国立大学の入試問題を解答して来年度に備えるシリーズ、今回は東京大学です。
第1問大論述は最近世界を賑わす課題を歴史の中に問いかける出題、第2問小論述は用語の正確な説明、第3問一問一答は難関国立・私立の定番が出題されます。
解答例はぶんぶんのオリジナル、受験生と同じく何も見ないで解答し、その後推敲したり、複数の教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)で裏を取ったりしています(受験生からすればインチキです)。
記号は難易度メーターです
◎ 必答 ○ まあできる △ やや難だが正解すれば合格に近づく
▲ 無理っぽいけどできるとすごい。論述は半解 × ドボン
問題はこちら。河合塾のHPには東大・京大の問題は継続してアップされています。
目次
第1問
設問
8世紀から19世紀までの時期におけるトルキスタンの歴史的展開について 600字▲
リード文のヒント
- パミール高原の乾燥地帯とオアシス諸都市はユーラシア大陸の交易ネットワークの中心として。様々な文化が交錯する場であった。
- この地はトルコ化が進む中でペルシア語で「トルキスタン」と呼ばれるようになった。
- トルキスタンの支配をめぐり、周辺の地域に起こった勢力がたびたび進出してきたが、トルキスタンに勃興した勢力が周辺地域に影響を及ぼすこともあった。
語群
アンカラの戦い カラハン朝 乾隆帝 宋 トルコーイスラーム文明
バーブル ブハラ・ヒヴァ両ハン国 ホラズム朝
解答に向けてのメモ
- 8世紀 トルコ化する前はイラン系ソグド人がソグディアナ地方で東西交易を担っていたが、イスラーム(ウマイヤ朝、アッバース朝)が進出し始める。タラス河畔の戦いで唐と激突。
- 9世紀 ウイグルが崩壊してトルコ人の移動が始まり、パミール高原でトルコ化が進む。西トルキスタンを支配するサーマーン朝のもとでトルコ系がイスラームを受容する
- 10世紀 トルコ系イスラーム王朝のカラハン朝がサーマーン朝を破って東西トルキスタンを支配する。またガズナ朝はアフガニスタンから北インドに進出する。
- 11世紀 トルキスタンから興ったセルジューク朝がバグダードに入城し、スンナ派を奉じてファーティマ朝と争う。
- 12世紀 セルジューク朝が衰退すると西トルキスタンにはホラズム朝が繁栄する。東トルキスタンには宋と金に敗れた契丹の一族がカラ=キタイを立てて、カラハン朝を破る。
- 13世紀 モンゴルが東西トルキスタン諸国を征服する。この地域はチャガタイ=ハン国が支配する。
- 14世紀 チャガタイハン国の武将ティムールが西トルキスタンを支配し、アナトリアに進出してアンカラの戦いでオスマン朝をやぶる。ウルグ=ベクの頃にトルコ=イスラーム文明が栄える。
- 15世紀 東トルキスタンではオイラトが台頭。明を土木の変で破る
- 16世紀 西トルキスタンにウズベク人が台頭し、ブハラ・ヒヴァ両ハン国が成立。アフガニスタンを拠点とするバーブルは彼らに敗北してインドに向かい、ムガル朝を立てる。
- 17世紀 東トルキスタンではジュンガル部が台頭 清朝と争う。
- 18世紀 乾隆帝がジュンガル部を滅ぼし、ここを新疆として清朝の藩部にした。
- 19世紀 ロシアがブハラ・ヒヴァ両ハン国を保護国とし、コーカンド=ハン国を併合する。この時にムスリムの反乱が発生し、コーカンド=ハン国の武将ヤークーブ=ベクがオアシスの道に進出した。これに対しロシアと清が出兵し、両者はイリ条約を結んで国境を設定した。清朝は新疆省を置いて漢族を入植させるなど支配を強化した。
解答例
8世紀にイラン系ソグド人が活動したソグディアナ地方にイスラーム勢力が進出し唐と争った。9世紀にウイグルが崩壊するとパミール高原の東西にトルコ人が移動した。彼らはサーマーン朝のもとでイスラーム化し、10世紀にカラハン朝をたてて東西トルキスタンを支配し、11世紀にはセルジューク朝がイランやアナトリアに進出した。12世紀にはトルコ系がホラズム朝、宋と金に敗れて西進した契丹がカラ=キタイをたて東西トルキスタンを支配したが、13世紀にモンゴルがこれらを滅ぼして当地にはチャガタイ=ハン国がたち、モンゴルとトルコが融合した。14世紀に西トルキスタンでティムールが自立し、アンカラの戦いでオスマン朝を破ってアナトリアに進出した。また文化を保護したのでトルコ=イスラーム文明が花開いたが、16世紀にウズベク人の攻撃で衰退した。ウズベク人はブハラ・ヒヴァ両ハン国をたて、彼らに押されたバーブルはインドに進出してムガル朝をたてた。東トルキスタンでは15世紀にオイラトが明を脅かし、17世紀にはジュンガルが清と争ったが、18世紀に乾隆帝がこれを滅ぼして藩部とし新疆と呼んだ。19世紀にロシアがトルキスタンに進出し、ブハラ・ヒヴァ両ハン国を保護国としコーカンド=ハン国を併合したが、この時にムスリムの反乱が発生しロシアと清が出兵した。この結果イリ条約が結ばれて両者の国境が定められ、清は新疆省を置いて漢族を入植させた。598字
解答作成に向けて
リード文の「トルキスタンの支配をめぐり、周辺の地域に起こった勢力がたびたび進出してきたが、トルキスタンに勃興した勢力が周辺地域に影響を及ぼすこともあった」が解答方針のヒント。
教科書の中に出てくる「トルキスタンにやってきた勢力」と「トルキスタンから出て支配領域を広げた勢力」の記述を時系列で整理します。教科書の記述の中から指定のテーマをかき集めて文章にするのは東京大学大論述の典型パターンです。
中央ユーラシアについては近年関心が高まっています。
従来の世界史はヨーロッパや中国が中心で、彼らが進出する地域を周縁のように扱うきらいがありましたが、長いスパンで考えれば遊牧民の草原地帯と農耕民のオアシス地帯こそ世界史の中心でした。中央ユーラシアの研究はヨーロッパ主導で語られることが多い「グローバル化」に再考を促すものといえます。
東京大学の「英露のグレートゲーム」(2014年)、京都大学の「トルコ人の西進(2016年)、立命館大学(2019年)上智大学(2021年)他私立大学の中央アジア関連の出題などは、東京大学を目指す受験生なら一度は取り組んだことがあるはずです。
東京大学の昨年の出題は地中海のゲルマン、ビザンツ、イスラーム、ノルマンの展開がテーマでした。今年の名古屋大学や京都大学の東南アジアの出題も同じく文化の「はざま」と「関係性」に関する出題で、歴史学の関心を反映しています。
しかし中央ユーラシアは受験生にとっては空欄補充でも難しいのに、それを600字論述となると、特に現役生にとってはきついかもしれません。
さて2022年には北京で冬季オリンピックが開催されましたが、ウイグル、チベット、香港での人権弾圧から欧米が外交的ボイコットという話がありました。
新疆ウイグル自治区は東トルキスタンにあたり、解答例の締めの部分(最初は藩部だったのが直轄化され、漢族の移住が進んだ)こそ東京大学が訴えたいところだったのでは、とぶんぶんは勘繰っています。ただここは現役生には難しいです。
「バーブル」は、「ティムールの子孫であるバーブルがムガル朝をたてた」でクリアですが、角川学習まんが『世界の歴史』や当ブログを読んだ人なら、バーブルはアフガニスタンのカーブルを拠点とし、ウズベク人に押されてインドに進出したことも記憶しているはずです。
こちらは本誌既報通りです。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
天文台やトルコ=イスラーム文化を保護したウルグ=ベクの像。卒業生提供。
第2問
問1
a ハンムラビ法典が制定された時期とその内容の特徴 60字以内△
紀元前18世紀前半頃古バビロニアで制定された同害復讐法を原則とする刑法や民法で、身分や階級によって刑罰に違いがあった。59字
b イブン=ハルドゥーン◎
c イラン革命が批判したそれまでイランで推進されてきた政策 60字以内▲
パフレヴィー2世は親米政策をとり、国際石油資本と結んで上からの近代化政策や世俗化政策を独裁的な手法で進めていた。56字
問1a、「ハンムラビ法典はいつ頃」って聞かれたら泣きます。(´;ω;`)ウッ…「アッカド人の次にメソポタミアを統一した」とかで逃げる?
問1c、現役生は戦後史に時間を取れないので「白色革命」「ホメイニ」と名前を憶えて終わりにしがちです。角川学習まんが『世界の歴史』はイラン革命の背景が詳しく描かれています。
世俗化(脱イスラーム化)で女性が洋装で出歩くようになったり、農地改革で貧富の差が拡大したり、イスラームの指導者は広大な土地を所有していたのに農地改革でダメージを受けました。
こうしたパフレヴィー2世の政策がイランの人々にとって「伝統の破壊」「西洋かぶれ」と映り、彼の秘密警察を使った強権的な政治に対する批判も相まって、ホメイニのイスラーム回帰運動が支持を得ました。
問題は60字以内なので解答例はぐっとこらえて抽象化してあります。
問2
a マグナカルタが制定された経緯を、課税をめぐる事例を中心に。120字○
イングランドのジョン王はフランスのフィリップ2世に敗北して大陸領の大半を失い、戦争続行のために重税を課したので貴族が反乱を起こし、大憲章で新たな課税には聖職者と貴族の同意を必要とすることを定め、王権も従来の慣習法に従うべきとした。115字
b マキァヴェリが『君主論』で述べた主張 60字以内△
フィレンツェの共和政の崩壊を背景に、政治を宗教や道徳から切り離して現実主義的な統治を追及する必要性を主張した。55字
空欄補充の有名どころを説明する問題です。
aは具体例を書いていけば字数に達します。「法は権力者を縛るためにある」という東京大学からのメッセージです。
b、フィレンツェの法律家の家に生まれたマキァヴェリは、青年期に大ロレンツォの独裁、メディチ家追放、サヴォナローラの神政と失脚を経験しました。
彼はサヴォナローラ処刑後の1498年からフィレンツェ共和国の書記官を務め、軍制改革に尽力し、神聖ローマ皇帝やフランス王への使節など外交面でも活躍しました。
しかしイタリア戦争で共和国はフランスに味方して敗北、1512年にメディチ家が支配者として復帰すると彼は全ての官職を奪われ,一時は投獄もされました。釈放後は郊外に隠居して執筆活動に専念、特に喜劇は大好評を博したそうです。
『君主論』はメディチ家が君臨する新政権への就職活動の一環として書かれたそうです(刊行は彼の死後)。その後マキァヴェリは「フィレンツェ史」の執筆を依頼されるなどメディチ家と接近しますが、カール5世のローマ略奪に際して共和派が蜂起してメディチ家は再び追放、マキァヴェリも追放されて失意のうちに亡くなりました。
彼の「政治と宗教、道徳は切り離して考えるべきであり、君主は政治のためには権謀術数を避けるべきでない」というリアリズムに基づく政治思想は、イタリア戦争とそれに翻弄されるフィレンツェの政治という彼自身の経験から生まれたといえます。
サンティディティート作、マキァヴェリの肖像画 16世紀の作品なので著作権切れ
問3
a 19世紀末の清朝で生じた運動の中心になり、後に日本に亡命した2名◎
康有為 梁啓超
b この運動の主張と経緯 120字以内○
明治維新をモデルに立憲君主制の導入、民間産業の振興、国民教育の普及など中国の社会や政治体制の改革を求めた。光緒帝が提言を受け入れ改革を進めたが、性急な改革に官僚層が反発し、西太后ら保守派のクーデタで変法派政権は約100日で崩壊した。116字
康有為、梁啓超を答えさせるのは北海道大学と同じ。これも角川まんが『世界の歴史』で康有為のあまりの無茶ぶりに官僚たちが腹を立てるシーンがあるので、それを入れると経緯がはっきりします。
「100日で崩壊」とくれば、ぼうごなすこさんです。
第3問
問2 マムルーク朝○(アッコンを陥落させて十字軍勢力をシリア地方から駆逐)
問3 アチェ王国○(ポルトガルのマラッカ占領後発展した、スマトラ島北西部の港市)
問4 ラス=カサス○(先住民の救済を訴えた)
問6 イギリス フランス◎(クリミア戦争でオスマン帝国側に立って参戦した国(サルデーニャ以外)
問7 大陸横断鉄道◎
問8 ヒンデンブルク◎
問9 スカルノ◎
問10 インティファーダ△
なかなかいいところを突いてきますが、難関大学の一問一答の癖を知っていれば全クリ可能です。
問3は「グローバルもの」で京都大学の論述とかぶり。問5も京都大学は「ドイツ国民に告ぐ」を出題しています。
問4、問9、問10は東大・京大安定の「抵抗もの」です。問2は年号とルイ9世がマムルーク朝を攻撃したことから解答可能です。
難関国立・私立必須アイテム
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
インティファーダはこちら
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
まとめ
- 東京大学は国立・私立を問わず他大学の入試問題を研究しています。他大学の入試問題に数多く当たり、疑問に思った点を教科書や参考書で深めたり、この範囲の次はどうなっているかを興味を持って調べたりする姿勢が大切です。
- それら難関大学の入試問題は必ず現代起きていることに対する批判が含まれています。最新のニュースをチェックし、授業中の先生の話は「現代のあれに通じるかも」とギラギラしながら聞きましょう。
- 東京大学の大論述はテーマに対して、長いスパンで掘り下げるか、短いスパンで広いエリアの出来事を拾い集めるか、その中間に分類できます。いずれにせよ教科書の内容がまず頭に入っていて、テーマから事項を芋づる的に連想し、それをつなぐことが要求されます。普段の授業から「つながり」を意識しましょう。
- 元副学長である羽田正先生監修の角川まんが学習シリーズ『世界の歴史』は買いましょう。