾向の具体的状況(三十年戦争フランス革命戦争第一次世界大戦の3つの時期について) 510 B
2007 11~19世紀の世界における農業生産の変化と意義 510 C
2008 1850~70年代におけるバクス・ブリタニカの展開とそれへの対抗 540 A
2009 18世紀前半までの西欧・西アジア・東アジアの政治と宗教の関係 600 C
2010 中世末から現代にいたるオランダの世界史的な役割 600 B
2011 7~13世紀、アラブ・イスラーム文化圏をめぐる動き 510 C
2012 20世紀のアジア・アフリカにおける植民地の過程とその後の展開 540 A
2013 17~19世紀のカリブ海・北米地域での開発、非白人系の移動と軋轢 540 C
2014 19世紀のロシアの対外政策がユーラシアの国際情勢にもたらした影響 600 A
2015 13・14世紀「モンゴル時代」の経済・文化を中心とした交流の様相 600 A
2016 1970年代後半から1980年代にかけての東アジア・中東・中米・南米の政治状況 600 A
2017 前2世紀以後のローマ、春秋戦国以後の黄河・長江流域で古代帝国が成立するまでの社会変化 600 A
2018 19~20世紀、女性の活動、参政権獲得や女性解放運動 600 A
2019 19~20世紀オスマン帝国の衰退。冷戦後の紛争との関連を考えて 660 B
2020 15~19世紀末までの東アジアの伝統的な国際関係のあり方と近代におけるその変容。ベトナムと朝鮮を例に 600 C
2021 5~9世紀の地中海世界における三つの文化圏の成立の過程。宗教に着目して 600 B
2022 8~19世紀 東西トルキスタンの歴史的展開 600 B
2023 1770年代前後から1920年代前後までの約150年間の時期にヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアで諸国で政治の仕組みがどう変わったか 600 C
2024 (1)1960年代のアジアとアフリカにおける戦乱や対立について
(2)演説で述べられている経済的な問題はどのような歴史的背景を持ち、その解決のため1960年代に国際連合はいかなる取り組みをおこなったのかについて
360
150 
A

コメント

 東京大学は歴史研究のリーダーのひとりとして、その時々の学会の関心事や、今起きていることを歴史にさかのぼる出題をします。

 出題にはその時々の研究動向が反映されています。少し前は移民、植民地主義、銀の流通、モンゴルなどグローバル化問題が、ここ3年は小中華、地中海、中央ユーラシアなど西欧中心史観や中国中心史観を周辺から見直す出題が続いています。

 2024年度は一橋大学と同じ「脱植民地化」や「新植民地主義」で、「現代社会」や「政治・経済」の教科書ではおなじみの話題です。東京大学は二次試験は地歴から2科目ですが、そこは東京大学を目指す受験生、入試に使わない科目も手を抜かず内容をすべて記憶しているはずです。(`・ω・´)シャキーン

 また新課程の『歴史総合』には「グローバル化と私たち」という項目があるので、その辺も意識しているのかもしれません(「教科書が最後まで終わらない問題」はありますが)。

第1問

(1)

1960年代のアジアとアフリカにおける戦乱や対立について 12行以内(360字)

語群:アルジェリア コンゴ パキスタン 南ベトナム解放民族戦線

リード文のヒント(下線は論述に使うべき部分)

  • 諸民族(アジア・アフリカ)で政治的開放が進んだが独立を得る過程では戦乱がおこっただけでなく独立した国どうしが対立を深めるなど道のりが容易ではない場合も多かった。

資料文のヒント(1964年 国連事務総長ウ・タントの演説 抜粋)

  • 第二次世界大戦後、アジアの諸民族の大半は独立、1960年代にはアフリカの台頭があった。
  • 発展途上地域と呼ばれている地域は実際には発展していないあるいは十分な速さで発展していない。
  • これらの地域は低開発の状態に苦しんでいて工業化された社会と比べてますます遅れをとっている。人口増加を考慮に入れれば生活水準が相対的に悪化している。
  • 政治的な解放が得られてもそれにともなって期待通りの経済的な進歩が生じるわけではない

指定語句から芋づる

アルジェリア *独立にいたる過程の戦乱

 第二次世界大戦後に独立運動が激化、1954年にFLN武装蜂起を開始し、現地のフランス人入植者(コロン)とフランス軍との間でテロの応酬になる。第四共和政政府はアルジェを占領して徹底的なゲリラ掃討作戦を敢行するが泥沼化、独立承認に傾くと今度はコロンと現地軍が反乱を起こす。1958年に第四共和政が倒れてド=ゴールが復活して首相になり、第五共和政を成立させ大統領に就任する。彼は現地の反乱軍を鎮圧して1961年にアルジェリアの独立を承認する国民投票を実施、翌年エヴィアン協定が結ばれてアルジェリア民主共和国が正式に独立する。

コンゴ *独立後も旧宗主国が介入

 1960年 コンゴがベルギーから独立するがベルギーが稀少金属の多い南部カタンガ州を独立させようと画策して動乱が発生、米ソも介入し国連軍が出動した。ルムンバは処刑されモブツが軍事政権を樹立し1971年に国名をザイールに変更した。

パキスタン *独立をした国どうしが対立

1947年のインド独立法により英領インドはインドとパキスタンは分離独立 しかし支配層がヒンドゥー教徒で住民がムスリムカシミール地方の帰属をめぐって第1次インド=パキスタン戦争が勃発、さらに1965年には第2次インド=パキスタン戦争が発生した。しかしパキスタンは西(パンジャーブ地方)と東(ベンガル地方)の飛び地で、これらの戦争は西の利害であることや。国語もイスラーム意識を高めるため西の一部で使われているウルドゥー語がつかわれるなどから東部パキスタンは不満を募らせ、インドがそれを支持し、1971年の第3次でパキスタンがインドに敗れると東部はバングラデシュとして分離した。

南ベトナム解放民族戦線 *独立戦争が外国の介入で第二段階へ

1954年のジュネーヴ休戦協定で北緯17度線を暫定軍事境界線とし、2年後に南北統一選挙の実施を取り決めた。しかし東南アジアが共産化すると考えたアメリカが統一選挙を拒否し、南にゴー=ディン=ジエムを首班とするベトナム共和国を建国した。秘密警察を使って仏教徒を弾圧するなど政府の政策に対して1960年に南ベトナム解放民族戦線が結成され、ベトナム民主共和国北ベトナム)の援助を受けてゲリラ戦を展開した。手を焼いたアメリカは1965年のトンキン湾事件契機にジョンソン大統領が北爆を開始してベトナム戦争が本格化し、ソ連や中国が北ベトナムを援助したことから泥沼化した。

解答例

アルジェリアでは戦後に独立運動が激化しFLNと現地フランス人入植者が衝突した。第四共和政は倒れ、新たに大統領になったド=ゴールは62年にアルジェリアの独立を承認した。コンゴは60年に独立するが旧宗主国ベルギーが稀少金属の多い南部カタンガ州の独立を画策して動乱が発生し国連軍が出動、ルムンバが処刑され軍事政権が成立した。英領インドは47年にインドとパキスタンに分離独立したが、両者はカシミール地方の帰属をめぐって戦争を開始し、65年にも第二次印パ戦争が勃発した。しかし東パキスタンは西部中心の政治に反発し分離を考え始めた。ベトナムではジュネーヴ休戦協定をアメリカが拒否して南にベトナム共和国を樹立、これに対して60年から南ベトナム解放民族戦線がゲリラ戦を展開し北ベトナムが支援した。アメリカは65年に北爆を開始しベトナム戦争が本格化した。360字

解答のポイント

 首都圏・関西の難関私立大学では定番の「戦後のアジア・アフリカ」問題ですが、リード文の穴埋めは出来ても「それを再現せよ」と言われたら難しい。

 ただし2023年の「世界の政体」のように比較や関連付けまで記述することまでは要求されていないので、指定語句から芋づる式に思い出した事実をなるべく均等に書いていけばそれらしい解答になります。

 難しいのはパキスタンで、コンゴ動乱=1960年、アルジェリア独立=1962年、北爆開始=1965年はマスト年号ですが、パキスタンで60年代と言われてもピンときません。

 この場合は前後のマスト年号に着目します。1971年の第三次インド=パキスタン戦争が準マスト年号なのでそこから第二次印パ戦争をひねり出します。ぶんぶんも自信がなかったので、後で教科書を見て年号を追加しました(インチキ)。

 なお2024年の慶應大学経済学部に「バングラデシュ独立の経緯」という小論述があり、ぶんぶんはそれを解答済みだったのでその件を入れて字数を整えました。慶應経済を併願した人はラッキーでしたが、東大受験生は数学で受験しているかもしれません。

解放戦線の兵士。National Archives and Records Administrationより パブリックドメイン

(2)

演説で述べられている経済的な問題はどのような歴史的背景を持ち、その解決のため1960年代に国際連合はいかなる取り組みをおこなったのかについて 5行(150字)以内

リード文から芋づる

歴史的背景
  • アジアやアフリカの新興国は19世紀には列強の植民地支配を受け、農産物や鉱物などの一次産品を輸出するモノカルチャー経済となり、世界経済に組み込まれた。
  • 独立を達成したものの植民地時代の国境線と産業を引き継いでの独立であった。そのため経済的には植民地時代のモノカルチャーに頼らざるを得なかった。
  • 先進国は先の大戦保護貿易主義が原因だったと総括し、いわゆる「IMFGATT体制」のもと自由貿易の推進を主張した。
  • しかし工業製品を生産する先進国と一次産品に依存する(一次産品の価格は国際相場に影響されやすい)新興国が同じ土俵で勝負すれば先進国の方が有利になるのは明らか、独立後も一次産品は国際メジャーに支配されるなど、新興国の工業化は進まず低開発の状態に置かれた(いわゆる「新植民地主義」)。
1960年代の国際連合の取り組み
  • 1964年にジュネーヴで開かれた第1回国連環境開発会議の討議資料は、発展途上国の一次産品輸出の停滞や交易条件の悪化による開発の行きづまりを指摘し,その打開のためには既存の国際貿易体制の構造変革の必要があると考えた。
  • 会議では先進国の関税など貿易諸障壁の緩和,撤廃, 一次産品の輸入目標の設定と一次産品の輸出・価格安定のための国際的商品協定の締結,発展途上国の製品・半製品に対する特恵関税制度の採用,先進国の援助額の増加と借款条件の緩和,国連の機関としての新しい貿易機構の設置などが議論された。

解答例

新独立国の多くは19世紀に列強の植民地支配のもとで一次産品のモノカルチャー経済となり世界経済に組み込まれた。独立後も戦後の先進国に有利な自由貿易体制のもと低開発が続いた。そのため64年の第1回国連環境開発会議で一次産品の価格安定、発展途上国製品への特恵関税,援助額の増加や借款条件の緩和等が議論された。149字

解答のポイント

 ぶんぶんは今の学校でこそ世界史をメインに教えていますが、その前は世界史の単位や選択者が少なく、現代社会を教えて糊口をしのいでいました。(´・ω・`)

 根が世界史屋かつ反体制なので、憲法や国際政治・経済は結構力入れていました。解答例はその時の記憶を頼りに(「政治・経済」の資料集を頼りに(インチキ))ふたつの要素をなるべく均等に書きました。今回受験したみなさんもおそらく同じような方法で論じたと推察します。

 共通テストでその教科の知識なしで解ける問題が「国語の問題」と言われることがありますが、これは「政治・経済」の世界史関連知識からの問題です。ぶんぶんは教科の学習内容をクロスオーバーする出題は肯定的にとらえています。

 高校生にはどの教科・科目も手を抜かない、あるいは「これ世界史で使えるかも」と目標意識を持ちながら学校生活を送ってほしいです。

*発展1 低開発は誰の責任?

 フランスでは植民地支配の誤りを一部認めながらも、「フランスのおかげで発展がもたらされたのだ」という言説が根強く、サルコジ大統領はそういう国民の支持を得ようとしてか「アフリカの低開発はアフリカの文化と慣習にある」と公言しています。

 日本でも似たような言説があるだけでなく、ネットには「朝鮮は植民地ではない」と言い出す人もいるようで、この出題は他所の地域の話ではなく、私たちの問題でもあります。東大恐るべし(穿ちすぎ?)。

参考 中村宏毅「フランスの植民地政策と歴史問題」。フランスはハイチ独立の時に多額の賠償金を請求して、それでハイチが最貧国になりました。一橋大学の2024年はズバリそれを突いています。自由と平等の国が聞いてあきれます。

https://www.musashino-u.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00000881.pdf&n=%EF%BC%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%BD+%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%94%BF%E7%AD%96%E3%81%A8%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%95%8F%E9%A1%8C.pdf

ナチスは「よいこと」もしたのか』発売以来見直されている本

 なお最近はアフリカに中華人民共和国の資本が投下され、通信やインフラの整備が進んでいます。

www.ide.go.jp

第2問

問(1)

(a) 1世紀から4世紀末にかけてのローマ帝国におけるキリスト教と政治的権力との関係の変化 4行以内〇

a皇帝の名前で字数を稼ぐバージョン

ローマ帝国は異教には寛容だったが1世紀後半にはネロ帝が、4世紀初頭にはディオクレティアヌス帝が迫害を行った。しかし信者が増大すると帝国統一の観点から4世紀前半にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、同世紀末にテオドシウス帝が国教化した。120字

b名前をカットして背景に字数を使うバージョン

ローマ帝国は異教には寛容だったがキリスト教徒が皇帝崇拝等慣習に従わないことが市民の反感を招き、それを背景に1世紀後半と4世紀初頭に大迫害を行った。しかし信者が増大すると帝国統一の観点から4世紀前半にキリスト教を公認し、同世紀末に国教化した。120字

(b)  325年の会議について 名称に触れながら説明。3行以内〇

コンスタンティヌス帝はキリスト教の教義統一のためニケ―ア公会議を開き、父である神と子であるイエスを同質とするアタナシウス派を正統、イエスは神に従属するとするアリウス派を異端とした。90字

 (c) アリストテレス

解答のポイント

 こ、これはズバリ的中か!?

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 (a)、昔の教科書は「ローマ帝国キリスト教を敵視していたのが最後はキリスト教が完全勝利した」みたいなキリスト教的語りを丸呑みしていた感じでしたが、最近はそういう見方は批判されているので、予備校の解答にも「ローマは異教徒に寛容」が入っています。

 世界史探究の試作問題に市民のキリスト教徒告発に困惑するプリニウストラヤヌス宛ての往復書簡が出題されていました。bバージョンはそれを意識しています。

 (b)、受験生は「キリストの人牲を強調したアリウス派」ぐらいでOK。「神性を否定した」はちょっと違う。

問(2)

(a) トゥグリル=ベク(11世紀に西アジアを支配したトルコ系王朝の初代スルタン)◎

(b) 13世紀初めにイスタンブールに建てられた国家の成立の経緯を国家の名前を挙げながら記す 2行以内〇

第4回十字軍はヴェネツィア商人の利害とビザンツ帝国の内紛を背景にコンスタンティノープルを占領してラテン帝国を建てた。58字

 (c) セリム1世のオスマン帝国による対外戦争の成果 2行以内△

サファヴィー朝を破ってアナトリア東部に進出しマムルーク朝を滅ぼしてシリアとエジプトおよびメッカとメディナの保護権を得た。60字

解答のポイント

こ、これもズバリ的中か!?

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 (b)、高校生は普通に「ヴェネツィア商人の求めに応じて」だけでOK。解答例はブログの内容に寄せてあります。

 (c)、字数がきついので最近よく見かけるチャルディラーンの戦いがアナトリア東部だったのでそれを使って字数をセーブしました。受験生には「シリア」はきついかもと思いますが後学のために。

*発展2 チャルディラーンの戦いは長篠合戦の60年前

 1514年にアナトリア高原東部のチャルディラーンで行われたオスマン帝国サファヴィー朝ペルシアとの戦いは、鉄砲と大砲が騎馬軍団を撃破した戦いです。

 サファヴィー朝は建国者イスマーイール1世が率い、キジルバシュと呼ばれる騎兵軍団を中心に4万、対するオスマン帝国は6万から20万を動員したと伝えられます。

 キジルバシュは最初オスマン軍に攻め入りますが、オスマン軍は大八車を馬避け柵にして彼らの機動力を封じ、鉄砲を持つイェニチェリと大砲の射撃でサファヴィー朝を破りました。

 これまで無敵を誇っていた騎馬遊牧国家の騎馬戦術が火力と物量の前に敗北するという、軍事史上の画期ともいえる戦いです。

著者死後70年以上経過でパブリックドメイン

問(3)

(a) 書物に関して清はどのような政策を展開したか 3行以内〇

学者を動員して『四庫全書』などの大規模編纂事業を行って中国文化への理解を示す一方、満州人に都合の悪い史料は破棄・改ざんした。また禁書や文字の獄を行って反清的な書物を取り締まった。89字

(b) 考証学◎ 黄宗羲または顧炎武○や

解答のポイント

 共通テストや国立・私立を問わず頻出の清朝の古典編纂事業と思想弾圧。政府が学問や大学自治への干渉や公文書の隠蔽・改ざんをやめない限りこの話題は出続けるでしょう。

*ぶんぶんの生徒がよく進学する関西地方の公立大学も、首長が古典芸能の補助金を打ち切ると言いだしてから国語の第一問は文化・芸能論が続いています。

第3問

解答例

問(1) 属州古代ローマイタリア半島以外の支配地)◎

問(2) 高句麗(4世紀初めに楽浪郡を滅ぼした)◎

問(3) ジャムチ(モンゴルの駅伝制度)◎

問(4) イヴァン3世(15世紀にモンゴルの支配から脱却)◎

問(5) ワッハーブ(18世紀アラビアの改革運動)◎

問(6) ティー(インドの寡婦殉死の慣習)▲て

問(7) 劉永黒旗軍)△て

問(8) (a)フランス (b)イギリス(アフリカ横断政策と縦断政策)◎

問(9) サパタメキシコ革命の農民指導者)△て

問(10) エドワード=サイードオリエンタリズム)▲て

解答のポイント

 難関国立・私立の合格にマストである「権力に抵抗した人、事項」が多く、その辺を対策している人でも「サティー」と「サイード」は書けないかもしれません。

 もちろん当ブログでは両方とも紹介済み。サティーを「野蛮な風習」と決めつけるのはサイードの言うオリエンタリズムの罠にはまる危険があります。

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 サイードについての簡単な紹介。一問一答では近畿大学立命館大学で出題されています。 

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

まとめ

  • 東京大学の世界史で差がつくのは第2問です。世界史の事項を5W1Hとともに記憶し、どの方向から聞かれても知識が取り出せる、特に用語から教科書の内容が言えるようにしましょう
  • 大論述は教科書の知識が頭の中で整理されていて、ヒントにもとづいて取り出せるかが肝要です。授業の内容を抽象化・比較・関連付けする癖をつけましょう
  • 事項をつなぐのは概念や論理です。世界史の先生が教科書の事項をどういう方針でつないで講義しているか、批判的に聞きましょう
  • 東京大学の過去問研究は当然ですが、他の国立大学の大論述や小論述、難関私立大学のリード文がしっかりしている問題にも取り組みましょう
  • 歴史は現在から過去への問いかけ、今世界で起きている問題を抽象化した内容が出題されます。世の中の出来事についてアンテナを張り、授業中から「これって今起きているあれのことか」と考える癖をつけましょう