国立大学の世界史の論述問題を解答しながら、大学が求める高校の世界史学習でつけてほしい「歴史的思考力」について考えます。
今回は東京大学、去年の「女性解放の歴史」は衝撃的でしたが、毎回第1問は東京大学の問題意識を「世に問う」場所となっています。
解答例は私のオリジナル、教科書の内容と先生の与太話(笑)を繋げて作っています。問題は過去回のリンクから拾ってください。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
東京大学2019年
第1問
設問 18世紀半ばから1920年代までのオスマン帝国の解体過程について 660字
条件 帝国内の民族運動や帝国の維持を目指す動きに注目しつつ
ヒント 冷戦後30年で政治的混乱や対立、紛争、内戦が生じる、オスマン帝国の支配領域の大きな紛争のその歴史的起源はオスマン帝国がヨーロッパ列強の影響を受けて動揺した時代にまでさかのぼる
指定語句
アフガーニー ギュルハネ勅令 サウード家 セーヴル条約
解法の手引き
1 指定語句から連想
アフガーニー:イスラームの大同団結を説く。弟子はイスラーム原理主義
ギュルハネ勅令:タンジマート 近代化政策
サウード家:ワッハーブ王国 フサイン家を倒してサウジアラビア建国
セーヴル条約:オスマン帝国の領土を分割
2 時系列にしてみた
時代 | 語群 | 内容 | 冷戦後の紛争との関わり |
1830 | サウード家 | ワッハーブ王国 サウジアラビア王国 | ビン=ラディン |
1830 | ロンドン会議 | ギリシアの独立。オスマン帝国への干渉激化 | |
1839 | ギュルハネ勅令 | タンジマート オスマン主義 | |
アフガーニー | イスラームの大同団結 | 弟子がイスラム原理主義 | |
1876 | ミドハト憲法 | アジア初の憲法 | バルカン半島で民族主義 |
1904 | 日露戦争 | 青年トルコ革命 | |
1915 | フサイン=マクマホン協定 | イギリスの三枚舌外交 | パレスティナ問題 |
1920 | セーヴル条約 | アラブの分割 委任統治領 | クルド人問題 |
解答例 3/22 だいぶ修正しました。
18世紀のオスマン帝国ではムハンマドの教えに立ち返れとするワッハーブ運動がサウード家と結びつきアラブ人が自立しはじめ、またロシアに黒海周辺を奪われた。19世紀前半にはロンドン会議でギリシアの独立が承認され、エジプトではムハンマド=アリーが自立した。そこで1839年にギュルハネ勅令が発布されてオスマン主義に基づく近代化が始まるが、かえって列強への従属を強めた。1876年に近代的なミドハト憲法が制定されるが、アブドゥルハミト2世は露土戦争を機に憲法を停止し、アフガーニーの思想を利用してパン=イスラーム主義を唱えたが、戦争に敗北してセルビアなどが独立し、バルカン半島でパン=スラヴ主義が台頭した。1908年には日露戦争に刺激されて青年トルコ革命が発生、新政府は憲法を復活させるがこの間にイタリアにリビアを奪われ、バルカン戦争に敗北してヨーロッパの領土を失うとパン=トルコ主義に傾斜し、第一次世界大戦では同盟国側で参戦した。この時イギリスはアラブ人の反乱を期待してフセイン=マクマホン協定で戦後のアラブの独立を約束するが、他方でユダヤ人のパレスティナにおける支援も約束し、両者の対立は現在も未解決である。敗北したオスマン帝国はセーヴル条約を結び、アラブ地域は英仏の委任統治領となり、アナトリアではムスタファ=ケマルがトルコ共和国を建設して政教分離を進め、ローザンヌ条約で主権を回復するが、クルド人の自治は破棄された。アラブ地域は独立後も紛争が相次ぎ現在は原理主義が台頭、バルカン半島では民族主義が復活し、トルコでもイスラーム主義が台頭している。660字
ポイント:
一見2018年の京都大学の第1問の被り。あちらは「国民統合の中身」が主題で、こちらは「冷戦後30年間に発生した紛争」のうち「オスマン帝国時代のヨーロッパ列強の進出」遠因に当たるものが主題。そう考えると、
- パレスティナ問題→イギリスの三枚舌外交
- ユーゴスラヴィアの内戦→パン=スラヴ主義
あたりが思い浮かぶ。
解答例では京大の過去問で学習した「新オスマン人」→「パン=イスラーム主義」→「パン=トルコ主義」→「政教分離のトルコ共和国」という軸を維持しながら、オスマン帝国解体の過程と現在未解決な問題にリンクさせてみた。
少なくとも高校生はパレスティナ問題はマスト、委任統治領から独立した国家(英仏が都合のいい人物を王族に指名)でイスラーム原理主義が絡んで紛争が発生していること、冷戦後のバルカン半島で民族主義が台頭していることに気づきたい。
解答例ラストの「クルド人」は慶応大学の経済学部の過去問「セーヴル条約とローザンヌ条約の違い」を利用し、蛇足と思いつつ現トルコのイスラームへの傾斜(政教分離に限界が来ている)をまとめにした。
第2問
問1 ベンガル分割令はベンガル州をどのように分割し、いかなる結果を生じさせることを意図して制定されたのか 3行以内
解答例
反英運動の中心であったベンガル州をヒンドゥー教徒の多い西部とムスリムの多い東部に分割することで、ヒンドゥー教徒とムスリムを反目させ、反英運動を分断、沈静化することを意図した。87字
*ポイント:私立大学の穴埋めや正誤問題によく出てくる。
問2
a:地図上の太線で囲まれた諸島が19世紀末から1920年代までにたどった経緯。60字以内
解答例
19世紀末にドイツがスペインからミクロネシアを譲り受け、第一次世界大戦で日本が占領し、戦後は日本の委任統治領となった。58字
b:ニュージーランドが1920~30年代に経験した政治的な地位の変化 2行以内
解答例
大英帝国の自治領から大戦後のイギリスの地位低下を受けてウェストミンスター憲章で本国と対等なイギリス連邦の一員となった。59字
*ポイント:bは細かいことを言うと、1926年のイギリス帝国会議によって自治領は本国と対等な地位を保障され、1931年のウェストミンスター憲章でイギリス連邦が法制化された。
なお去年の被せだが、ニュージーランドでは19世紀末に女性参政権が認められた。
南洋諸島についてはこちらを参照。
ニュージーランドには飛べない鳥がいます。これは「カカポ」。いらすとやさんって鳥のイラストが充実してます。
問3
a:韓国史は「満州と韓半島」を舞台に展開した、という考えの根拠にある4~7世紀の政治状況について、2行以内
解答例
中国東北部の高句麗が楽浪郡を滅ぼして朝鮮半島北部に進出して南部の新羅や百済と抗争するが、7世紀半ばに新羅が勝利した。58字
b:中国が渤海の歴史的帰属を主張する根拠の1つとされる、渤海に対する唐の影響について、2行以内解答例
唐の冊封を受け渤海国王と称し、律令制度や仏教を受容し唐の都城制を参考にして上京竜泉府を建設するなどの影響を受けた。57字
*ポイント:京都大学2019年のⅠ(マンチュリアの展開)と同じ内容。
中華人民共和国にとっては東北部は「固有の領土」=渤海は地方政権、一方韓国にとっては渤海は高句麗の後継=韓半島の国家、という主張。
「我々の歴史的な空間」は現代の認識によってその範囲が決まる。日本では歴史はロマンあふれるドラマだったりするが、本来は「政治的」なもの。そこに無自覚な人が歴史を語るのは危険。
こちらが参考になります。
しかしこの理屈で行くと沖縄も日本列島も東南アジアもアフリカのマリンディも?「固有の領土」…、あれ誰か来たようだ。
第3問
問1 コスモポリタニズム
問2 『エリュトゥラー海案内記』
問3 班超
問4 義浄
問5 △ドニエプル川
問6 スワヒリ語
問7 aプラノ=カルピニ bルブルック
問8 ジャガイモ トウモロコシ
問9 綿織物
*ポイント:問5と問10が地理問題で、問10がやや意地悪。それ以外は「グローバルもの」の定番で一度はお目にかかる用語ばかり。
まとめ
東京大学の大論述は過去「スカーフ論争」など「宗教の寛容・不寛容」を問うものがいくつかありましたが、アラブの春、IS、シャルリー・エブト襲撃事件と今日的課題が噴出しているのに(その辺に強い先生もいるのに)、息をひそめるかようにこのジャンルは長く出題されませんでした。
満を持して、ということでしょうか。
今年は「ズバリ的中!」と宣伝する予備校もあるようですが、受験生は昨年の京大の問題をやっていたでしょうから、「わりかし書けた」という人も多かったと思います。そこは東大受験生、一度見た拳は通用しません。
東京大学は過去問の学習が基本ですが、他大学にも似た問題があります。大学の歴史系の先生は学会などで問題意識を共有しているからです。演習しましょう。
過去問解説のまとめ
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