はじめに
今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
今回は大阪大学です。西洋史や東洋史という枠を超えた「グローバルヒストリー」を提唱した草分けで、移動や交流に関する出題と、文化に関する出題が特徴です。
また中の人が歴史総合や共通テストにコミットしているようで、今年の問題にはこの間発表されたばかりの「歴史総合・世界史探究」の試作問題に似た設問もあります。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。
*解答例作成の方針
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベースより(要会員登録)
一問一答の難易度
◎:即答 ○:たぶん正解できる
△:やや難しいが正解できれば合格に近づく
▲:かなり難しい ×:ドボン(満点防止問題)
一問一答の出題パターン
ま:判別が紛らわしいもの や:書くのがややこしいもの
こ:事項の細かいいつどこだれ
り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する
ぜ:有名な事項のあとひとつ ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム
て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件
ク:他教科クロスオーバー グ:グローバルもの
*京都大学の回では過去の出題を表にしましたが、それは大問構成が固定しているからで、大阪大学はその辺がフリーで表にしづらいので省略します。
目次
Ⅰ 外国語学部
問1~問2
問1 資料中の「皇帝」の業績として正しいもの2つ
エ 日本に遠征軍を送った→フビライ◎
ク 南宋を滅ぼした◎
*ダミー選択肢
ア:金印勅書→カール4世
ウ:聖像禁止令→レオン3世
オ:プガチョフの乱→エカチェリーナ2世
カ:土木の変→正統帝
キ:聖職叙任権→ハインリヒ4世
問2 資料中の「フランス王」の業績として正しいもの
ウ:三部会→フィリップ4世◎
*ダミー選択肢
ア:ナントの王令→アンリ4世
イ:カペー朝を開いた→ユーグ=カベー
エ:イタリア戦争→シャルル8世~フランソワ1世
コメント
名前を隠して事項を選ばせるのは共通テストと同じ、しかも問2は資料の年代「1289年」からフィリップ4世と判断する、つまり「リード文は読まなくても暗記知識で解答できる、思考力重視といいながら結局は知識問題」なところも共通テストと同じ。
大阪大学が深く関与している高大連携歴史教育研究会(ぶんぶんも会員)が2017年に発表した「歴史系用語精選の提案(第一次)」(以下「提言」)によると、世界史が暗記科目から脱却するために本文中から人名は減らす(必要なら欄外)べきとのことで、共通テストもその影響で人名を直接問わない問題が増加した。
とはいえ人名を覚えていないと事件や年代がごっちゃになるので、受験生は従来通り出来事の5W1Hを正確に記憶して、事項から人名、人名から事項と瞬時にサーフィンできるようにしておくこと。
問3
文中の「お前」が「イル=ハンの軍隊がエジプトの方へ出征するならわれらもここから出征して合流しましょう」のような提案を行った背景、この書簡が書かれる(1289年)までの約200年間のユーラシア西方の情勢を念頭に置きつつ 300字程度▲り
解答例
11世紀後半にセルジューク朝が台頭してイェルサレムを支配下に置きアナトリアに進出してビザンツ帝国を圧迫すると、教皇の呼びかけで十字軍が始まった。第1回十字軍はイェルサレム王国を建国するが12世紀末にアイユーブ朝にイェルサレムを奪い返された。13世紀半ばにフランス王ルイ9世は第6回、第7回十字軍で北アフリカのマムルーク朝を攻めるが失敗した。同じ頃フラグはアッバース朝を滅ぼし、マムルーク朝には敗北するもののイスラーム勢力と互角に戦っていた。フランスはルブルックをモンゴルに派遣し、イル=ハン国はネストリウス派の僧を西欧に派遣したことからフランスは同じキリスト教を信じるモンゴルと同盟してイスラーム勢力を挟撃しようと考えた。311字
解答のポイント
モンゴル推しの大阪大学らしい、中央ユーラシアから十字軍を考察する問題。
ルイ9世→第6・第7回十字軍でマムルーク朝に負けた→イルハン国もマムルーク朝に苦杯をなめた→ルイ9世はルブルックをモンゴルに派遣→バール=サウマがヨーロッパを訪問、というようにルイ9世から芋づる式に世界史の出来事を辿っていくと「敵の敵は味方、同じキリスト教徒だし共同戦線を張りましょう」という仮説が成り立つ(最終的にこの同盟は成立しなかった)。
時代は資料の年代(1289年 アッコン陥落(1291年 居にくい)の直前)の200年前からなので十字軍(1095年 入れ苦行)からはじめる。場所は「ユーラシア西方」なのでイェルサレム、バグダード、シリア地域で起きたことを書く。
政治的な背景として十字軍とイル=ハン国がマムルーク朝と戦ったことを書き、文化的な背景としてフランスとモンゴルがキリスト教を通じて交流があったことを添えると筋の通った文章になる(はず)。
ルブルックについて。バール=サウマは記事中のリンクから。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
参考
Ⅰ(文学部)
問1~問3
資料1 ビザンティウムでコンスルの地位にあったAが東ローマ皇帝からオドアケル討伐を命じられたこと
問2 エ(①ゼノン ②レオ3世)◎
解答に向けて
問2は共通テスト的な組み合わせ問題。たぶん①「ゼノン」は高校生は知らないが、②「レオ3世」は選択肢の中でひとつしかないので、見かけ倒しの単純択一式問題(なお「提言」では「レオ3世」は教科書で不要な人名)。
たぶん「知らない歴史用語が出てきても動揺せず知ってることから正解を探す」という共通テスト的な味付け(消去法という初級思考力)と思われるが無意味。
問1「テオドリック」は難関私立の頻出用語(西ゴートのアラリックやヴァンダルのガイセリックも出る)。テオドリックは東ローマ帝国の傭兵で、処遇に不満でコンスタンティノープルを包囲すると、ビビった皇帝ゼノンはテオドリックを西ローマ帝国のコンスルを任じる代わりに、対立する皇帝から西ローマを任されているオドアケルの追放を命じた。
テオドリック大王のコイン the collection of Italian numismatic Francesco Gnecchi, displayed in Palazzo Massimo, Rome CC 表示 3.0
( ˘ω˘ ).。oO( なるほど、だから首都がラヴェンナで、最後はユスティニアヌス帝に滅ばされるんだ )
世界史Bの教科書は「西欧中心主義」で東ローマ帝国は「おまけ」扱いのことが多い。細かい経緯までは知らなくてよいが、ゲルマン人国家は東ローマ皇帝の権威に服していたことは知っておくべき。
歴史総合や現状の共通テストを「思考力を試す」と評価する人はよく「世界史は暗記ばっかり」と現行の世界史を否定するが、そういう「聞こえのよい二項対立」こそ思考停止であり、歴史の重要なフェーズを細かい人名とともに記憶することは「歴史的にものを考える」ために必要、というのが大阪大学の見解と思われる。
ちなみに先述の「提言」には「テオドリック」は不要な人名(フン人すらない)。それとこれ(入試選抜)とは別物であり、西欧中心主義を克服するためには多くの用語や出来事を知っておかなければならないということ。
問3はドボン。教科書では西ゴートは「圧迫」で東ゴートは「服属」だが、後者はほぼ皆殺しだった。パンノニアはフン人が拠点としたところなので、東ゴートの生き残りが連行されてそのまま居着いたと推理した。
問4~問5
問4 イベリア半島で紀元前3世紀から資料1の時期にかけて生じた支配勢力の変遷を説明。100字程度〇り
紀元前3世紀、イベリア半島はカルタゴが支配していたが、ポエニ戦争の結果ローマの属州になった。その後4世紀末のローマ帝国の分割で西ローマの支配地となり、5世紀にゲルマン人の移動の結果西ゴート王国が建設された。103字
問5 レオ3世がカール大帝に戴冠した理由を、資料1から資料2までの間に西ヨーロッパで生じた政治と宗教の動きから説明。150字程度〇り
東ローマ皇帝は当時唯一の政治的権威でコンスタンティノープル教会はその保護の下ローマ教会と首位権を争っていた。ローマ教会は正統派に改宗したフランク王国との結びつきを強めゲルマン人布教をすすめた。8世紀に東ローマ皇帝が聖像禁止令を発布するとローマ教会は政治上の保護者を求め、カロリング朝を承認しカール大帝をローマ皇帝とした。160字
問4はサービス問題。第二次ポエニ戦争の経緯を知っていれば簡単。
問5は一橋大学の定番でサービス問題。ただし問1~問3が「誘導問題」なので「皇帝のお膝元のコンスタンティノープル教会の方が荒れ果てたローマの教会より優勢」という視点で書きたい。
この「誘導問題」は共通テストの歴史総合・世界史探究の試作問題に出てくるパターンで、それに噛んでいる中の人がフライングで出題したと予想。
一橋を受験する人ならカールの戴冠のいきさつ、レオ3世がローマの街頭で親ビザンツ勢力に襲撃され、護衛を頼まれたカール大帝が大軍を率いてローマにやってきた時に戴冠されたこと、当時東ローマ帝国で摂政の母が実子の皇帝を追放して自ら女帝となったこと、しかし女帝は無効、つまりローマ皇帝は空位だとしてレオ3世がカール大帝をローマ皇帝として戴冠したこと、は知っておきたい。
ローマ帝国史上初の女帝イレーネ。第4代皇帝コンスタンティノス6世の生母で、摂政として政治を取り仕切っていましたが、皇帝が成人すると対立(反抗期?)、ブルガリア遠征の失敗を機に彼女は実子を追放し、自ら皇帝に即位しました。
Ⅱ
問1~問3
資料1 13世紀後半から14世紀頃に作られた減ヘレフォード図 パブリックドメイン
いわゆる「TOマップ」(上部アジア、左下部ヨーロッパ、右下部アフリカ)
資料2 14世紀頃に描かれた法隆寺に所蔵されている世界図(五天竺図)
*写真は天竺絵図 小さなファイルは自由に利用可能
TOマップの形でインド(天竺)震旦(中国)本朝(日本)が描かれている
資料3 17世紀初めアントウェルペンのオルテリウスの地図。南には「メラネシア」という架空の大陸が描かれている
拡大図。日本がはじめてヨーロッパの世界地図に描かれた
資料4 地球万国山海輿地図 坤輿万国全図のカスタマイズ版
図版は坤輿万国全図 清朝向けに中国が中心に描かれている。東北大学附属図書館狩野文庫の写本 著作権切れでパブリックドメイン。
図5 モルティエ世界図 17世紀末~18世紀のアムステルダムの出版 メラネシアがなくなりオーストラリアやニュージーランドが描かれている
神戸市博物館のサイト
資料6 新訂万国全図 1810年 日本の北方の情報が追加
神戸市博物館のサイト
問1 ア◎○アッカド人によるメソポタミア統一 ハンムラビ法典はアッカド語で記録
×イ カイロの建設はアレクサンドロス大王の時代のだいぶ後
×ウ ナーランダー僧院はチベットではなくインド
問2 エ×
○地図に緯線・経線が使われるようになったのは古代ギリシアの地図が参考にされたと考えられる。
×ア ノルマン人が北アメリカに渡ったとはいえ考古学によると定住したとまでは言えず、それが地図に掲載されるかは別問題。
×イ 地中海の海図の背景はイスラームの文化のおかげとは言い切れない。
×ウ 羅針盤がヨーロッパに伝わるのは宋代。
問3 ア◎
×坤輿万国全図を参考にした図が作られたのはイエズス会宣教師が日本に亡命してきたからではない。
○イ オランダ人が日本と交易
○ウ ロシアが毛皮を求めてアラスカなど北方に進出
○エ 18世紀にイギリスがオーストラリアを探検してそれが地図情報に反映された。
解答のポイント
共通テストのような世界史授業シチュエーション問題。
問1はアケメネス朝の言語を問う過去問の類題。阪大はⅠのモンゴルのように過去問かぶせが多い。阪大に合格したければ過去問をやってきなさいというメッセージ。消去法で解ける。
問2は共通テストの生徒の推理開陳問題で内容はドボン。何冊かの教科書を見たら、阪大の教授陣が執筆している帝国書院の『新詳世界史B』の裏見返しに書いてある。つまり阪大に合格したければこの教科書を使いなさいというメッセージ。
大学では教授が執筆した高額な本が教科書というのはあるある。(´・ω・`)
問4
図1~図6の世界地図から読み取れるヨーロッパと日本の間の情報交換の歴史について、図1~図6の解説や問1~問3の内容を踏まえながら説明 200字程度△り
解答例
図1図2によると西欧から日本に中国経由で地図概念は伝わっていたが互いの世界観の中では互いを認識していなかった。図3図4によると大航海時代の地理上の発見で西欧が日本を認識し、日本もイエズス会宣教師が中国向けに作成した世界図から西欧を認識し、直接情報を交換するようになった。図5図6によると蘭学の発展を背景に日本は鎖国中の窓口であるオランダから太平洋の新情報を吸収し、ロシアが出没する北方地域の情報を独自に収集した。206字
解答に向けて
出題の元ネタ
上智大学のTEAP式で既出の「資料を世界史の知識を援用して要約する」問題。
( ˘ω˘ ).。oO( 巷で言う「国語の問題」。現代文や古文の問題だって文章を「解読」するのではなく必要な知識を援用して「読解」するんだぜ!)
「情報交換の歴史」なので、次の3つは必ず書く。
- 日本に西欧人と直接会うのは16世紀から。図1、図2には互いのことが描かれていない、つまり互いに知らない間柄ということ
- 17世紀の西欧の地図には大航海時代の知見が描かれ、日本も描かれている。その地図が中国経由で伝わって日本もポルトガルやスペインがどこから来ているかを知った。つまり互いが互いを発見した。
- 18世紀にクックなどのオセアニアの探検で太平洋の状況が明らかになる。19世紀に日本で蘭学が盛んになるとヨーロッパの新しい地理情報がオランダ経由で伝わり、同じ頃北方近海にロシアが現れたことから、日本が独自に調べた北方の様子も地図に追加されていること
ただし図1図2を見るとTO図というヨーロッパの地図のコンセプトは中国経由で日本に伝わっているので、蛇足かもしれないがその点にも触れた。
Ⅲ
問1
問1 不戦条約が締結されるに至ったヨーロッパにおける歴史的背景と、なぜその条約が効力を持たずに軽視されたのかについて。1920年代の国際連盟と関連付けて。200字程度〇
解答例
先の大戦の原因となった軍事同盟を反省して集団安全保障である国際連盟が結成されたが、アメリカは不参加でソ連は除外されていた。1920年代のルール出兵による緊張と国際協調を背景に欧州の現状維持を定めたロカルノ条約が締結されると、フランスがアメリカに対して武力不行使条約を持ち掛け、ソ連を含む多国間の不戦条約に発展した。しかし条約は自衛の戦争は認めていたので自衛権の名目での武力行使を抑止できず、国際連盟にもその力はなかった。209字
解答のポイント
名古屋大学の第Ⅳ問と被り。「専守防衛のための敵基地攻撃能力」が政府で議論されていることに対する、「えーっと、歴史を振り返ると『自衛のための戦争』という言い訳が世界大戦を引き起こしたのですよ?」という両大学からの批判ととれる。
発展***
近頃政治家は「学者風情が偉そうに!」という反知性主義に毒されていて、それがポンコツ入試改革の暴走や日本学術会議の任命拒否に現れています。まあ大学入試改革の時も政治家は民間に利益を誘導することしか頭になくて入試問題については全くご存じないようだったので、今回のこれはたぶん気が付きません。
***
解答例は「ヨーロッパの歴史的背景」は、国際連盟にはアメリカが不参加、ソ連が除外されていたが、ロカルノ条約で平和の機運が高まったことを契機に非加盟の2国を交えた安全保障条約を作ろうとしたこと、「効力を持たずに軽視された」は、自衛のための戦争はOKにしてしまったので自衛のためという名目の侵略戦争を起こされると条約は無力で国際連盟にも止める力がなかったこと、という解釈で作った。
問2
南アメリカの内部のふたつの小さな戦争と、満州における日本の戦争に類似する他の事例を第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期から取り上げ、その経緯を「世界の平和機構」が役に立たなかったことと関連付けて説明 200字程度〇
解答例
世界恐慌に苦しむイタリアは国威発揚のために1935年にエチオピアを侵略した。国際連盟は経済制裁を発動したが石油取引は除外されたので効果に乏しく、イタリアは36年にエチオピアを併合し翌年国際連盟を脱退した。またドイツは33年に国際連盟を脱退、36年にはロカルノ条約を破棄してラインラントに進駐し、翌年独伊はベルリン=ローマ枢軸を形成した。このように国際連盟は制裁機能が不十分な上に非加盟国には無力、多国間条約も破棄されれば終了であった。214字
解答のポイント
ウクライナ情勢を踏まえた、戦争を抑止する仕組みの脆弱さを考察する出題。
イタリアのエチオピア侵略だけでは100字ぐらいなので、「国際連盟から幾多の条約や協定までの」というネルーの言葉に注目して、ドイツのロカルノ条約の破棄とラインラント進駐を追加した。ベルリン=ローマ枢軸はなくても意味が通る。
試行調査もどき問題は「取って付けた感」満載だったが、このブロックの2問は旧帝大の矜持を感じさせる問題。
まとめ
- 大阪大学は時系列の展開が中論述、移動と交流が大論述ということが多いです。前者は教科書の記述内容理解、後者は複数の単元をキーワードでつなぎ合わせることができるかが鍵です。
- 大阪大学は「グローバルヒストリーのパイオニア」「歴史総合はおれが育てた」という自負があるので、モンゴル、大航海時代、帝国主義など日本を含む横のつながりを意識した整理と演習をやりましょう。資料集のまとめは効果的です。
- 横のつながり、縦の展開の両方とも年号の知識が必須です。論述は必ず世紀と地域が指定されるので、マスト年号から知識をつなぎましょう。
- 資料問題は基本初見ですが、文中にヒントの用語が仕込まれています。用語およびその正確な5W1Hの記憶を心掛けましょう。「年号や用語は暗記しなくていい」という世界史教員がいても真に受けてはいけません。
- 論を進めるには概念知識(貴族とか帝国とか朝貢とか)とまとめ知識(ローマの変質、十字軍や大航海時代や産業革命の影響)の理解が必要です。授業(講義、グループ学習、演習)にはギラギラしながら臨みましょう。
- 文化史(言語、信仰、思想)も頻出なので、政治史(特に統治概念)と関係する内容は整理しておきましょう。
- 「推し」には貢ぎましょう。(´・ω・`)