今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
今回は名古屋大学です。文学部、情報学部文系のみの設定です。昨年は痛恨のミスで4問が採点対象外、過去にも色々やらかしていて、国立の中では珍しく『絶対に解けない受験世界史』の常連です。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。
*解答例作成の方針
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベース(要会員登録)
一問一答と小論述の難易度
◎:必答 ○:まあいける △:やや難しいが解答すれば合格に近づく
▲:かなり難しい ×:ドボン
出題パターン
ま:判別が紛らわしいもの や:書くのがややこしいもの
こ:事項の細かいいつどこだれ
り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する
ぜ:有名な事項のあとひとつ ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム
て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件
ク:他教科クロスオーバー グ:グローバルもの
3月中にブログは完成していたのですが、順番に更新しているうちに名古屋大学から解答例と出題意図が公表されました。まあおおよそあっていました。
目次
過去11年分の大問構成
年度 | Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ |
2013 | 古代・中世のイスタンブル | 中国の歴史書と史書 | 中世のキリスト教 | 19世紀の東南アジア大陸部、マレー半島におけるイギリスとフランスの動き350字 |
2014 | 秦~唐の官吏登用制度 | 秦・漢と匈奴の抗争 | 16~19世紀半ばのアメリカ大陸 | アレクサンドリアに灯台が建てられた歴史的背景350字 |
2015 | 秦~清の政治・統治体制 | 中世西ヨーロッパ世界 | 近代ヨーロッパの政治状況 | 16世紀末頃までの、ユーラシア東半部におけるムスリム海上勢力の活動と影響350字 |
2016 | フェニキア人の海上交易 | 魏~宋の財政政策 | 古代~現代東南アジア | ヨーロッパ中世末期、ドイツとイタリア北部の状況350字 |
2017 | 儒教 | 古代~16世紀の東南アジア | 17~19世紀のイギリス | キリスト教が普及する以前の古代地中海世界における伝統的な宗教の特徴350字 |
2018 | 唐と周辺民族 | 中世ヨーロッパ世界の膨張 | 16~19世紀におけるアレクサンドリア | 第二次世界大戦後の東西ヨーロッパの分断350字 |
2019 | 古代中国の文字と文学 | 1400~1800年のインド交易史 | 18~19世紀前半のヨーロッパ | 世界遺産としてのパルテノン神殿350字 |
2020 | 先史~中世のイベリア半島 | 騎馬民族 | 教皇権の衰退とルターの宗教改革 | アカプルコ貿易350字 |
2021 | シバの女王 | 梁啓超の歴史観 | 16~18世紀のヨーロッパ | 社会主義諸国における国家体制の変化350字 |
2022 | 中国史における内乱 | 15~20世紀の経済統合 | 19世紀のヨーロッパ | 紀元前後~5世紀頃の東南アジア地域350字 |
2023 | 中華の概念 | 19~20世紀のヨーロッパとアフリカ | 日中共同声明をめぐる北京政府と台北政府の態度 | 第一次世界大戦ののちの国際協調と軍縮を柱とする新しい国際秩序の展開450字 |
コメント
みなさんお気づきの通り、文学部の西洋史専攻、東洋史専攻、情報学部のスタッフが設問を分担しているみたいです。第Ⅳ問の論述は当番制のようです。
西洋史専攻がⅣの当番だと、2014、2017、2019のように高校生のどのような力を測りたいのか?な古代史が炸裂しますが、この理由はみなさんが御察しの通りです。
中国史(中央ユーラシア含む)の前近代史は鉄板かつ(出題ミスさえなければ)良問なので、政治・経済・思想・文化のどれが来ても解答できるようにしましょう。
問題Ⅰ
解答例
問1 ①民族の違い:漢族か否か◎ ②地域の違い:中心か周縁か○ り
問2 礼・義を重視する思想とそれが中国王朝の正統思想とされた時代
儒教◎ (前)漢◎
問3 華と夷の区別は排他的な考え方に見えるにも関わらず膨張主義的な性格を持つのはなぜか△ り
中華思想には国境という概念はなく、中華皇帝の徳に従い文化を受容すればたとえ夷であっても中華の領域中に組み込まれると考えるから。63字
問4 文中の「有徳の君主」の王朝と名前:元◎ フビライ○り
問6 元王朝から明王朝への交替は事実上武力による奪取であることは明らかであるのに、なぜ檄文の中で「有徳の君主が徳を失って夷に戻ったので新たな有徳の君主に徳を譲るべきである」という解釈を示すことが必要であったのか。△り
元明の交替は実際は武力による帝位奪取だが、儒教を支配原理とする以上建前上は禅譲の形式を採る必要がある。そこで元が一時期天命を受けたことにして、天命を失ったから明に平和的に交替したという筋書きにして明の正統性を担保しようとしたから。116字
解答のポイント
問題Ⅰ定番の中国前近代史で。一般書の一部をリード文にするのもよくある形式。
リード文はこれから
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発展
過去には『岩波講座世界史』や山川出版社のリーフレットがリード文に使用されています、名古屋大学合格を至上命題(名大だけに)とするA県の某高校では、英語が自然科学のN誌やN誌からよく出題されるので、英語版と日本語版を定期購読していると聞きました。山川のリーフレットは読みやすいです。
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問1は趣旨があっていればたぶん〇。残りの一問一答も簡単。
問3と問6の論述は「共通テスト世界史の国語の問題」的で、中華思想と易姓革命の知識を使ってリード文の言葉を拾って要約をする。
問3は、マカートニーが熱河の乾隆帝に謁見して貿易拡大を求めたが丁寧にお断りされたことを思い出す。清朝には西欧の「主権・国境・国民を有する主権国家間の対等な外交」というのは通じない。程度の差はあるが省も藩部も朝貢国もイギリスも中華皇帝の徳を慕って臣従している集団という建前なので、中華帝国の範囲は一定ではない。
問6は、例えば楊堅は隋王の位を北周の皇帝から授かり、その後禅譲させて皇帝に即位して隋朝を開き、北周の王族を皆殺しにしている。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
つまり禅譲は儒教(易姓革命)で自らの王朝を正当化するため、血塗られた政権交代をごまかすフィクションといえる。したがって檄文は夷である元を一旦は有徳者と持ち上げ(問3が誘導にあたる)、その徳を失ったので明に交代したというストーリーを展開している。
ちなみに劉邦(漢中王)以来、禅譲を受ける前の王号が新王朝の国号になるのはこの原理による。漢籍から国号を取ったのは元が最初。
中国史うんちくは立命館大学の過去問のリード文が参考になるので、中国史パートの対策としては立命館の過去問をこなすとよい。
問題Ⅱ
解答例
問1 A~Eの史料は何か すべて◎
A:5(ジョゼフ=チェンバレンの電報→トランスヴァールへの最後通牒)
B:1(フランス革命百周年を伝える記事→共和国憲兵隊が「ラ=マルセイエーズ」を歌う)
C:4(アレクサンドル2世の宣言→農奴を自由な農村住民とする)
D:2(スエズ運河の開通→レセップスに勲章)
E:3(ニコライ2世への嘆願書→ペレルブルクの労働者と住民)
問2 A~Eを並び替える◎
①C(1861)→D(1869)→②B(1889)→③A(1899)→④E(1905)
問3 南アフリカではじまった戦争の結果について簡潔に述べる○り
イギリスはブール人に勝利し、1910年にケープ植民地にブール人のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国を併せた自治領の南アフリカ連邦を建設した。58字
問4 レ=ミゼラブル(ユーゴーの代表作)◎
問5 ナロードニキとは何か簡潔に説明▲り
都市のインテリゲンツィアでミールを中心に社会主義革命を起こそうと「人民の中へ」をスローガンに農村に入り啓蒙活動をした人々。しかし運動は支持を得られず一部はテロに走った。84字
問7 血の日曜日事件◎
解答のポイント
問題Ⅲの定番である史料並び替え問題が問題Ⅱに昇格。ヒントが親切で年号もすべてマスト年号なので、名大受験生なら朝飯前のはず。
問3は「結果」なので「背景」「経過」「影響」は不要。なのでアパルトヘイト等は不要。なお最近はブール人よりも「アフリカーナー」を使う。
問5、ナロードニキは知っていても説明するのが難しい。勉強の差が出るところ。旧帝大の世界史はどこも小論述があるので、「用語を見て内容を言う(書く)」トレーニングは必須。
イリヤ・レーピン 『ナロードニキの逮捕』(1880年~1889年, 1892年) トレチャコフ美術館 著作権切れでパブリックドメイン
問題Ⅲ
解答例
問3 オ:総督(府)〇ま カ:皇民化(政策)△て
問5 コ:日中平和友好(条約)◎ サ:改革・開放(政策)△ク
シ:社会主義市場(経済)△ク
問7 タ:サンフランシスコ講和(条約)◎ チ:朝鮮(戦争)◎
問8 ツ:二・二八(事件)▲て テ:国際連合◎
問10 文中の「現実」と「幻想」とは具体的にどのようなことを指しているとかんがえられるか△り
現実とは、台北政府が国連から追放され北京政府が中国の合法政府と世界の国々が認めはじめ、中華民国は台湾のみを実効支配していて台湾人も別国家を望んでいる状態を指す。幻想とは、指導者は北京政府を認めず今なお中華民国が唯一の中国政府であり大陸の主権を保持しているという非現実的な考えをしている状態を指す。148字
解答のポイント
10年分の過去問を見ると名大の世界史では中国の現代史を見かけないので、併願の私立は共通テスト利用で済ませて名大の過去問ばかりしていた決め打ち組に厳しい問題。中国戦後史(台湾含む)は名大文学部の併願先である同志社や立命館、首都圏の難関私立では頻出範囲なので、通常は学習してあるはず。
旧帝大・難関私立の合否に関わるのが「権力に抵抗した、宥和に勤めた、逆に弾圧した」に関わる用語。総督府、皇民化政策、李登輝は書けないと合格しない。
台湾総督府の絵葉書。朝鮮総督府と同じ形。著作権切れでパブリックドメイン。
「二・二八事件」と「民進党」はドボンだが、第二次世界大戦後に国民党が台湾にやってきて現地人と衝突したこと、国民党の政権独占が崩れたことの具体例なので、首都圏私立大学では出題済み。
もちろん当ブログでも紹介済み。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
問10、資料Aは日中共同声明(1972年)に関する北京政府の文書で、日本が「復交三原則」(北京政府が唯一の合法政府、台湾は中華人民共和国の領土、台湾政府との日華平和条約を破棄)を受け入れることを期待している。
資料Bは同じ件に関する台北政府側の文書で、台北政府が合法政府であり日本が偽政府(北京政府)と国交を回復して日華平和条約を破棄するのは不法だとしている。
資料Cは台湾人の文書で、台北政府が国連を脱退後、台湾では改革を求める声が強くなっているのに政府はいまだ大陸に戻ることを夢見ているとし、別国家としての台湾の独立、蒋介石の引退、国民党の一党支配の放棄と民主化を求めている。
問題Ⅰと同じく世界史の知識を使って複数テキストから必要な情報を拾って要約する共通テスト的問題。資料中に必要なことが揃っているので中華人民共和国と台湾の通史をの知識と併せれば書けないことはない。
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発展
ぶんぶんが1990年代初頭に台北の美術館を回ったらすべて大陸の文物でした(年表も清の後はずっと中華民国)。台北政府は亡命政府で、反乱軍=共産党を打倒して大陸に復帰することが政治目標かつ政権の正統性だと実感しました。
1994年には初めて台湾の原住民の文化を顕彰する博物館ができました。
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問題Ⅳ
設問
第一次世界大戦ののち戦争による混乱を収取する新しい国際秩序が生み出された。国際協調と軍縮を柱とするこの秩序がどう展開したのか。450字
参考語群
解答のためのメモ
- 第一次世界大戦の原因は列強諸国の帝国主義的政策、複雑な軍事同盟と秘密条約、軍拡競争にあった
- 戦後パリ講和会議が開かれ、ウィルソンの14カ条にあった国際的平和機構がヴェルサイユ条約の条文に盛り込まれ、それに基づいて史上初の集団安全保障体制である国際連盟が発足した
- しかし言い出しっぺのアメリカ合衆国は上院の反対で加盟せず、ソヴィエト=ロシアやドイツも除外された。
- 孤立主義のアメリカ合衆国は自分の利益には口出しをした。1921年からワシントン会議を主催して、四カ国条約で太平洋の現状維持と日英同盟の終了、九カ国条約で中国の主権尊重(この後日本は山東半島を、イギリスは威海衛を中国に返還)海軍軍縮条約で米英仏日伊の主力艦の保有トン数比率を制限した。
- ヴェルサイユ体制への不満は各地で小競り合いを引き起こし(ソヴィエト=ポーランド戦争、ギリシアのイズミル占領、イタリアのフィウメ上陸)、それは1923年のルール出兵で頂点に達する。
- アメリカのドイツへの資本注入で事態は回避され、1925年にはロカルノ条約と称される一連の条約で、ヨーロッパの西側の国境線やラインラントの現状維持が合意され、翌年にドイツが国際連盟に加盟した。
- フランスのブリアンがアメリカ合衆国のブリアンに相互武力不行使条約を持ちかけるが、せっかくだからと多国間条約に変更、ソ連を含む国々が不戦条約に批准し、国際紛争解決の手段としての戦争の禁止を約した。ただし自衛のための戦争は認められた。
- ジュネーヴ軍縮会議でお流れになった補助艦の保有制限が1930年のロンドン会議でまとまった。
- 1929年に世界恐慌が発生すると、植民地が少なく市場規模が小さい日本やドイツはファシズムと軍事的冒険で恐慌を乗り越えようとした。
- 日本が満州事変を起こすと蒋介石は国際連盟に解決をゆだね、リットン調査団の結果日本の侵略行為を認定し満州からの撤兵を勧告する決議案が採択され、日本は国際連盟を脱退した。
- ドイツも軍事平等権を訴えて国際連盟を脱退、1935年には再軍備宣言、1936年にはロカルノ条約を破棄してラインラントに進駐した。
- イタリアは1935年にエチオピアを侵略、国際連盟は初めて経済制裁を発動したが石油が禁輸品目に入っておらず、制裁は実効性に乏しかった。結局1936年にイタリアはエチオピアを征服、1937年に国際連盟を脱退してドイツとベルリン=ローマ枢軸を結成するなどファシズム諸国が接近した。
解答例
先の大戦の背景に軍事同盟と軍拡があったことを反省し、1919年のヴェルサイユ条約にもとづき集団安全保障体制である国際連盟が結成された。アメリカ合衆国はこれに不参加だったが21年からワシントン会議を主催して太平洋の現状維持、中国の主権尊重、主力艦の保有トン数比率の制限を取り決めた。23年のルール出兵によって西ヨーロッパは緊張したが、25年にロカルノ条約で現状の国境が合意され、翌年ドイツの国際連盟加盟が実現、また仏米の武力不行使条約交渉が国際連盟から除外されていたソ連を含む不戦条約に発展して加盟国の国際紛争解決のための戦争が禁止された。さらに30年にはロンドン会議で補助艦の保有比率が制限された。しかし29年の世界恐慌を機にファシズムと戦争で事態を打開しようとする国が出現し、33年には日本が満州事変に対する国際連盟の勧告に反発して脱退し、同年ドイツも脱退して再軍備を宣言しロカルノ条約を破棄した。またイタリアのエチオピアを侵略に対して国際連盟の制裁措置は実効性に乏しく、国際協調体制は崩壊した。449字
解答作成に向けて
字数が450字と例年より100字増えたが、上記のメモのように書くことは山のようにあるので、450字は少ないぐらい。
解答例は「第一次世界大戦」「新しい国際秩序」「国際協調と軍縮」に注目し、第一次世界大戦が帝国主義的傾向と軍事同盟と軍拡の結果であることを示し、それを反省して国際協調と軍縮がなされ、ある程度効果はあったものの世界恐慌が発生してファシズム諸国の攻勢で崩壊した、という筋立てにした。
ちなみに他大学の大論述は「どこからどこまで」という時間の区切りが指定されているが、この問題はそれがない。ただ「展開」といえば始まりから終わりまで、「ファシズム」が締めののラーメンだと判断できる。「そのくらい察してよ」的なところが名古屋大学らしい。
なお大阪大学も不戦条約を出題している。おそらく「専守防衛のために敵基地を先制攻撃する」という矛盾した話に対する「自衛のための戦争とか言って不戦条約がなし崩しになったことをご存じない?」という大学側からのメッセージ。
まとめ
- 名古屋大学の世界史で差がつくのは小論述です。一問一答の学習をするときに逆コース(用語→説明)もやりましょう
- 名古屋大学の過去問研究は当然ですが、他の国立大学の論述や、難関私立大学のリード文がしっかりしている問題にも取り組みましょう
- 出題者は複数の教科書を見ながら作っています。Y社の教科書が普段使いの人は、論述対策用の教科書を入手しましょう
- 山川のリブレットはお薦めです。余裕があれば最近の新書も読みましょう
- 歴史は現在から過去への問いかけ、今起きている問題に通じる内容が出題されます。授業中に「これってあれと似てる」と主体的に考えましょう
- 2020年ぐらいから資料を読んで世界史の知識を使いながら要約する問題が出ています。概念知識(中華帝国、冊封や朝貢、政体(貴族政、共和政、立憲政など))に強くなるには授業が大事