はじめに
今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
今回は一橋大学です。経済人が教養として身につけておくべきヨーロッパの基層・グローバル化・東アジア近現代史について毎年これでもかと出題します。
新課程からは「歴史総合、世界史探究」からの出題で、歴史総合はⅢの東アジア近現代史と予想していましたが、2025年度はその通りになりました。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。
*解答例作成の方針
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 一橋大学は教科書オーバーの内容が出るので一般書もチラ見する(インチキ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベースより(要会員登録)
一橋大学の出題意図
目次
一橋大学 過去23年分の出題(大問構成)
| Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | |
| 2004 | 宗教改革の比較 | ピョートル1世 | サファヴィー朝、ムガル帝国。文学革命の意義。 |
| 2005 | 身分制議会の特徴と比較 | 冷戦を核兵器の開発と抑制の観点で語る | 東南アジアへのインド人中国人移民増加の理由を出身国の国内問題と現在の問題と絡めて書く |
| 2006 | オットー1世の歴史的意義 | ケルン大聖堂をめぐる中世都市の自治やドイツ帝国のナショナリズム | アウラングゼーブ。マンサブダール制。清の統治。典礼問題 |
| 2007 | フランクの分裂~オットー1世の戴冠 | ルイ16世の即位と革命前の改革 | 太平天国と洋務運動 |
| 2008 | ハンザ同盟13世紀~17世紀 | 米西戦争とアメリカの太平洋進出 | 韓国併合と光緒新政 |
| 2009 | カール大帝と地中海。ピレンヌテーゼの再考 | 18世紀の第二次英仏百年戦争 | 1920年~40年代の日本の朝鮮統治 |
| 2010 | 11世紀~13世紀の皇帝権と教皇権の闘争 | 第一次世界大戦と女性の社会進出 | バンドン会議、西安事件、インド国民会議 |
| 2011 | フス戦争の意義 | 1850年~70年代のヨーロッパの動き | 三藩の乱 |
| 2012 | ナントの勅令の意義 | 国際連盟と国際連合が直面した問題 | イギリスの東南アジア進出と清朝の冊封体制の変化 |
| 2013 | 東方植民の経緯と近代での経済史的意義 | フランス革命は革命か | 甲申政変 |
| 2014 | ワットタイラーの乱と中世封建制の解体 | チェコの歴史と良知力 | 明清交代と朝鮮 |
| 2015 | カール大帝のローマ滞在の理由とカールの戴冠の意義 | ECとASEANの歴史的役割の変化について比較する | 清朝の対外関係の特徴とその崩壊過程 |
| 2016 | 聖トマスとアリストテレスの都市国家論の比較 | 18世紀プロイセンで建てられたユグノー教会とカトリック教会の歴史的背景 | 1940年以降の朝鮮半島情勢と、朝鮮戦争が中国と台湾に与えた影響 |
| 2017 | 新大陸の銀がスペインの盛衰や16~17世紀のヨーロッパ経済に与えた影響 | ハイチとアメリカ合衆国の奴隷解放の特徴。ラテンアメリカの独立の担い手と独立後の経済政策。ブラジルの独立の特徴 | ザイトンを取り巻く11~13世紀の国際関係 |
| 2018 | 11~13世紀のヨーロッパの「空間革命」とその経済・社会・文化への影響 | 歴史学は経済学と近代歴史学の相違。それが生じた歴史的背景を対比させつつ | 三・一独立運動と五・四運動の背景、展開、意義 |
| 2019 | 東欧でカトリックを受容した王国。身分制議会の展開 | 第二次英仏百年戦争の経過と後の世界史に与えた影響 | 中国国民党と中国共産党の争い。1949年まで |
| 2020 | ドイツ農民戦争と「聖書のみ」に関わるルターとの考えとの相違 | 20世紀中葉に資本主義の派遣がイギリスからアメリカ合衆国に移行した経緯。19世紀後半、第二次世界大戦、冷戦、脱植民地化との関係に言及しつつ | 朝鮮王朝の小中華意識とそれが1860~70年代にどのような役割を果たしたか。当時の国際関係の変化に関連づけて |
| 2021 | アヤソフィア建造の時代背景と複数回の転用の理由 | ゲーテの時代とレンブラントの時代の文化的特徴の差異 | 文化大革命から四つの近代化までの経緯 |
| 2022 | フリードリヒ1世の勅法の歴史的背景(中世の大学) | 20世紀アメリカ合衆国の経済政策の背景と影響、それが批判された理由 | 光州事件、壬辰丁酉の倭乱、朝鮮王朝の開国 |
| 2023 | 英仏百年戦争が英仏二つの国家間の戦争と捉えることが必ずしも適切でない理由とその結果による仏の変化 | モザンビークとジンバブエがOAU加盟が送れた経緯 | 帝政ロシアの中国利権とソヴィエトロシアがそれを手放す声明を出した時代の中露関係の変化が中国に与えた影響 |
| 2024 | 都市経済の「封鎖的な面jと「開放的な面」を明らかにしつつ.アルプス以北の地域において中世都市が果たした社会経済史的意義 | 19世紀の奴隷貿易・奴隷制廃止の一連のプロセスを概説した上で、奴隷解放の問題点を中心に当時の国際牌係や政治経済情勢に着目しながら論じる | 10世紀から12世紀頃、唐王朝の滅亡に伴って発生した東アジア世界の政治的・社会的変動 |
| 2025 | 1648年に締結されたウェストファリア条約において取り決められた代表的な項目を3点取り上げ、その内容を説明した上で、この条約がその後のヨーロッパの国際関係に及ぼした影響について述べる | 18世紀後半から19世紀にかけてヨーロッパで「市民結社」が発展した背景を前近代の中間団体との相違に触れつつ説明した上で、その政治文化史的な意義と限界を論じる。 | 1905年以降の朝鮮植民地化過程を朝鮮側の抵抗に言及しつつ論じるとともに、上の文章の内容を踏まえて「韓国併合」の性格について述べる。あわせて「韓国併合」と比較しながら第一次世界大戦後に登場した委任統治とは何かを述べ、このような新たな統治方式がとられた背景を論じる |
コメント
大問三題とも論述で(たまに刻む)、Ⅰはヨーロッパ中世史が中心で時々近世、Ⅱはヨーロッパ近現代史、Ⅲが東アジア近現代史で時々明清交替、たまに肩透かし(2017年元、2024年五代・宋)という構成です。
Ⅱは政治・経済のグローバル化に関することが多く、たまに出題される歴史学の方法論や文化論は受験生にはお手上げです。(/-ω-)/オワタ
内容は事件の展開を説明したうえで後世への影響を聞くことが多いです。
Ⅰ、Ⅲは教科書以上の知識をつけておき、Ⅱはグローバル化関連の他大学の論述までやる、併願の私立大学の入試問題は暇つぶしにやっておくことをすすめます。
Ⅰ
設問
1648年に締結されたウェストファリア条約において取り決められた代表的な項目を3点取り上げ、その内容を説明した上で、この条約がその後のヨーロッパの国際関係に及ぼした影響について述べる 400字以内
解答のためのメモ
ウェストファリア条約の取り決め
- アウクスブルクの和議の原則が再確認され、カルヴァン派も公認された
- スイスとオランダの独立が国際的に承認された
- ドイツの領邦君主はほぼ完全な主権が認められたので神聖ローマ帝国は事実上解体した
- フランスはアルザスなどを取得して領土を広げ、スウェーデンも北ドイツの西ポンメルンを獲得して北ヨーロッパの大国となった
ウェストファリア条約の影響
実教出版『世界史探究』
16世紀の宗教改革以来の宗教と政治をめぐる動乱が一応の決着をみて、ヨーロッパでは主権国家体制が定着化した。(中略)。東北隅にあって戦禍をあまり受けなかったプロイセンが急速に台頭した
山川出版社『新世界史』(『詳説世界史』もほぼ同じ)
多数の国が調印した国際条約というかたちで保障されたことで主権国家体制が法的にも確立された。近世後半のヨーロッパはこのウェストファリア体制を前提に出発する。ここで急速に台頭したのがオランダであった。
神聖ローマ帝国カールの単一ヨーロッパ帝国債権の理念が挫折したのち、この理念を実現する可能性を持った君主は現れなかったため、ヨーロッパに新しい国際秩序が登場することになった。そこでは大国や小国、君主国や共和国、カトリック国やプロテスタント国など、さまざまな国家が数百も存在したが、皇帝や教皇などの上位権力が形骸化したため、すべての国が形式上は対等な立場に立った。各国は外交と戦争の慣例を定め、互いに条約を締結し、また使節を駐在させた。こうした国際秩序を主権国家体制という。これは平和共存の体制ではなく、各国が生き残りや覇権をかけて争い、戦争が頻発した。主権国家体制は、16世紀のヨーロッパに出現したのち、17世紀に法的な裏づけと与えられてヨーロッパ国際政治の基本となり、現代にまで継承されることになる。
解答例
ウェストファリア条約ではアウクスブルクの和議の内容が再確認されカルヴァン派も公認された。この結果宗教改革以来続いていた政治と宗教をめぐる騒乱が一応決着した。また神聖ローマ帝国内の領邦にほぼ完全な主権が認められ、スイスとオランダの独立も承認された。さらにフランスはアルザスに領土を広げ、スウェーデンは西ポンメルンを獲得した。多数の国が調印したこの条約の結果、神聖ローマ帝国が事実上解体し、皇帝と教皇という普遍的権力が形骸化し、各国の主権が法的に保障されて主権国家体制が定着した。各国は国境を画定し統治機構を整備して国家としてまとまり、他国と外交関係を結んだが、この体制は平和共存の体制ではないので、各国は以後も生き残りや覇権をかけて争ったので戦争が頻発した。フランスの周辺地域の侵略やイギリスとの植民地争い、スウェーデンとロシアの北方戦争、プロイセンとオーストリアのシュレジエンの争奪戦はその例である。400字
解答のポイント
一橋志望生ならウェストファリア条約の代表的な項目は朝飯前だが、問題は「その後のヨーロッパの国際関係に及ぼした影響」。
まず普遍的な上位権力のもとに国家があるという体制が形骸化して、形式上対等な国が横並びという「主権国家体制」が各国のウェストファリア条約の調印で法的に保障されたことを説明する。
その上で、形式上は対等なだけで力関係は歴然として存在し、後のウィーン体制(大国による勢力均衡)やヴェルサイユ体制(集団安全保障)のように平和を維持するための体制ではないので、諸国が生き残りや覇権をかけて、同盟や条約といったルールに基づいて戦争を繰り広げることになる。
いつものⅠよりもぱっと見は平易に見えるが、主権国家体制の抽象的な理解と、なぜウェストファリア条約の後もヨーロッパで戦争が頻発するのかという疑問が解答の肝になる。
ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争における「非対称性」を目の当たりにすると、主権国家の「対等」とは何かを考えざるを得ない。
なお『論点・西洋史学』によると、「ウェストファリア条約で主権国家体制が定着した」は後世の「神話」で、主権国家の実態は君主の「家産」(私的な財産の寄せ集め)ではないか、また国家を超える人的結合関係もまだ存在していたという主張もある。
ウェストファリアのミュンスターの様子Gerard Terborch 1648) パブリックドメイン。

これとか
これも
Ⅱ
設問
18世紀後半から19世紀にかけてヨーロッパで「市民結社」が発展した背景を前近代の中間団体との相違に触れつつ説明した上で、その政治文化史的な意義と限界を論じなさい。
指定語句 植民地物産 メディアの発達 ギルド
指定語句から芋づる
植民地物産:コーヒーや砂糖。17世紀にロンドンでコーヒーハウスが開業。新聞や雑誌を置き、市民がコーヒーを飲みながら政治的な議論を行った(新聞を読めない人のために音読する人もいた)。
メディアの発達:ヨーロッパで17世紀後半に新聞が登場、イギリスでは1702年に初の日刊紙「デイリー・クーラント」が誕生する。世界初の雑誌は、1665年にフランスで創刊された『Journal des Savants ジュルナール・デ・サバン』だとされている。
ギルド:中世のヨーロッパの都市で結成された同業者組合。相互扶助のための団体で独自の身分秩序を持つ。
山川出版社『新世界史』219頁
近世には都市の商業を基盤にブルジョワ(市民)も台頭し、民衆や貴族とは異なる独自の文化を形成していた。経済力を持ったブルジョワは、近世の後半から各国で政治への参加を求めて国王ら旧来の支配階層と争うことになるが、その際に彼らがもった武器の1つが、言論の力であった・18世紀のヨーロッパでは都市の文化サークルや貴族の館のサロン、ブルジョワのクラブ、さらにフリーメーソンのような民間の団体・教会が数多く生まれ、言論の場になって学芸や時事問題について自由な会話や議論がおこなわれた。こうした会話や議論は新聞・雑誌の論調にも影響し、「公論」を生み出すことになった。公論はやがて独自の権威を持つようになり、政府も反政府派もその主張の正当性の根拠を、神意や王権などの伝統的な権威ではなく、この公論に求めるようになった。公論は、イギリス青磁はもちろん、アメリカ独立革命やフランス革命においても、無視できない要素となるのである。
挿絵の注 18世紀フランスのサロン
サロンの主人は女性も多く、知的で洗練された会話が交わされた。文学者がここで新作を朗読することもあった。
挿絵の注 コーヒーハウスの政治屋
18世紀後半のコーヒーハウス。店内に新聞や雑誌が置かれ、政治問題に関心を持つ庶民の議論の場となった
解答例
前近代のヨーロッパでは人々は身分秩序や共同体の規範の中におかれ、都市にも相互扶助や規制のためのギルドがあった。17世紀以降にコーヒーやたばこなど植民地物産がもたらされ、上流階級から次第にブルジョワの間にも広まった。また新聞や雑誌などメディアの発達も進み、イギリスのコーヒーハウスは店内にそれらを置き、政治問題に関心を持つ市民の議論の場となった。18世紀には貴族のサロンやブルジョワのクラブやフリーメーソンのような結社が数多く生まれ、啓蒙主義などの学芸や時事問題について自由な会話が行われた。これらは新聞・雑誌の論調に影響して世論を形成した。この政治文化が18世紀末の市民革命を準備した。しかし市民結社は上層男性市民だけの閉鎖的な場で植民地経営の上に成立していた。また民衆は一揆や暴動など別の政治文化を持ち、革命当初はブルジョワと共闘したが規制撤廃が進むと両者の溝は深まり、1848年革命後に市民結社は保守化した。400字
解答作成のポイント
工エエェェ(´д`)ェェエエ工! なんじゃこりゃ!
「政治文化」は、ぶんぶんは近藤和彦氏が指導教官で、二宮宏之氏他社会史気鋭の方々の薫陶を受けているから理解できるが、受験生は( ゚д゚)ポカーン では。
まず指定語句の「ギルド」を使って、前近代の人々は身分ごとの規範の中に生きていたことを示し、次に「植民地物産」からコーヒーハウスをひねり出して、「市民結社の背景」が17世紀後半からの市民の成長と自由な議論だと示す。次に18世紀の市民結社を『新世界史』をベタ写しして(インチキ)、クラブやサロンで花開いた啓蒙主義が市民革命を準備したことを示した。
最後に市民結社は男性の富裕層に限られていたこと、その富は植民地の収奪を前提していることを示し、蛇足として一橋レジェンドの良知力さんを思い出し、市民結社は貴族を打倒するときには民衆運動(別の政治文化)と共闘するが、自分たちが社会の主役になると保守化し「世論」としての役割が低下する、で締めてみた。
コーヒーハウスの政治文化に関する古典
最近だとこれ
良知力さん
二宮宏之さんのソシアビリテ論
Ⅲ
設問
問1 下線部「墺匈国」の帝国名
問2 1905年以降の朝鮮植民地化過程を朝鮮側の抵抗に言及しつつ論じるとともに、上の文章の内容を踏まえて「韓国併合」の性格について述べる。あわせて「韓国併合」と比較しながら第一次世界大戦後に登場した委任統治とは何かを述べ、このような新たな統治方式がとられた背景を論じる すべてで400字以内
解答に向けてメモ
1905年 桂=タフト協定 第二次日英同盟…韓国の保護国化の承認
第二次日韓協約…外交権を奪う 統監府設置(初代統監伊藤博文)
1907年 ハーグ密使事件 第三次日韓協約…内政権を奪う 韓国軍隊の解散
→軍人が反日義兵運動に合流して激しさを増す。愛国啓蒙運動
1909年 日本政府 韓国の植民地化を閣議決定
1910年 韓国併合条約 大韓帝国を朝鮮と改称 朝鮮総督府を置く
韓国併合条約(抄)
條約第四號
日本國皇帝陛下及韓國皇帝陛下ハ兩國間ノ特殊ニシテ親密ナル關係ヲ顧ヒ相互ノ幸福ヲ增進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ此ノ目的ヲ達セムカ爲ニハ韓國ヲ日本帝國ニ倂合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲ニ兩國間ニ倂合條約ヲ締結スルコトニ決シ之カ爲日本國皇帝陛下ハ統監子爵寺內正毅ヲ韓國皇帝陛下ハ內閣總理大臣李完用ヲ各其ノ全權委員ニ任命セリ因テ右全權委員ハ會同協議ノ上左ノ諸條ヲ協定セリ
第一條
韓國皇帝陛下ハ韓國全部ニ關スル一切ノ統治權ヲ完全且永久ニ日本國皇帝陛下ニ讓與ス
第二條
日本國皇帝陛下ハ前條ニ揭ケタル讓與ヲ受諾シ且全然韓國ヲ日本帝國ニ倂合スルコトヲ承諾ス
第六條
日本國政府ハ前記倂合ノ結果トシテ全然韓國ノ施政ヲ擔任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身體及財產ニ對シ十分ナル保護ヲ與ヘ且其ノ福利ノ增進ヲ圖ルヘシ
第七條
日本國政府ハ誠意忠實ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相當ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓國ニ於ケル帝國官吏ニ登用スヘシ
- イギリスで従来の植民地政策について批判が高まると、戦時内閣で主要列国による国際的な開発委員会の監視下で植民地統治を行う案が出された
- ウィルソン大統領は反植民地主義から国際連盟による委任統治を主張した
- パリ講和会議で従来の植民地支配を継続を望む国と、国際管理を主張する国が対立したが、妥協の結果、国際連盟規約第22条で委任統治が規定された
- 対象地域の政治的・文化的発展の度合いに応じてA・B・Cの3段階に区分された
- A地域は自治の度合いが高く、早期に独立を促すことが可能な地域で、イラク(1932年)、レバノン(1944年)、シリア、ヨルダン(1946年)は独立した
- B・C地域は住民の水準が自治を与えられるのにふさわしくない地域で、アフリカの旧ドイツ植民地(B、西南アフリカはC)、太平洋地域の島々(C)の独立は実現せず、国際連合の信託統治に引き継がれた。つまり実質は植民地の再分割であった。日本は南洋諸島を委任統治したが、国際連盟脱退後も統治を続けた
解答例
問1オーストリア=ハンガリー帝国。問2日露戦争後の第二次日韓協約で日本は大韓帝国の外交権を奪って保護国化し、統監府を置いた。韓国が万国平和会議で窮状を訴えると日本は第三次日韓協約で内政権を奪い軍隊を解散させた。韓国で愛国啓蒙運動や反日義兵闘争が激化すると1909年に日本は韓国の植民地化を閣議決定し、1910年に韓国皇帝が天皇に統治権を譲渡する体裁の日韓併合条約を韓国に認めさせたが実態は植民地であり、韓国を朝鮮と改称して朝鮮総督府を置き、憲法は適用されず日本人総督が武断政治を行った。委任統治は現地住民の代わりに国際連盟が指定した国が統治を後見する方法で、十四カ条の平和原則の「植民地問題の公正な調整」に配慮したものである。韓国併合条約も現地人の代わりに日本が統治するという点は同じだが将来の独立は約束せず、一方委任統治は事実上の植民地再分割だが将来の独立も想定され、旧オスマン帝国領の大半はのちに独立した。399字
解答作成に向けて
近頃ネットで「ナチスは「良いこと」もした」という意見に対して田野先生が丁寧に「もぐら叩き」をしているが、同じように「日本は朝鮮を植民地化していない」という言説も目に付く。今回の出題はこれに対する一橋大学の解答と思われる。
岩波ブックレットとしては記録的なセールに
こちらも
話を入試に戻すと、Ⅲは日本史・世界史共通問題。世界史受験生には鉄板の東アジア近現代史で、一橋💛の人にはキタ━(゚∀゚)━!な展開。
まず1905年の第二次日韓協約から韓国併合条約までの課程を、日本の措置と大韓帝国(以下韓国)の抵抗とを交互に書く。
現役生は「1909年に日本は韓国の植民地化を閣議決定し」より「1909年に伊藤博文がハルビンで暗殺されると」が無難。ただし暗殺以前に植民地化は既定路線で(伊藤博文がハルビンに行ったのはロシアに根回しをするため)、ぶんぶんは自民党政権が何でも閣議決定で済ませてしまうことに憤っているのでわざと入れた。(# ゚Д゚)
次に「韓国併合の性格」は、日本の一方的な植民地化であること、韓国皇帝から日本の天皇に併合を「お願い」した体裁をとるが、「墺匈国」のような両者が独立した政府を持つ同君連合ではなく、臣民の権利は保障されない(治安維持法など都合のいい法律だけは総督の権限で適用できる)から対等合併ではないことを記した。
最後の「委任統治」は内容、「民族自決」への配慮、実質植民地再分割の三つを書いた。解答例では委任統治は形式的に将来の独立が想定されていて、一方韓国併合条約は「永久に譲与」という違いを記した。
保護国、植民地、委任統治の違いが明確になる良問。これでネットの言説に惑わされなくて済む?
委任統治のABC区分はこの本を参照








