上智大学TEAP利用型世界史、今回は高校生が解答しづらい2017、2019、2020年の問題を、教科書・資料集の知識だけで解答できるかチャレンジします。
前回 問題の入手方法、過去の出題内容一覧はこちら
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目次
2017年
一問一答
設問1
(1) c モンゴル人
(2) d ピョートル1世
(3) a アレクサンドル1世
(4) d 農民は解放されたが土地を貴族から買い戻さざるを得なかった
(5) b 総主教座がおかれたのはモスクワ
論述
設問2
チェアダーエフとドストエフスキーはともにロシアの未来を憂いつつ、ロシアは西洋と東洋のはざまにある国であるとの認識を持っていたが、ロシアのあるべき姿に関する考え方には相違点が見られる。その相違店について、19世紀のロシアの国内の現実とロシアをめぐる国際関係に即しながら説明 250~300字
指定語句
解答例
チェアダーエフの生きた19世紀前半のヨーロッパでは自由主義やナショナリズムが勃興して近代化が進行する一方、ロシアでは農奴制は残存し、皇帝は各地の自由主義を抑圧していた。こうした中でチェアダーエフはピョートル1世の西欧化政策を例に出し近代化を主張した。一方ドストエフスキーの生きた19世紀後半ばのロシアは東方問題と呼ばれるオスマン帝国との争いの中、クリミア戦争で近代化の遅れが露呈し、農奴解放令も土地は農村共同体に払い下げるなど不徹底で、ツァーリは帝国主義政策に活路を見出そうとした。こうした中でドストエフスキーはロシア正教とスラヴ民族主義による大同団結がヨーロッパに対抗するロシアの独自の道だと考えた。299字
解答作成のポイント
上智大学TEAP方式は、史料(単独、複数)の中にあるふたつの考え方の違いを抽出して、そこに具体的事実を加えて論述するのが王道。
史料から「西欧の近代化を受容するべき」と「固有の文化を自己のアイデンティティにして西欧に対抗するべき」が読み取れる。ふたつの史料の年代をヒントに、指定語句をどちらで使うか考え、関連事項を補って文章を整える。
設問3
ここで取り上げた異なるタイプの知識人や社会改革家は近代以降日本やトルコなどのアジア地域にも現われ論争を繰り広げたり、政治・社会運動に加わったりした。ⅠとⅡの文章が持つ文明論的意味について、実例を挙げながら 250~300字
解答例1 時系列タイプ
Ⅰは近代化を受容する立場、Ⅱは固有の文化で近代に対抗する立場である。オスマン帝国ではまずタンジマートやミドハト憲法で近代化を受容する方策がとられたが、列強の進出を招くことになった。一方アブドゥルハミト2世はパン=イスラームを唱えて帝国内のムスリムの団結を促し、青年トルコはパン=トルコ主義に傾いた。しかしこれらは領内の非ムスリムや非トルコ系の反発を生んだ。最終的にムスタファ=ケマルは世俗主義で近代化を受容しつつアナトリア民族主義を国民統合の核に据えた。日本も近代的政治制度や軍事制度を受容する一方、天皇制や伝統文化を近代的な文脈で読み替えてナショナリズムの拠り所とし、国民国家建設を目指した。297字
解答例2 比較タイプ
Ⅰは近代化を受容する立場、Ⅱは固有の文化で団結する対抗する立場である。Ⅰの例はオスマン帝国のタンジマートやムハンマド=アリーで、近代的法制度や軍隊など近代化を受容して西欧に対抗しようとした。近代化にはある程度成功するが西欧列強に従属する結果になった。一方Ⅱの例はウラービー運動やアフガーニーのパン=イスラーム運動で、民族意識やイスラームの団結を説いて列強の支配に抵抗した。これらは列強の武力干渉を受け鎮圧されたが独自のナショナリズムを生み出した。日本も近代的政治制度や軍事制度を受容する一方、天皇制や伝統文化を近代的な文脈で読み替えてナショナリズムの拠り所とし、国民国家建設を目指した。293字
解答作成のポイント
設問2の意図をアジアの近代化に当てはめるという「具体と抽象の出し入れ」が要求されている。
解答例は、「ウエスタンインパクト」に対して、非ヨーロッパが近代化をずぶずぶに受容したら食い物にされる、逆に自国の独自性を声高に叫ぶと潰される。そこで自らの固有性を近代的なナショナリズムに読み替えて、アジアの各地が「自分なりの近代国民国家」を建設する(「和魂洋才」や「中体西用」)という流れにした。
発展:アフガーニーはイスラーム教徒が団結し、イギリスなど西欧列強に対抗する「パン=イスラーム主義」を唱えて、中東各地で反植民地闘争を展開しました。ウラービー運動に影響を与え、イランのたばこ=ボイコット運動を指導しました。
彼はイラン人でシーア派でしたが、「アフガーニー」(アフガニスタン出身)と名乗ることで、スンナ派、シーア派の対立を越えるという意味と思われます。
彼の思想は共に『固き絆』を発行したムハンマド・アブドゥフに受け継がれ、彼は西洋ベッタリでも、イスラームの伝統への固執でもない「イスラームの教えが本来持つ柔軟さ」への回帰を主張します。
つまり『クルアーン』の教えを頑なに守ることが即「原理主義」ではない、ということです。
2019年
一問一答
設問1 a アムリットサール事件
設問2 d ブレスト=リトフスク条約でソヴィエト=ロシアは単独講和
設問3 b クレマンソー
設問4 c ズデーテン地方(WW1でドイツが失った地域ではない)
*難しいものもあるが上智受験者なら楽勝
論述
設問6
中東欧の多民族帝国に西欧の国民国家体制を適用する試みが問題含みだった理由はどのような点にあったと考えられるか 120字
解答例
中東欧の多民族はオーストリア=ハンガリー帝国内で混在していて民族ごとの領域が確定できない。そこに国民国家を持ち込むと、同一民族が複数の国家に分断されたり別の民族が国家内で多数派と少数派を形成するなど新たな民族問題が発生する危険があるから。120字
解答作成のポイント
高校生にとってはかなりの難問。
解答例は「チェコとスロヴァキアが分離した」「ユーゴスラヴィアはモザイク国家」「1848年にハンガリーで革命運動が起きると、マジャール人に抑圧されていたクロアチアがオーストリア側に経って革命を妨害した」「アフリカに恣意的な国境線が敷かれ、そのまま独立したので多数派と少数派の間で民族紛争が起きている」という高校生の持ちネタを最大限つなぎ合わせた。
*なお子どもの友だちの兵庫県民は5つの旧国(摂津、但馬、播磨、丹波、淡路)からなる兵庫県を「ヒョーゴスラビア連邦」とネタにしていたら、いつのまにか公式認定?になったみたいです。
設問7
第一次世界大戦後の世界においてヨーロッパの覇権はどのような形で揺らぎ、どのような形で立て直されたと言えるのか 文中の波線部に留意して 350字
指定語句
ヒント
史料の波線部の要旨
・平和に関する布告…無併合・無賠償はヨーロッパ以外の民族にも適応されるべき
・十四か条…ヴェルサイユ条約は民族自決と国際協調を原則としながらドイツに敵対的でやソ連を排除しアメリカを欠く。民族自決の原則は旧オスマン領には適用されない
指定語句
・植民地
WW1で宗主国に協力。民族自決が認められない 各地で反対運動
・旧オスマン帝国
・委任統治
同上。旧オスマン帝国地域は将来の独立を含むが、ドイツの植民地は分割。
・ワシントン体制
国際連盟に参加しなかったアメリカ合衆国が、自国の権益に関わること(中国市場、英仏に貸した借金を返してもらう)には口出し。国際協調、軍縮を大義名分にしたので、1920年代後半は一時的な平和の時代に。
解答例
第一次世界大戦の主戦場になったヨーロッパは荒廃して地位が低下する一方、戦争に協力した植民地ではロシア革命の影響で独立運動が高まり、戦争を終結させたアメリカ合衆国の地位が向上した。これに対して英仏はドイツに対して過酷な要求を行い、民族自決を口実に東欧に新国家を作ってソ連を封じ込める一方、自国の植民地には民族自決を適用せず民族運動を弾圧し、旧オスマン帝国領はサイクス・ピコ協定に基づいて分割され旧ドイツ領と共に英仏の委任統治領として帝国を維持した。一方アメリカ合衆国は国際連盟には参加しないものの自国の権益に関することには発言し、中国の主権尊重や海軍軍縮などワシントン体制の構築やドイツへの資本投下を行った。英仏もこの流れにのり、ロカルノ条約や不戦条約などヨーロッパでは一時的に国際政治が安定した。349字
解答作成のポイント
この時代、英仏の地位が下がる一方、ソ連が社会主義を実現し、大戦で目覚めた植民地が抵抗運動を始め、戦争を実質終わらせたアメリカが台頭する。
連合国は最初平和に関する布告を完無視したが、ソヴィエト政府が帝政ロシアの秘密外交を暴露して連合国の戦争の大義が崩壊する。それで新たな大義としてウィルソンの14か条が発せられるが、民族自決は旧オーストリアやロシア領にしか適応されない。
ウィルソンの理想主義とは裏腹にパリ講和会議ではイギリス(ロイド=ジョージ)フランス(クレマンソー)が、ドイツへの報復、ソ連の排除、敗戦国の領土分割、植民地の民族自決は黙殺、という帝国維持に固執する(この通説には異論もある)。
パリ講和会議後も紛争が続発するが、アメリカ合衆国の(自国ファーストにもとづく)国際協調と軍縮路線にヨーロッパの国がうまく乗って、一時的な平和が訪れる。
解答例はこの10年間を指定語句と波線部を拾い集めながら書いてみた。
2020年
一問一答
設問1 b ゴアは1510年にポルトガルが占領
*d ゴアはアフリカの年の影響で1961年にインド軍が侵攻して摂取
設問2 b マラッカは16世紀初頭にポルトガルが占領
*c オランダの香辛料貿易の拠点はバタヴィア。マラッカは錫の輸出港
設問4 c 広州は乾隆帝の時代にヨーロッパの来航地に
設問5 c マテオ=リッチ 坤輿万国全図の監修
設問6 d オスマン男爵のパリ改造
*6年間の中で最も細かい知識が要求される出題。たぶん設問8で差がつかないのでここで差をつける目論見か。
論述
設問7
史料中の「この方」を取り巻く世界の動きとは、具体的にどのようなものであったか。200字程度
解答例
当時ヨーロッパでは宗教改革が発生してカトリック地域が縮小した。またイスラーム教のオスマン帝国が勢力を広げ、ウィーン包囲はプロテスタントの拡大につながった。カトリック側はトリエント公会議で教会の綱紀粛正を行って対抗した。ポルトガルとスペインは大航海時代を迎え、国家事業として前者はアジア貿易、後者は新大陸支配を行っていた。イエズス会はそれを利用してアジアや新大陸に宣教師を送ってカトリックの拡大を目論んだ。202字
解答の方針
史料から「この方」はザビエル。16世紀の世界、特にカトリックに焦点を当てて事項を並べる。「国家事業」が難しいが比較的取り組みやすい問題。
設問8
「このお方」のような宣教師の活動について「香料と霊魂」という受け止め方が一般にみられる。なぜそのように受け止められているのか。解答者自身は、そのような受け止め方に関してどのように考えるか。350字程度
解答例
香料はアジア内貿易の商品すなわち経済的利益、霊魂はキリスト教の布教すなわち精神的な救済を指すと考えられる。日本に来航したポルトガルの貿易船は宣教師を同乗させ、布教を認めた大名領の港に入港したため、大名は貿易を望んで宣教師を保護するとともに布教に協力した。貿易相手からすれば貿易と布教を一体視するのは当然であろう。ザビエルの伝記を読むと彼の布教は純粋に宗教的な動機から行なわれているように思える。他の宣教師もそうであろうが、熱情だけで未知の土地でキリスト教を普及させるのは難しく、経済的利益を用いて現地の支配者に取り入ることも必要であろう。宣教師の中にも教会を貿易の拠点として提供するなど経済的利益に関与している例もある。「香料と霊魂」はどちらにより重心の置くかの違いはあれ、布教には必ずついて回る問題である。351字
解答の方針
「香料と霊魂」という受け止め方について解答者自身はどう考えるか、という小論文のような問題。
ポンコツ入試改革で「英語4技能」も「主体性」も所詮は政治の道具かつ業者が利権をむさぼるための「錦の御旗」にすぎないと感じたぶんぶんは、すっかり性格が歪んでしまいました。(´・ω・`)
そのため解答例も、お金儲けや教会の権威回復のために情熱的な宣教師を利用したような穿ったものになったので、外で頭を冷やしてきます。
高校生も自分の身近なことに引きつけて考えを書きましょう。上智大学はイエズス会直営だからと気を回す必要はありません。たぶん。
まとめ
*上智大学TEAP方式を突破するには「具体と抽象の出し入れ」
① 史料(単独、複数)の中にあるふたつの考え方を比較し違いに気づく
→教科書の精読、似たものが出てきたら教科書を戻って比較する。
→対になる概念(グローバルとローカル、ヨーロッパとアジア、近代と伝統)に注意
② 「考えの違い」の具体的事例を指定語句を使って論述する
→教科書レベルの正確な知識
③ 最初の問題で抽象化したことを、次の問題に当てはめて再度具体化する
→概念知識(革命、民主主義、帝国、民族運動)を「アジアでは、イスラームでは…」と具体化するトレーニング。
④ 歴史上の出来事を自分の問題に引きつけて考える
→教科書の出来事や人物のしたことに対して自分なりの「つっこみ」を入れる
おわりに
TEAPも高校生にはしんどいですが、世界史も教科書的の知識に加えて抽象的思考力や表現力が求められるタフな内容、都会の上位層向けの試験です。とはいえ問われている内容やスキルは大学で学問を志す上で必要なことです。
「まとめ」に書いたことを普段から心がけてください。