はじめに
今年の受験生は3年間コロナ禍(人災もあり)に振り回され、本当に大変でした。
今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
第1回は京都大学です。ⅠⅢが論述で計40点、ⅡⅣが一問一答(小論述含む)で計60点の構成、ⅡⅣは南斗水鳥拳で瞬殺し、ⅠⅢにしっかり時間を使いたいです。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。
*解答例作成の方針
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベースより(要会員登録)
一問一答の難易度
◎:即答 ○:たぶん正解できる
△:やや難しいが正解できれば合格に近づく
▲:かなり難しい ×:ドボン(満点防止問題)
一問一答の出題パターン
ま:判別が紛らわしいもの や:書くのがややこしいもの
こ:事項の細かいいつどこだれ
り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する
ぜ:有名な事項のあとひとつ ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム
て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件
ク:他教科クロスオーバー グ:グローバルもの
目次
過去21年分の大問構成
年度 | 問 | 枝 | 課題 | 地域 | 時代 | タイプ |
2003 | Ⅰ | 宋・明・清の皇帝独裁制強化と政治制度の改変について | 東アジア | 前近代 | 変遷 | |
2003 | Ⅲ | 第一次大戦前後のインドとエジプトに対するイギリスの政策、第二次世界大戦後を踏まえて | ヨーロッパ | 20世紀 | 変遷 | |
2004 | Ⅰ | 非アラブ軍事国家であるセルジューク朝・モンゴル帝国・オスマン朝のイスラームに対する姿勢や対応のあり方 | 西アジア | 前近代 | 比較 | |
2004 | Ⅲ | 4世紀のローマ帝国がヨーロッパ中世世界形成に重要な意義を有した事象。特に政治と宗教 | ギリシア・ローマ | 古代 | 説明 | |
2005 | Ⅰ | 辛亥革命から日中戦争までの日本と中国の関係 | 東アジア | 20世紀 | 変遷 | |
2005 | Ⅲ | 七年戦争からナポレオン帝国の崩壊にいたる時期のイギリスとフランスの関係の変化 | ヨーロッパ | 近代 | 変遷 | |
2006 | Ⅰ | 1910~50年代、旧オスマン領中東地域の英仏による植民地化と諸国独立・勢力離脱の経緯 | 西アジア | 20世紀 | 変遷 | |
2006 | Ⅲ | 4~8世紀、地中海世界の統一・分裂を中心とした地中海域での政治的変化について | グローバル | 中世 | 変遷 | |
2007 | Ⅰ | 前2~16世紀の中国王朝がとった対北方民族の懐柔策・外交政策 | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
2007 | Ⅲ | 1960年代に世界各地でおきた多極化の諸相 | グローバル | 戦後 | 比較 | |
2008 | Ⅰ | 宋以降の士大夫層の新しさを前代指導層と比較、土地制・学術にも言及して | 東アジア | 前近代 | 比較 | |
2008 | Ⅲ | 前6世紀末から1世紀間におけるアテネ民主政の歴史的展開 | ギリシア・ローマ | 古代 | 変遷 | |
2009 | Ⅰ | インドの民族運動でのヒンドゥー・イスラム教徒の関係・立場と英の政策 | 南アジア | 20世紀 | 変遷 | |
2009 | Ⅲ | 新大陸発見が引き起こした新・旧両大陸での直接的変化 | グローバル | 近代 | 説明 | |
2010 | Ⅰ | 結成から中華人民共和国成立までの中国共産党について 国民党との関係を含めて | 東アジア | 20世紀 | 変遷 | |
2010 | Ⅲ | 古代ギリシア・ローマと中世の軍事制度の特徴と変化(政治・社会的背景・影響も) | ギリシア・ローマ | 古代・中世 | 比較 | |
2011 | Ⅰ | 4~12世紀にかけての江南開発の過程 | 東アジア | 前近代 | 変遷 | |
2011 | Ⅲ | 1920年代のアメリカが形成した政治的・経済的国際秩序について ヨーロッパと中国 | グローバル | 20世紀 | 変遷 | |
2012 | Ⅰ | 魏晋南北朝時代の仏教・道教の発展と政治、経済、社会への影響 . | 東アジア | 前近代 | 説明 | |
2012 | Ⅲ | 南北アメリカの独立運動と独立後の支配体制の特徴 | アメリカ | 近代 | 比較 | |
2013 | Ⅰ | ウンマの形成と正統カリフ時代のウンマの重大な変化 | 西アジア | 前近代 | 変遷 | |
2013 | Ⅲ | 19世紀のロシアとフランスの関係 | ヨーロッパ | 近代 | 変遷 | |
2014 | Ⅰ | 科挙制度の変遷 政治、社会、文化的側面から | 東アジア | ぶち抜き | 変遷 | |
2014 | Ⅲ | 戦後のドイツ史 冷戦の動きと絡めて | ヨーロッパ | 戦後 | 変遷 | |
2015 | Ⅰ | 19~20世紀初頭までの中国と列強の4度の戦争と利権の承認 | 東アジア | 近代 | 変遷 | |
2015 | Ⅲ | 前3~前1世紀のローマ国家の軍制と政治体制の変化 | ギリシア・ローマ | 古代 | 変遷 | |
2016 | Ⅰ | 8~12世紀のトルコ人の活動と各地への影響 | 中央・西アジア | 前近代 | 変遷 | |
2016 | Ⅲ | 啓蒙主義思想がイギリスとプロイセンに与えた影響の比較 | ヨーロッパ | 近代 | 比較 | |
2017 | Ⅰ | 前3世紀から後4世紀初頭の匈奴について、中国との関係を中心に | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
2017 | Ⅲ | 1980年代のソ連・東欧・中国・ベトナムの経済体制および政治体制の動向、類似点、相違点に着目して | ヨーロッパ | 戦後 | 比較 | |
2018 | Ⅰ | ミドハト=パシャ~ムスタファケマルまでのオスマン帝国、トルコ共和国の国家統合の変遷 | 西アジア | 近代 | 変遷 | |
2018 | Ⅲ | 十字軍運動の性格の変化と政治・宗教・経済への影響 | ヨーロッパ | 中世 | 説明 | |
2019 | Ⅰ | 4世紀から17世紀前半におけるマンチュリアの歴史、諸民族・国家の興亡を中心に 周辺地域の支配と被支配 | 東アジア | 前近代 | 変遷 | |
2019 | Ⅲ | 16世紀から18世紀におけるインドア大陸へのヨーロッパ諸国の進出の過程。交易品と勢力争いと関連づけて | ヨーロッパ | 近代 | 変遷 | |
2020 | Ⅰ | 6~7世紀に中央ユーラシアを支配した勢力とイラン系民族との関係 | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
2020 | Ⅲ | 1962年から1987年までの国際関係を説明、核兵器の製造・保有・配備、核兵器をめぐる国際的な合意に言及しつつ | ヨーロッパ | 戦後 | 変遷 | |
2021 | Ⅰ | 16~18世紀の中国におけるヨーロッパ宣教師の来訪の背景と彼らの中国での活動と影響 | 東アジア | 前近代 | 説明 | |
2021 | Ⅲ | 1871年のドイツ統一への過程。プロイセンとオーストリアに着目。1815年の起点にして | ヨーロッパ | 19世紀 | 変遷 | |
2022 | Ⅰ | 15~16世紀のマラッカ王国の歴史。外部勢力との政治的経済的関係、周辺地域のイスラーム化に与えた影響に言及 | 東南アジア | 前近代 | 説明 | |
2022 | Ⅲ | 民主政アテネと共和政ローマの違い。前者はペルシア戦争後、後者は前4~前3世紀を対象に、国政を担った機関と構成員の実態。 | ギリシア・ローマ | 古代 | 比較 | |
2023 | Ⅰ | 5世紀~12世紀のモンゴリアの歴史。遊牧国家の興亡を中心に | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
2023 | Ⅲ | アンダルスの形成と消滅の歴史。宗教的状況の変化および文化の移転 | ヨーロッパ | 前近代 | 変遷 |
コメント
京都大学の論述は長年2問がアジアかヨーロッパ、前近代か近現代の「バーター」(例えば中国の前近代史とヨーロッパの近現代史)になっていましたが、今年・去年は両方とも前近代から出題されています。
またここ数年、アジア史パートは中国史ド直球ではなく、境界地域が好んで出題されています。2023年度はヨーロッパ史側もイスラームとヨーロッパの境界領域であるイベリア半島について出題されました。昨今の学問的関心を反映しています。
Ⅰ
設問
5世紀から12世紀におけるモンゴリアの歴史について、遊牧国家の興亡を中心に 300字
解答例
鮮卑が南下すると5世紀に柔然がモンゴル高原を支配して北魏と争い、西方の高車、エフタルと中央ユーラシアを三分した。6世紀半ばにトルコ系の突厥が柔然を倒し、エフタルを滅ぼして中央ユーラシアの東西にまたがる大帝国を築いたが東西に分裂し、7世紀に唐が東突厥を服属させモンゴル高原を間接支配した。その後東突厥は復興するが8世紀半ばにトルコ系のウイグルが台頭しモンゴル高原に都市を築いて繫栄した。9世紀にウイグルがキルギスの攻撃で崩壊するとモンゴル高原ではモンゴル系、トルコ系部族が割拠した。10世紀に契丹はモンゴル高原を支配下に置いたが12世紀に金に滅ぼされ、以後金とカラ=キタイが部族間の争いに干渉した。298字
解答に向けて
1)時代と場所を~🌀チェック!(by寺田ちひろ♡)
遊牧民の年号そのものを覚えるのではなく、その遊牧民が争った相手の年号、特に中国史のマスト年号から遊牧民の活躍時期を思い出す。
「5世紀から12世紀のモンゴル高原」なので、始まり(5世紀)→鮮卑の華北統一(439年:予算苦しい鮮卑族)→鮮卑と入れ替わりでモンゴル高原を支配下に置いた柔然から書き出す。
結び(12世紀)=靖康の変(1126年:いい風呂でふにゃけた徽宗)→カラ=キタイと金まで。ただし資料集の12世紀の地図を見ると、モンゴル高原がぽっかり空いている、つまり両者はモンゴリアを服属させていたわけではないことがこの問題の肝。
こういう場合はひとつ後の時代を思い出す。遊牧民諸勢力(モンゴル系とトルコ系)が群雄割拠している中から13世紀はじめにテムジンが台頭し、ナイマン(旧カラ=キタイ)を破り、金の遠征は存命中はかなわなかったが次のオゴタイが行った。つまりこの両者がモンゴル高原にちょっかいを出していたことが想像できる。
モンゴル推しの帝国書院『新詳世界史B』にはその辺を説明している。解答例もこれに沿っている。
キタイ帝国(遼)はモンゴル高原に遠征して遊牧諸部族を従えた。ついで、女真人の金は、直接は支配しなかったものの部族抗争にたびたび干渉して、西遼(カラ=キタイ)とモンゴル高原の覇権を争った。
2)設問の意図に沿ったストーリーにする
京都大学の大論述の特徴は、無数にある出来事の中から設問のヒントに沿って事項をピックアップしてストーリーにすること。今回は「モンゴリアの歴史」「遊牧国家の興亡を中心に」なので、遊牧国家のモンゴリアの中での「できた→調子いい→滅んだ」をメインに書いてみた。
もし「中国王朝との関係を視野に入れつつ」という指定があれば、突厥=北斉と北周を服属させたが隋の離反策で分裂、ウイグル=安史の乱で唐を援助し唐を服属させた、などを書くべきだが、遊牧民の王朝を追っているだけで300字使いそうなので、中国王朝については柔然と北魏が国境付近で争ったこと、唐が東突厥を服属させてモンゴリアを間接支配したことなど、直接モンゴリアに関係することだけにした。
高校生には柔然・高車・エフタルの三国時代(資料集の5世紀の地図はそうなってる)、東突厥の復興(突厥碑文)、ウイグルが遊牧民としてはじめて城郭都市を建設したことはこのブログを見ていないと難しいので、上記の中国王朝との関係を書いて字数を使うのが無難な戦略。
ズバリ的中?ぶんぶんは1月最後の補習で遊牧民のところを胸やけするほどやりました。でも京大を受けた生徒はいませんでした。(´・ω・`)
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
Ⅱ
A
a ペナン△ぜ b マレー連合州○ま c マラヤ連邦○ぜ
(1) マタラム王国(オランダが18世紀に征服したジャワの王朝)○ま
(2) 七月革命(ベルギーの独立の契機)◎
(3) 強制栽培制度(政府栽培制度)〇て
(4) プラッシーの戦い◎
(5) 倫理政策(20世紀初頭のオランダの植民地での政策)▲て
(6) インドネシア国民党◎
(7) 大東亜共栄圏〇て
(8) スハルト〇て
(9)
(ア) シンガポールは華人系住民が多く、マレーシアはマレー人が多数派である。〇り
(10)
(ア) タイ フィリピン(ASEANの加盟国、残り二つ)〇ゆ
解答に向けて
ペナン島と倫理政策がやや難しい。あとはノーミスで。(9)(ア)は過去問にあり。
ペナン島、マラヤ連邦は「有名どころの前後問題」で、他にはクラッススやレピドゥス(三頭政治のあとひとり)、エウセビオス(アウグスティヌスの前)、ユリアヌス(キリスト教を迫害した皇帝)、ギュイエンヌ(百年戦争のもうひとつの係争地)、左宗棠(洋務運動)、梁啓超(戊戌の政変)、李大釗(新文化運動)、イープルの戦い(第一次世界大戦)、ゴラン高原(第三次中東戦争)なども私立大学の定番。
政府栽培制度やマレー半島について
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
倫理政策について
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
B
d 望厦(条約)○ま e ウィルソン◎
f ワシントン(会議)◎ g カイロ(会談)◎
(11) 常勝軍◎
(12) ジョン=ヘイ◎
(13) 中国同盟会◎
(14) 袁世凱◎
(15) 『新青年』△こ
(16) 広州(北伐開始時の中国国民党・国民革命軍の拠点)〇り
(17) 上海(上海クーデタ)◎
(18) 毛沢東◎
(19) 中ソ友好同盟相互援助条約〇や
(20) ベトナム民主共和国〇ま
(21) ゴルバチョフ◎
解答に向けて
京都大学志望者なら完クリ必須。(15)私立大学だとスローガンの「民主と科学」まで出題される。
Ⅲ
設問
アンダルス(イベリア半島におけるイスラーム勢力の支配地域)の成立から消滅に至るまでのイベリア半島における諸国家の興亡とそれに伴う宗教的状況の変化および文化の移転 300字
解答例
8世紀にウマイヤ朝のイスラーム勢力がキリスト教の西ゴート王国を滅ぼした。9世紀半ばの後ウマイヤ朝はバグダードの文化を吸収し、首都コルドバでは高度なイスラーム文化が発展した。11世紀には北アフリカのムラービト朝、12世紀にはムワッヒド朝が南部に進出し、後者ではイブン=ルシュドが医学や哲学で活躍した。一方キリスト教徒は北部からレコンキスタを進め、トレドではアラビア語に翻訳されていた古典古代の学問がラテン語に翻訳された。ムワッヒド朝撤退後にナスル朝が建ち、アルハンブラ宮殿などイスラーム文化が開花したが、1492年にスペイン王国に首都グラナダを攻略され、ムスリムは移住かキリスト教への改宗を迫られた。299字
解答に向けて
1)時代と場所を~🌀チェック!(以下略)
場所はイベリア半島、期間は「アンダルシアの成立と消滅」なので、711年のウマイヤ朝時代の西ゴート王国滅亡から、1492年のイスパニア王国がグラナダを陥落させるところまで。
2)設問の意図に沿ったストーリーにする
「宗教的状況の変化および文化の移転」が指定で、設問のリード文に「イベリア半島はキリスト教世界とイスラーム世界の境界としての長い歴史」とある。
宗教上の変化は、
と、王朝の興亡を書けばクリアだが、問題はその折々の「文化の移転」。
イスラーム | キリスト教 | 文化 | 文化 | |
8世紀 | ウマイヤ朝 | 西ゴート王国 | イスラーム広まる | |
9世紀 | 後ウマイヤ朝 | バグダードの文化を吸収 | ||
10世紀 | アラゴン伯、カスティリャ王国 | |||
11世紀 | ムラービト朝 | |||
12世紀 | ムワッヒド朝 | ポルトガル、カスティリャ、アラゴンの形成 | イブン=ルシュド | 十二世紀ルネサンス |
13世紀 | ナスル朝 | アルハンブラ宮殿 | ||
15世紀 | グラナダ陥落 | スペイン王国 | ムスリムは北アフリカへ移住か改宗 |
「文化の移転」に当たるのは、
なので、これを王朝の興亡とセットで論述する。
コルドバのメスキータ (Mezquita「モスク」) はスペインに現存する唯一の大モスク建築で、現在はカトリックの聖マリア大聖堂として使用されています。後ろの幾何学模様の柱が有名です。卒業生提供。
Ⅳ
A
a プトレマイオス(朝)◎ b アクティウム(の海戦)◎
(1) ラムセス2世(カデシュの戦い)△ぜ
(2) リディア王国◎
(3) アケメネス朝の中央集権体制◎
全国を州に分けサトラップに任命して統治させ、王の目、王の耳が監視した。また王の道を建設し駅伝制を整備した。
(4) インダス川(アレクサンドロス大王の東征の東端)〇り
(5) 閥族派◎
(6) オケオ〇グ
(7) 3世紀初頭に行われたローマ市民権拡大に関して〇り
カラカラ帝の勅令によりローマ帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられた。
(8) パリサイ派〇こ
(9) レオン3世◎
(10) ウマイヤモスク△り
解答に向けて
合格には完クリ必須。
(1)古代エジプト史のファラオでメネス王、クフ王、アメンホテプ4世(ネフェルティティとツタンカーメンはセット)以外では、第18王朝でシリアに進出したトトメス3世と、第19王朝でアブシンベル神殿で有名なラムセス2世は知っておくべき。
戦うラムセス2世、アブシンベル神殿内の壁画。著作権切れでパブリックドメイン
(4)は地図レス地図問題で難関私立の正誤問題の鉄板。アレクサンドロス大王はインダス川を越えてインドに行こうとしたら、長年の遠征に疲労困憊の部下たちが嫌だといったので仕方なく引き返した話は世界史の先生が授業でするはず。
ただしアレクサンドロス大王の噂はガンジス川流域の都市国家にも伝わり、その結果国家統合が進んでマウリヤ朝が建設された。
アニメファン必読
B
(11) モサデグ〇て
(12) 第一次五か年計画◎
(14) 西ベルリンが東ドイツの支配を受けぬ陸の孤島として存続していた理由〇り
戦後ドイツとベルリン市は東西に分割占領され、東側はソ連、西側は米英仏が管理した。その後東西ドイツが分離独立するが、東ドイツ内の西ベルリンは西側のまま存続した。
(15) さとう(カリブ海で栽培が特化)〇グ
(16) 米英ソ間で大気圏内、宇宙空間、水中での核実験の禁止が取り決められた〇ク
(17) 制限主権論(チェコスロヴァキアへの軍事介入を正当化するための新たな外交方針)▲て
(18) アメリカが1971年に金とドルの交換を停止した背景〇ク
ベトナム戦争への軍事支出などによる財政赤字や日本や西ヨーロッパの復興による貿易赤字でドルの信用が低下した。
(19) 周恩来◎
(20) ブラント〇て
(21) ヘルシンキ宣言▲て
(22) マルタ島◎
(23) ルーマニア(東欧革命で指導者が処刑された)〇て
解答に向けて
(17)(21)が難しいがデタントの内容を細かく問う問題は早稲田や慶応では鉄板で今年も出ていたので、いくら京大落ちたら同志社に行くつもりでも首都圏最難関私立の問題は暇つぶしにやっておくべき。
京都大学らしく、権力に歯向かった人や融和に努めた人がてんこ盛り。ぶんぶんはちゃんと戦後史まで授業できた年は、(23)の革命でチャウシェスク大統領が打倒される映像を視聴します(閲覧注意)。
チャウシェスク大統領夫妻が逃亡したあとに群衆が占拠したルーマニア共産党中央委員会の建物。Attribution: The National Museum of Romanian History
まとめ
- 一問一答は各ブロック2ミスが限度、ここで落とすと差がついてしまいます。過去問だけでなく難関私立大学の問題に数多く当たりましょう。短答記述問題だけでなく正誤問題も小論述の学習に効果的です。
- 論述も一問一答も、授業で世界史の先生がする説明や何気ない小ネタがヒントになることが多いです。つまり「へぇー」と持った話が即座に記憶できる学生を京都大学は入学してほしいと思っています。特に権力に抗った人や融和に努めた人の話は大事です。授業はギラギラしながら臨みましょう。
- 論述はド定番もありますが最近は周縁から歴史を見直すような出題が増加傾向です。これは他の国立大学も同傾向なので、京大の過去問研究は当然ですが、他の国立大学の論述や、難関私立大学の似た話題でリード文がしっかりしている問題にも取り組みましょう。
- 出題者は複数の教科書を見ながら作っています。Y社の教科書が普段使いの人は、もう一冊論述対策用の教科書を入手しましょう。