学校ではあまり授業で扱われない一方、難関私立大学で毎年出題される文化史の中国・東アジア編、今回は明・清・中華民国・中華人民共和国を一気に行きます。
うんちくは少なめ、試験会場でパッと思い出す用に使ってください。
参考資料は第1回にまとめてあります。図版は断りがない限りウィキメディアコモンズパブリックドメインの画像です。
最後に3回分のリンクを貼ります。
目次
8 明
空欄補充
特徴
- 漢族政権→儒教の発達
- 経済発展→庶民文化 実用書
書籍出版
木版印刷による出版物 科挙の参考書,小説,商業・技術関係の実用書
小説
『(4 )』(三人の美女と支配階級のドロドロ)
戯曲『牡丹亭還魂記』(いわゆる牡丹灯籠)
絵画
院体画 仇英
文人画 [5 ](郷紳 農民の暴動で焼き討ち)
陶磁器…景徳鎮で生産 海外へ輸出
(6 )(宋代から、イラン産のコバルトを使用)
(7 )(明清代 赤色が多い)
永楽帝編纂事業
国定注釈書…『四書大全』『(8 )』『性理大全』
百科事典…『永楽大典』
16世紀初め,[9 ](王陽明)創始
知識中心の朱子学を批判。実践を重視
[10 ]…儒教の礼教主義を偽学と批判→獄死
文献上の証拠に基づいて実証的に解釈する学問
精密な経典の校訂や言語学的研究
[11 ](『明夷待訪録』)
[12 ](『日知録』)
技術書
『本草綱目』…[13 ]著,薬学
『農政全書』…[14 ]編,農学
『天工開物』…[15 ]著,産業技術の図解解説書
イエズス会宣教師の活動…科学技術を宮廷で紹介
[17 ] 16世紀末に来朝
『(18 )』世界地図
『(19 )』エウクレイデスの翻訳 徐光啓の協力
[20 ]:『崇禎暦書』
空欄
1 西遊記
2 三国志演義
3 水滸伝
4 金瓶梅
5 董其昌
6 染付
7 赤絵
8 五経大全
9 王守仁
10 李贄
11 黄宗羲
12 顧炎武
13 李時珍
14 徐光啓
15 宋応星
16 崇禎暦書
17 マテオ=リッチ
18 坤輿万国全図
19 幾何原本
20 アダム=シャール
補足
① 朱子学の批判としての陽明学 それらの批判としての考証学
朱子学は客観的な「理」が心の本性(性)と考え(性即理)、中庸を重んじ、学問を修めることで物質(気)から発する感情や欲望を取り払って本来の理のままの性に帰ることができるとしました。
一方陽明学は「理」は客観的に私たちの外側に存在するのではなく、生きている私たちの中で働く現実の心がそのまま理だと考えます(心即理)。
朱子学は「華夷の別」にみられるように「分」を固定してそれに従うよう説きますが、陽明学ではひとりひとりが主体的に心を発揮して、その場の状況で善を実践すべき(致良知)と説きます。
したがって知ることも行なうこともどちらも主体的な心の発露、知ることは行なうことのはじめだし、行なうことは知ることの完成とします(知行合一)。
陽明学者でもある大塩平八郎が不正に対して立ち上がったのはまさに知行合一。
彼は誰もが「童心」(童=赤ん坊=生まれたままの姿)という偽りのない純真無垢な心を持ちますが、成長して社会生活を営むなかで、外からもたらされる知識や道理によって「童心」が曇らされ、失われると考えます。
つまりこれは朱子学の「性を発露するために読書などによって研鑽を積まねばならない」という考えの否定です。たしかに明の後期は士大夫や郷紳など儒教の素養を持つ支配層が、現実には不正をしまくっていました。彼はそうした朱子学者や礼教を偽善(偽学)と批判しました。
また李卓吾は『西廂記』『西遊記』『水滸伝』を「童心」の発露として評価して批評文入りの本を書き、通俗文学の地位を大いに高めました。
ただその過激思想のため彼は逮捕され、獄中で亡くなります。(´・ω・`)
明末清初に始まる考証学は、朱子学・陽明学が独自の思想に基づいて経書を解釈する傾向にあるのに対して、文献上の証拠に基づいて実証的に解釈する学問です。
だからといって批判精神がない訳ではなく、黄宗羲は清の支配に抵抗し(江戸幕府に援軍を要請している)、『明夷待訪録』(1663年)では明清の皇帝専制政治を批判し、儒教的な君臣関係にもとづく政治を提唱しています。
顧炎武も清が漢大陸に攻め込んでくると各地を流浪しては反清運動に参加、その際に馬に書物を満載しながら文献と照らし合わせた実地調査を行いました。
『日知録』(1670年)は明代の政治経済や社会を実証にもとづいて研究し、それが現実に対する批判と提議につながっています。契約書の読み方やメールの書き方とは違う、広く深い知見にもとづく「実学」です。
学問には実証と批判精神が大切!
そういう「インテリ面」が学問と縁がない一部議員の勘に障って嫌がらせをするんでしょうね。批判を受け止めるのが懐の深さなんですが。(´・ω・`)
なお黄宗羲=明夷待訪録(葬儀は痛い)、顧炎武=日知録(公園で演舞はニッチ)などという小手先の語呂合わせは控えましょう。
② 経済発展を支えた実学
16世紀半ばにイエズス会宣教師の来航が相次ぎ、布教の手段として西洋の科学技術を伝えました。科学技術への関心が高まり、実用的な学問の発達を促しました。
そうした科学技術は華僑を通じて東南アジアに輸出されました。
東京大学 2014年の問題
17世紀から18世紀にかけて福建・広東のなど沿岸部の住民は清朝の禁令をおかして東南アジアに移住するものが増加しました。こうした華僑(南洋華僑)は商業を中心に経済力を伸ばし、東南アジアの主要な港市に居留地を形成しました。
このころジャワ島がオランダ東インド会社領となり、ヨーロッパ市場で需要が拡大したコーヒーや砂糖の生産が進みました。その時オランダは砂糖生産の技術や労働力を東南アジアに渡ってきた中国人に頼りました。
さらにその背景にあるのが16世紀に明代に発達した製糖技術で、『天工開物』にその様子が描かれています。
しかし現地人からすれば華僑はオランダ人とつるんで自分たちを搾取する側なので、華僑に対する反発から18世紀に華僑の大虐殺事件が発生しました。
『天工開物』の挿絵。男が抱えているのはサトウキビ。ぶんぶんの私物。
③ 『金瓶梅』は小説の嚆矢
『金瓶梅』は四大奇書のひとつで、万暦年間(1573~1620)に成立したと考えられています。タイトルの『金瓶梅』はストーリーの中心となっている3人の女性、潘金蓮、李瓶児、春梅(龐春梅)の名前から1文字ずつ取っています。
四大奇書の残り三つは講談が元なので、『金瓶梅』は「書き下ろし」に当たりますが、『水滸伝』に登場人物の話を膨らませた、今風に言うと「スピンオフ」です。
他の三つが痛快活劇に対して、『金瓶梅』は大金持ちで好色の西門慶をめぐって邸宅内で繰り広げられる6人の夫人やその他の女性の愛憎劇を、明代(作中は宋代という設定)の富裕な商人のリアルな風俗や生活を交えて描きます。
この作風は清代の『紅楼夢』や『儒林外史』に受け継がれ、世情を交えながら人間の生き方や感情を描く、私たちの知っている「小説」となります。
『金瓶梅』の主題(エッチな描写も含む)は時代を超えてクリエーターの琴線に触れるのか、テレビドラマやマンガの題材にもなっています。
マンガ
金瓶梅(崇禎本の挿絵) 呉月娘、孟玉楼、西門大姐、陳経済が骨牌で遊んでいるところへ、潘金蓮がやってきた場面(第十七回)。
牡丹灯籠 予告編
9 清
空欄補充
特徴
- 満州族政権 中華の文化を保護しながら反清的文化は取り締まり
- 宣教師の活動
儒学…編纂と実証研究
清初~ 顧炎武・黄宗羲 清代中期~ 銭大昕 戴震
公羊学:『春秋公羊伝』経世実用重視
康有為(19世紀末)変法運動
編纂事業
『(21 )』…漢字の字書 康煕帝
『(22 ]』…類書(百科事典) 雍正帝の時完成
『(23 )』…叢書 古今の図書を経史子集に分類 乾隆帝の時完成
*禁書、文字の獄で反清的な書物は取り締まり
小説 精緻な記述で人間の内面を描く
『(24 )』(没落貴族の雅な生活)
『(25 )』(官僚の腐敗)
戯曲
イエズス会宣教師
フェルビースト…暦の改定
ブーヴェ…『(26 )』(中国全図)
[27 ]…ヨーロッパ画法紹介,(28 )設計に参画
空欄
21 康煕字典
22 古今図書集成
23 四庫全書
24 紅楼夢
25 儒林外史
26 皇輿全覧図
27 カスティリオーネ
28 円明園
補足
① 歴史の修正?
共通テスト2021年度のスクリーンショット
乾隆帝の勅命によって編纂された「四庫全書」は、当時の重要な書物を経・史・子・集の四つに分類した一大漢籍叢書で、10年の歳月を費やして完成させました。
学者(361名)が古今の重要な書物約3,460種、7万9千巻(宮中の蔵書、地方で発見された書、民間から献上された書、巷間に流布する書など)から重要なものを選び出して本文を校定し、写字生(3841名)が写本(印刷物ではなくすべて手書き)にしました。
合計七部が作成され、四部を首都北京、三部は揚州、鎮江、杭州に置いて学者の閲覧を許可しました。
ただし編纂の過程で江南から提出させた書物には反清的な言辞や文言が多く、清朝はそれらをシュレッダーではなく焼却しました。また共通テストが引用している部分には漢人の契丹に対する差別意識が見て取れますし、清朝も漢人に辮髪を強制しているので、清朝批判につながる可能性から改ざんしたと考えられます。
公文書の破棄・改ざんは国家の犯罪ですよ!
関西大学で収蔵する杭州(文瀾閣)保管の『四庫全書』と同じものの一部が「なんでも鑑定団」に登場したそうです。この写本は太平天国の乱の時に持ち出され、その後北京の古本屋にたどり着いたそうです。関西大学の記事より。
② イエズス会宣教師
京都大学 2021年度
16世紀、ヨーロッパ人宣教師による中学へのキリスト教布教が活発化した。この時期にヨーロッパ人宣教師が中国に来るに至った背景、および16世紀から18世紀における彼らの中国での活動とその影響について、300字以内で説明せよ。
こちら
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
京都大学の解答例では割愛した「宣教師の活動がヨーロッパに与えた影響」は、思想面と文化芸術の二面にわけられます。
帰国した宣教師が中国の統治体制や科挙などの制度がヨーロッパに伝えると、ヴォルテールら18世紀の啓蒙思想家の間で、中国と比較しながら絶対主義の国家体制を論じる風潮が生まれました。
中国に渡ったイエズス会宣教師にフランス人が多かったことから、フランスでは科挙を模したバカロレア(大学入学資格試験)が制定され、諸子百家の農家の思想がケネーの重農主義にインスピレーションを与え、清代の考証学がヨーロッパのフィロロジー(文献学)に多大な影響を与えたとされています。
ただし中国の文化を賛美するだけでなく、モンテスキューのように中国を「停滞と専制」の社会として批判的にとらえる思想家も出現しました。これが後のアジア侵略の正当化につながります。
参考 東京大学 2000年
大航海時代以降、アジアに関する詳しい情報がヨーロッパにもたらされると、特に18世紀フランスの知識人たちの間では、東方の大国である中国に対する関心が高まった。以下に示すように、中国の思想や社会制度に対する彼らの評価は、称賛もあり批判もあり、様々だった。彼らは中国を鏡として自国の問題点を認識したのであり、中国評価は彼らの社会思想と深く結びついている。
儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし、愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない。(略)四千年来、中国の識者は、最も単純な信仰を最善のものと考えてきた。(ヴォルテール)
ヨーロッパ諸国の政府においては一つの階級が存在していて、彼らこそが、生まれながらに、自身の道徳的資質とは無関係に優越した地位をもっているのだ。(略)ヨーロッパでは、凡庸な宰相、無知な役人、無能な将軍がこのような制度のおかげで多く存在しているが、中国ではこのような制度は決して生まれなかった。この国には世襲的貴族身分が全く存在しない。(レーナル)
共和国においては徳が必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては「恐怖」が必要である。(略)中国は専制国家であり、その原理は恐怖である。(モンテスキュー)
これらの知識人がこのような議論をするに至った18世紀の時代背景、とりわけフランスと中国の状況にふれながら、彼らの思想のもつ歴史的意義について、解答欄(イ)を用いて15行以内で述べよ。なお、以下に示した語句を一度は用い、使用した場所には必ず下線を付せ。
芸術面では「シノワズリ」と呼ばれる中国趣味の美術様式が流行しました。そういえばフランス料理風の中華料理を「ヌーベル・シノワ」って言います。
これは17世紀に初めて登場し、18世紀に中国との交易が盛んになると人気を博し、宮廷のロココ様式に取り入れらて最高潮に達したとされています。中国製の磁器が珍重され、中国式の庭園が造られました。
エカチェリーナ2世が作らせたツァールスコエ・セローにある中国村
紅楼夢 予告編
10 20~21世紀
空欄補充
1910年代 知識人主体で儒教道徳を批判、民族的自覚と社会改革をめざす
[1 ]:『新青年』刊行 「科学と民主」を旗印 中国共産党初代委員長
[2 ]:(3 )(口語)文学を提唱(1917)『文学改良芻議』
老舍:『駱駝祥子』(1936年)1920年代の北京を描く
1966年 毛沢東による権力奪回闘争
1965年、姚文元の京劇『海瑞罷官』批判が発端
前期 (7 )の大衆運動で走資派(劉少奇や鄧小平)を失脚させる
後期 「四人組」が批林批孔運動→毛沢東死亡(1976)で四人組逮捕
空欄
1 陳独秀
2 胡適
3 白話
4 魯迅
5 阿Q正伝
6 李大釗
7 紅衛兵
補足
① 視聴覚教材で民族意識に目覚めた魯迅
魯迅は1904年、仙台医学専門学校の最初の中国人留学生として入学し、解剖学の藤野厳九郎教授の指導を受けました。
ある日講義用の幻灯機で日露戦争に関する時事的幻灯画を見た時、中国人がロシアのスパイとして打ち首にされようとしている映像と、それを屈辱を全く感じることなく見物している中国人の姿を見て、魯迅はショックを受けました。
彼は医学で人を救うよりもその精神を改造する方が課題と痛感し、そのためには文芸だと考えて、医学校を中退して小説家を志しました。
ぶんぶんも授業で視聴覚教材を多用しますが、『映像の世紀』を視聴して人種差別の問題に目覚めた生徒もいました。
参考
② プロレタリア文化大革命
詳しくはこちら
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
「批林批孔運動」で孔子廟が破壊されますが、単に儒教道徳を社会主義的でないと批判しただけでなく、孔子が周を尊んだことから周恩来に対する遠回しの攻撃だったそうです。
③ 思想・言論の自由は私たちの課題
同志社大学 2019年 2月6日の問題
設問9 下線部(7)に関連して、中国における思想・言論に関して述べた以下の1~4のうち、正しいものはいくつあるか。1~4個の場合はそれぞれ数字1~4を、正しいものがなければ数字の5を、解答欄に記入しなさい。
1 秦の始皇帝は、法家の李斯の提案を受けて、農業・医薬・占い以外の民間書を焼き捨て、学者たちを生き埋めにした。
2 元の政府は、支配下の社会や文化には概して放任的な態度を取り、都市では庶民文化が発達したが、儒学のみを禁止し、科挙もまったく行なわれなかった。
3 明の永楽帝の時代には、『四書大全』『五経大全』『古今図書集成』といった経書注釈書が編纂されたが、これらは科挙における経典解釈の基準を示すとともに、武力で帝位を奪ったみずからへの批判を制する意図もあった。
4.現在の中国における言論の自由の制限については国内外で批判があり、民主化運動の指導者劉暁波にノーベル平和賞が授与された。
1〇 2×(科挙は14世紀から実施) 3×(古今図書集成は清代の百科事典) 4〇
国家による言論統制は民主主義の時代に生きる私たちにとってこそ重大問題です。口を開けて待っているだけでは自由はどんどん奪われます。
2022年の上智大学のTEAP方式、世界史は植民地の現地人差別、日本史はジェンダーの話題で、後者の第1問の正解は「#MeToo」でしたが、ダミー選択肢に「雨傘運動」もありました。大学からのメッセージです。
人権は不断の努力よって将来に伝えるもの!
莫言は農村の出身で大躍進時代の飢餓やプロレタリア文化大革命で苦難を味わいます。農村の様子がリアルだけど幻想的です。
リンク
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受験生の皆さんの健闘をお祈りします。