はじめに
新型コロナウイルス感染症は収束の見通しが立たない中、美術館や博物館の感染対策は進んでいて、換気・消毒の徹底や人数制限をしながら展示が行なわれています。
今年は高松塚古墳が発見されてから50周年、奈良県橿原市にある、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の記念展「よみがえる極彩色壁画」に行ってきました。
受付で確認したところ、非営利=個人の趣味の範囲内なら展示物の写真をブログに使ってもかまわないというありがたいお言葉をいただいたので(館内は一部写真不可の展示もあります)、今回は展示物とパンフレットをもとに高松塚古墳についてまとめ、橿原考古学研究所附属博物館の素晴らしさを全世界に発信します。(`・ω・´)
目次
1 高松塚古墳の場所
高松塚古墳は奈良県高市郡明日香村大字平田字高松にあります。近鉄吉野線飛鳥駅からすぐです。
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2 遊歩道にされるところだった?
古墳は直系下段約23m、上段約18mの円墳で、江戸時代までは何の記録も伝承もなく、元禄年間に有力な根拠もなく文武天皇陵に比定されましたが、明治時代に別の古墳が文武天皇に比定されて、その後は特に注目されていませんでした。
1970年に天武・持統陵から文武陵にいたる遊歩道計画が持ち上がり、橿原考古学研究所が付近の古墳を調査したところ、高松塚古墳に生姜の貯蔵穴で凝灰岩の切石がありました。
それで1972年に詳しく調査をしたところ、3月21日に内部の石室に飛鳥美人など極彩色の壁画が描かれていることがわかり、「世紀の大発見」となりました。
たしかにこんな人工的な石があったら考古学者の勘が騒ぎますよね。
3 壁画と出土品
壁画が確認された翌日の3月22日と24日に石室内の撮影が行われました。機材と撮影者2名がやっと入れるぐらいの暗くて狭い空間での難しい撮影だったそうです(面堂終太郎には不可能)。
西壁 真ん中上は月像 白虎はちょっとみえづらいです。複製
東壁 真ん中に見えるのが青龍で上は日像
北壁の玄武 南の壁は盗掘で壊されていますが、この流れで行けば四神の最後である朱雀が描かれていたはずです。天井には星宿が描かれています。
室内からは漆喰の木棺と人骨の一部、副葬品は持ち去られていますが、銀製刀装具、ガラス児玉、琥珀製玉、海獣葡萄鏡が出土しています。
4 「世紀の大発見」が劣化を速めた?
ぶんぶんは高松塚古墳の「飛鳥美人」が新聞の一面をカラーで飾ったのをかすかに記憶しています。しかし壁画の確認後わずか30年ほどでカビの影響で壁画は変色してしまいました。この時の新聞記事も記憶しています。
そこで壁画は描かれた石室石材ごと解体され、古墳から離れた施設で修理が行われました。現在修理は終了しています。
おわりに
1300年間も極彩色の壁画が劣化に耐えながら持ちこたえ、当時の風俗を今に伝えていることが驚きです。展示品は少ないですが、発掘の苦労や修復の様子を知ることができます。
会期は3月21日までです。お早めに。
関連動画
「世紀の大発見」とセンセーショナルに報じた朝日新聞 カビの話あり。
地元奈良テレビの取材