ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

キュビズム展美の革命@京都市京セラ美術館2024

はじめに

 ぶんぶんは今年還暦で、定年後は連れ合いと旅行や博物館・美術館巡りに打ち興じる計画だったのに、年金を支払いたくない政府のせいで定年が延長になり、もう少しフルタイムで働く羽目に。(#ノ゚Д゚)ノ ・゚・┻┻゚・

 今回は京都市にある京都市京セラ美術館で開催中の「パリ ポンピドゥーセンター キュビズム展」に行ってきました。個人の趣味の範囲で写真撮影(一部除く)とSNSでつぶやくのはOKなので、宣伝を兼ねて様子をレポートします。

 以下ブログの内容は公式HPや展示物の紹介文を参考にしています。

cubisme.exhn.jp

 エントランスのポスター。同じ会場で開催中のジブリの展覧会は予約のみでしたが、こちらは当日券でサクサク鑑賞できました。お客さんはまずまずいました。

目次

 

1 パリ ポンピドゥーセンター

 ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センターは近代芸術の愛好家でもあったポンピドゥー大統領によって構想され、1977年にジスカール・デスタン大統領の時に落成した総合文化施設です。館内にある国立近代美術館は近現代美術品の収蔵ではヨーロッパ随一を誇ります。

 今回はその収蔵品の中からピカソやブラックから始まるキュビズム(立体派)の展開に関する展示です。

2 展示のみどころ

① キュビズム

 キュビズムは、従来の絵画の手法であった遠近法や陰影法で空間を表現するのではなく、対象を幾何学的に平面化した形を画面上で再構成すること、複数の視点から対象の把握することが特徴です。1908年にブラックの風景画が「キューブ(立体)」と評されたことがキュビズムの由来です。

② セザンヌ

 セザンヌ後期印象派に属しますが、この静物画のように対象を幾何学的にとらえています。この発想はピカソとブラックに影響を与えました。

③ ピカソとプリミティヴィズム

 ヨーロッパの美術家たちの多くはギリシアやローマの美術を模範としていましたが、ピカソらはそれに挑戦するためにオセアニアやアフリカの彫刻を拠り所としました。この流れを「プリミティヴィズム」と呼びます。

 オセアニアやアフリカを「ヨーロッパの原始」とみなす発想はまさに「オリエンタリズム」なのですが、対象を多面的に捉える技法に大きな影響を与えました。

④ ブラック

 ブラックは対象を幾何学的に解体し、さらにそれを貼り合わせて重層的な空間を描きます。ピカソとブラックは1908年頃から綿密に連絡を取り合い、作品は抽象度を増していきます。ドイツ出身の画商カーンヴェイラーは二人と専属契約を結び、彼のパリの画廊で独占展示されました。

ブラック 果物皿とトランプ(1913年)

⑤ キュビズムの展開

 展覧会の中盤はキュビズムを発展させた作家や、キュビズムを吸収して独自の画風を確立した作家の作品です。

 スペイン出身のグリスは鮮やかな色面を組み合わせて複雑な空間を表現しています。

 ドローネー夫妻は「同時主義」(色彩同士の対比的効果を追求する)に依拠しながら異質な要素を同一画面に統合する方法をとりました。三美神とエッフェル塔をモチーフにしたポンピドゥーセンターの代表的な展示

 デュシャンらは黄金比や非ユークリッド幾何学といった数学・四次元の概念、運動の生理学的分析といった科学をキュビズムと理論的に結び付け、ダイナミズムあふれる表現を目指しました。

 キュビズムは東欧にも波及し、ロシアではイコンや民衆芸術と結びついて「ネオ・プリミティヴィズム」と呼ばれる運動に発展しました。

ミハイル・ラリオーノフ『春』。センター試験の小説に出てきた例の男子がこれをみたらおっ(以下略)。

 他にもシャガールやモジリアニなどキュビズムには分類されませんがその影響受けた作家の作品も展示されています。

⑥ 第一次世界大戦キュビズム

 1914年に第一次世界大戦が勃発するとフランス人芸術家の多くが前線に送られました。旧版『映像の世紀』の第二集にブラックがリアルなダミー兵士を作っていた話が出てきます。 

 グレーズの『戦争の歌』。愛国的な曲を指揮する作曲家フローラン・シュミットの姿を、同心円状の曲線(彼の歌から着想を得ている)で表現しています。グレーズはトゥールで従軍していましたが、物資の不足から準備素描のみが描かれ、1915年に亡命先のニューヨークで彩色されました。

 キュビズムは戦前から批判の目にさらされていましたが、キュビズムはドイツ人の画商カーンヴァイラーによって扱われていたことから、大戦中はキュビズムはドイツによる文化侵略、フランス文化を堕落させたと糾弾されました。

 しかしキュビズムはパリが誕生と発展の地、画家たちは「キュビズムこそフランスの伝統」と反論しました。

 ジャン・コクトーの愛国的な雑誌『ル・モ』に掲載されたグレーズの版画。前線から帰還する負傷兵を幾何学的に表現しています。

⑦ キュビズムを越える

 最後の展示は第一次世界大戦後の新しい潮流についてです。亡命したカーンヴァイラーに代わった画商が扱いを引き継ぎ、キュビズムは再び最先端の芸術表現としての地位を回復しますが、戦後オザンファンとル・コルビュジエキュビズムを乗り越え機械文明の進歩に対応した新たな芸術運動として「ピュリズム(純粋主義)」を唱えました。二人は幾何学的秩序に支えられた普遍な美を唱え、ル・コルビジェはこれを建築へと応用しました。

 首都圏私立大学ではこれに関する出題が入試の定番化しつつあります。首都圏受験生以外は入学お断りというメッセージでしょうか。

www.artmuseums.go.jp

おわりに

 第一次世界大戦は史上初の総力戦、国民の大多数は(最近の研究では人手を取られる農村部と都市では温度差があったらしい)自国が正義、敵国は悪と思い込み戦争に協力しました。

 芸術は政治と無関係ではいられません。人間や物質を幾何学的に解体しその内面をえぐる、つまり見えているものを疑い、見えていない部分に光を当てるキュビズムの芸術家も「挙国一致」に飲み込まれました。

 前回訪れたピカソ展では、ピカソはドイツの無差別空襲に抗議して『ゲルニカ』を作成し、第二次世界大戦中はパリ陥落後も仲間から逃亡を勧められるのを拒否し、ドイツ軍の厳しい監視を受けながらもパリで創作活動を続けました。

 現在ドローネの三美神とエッフェル塔の絵画が国立近代美術館の目玉展示になっているのは、「キュビズムはフランス発祥でフランス人の誇り」という心性の表れかもしれません。

 とはいえ芸術は批判精神があってこそ普遍的な意味を獲得するものです。某国では政府や政権与党に批判的な学術に金を出し渋る傾向にあり、特定の芸能にいたっては「クールなんちゃら」という補助金をもらって政府をヨイショをする始末です。

 キュビズムの「見えているものを疑う」「解体することで事物の本質に迫る」という批判精神にぶんぶんはあやかりたいと思いました。

 会期は7月7日(日)までです。連休中のお出かけ先候補にしてください。