各地で新型コロナウイルス感染症による蔓延防止措置が取られる中、何とか国公立大学前期試験が終了しました。
今の受験生は2年間もコロナ禍(人災も含む)に振り回され、特に現役生はオーキャンに行けてないとか、大事な三年生9月に自宅待機とか、本当に大変でした。
ウクライナ情勢も気になるので、そちらのまとめも鋭意作成中ですが、並行して今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
第1回は名古屋大学です。文学部、情報学部文系のみの設定ですが、痛恨のミスで4問が採点対象外になりました(後述)。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。
まず何も見ないで解答した後、教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)や一般書でウラを取っています。イカサマです。
問題はこちらから 読売新聞にリンク
リンクが切れた東進過去問データベース(要会員登録)
文中の記号
◎:必答 ○:まあいける △:やや難しいが解答すれば合格に近づく
▲:かなり難しい ×:ドボン *:出題ミスのため採点対象外
目次
問題Ⅰ
問1
孝文帝の中国化政策に対して遊牧民の不満が高まって反乱が発生した。乱は鎮圧されたが遊牧世界が流動化し、それに宮廷での権力争いが加わって北魏は東西に分裂した。
リード文はここから
2020年に引き続き過去の山川リブレットがリード文です。
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名古屋大学合格を至上命題(名大だけに)とするA県の某高校では、英語が自然科学の某誌からよく出題されるので、英語版と日本語版を定期購読していると聞きました。山川リーフレットは読みやすいので買い揃えるのも一案。
b)は帝国書院の教科書に多少記載されているだけです。シェアNo.1のY社教科書を使っている人はお手上げ。\(^o^)/
この反乱は「六鎮の乱」と呼ばれます。
北魏は鮮卑や他の遊牧諸勢力である「北族」の軍事力に依存していますが、漢族も政権で重用され、皇帝は両者のバランスを取りながら政権を運営していました。太武帝の廃仏は北族連合政権から中国王朝へと転換する過渡期の出来事でした。
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孝文帝の中国化政策で北魏が中華王朝にかじを切ると、漢族や北族の上層部が貴族として取り立てられ、北族の中で格差が拡大し、中下層の北族が不満を持ちました。
北魏は征服地に鎮を置き、北族の武将を派遣して軍政を敷いていました。そのうち柔然との最前線にあった六鎮で反乱が発生し、華北が戦乱に陥りました。
おそらくこれからの出題。ぶんぶんも読みましたがこの本は面白いです。それをそのまま試験に出していいかどうかは別問題です。(´・ω・`)
問2
a)外戚とはどのような立場か◎
皇后や皇帝の母親の一族
b)外戚が国政を混乱させる原因のように言われるのは、どのような原因からか。例を挙げて説明する△
外戚は官僚と違って皇后等の縁故で宮廷に入り、しばしば私欲にもとづく政治を行ったから。王莽は幼帝の後見人となって権力を握り、禅譲を受けて自ら皇帝になり、現実離れした政策を行って政治を混乱させた。
差がつくパート。b)「国政を壟断した」とか書けると『銀河英雄伝説』みたいでかっこいいです。
そういえば某国の首相夫人が国有地の売買関与を疑われて、首相が「妻が関わっていたことが事実なら国会議員を辞職する」というので官僚が文書の…あれ、誰か来たようだ。「コネ政治はいけません」という名大からのメッセージです。
問3
b)④ 太平道◎ ⑤ 白蓮教○
問4
a) ⑫ 塩*
b) 文中⑬に入るべき、隋末と唐末の反乱の動きの違いの背景になった社会情勢の変化について*
隋末の反乱の主体は武将であり、南北朝時代に形成された北族と漢族の軍事集団を背景とする。唐末の反乱の主体は塩の密売商人であり、全国的な塩の販売網が成立していたこと、衰退した唐王朝が財源確保のため塩の専売を強化したことを背景とする。
出題ミスはこのパート。
この点は唐末の( ⑦ )の乱が( ⑫ )の商業経路を利用して非常に流動的な動きを示したことと対照的である。
最初の空欄は( ⑧ )じゃないと意味が通じません。ぶんぶんも作問中に空欄の数を増やすと、文中の同一記号空欄が直せてなくて、試験の巡回で指摘されたことがあります。誤植という名のチェックミスです。
問4b)は「全国的な商業網が形成された」と史料を言い換えればOKと思いますが、新書『南北朝時代』が気に入っている出題者の意図に沿って、隋末の群雄割拠の背景と比較しました。
問5
a)⑭ 高句麗遠征◎ ⑮ 大運河◎
b)⑭が最終的に解決した王朝:唐◎ 皇帝:高宗△
c)⑮とかかわりが深い中国歴代王朝の首都を3つあげる▲ この完成がその後の中国史に与えた影響について△
大運河の開通によって経済が発達した江南と政治の中心である華北が結びつき、中国全体の物流が拡大し、江南が経済の中心になった。また江南の物資を遊牧民と対峙する地域に輸送することが可能になり、王朝の対北方戦略を支えた。
b)「高宗」はやや難だが、彼の時代に唐は西突厥を破ってオアシス都市に進出し(安西都護府)、高句麗・百済を破って朝鮮半島の北部に進出した(安東都護府)。
c)「大運河とかかわりが深い中国歴代王朝の首都3つ」が曲者。
文意からすれば大運河の恩恵を受けた王朝なので、まずは北宋の開封。
次に南京を首都に成立し、永楽帝の時代の北京遷都で南北が統合されれ、海禁政策で運河の重要性が増した明が思いつきます。したがって2つ目は北京とします。
元は南北の動線では海運(山東省をぶった切る運河を建設)が有名ですが、大運河の補修もしています。首都は大都なのでこれは明と同じ場所です。
「歴代王朝の首都3つ」なので、明の首都である北京と南京の両方書いても○をもらえそうですが、3つめは、長安・洛陽の人口増加を江南の穀物が支え、安史の乱でウイグルにに華北を占領されても江南の経済力で命脈を保った唐の長安とします。
なお南宋の首都杭州(臨安)も運河の終着点なので○をもらえそうですが、問題文の趣旨(運河による南北の一体化)とはやや違う気もします。
説明問題は 京都大学と大阪大学の「江南の発展、経済中心の移動」、2009年名古屋大学の「長安・洛陽の東西両京から北京・南京の南北両京への移行」の類題なので、過去問演習をやってあれば解答可能。
かなり昔の記事で、文章が下手で恥ずかしいです。(*ノωノ)
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問題Ⅱ
問1 (1)ヴァスコ=ダ=ガマ◎ (2)永楽帝◎
問3
(2)蒸気船:⑤(フルトン)◎
(3)磁石式電話機:⑥(ベル)○
問4 カイロ ケーブタウン カルカッタ◎
問5 スターリン◎
問6 ファシスト党の政権掌握後の出来事でない
問7 ブロック経済について説明△
主要国が同じ決済通貨を使う従属地域と経済圏を形成し、圏内では特恵関税、圏外には輸出制限や関税を設ける排他的経済体制。
問8 「関税と貿易に関する一般協定」の略称 GATT◎
問9 (1)マーシャルプラン◎ (2)北大西洋条約機構(NATO)◎
問10 (1)経済相互援助会議(コメコン)○
(2)1955年(ワルシャワ条約機構結成の年)○
ブロック経済の説明がやや難しいだけで、それ以外は併願私立大学の解答マスト問題なので基本ノーミスで。問9(2)、問10(1)はフルネーム推奨。
ワルシャワ条約機構は、1954年のパリ協定で西ドイツが独立を回復し、翌年にNATOに加盟したことに対抗して結成された。私大の定番。
モールス、ベル、マルコーニの判別も私大文化史の鉄板。
問題Ⅲ
問1 A~Eの史料は何か(「」は特定するヒント)
A 4 神聖同盟条約草案 「神聖な宗教の教え」◎
B 3 神聖ローマ皇帝フランツ2世の退位宣言 「帝国を離れ特別な連合を結成して」◎
C 1 エミール・ゾラ「私は弾劾する」 「ドレフュス無罪の確たる証」◎
D 5 パリ条約 「黒海は中立化される」◎
E 2 コブデンの演説 「自由貿易原理」◎
問2 並べ替え ①B→②A→③E→D→④C○
問3 アレクサンドル1世◎
問4 ライン同盟◎
問5 史料Cの下線部(ドレフュス)に関して、この人物にまつわる事件を簡潔に述べる▲
ユダヤ系の軍人ドレフュスがスパイ容疑をかけられ有罪となり、真犯人が判明した後も陸軍は誤りを認めなかった。フランスの世論は共和政を擁護するドレフュス支持派と反ユダヤ主義で共和政に批判的な反ドレフュス派に二分し、第三共和政を揺るがした。
問6 史料Dに帰結した戦争を開始するにあたってロシアが口実としたこと○
フランスがオスマン帝国から聖地管理権を手に入れたことに対して、ギリシア正教徒の保護権を口実に戦争を開始した。
問7 史料Eの人物が主導した同盟が廃止を求めた法律について△
定番の史料問題だがヒントが親切なので迷うことはない。穀物法廃止1846年、パリ条約1856年は名大受験生なら当然持ってる知識。
問5、問7は差がつくところ。慶應大学経済学部の回で書きましたが、国立の小論述は前後の文脈をヒントに正解を導く空欄補充の逆で、用語の簡潔な説明が求められます。
問5は「事件の簡潔な説明」とあるので政教分離法には触れませんでしたが、影響まで書く問題なら、政教分離法とシオニズム運動はマストです。
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問題Ⅳ
紀元前後から5世紀頃にかけての東南アジア地域は東西交流・交易にどのようにかかわっており、またそれからどのような影響を受けていたか 350字以内▲
参考語群:日南郡 林邑 扶南 オケオ インド ローマ
語群から書くべきことを時系列で整理
- 紀元前から海の道が開かれ、日南郡がその窓口であった。
- 1世紀にアラビア海で季節風を利用する航海術が確立すると、西はローマ、東は中国に至る交易ルートが形成され、1世紀には扶南、2世紀には林邑など東南アジアの港市国家は中継貿易で繁栄した。
- オケオからはローマの金貨、ヴィシュヌ神、後漢の鏡などが出土している。
- 4世紀になるとベンガル湾から南シナ海でも季節風を利用する航海術が確立し、風待ちをするマラッカ海峡やベトナム中部の港市が栄えた。
- 同じ頃北インドではグプタ朝、南インドではバッハヴァ朝が栄え、バラモンが東南アジアに渡来し、サンスクリット語や文字、仏教、ヒンドゥー教などインド文化や伝え、港市国家は自らの権威付けにそれらを取り入れる、いわゆるインド化が進んだ。
- 5世紀から6世紀にかけて大陸部ではピュー、ドヴァーラヴァティーがインドの農耕技術を取り入れて平地を開発し、都市国家群が発達した。これらの交易網は海上交易に結ばれた。
紀元前にはすでに海の道が存在し、日南郡は中国の南海への窓口となり、南インドと使者が往来した。東南アジアの港市国家はこの遠隔地貿易を中継するとともに東南アジアの産物を供給した。1世紀にアラビア海で季節風航海術が確立し、扶南はマレー半島からベンガル湾岸に交易網を広げ、外港のオケオからはローマ、インド、中国の遺物が発見されている。2世紀には日南郡から林邑が独立し南シナ海域で交易を行なった。4世紀にグプタ朝や南インドの繫栄や江南の発展を背景に東西貿易が拡大すると、風待ちをするマラッカ海峡やベトナム中部に港市国家がさかえ、仏教、ヒンドゥー教などインド文化を権威付けに使うインド化が進み、林邑もチャンパーと称した。5世紀からはピューやモン人がインドの技術で大陸部を開発して国家を形成し、港市国家と交易した。350字
東南アジアの港市国家に関する出題で、来年から演習で使いたいぐらいですが、今年の受験生には完答不可能な問題。
現役生だと日南郡→武帝、マルクス=アウレリウス=アントニヌス(これでけっこう字数が稼げる)、オケオ→ローマの金貨、林邑→チャンパーのこと、など断片的な知識は書いても文章にならないのがつらいところ。
ぶんぶんが授業やブログの参考にしている実教出版の世界史Bは海域世界の叙述がしっかりしていて、解答例もほぼ該当ページを根拠としています。シェアNo.1のY社教科書を使っている人、再びごめんなさい。\(^o^)/
「インド化」は大阪大学の過去問にあり。
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まとめ
- 名古屋大学の世界史で差がつくのは小論述です。一問一答の学習をするときに逆コース(用語→説明)もやりましょう。
- 名古屋大学の過去問研究は当然ですが、他の国立大学の論述や、難関私立大学のリード文がしっかりしている問題にも取り組みましょう。
- 出題者は複数の教科書を見ながら作っています。Y社の教科書が普段使いの人は、論述対策用の教科書を入手しましょう。
- 山川のリブレットはお薦めです。余裕があれば最近の新書も読みましょう。
- 歴史は現在から過去への問いかけ、今起きている問題に通じる内容が出題されます。授業中に「これってあれと似てる」と主体的に考えましょう。
- 問題を作ったら第三者にチェックしてもらいましょう。(´・ω・`)