ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

国公立・私立世界史直前チェック(中国文化史 ①先史~秦漢)

はじめに

 過去回でヨーロッパとイスラームの文化史を特集しました。今回からは中国史の文化史の直前チェックです。

 関西の国立・私立大学の入試問題をベースに、政治史や経済史と関連性が高いものを、うんちく少なめでサラッと復習できるようにしました。

 入試が続くと違う大学で同じことが、同じ大学で次の範囲のことが問われることがあります。試験直前・直後の復習に使っていただけると幸いです。

 教科書(実教出版帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、一般書(『詳説世界史研究』『世界各国史 中国史』、岩波新書講談社学術文庫の中国史)を参考にしています。

 図版は断りがない限りウィキメディアコモンズパブリックドメインの画像です。

 入試問題は著作権の範囲内(本文が主で引用が従)で引用します。

目次

 

1 先史時代~殷周

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特徴

都市国家の形成 占いから血縁関係による政治統合へ

黄河流域新石器時代 アワなどの雑穀 豚・犬・羊・牛の家畜化

 前5000年頃 (1     )文化 黄河中流域…彩文土器(2    )

 前3000年頃  (3    )文化 黄河下流域中心…(4    )、灰陶出土

  南~長江中・下流域,北~遼東半島まで幅広く分布

     大量の武器,戦争犠牲者の埋葬跡 城壁や支配層の巨大な墓

②長江流域…稲作中心

 人工的な水田施設 (5      )遺跡…浙江省

 四川省 (6      )遺跡…独自の青銅器

③殷(商)…現在確認できる最古の広域王朝 神権政治

 伝説では(7   )王朝が最古…二里頭遺跡

 黄河中・下流域に発達した都市を統合(邑制国家)

 20世紀初め,(8    )の発掘 (9     )省安陽市小屯

 (10    )文字を刻んだ大量の亀甲・獣骨

 人畜が殉葬された王墓,宮殿跡

 氏族集団の連合国家。大邑商のもとに(11   )(城郭都市)が従属

 王の神権政治…神意の占いで国事を決定。甲骨文字…占いの記録

 複雑な文様(饕餮文)をもつ(12    )器…祭祀用の酒器・食器

 商業、交易の発達…貝貨子安貝

④周封建制度 血縁関係に基づく氏族秩序による統治

 (13    ):祖先をともにする親族(宗族)が祭祀の方法を定める

 青銅器は礼楽の器に。周王室との特別な関係を示す銘文

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1    仰韶
2    彩陶
3    竜山
4    黒陶
5    河姆渡
6    三星
7    夏
8    殷墟
9    河南
10    甲骨
11    邑
12    青銅
13    宗法

補足

① 青銅器は祭祀のギミックか、君臣関係の証か

 商(殷)代の青銅器は主に祖先神を祭る宗廟の器で、祭器かつ礼器でした。

 青銅器には「饕餮文」(とうてつもん)が描かれています。「饕餮」は中国神話に登場する、大きな口、誇張された目、曲がった角や虎の牙を持つ怪物のことで、魔除けの意味を持つとされています。

 今では緑青をふいていますが当時は新品の10円玉のように金ぴかで、そこに酒を注ぎ、肉のスープを煮込めば、政治的演出効果は絶大だったと推察できます。

 周代に入ると祖先祭祀が形骸化し、代わって諸侯、卿・大夫・士という身分秩序の象徴として所有する礼器の数が重要視され、また儀式用の音楽を奏するために楽器も発達しました。

 周の青銅器は饕餮文は簡素化し、当時の様子を青銅器に甲骨文字で彫り込むようになります。それらは現在「金文」と呼ばれ、周の時代を貴重な歴史資料となっています。周王との関係を長々と書いているものもあり、青銅器のやり取りが「封建」の証であったことがうかがえます。

 故事成語「鼎の軽重を問う」の「鼎」はまさにこの青銅器で、周王の権威を象徴しています。

奈良国立博物館

www.narahaku.go.jp

「坂本コレクション」の様子


www.youtube.com

「編鐘」の演奏の様子 孔子は音楽が好きだったそうですが、古今東西音楽は権力者の権威づけに使われます。まさに礼「楽」です。


www.youtube.com

 

2 春秋・戦国時代

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特徴

*諸国が富国強兵を目指す中で経済力が増し、諸子百家の思想が開花

春秋時代

孔子が一字一句意味を込めて編纂したとされる魯の年代記『春秋』が由来

儒家:[1    ] の政治家

(家族的親愛の情)を中心とする家族道徳による統治 徳治主義

言行録『(2    )』…孔子の弟子が編集

②戦国時代

[3    ]…性善説王道政治(仁政による徳の感化)

[4      ]…王朝交替の原理。天命がかわれば王朝がかわる

 禅譲:有徳者から有徳者へ平和的な政権交代

 放伐:武力による政権交代孟子は殷周革命を放伐として認めた

[5    ]…性悪説

墨家:[6    ]…血縁をこえた無差別の愛(7    )を説く

道家:[8    ]・荘子…(9       )と「道」への合一を主張

法家:[10    ](孝公に仕える)、韓非李斯始皇帝に仕える)

名家:公孫竜…論理学を説く

兵家:[11    ]、呉子…兵法を説く

縦横家:[12    ](合従策)・ [13    ](連衡策)…外交策を講じる

陰陽家:[14    ]…天体の運行と人間生活の関係を説く

農家:許行…農業技術を論じる

歴史・文学

『(15    )』(華北の歌集)『(16    )』(歴史書

『(17    )』…屈原ら江南の詩歌・文学作品集

③春秋・戦国時代の歴史的意義

中央集権的な政治体制の成長

中国文化圏の拡大・諸国間の交流

農業技術の発達…(18   )農具・(19   )農法の普及

商工業が発展→(20    )貨幣普及→大商人の登場

 (21    ):燕・斉…刀の形

 (22    ):韓・魏・趙…農具の形 

 (23     ):楚

 (24    ):秦

空欄

1    孔子
2    論語
3    孟子
4    易姓革命
5    荀子
6    墨子
7    兼愛
8    老子
9    無為自然
10    商鞅
11    孫子
12    蘇秦
13    張儀
14    鄒衍
15    詩経
16    春秋
17    屈原
18    鉄製
19    牛耕
20    青銅
21    刀銭
22    布銭
23    蟻鼻銭
24    円銭

補足

① 何を政治の原理にする?

 孔子が活躍した春秋末期は周の封建制が解体して実力主義が台頭する頃で、魯でも分家である三桓氏が政治の実権を握っていました。

 孔子は「周室と諸侯」の関係をより普遍的に「家族愛を基礎とした秩序」(孝は親子愛、悌は兄弟愛)に読み替え、社会秩序を再建しようと考えました。

 これに対して墨家は「儒家の説は身分を前提とする差別主義、無差別平等な兼愛が大事」と説きます。墨家の本拠地も魯国だったので、儒家と激しくやりあいます。

 また墨家は戦争を侵略行為とみなし「非攻」を唱えますが、大国の覇権主義を批判したのであって小国の自衛は否定していません。墨家は城を守る技術や装備を研究し、依頼があれば実践にも参加しました。

 しかし秦の中国統一とともに小国寄りの墨家は表舞台から消えます。

 法家は儒家の「礼」を拡大して信賞必罰の法治主義を説きます。商鞅は秦の孝公に抜擢され国力を高めますが、特権を奪われた貴族たちが反発、孝公が死去して後ろ盾を失った商鞅は国外逃亡しようとしますが、自らが定めた「通行手形を持っていないものを泊めたら厳罰」という法律のために亡命は失敗し、戦死します。(´・ω・`)

 これらに対して道家は「そもそも人間が何かしようとするのが間違い。人為を廃した無為自然が一番」と批判します。

② 経済発展が社会のあり方を変える

 金文の史料によると、殷周の時代は5家族程度が共同で農業を営んでいて、納税後の生活はかつかつだったそうです。鉄製農具や牛耕の普及で小家族による農業経営が可能になり、氏族の統制が緩和して君主の農民直接支配(徴税と徴兵)が可能になります。

 ぶんぶんの父方の実家は農村で、共同作業が必要なことがあるので近所つきあいや親戚つきあいは必須です。アトム化した都会の生活とは対照的です。

*『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクで、オリジナルの「古代守を祝って親戚が集まって宴会する一方、古代進が兄へのコンプレックスにさいなまれ蝶の標本を見ながらしょげるているのを母親がヨシヨシヾ(・ω・`)する」シーンがバッサリなくなっていていました。そこけっこう大事なんだけど…。

参考

 

3 秦・漢

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特徴

*統一王朝のもとで漢字文化を軸とする政治システムが整備

③秦 始皇帝時代 法による統治

 度量衡、貨幣(1    )、文字(篆書)の統一

 法家の思想を採用

 (2     ):占卜、医薬、農業以外の書物摘発

 →漢字による文書行政 漢字文化圏の形成

④漢 儒学の官学化

武帝時代 儒学の官学化=[3       ]の提案

 礼・徳の思想による社会秩序 (4    )が経典と定められる

後漢時代 [5    ]らにより[6    ]学が発達→教典の注釈書作成

 陰陽五行思想の普及…王朝交替の説明

 →王朝の正統性の根拠や農民反乱など政治に大きな影響

 紙の普及…竹簡→後漢時代,[7     ]が製紙技術の改良

 文字…隷書に統一,辞書の作成(許慎『説文解字』)

 張衡(地動儀 地震観測機)

史書

 前漢:[8    ]『史記』(太古~武帝

 後漢:[9    ]『漢書』(前漢一代)

 (10    )体:本紀(皇帝の業績)と列伝(その他の人々の業績)

 →正史(王朝の歴史)の基本形となる

信仰…後漢末 張角の(11    )道、張陵の五斗米道(天師道)→道教

空欄

1    半両銭
2    焚書坑儒
3    董仲舒
4    五経
5    鄭玄
6    訓詁
7    蔡倫
8    司馬遷
9    班固
10    紀伝
11    太平

補足

① 漢字文化圏

東京大学 r2017年

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 秦の時代に皇帝権力が官僚を地方に派遣して農民たちを直接管理するという郡県制が成立し、漢字が統一され文書行政に用いられます。

 漢代の初期には郡県制と封建制が併用される郡国制が採用されますが、これは周辺地域にも延長され、皇帝と周辺諸民族の君長との間に君臣関係が結ばれます。これが「冊封体制」です。

 周辺の有力者が冊封体制に組み込まれると、漢字を用いた国書による通交と朝貢が義務づけられ、また儒教や法令、漢訳仏教など「中国文化のパッケージ」が伝来し、諸地域はそれをカスタマイズしながら受容し、自らの政治的権威に利用します。

 政治的なつながり方や文化受容の度合いは一律ではありませんが、こうした漢字を媒介に中華王朝の文化を受容した地域をトータルで「漢字文化圏」と呼びます。

漢委奴国王の金印 ぶんぶんはレプリカで生徒のノートに押印してもらいます。

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追記

早稲田大学教育学部で、印の持ち手のデザインが出題されました。官僚は亀、匈奴など遊牧民は羊、南海は蛇があしらわれていました。ぶんぶん所有のレプリカ。

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② 焚書坑儒って儒家だけが迫害されたの?

 『史記』に「詩書を焚き、術士をあなうめにした」とあり、儒家だけを狙い撃ちにしたわけではありません。

 『史記』秦始皇本紀によると、博士淳于越が郡県制に対して封建制のよい点を主張したので、丞相の李斯は「儒者たちが過去を例にとって現体制を批判している」と批判、始皇帝が李斯の意見を受け入れて、医薬・占い・農業以外の書物の所有を禁じました。

 李斯は「法令を学びたければ官吏を師とせよ」とも言っています。

 

学問軽視、実学礼賛?

 

 「過去に学ぶ」ことが否定され、「今」=始皇帝の存在が絶対になると、誰も始皇帝に意見ができない、周りにはイエスマンしかいなくなります。かわって権力の「おこぼれ」にあずかろうとする輩が始皇帝にすり寄ってきます。ん~?デジャヴ

 その一例が「術士」(方士)で、そのひとりである盧生は「不老不死の術がある」などと言葉巧みに始皇帝に取り入ります。

 しかしそのようなものはなく、始皇帝は騙され盧生は逃亡します。始皇帝は立腹し、咸陽に残っていた方士たちは次々と捕らえて生き埋めにしました。その中に当時書生と言われた儒学者も含まれていました。

 おそらく「お前ら、俺が騙されていると知っていて(・∀・)ニヤニヤ してたんだろう!」みたいな感じでしょう。とんだ「とばっちり」です。

 この事件が『漢書』では「詩書をやいて、儒士をあなうめにした」と書き換えられます。始皇帝を悪者にして儒教を権威付けようとしたと考えられます。

 

歴史修正主義

 

③ 国家運営には記録が大事

 竹簡は紙の発明、普及以前に書写の材料として使われた、竹で出来た札です。紐で組み合わせて本になっています。「編集」とはまさにこれです。

 焚書の時に提出を命じられましたが、壁に埋めて難を逃れたものをあるそうです。これだけ大きいと隠し通すのは大変そうですが、諸子百家の思想は現在にも伝わっているので(戦国時代にさかのぼる竹簡も現存)、徹底は困難だったのかもしれません。

孫子の兵法の竹簡本。表紙は乾隆帝時代。 a collection at the University of California, Riverside. クリエイティブ・コモンズ 表示 2.0 一般

https://www.flickr.com/photos/bluefootedbooby/370458424/

Bamboo_Book_binding

 紙は紀元前2世紀頃中国で発明されたと考えられています。105年頃に蔡倫が製紙法を改良し、麻のボロきれや樹皮など材料にして実用的な紙が作られるようになったと言われています。

 蔡倫以降も改良が重ねられた結果紙は普及し、王朝の行政を支え、詩文・論文・書道などの達人を生み出すことにつながりました。

www.jpa.gr.jp

『天工開物』より。ぶんぶん所有

原料作り

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紙作り

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 こうした文字にもとづく「政治文化」の中で重要なのが歴史書です。

名古屋大学 2019年のリード文

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 『史記』は神話の時代(三皇五帝黄帝)から前漢武帝の時代までを記述し、本紀12巻、表10巻、書8巻、世家30巻、列伝70巻で構成されています。

 司馬遷は代々天文や歴史を司る家系に生まれ(司馬遷の自称「太史公」は父親から受け継いだ官名に由来)、若い頃から大旅行をして各地で歴史書編纂のための史料等を収集しました。

 司馬遷は、太初暦制定に加わった後に『史記』執筆に取りかかりました。しかし李陵を宮中で唯一弁護したために武帝の激しい怒りを買い、死一等を減じられる代わりに宮刑(男性器をちょん切る)に処されます。屈辱的な刑を受けてもなお司馬遷が死を免れたかったのは、父の遺志でもあった歴史書を完成させたかったためです。

 司馬遷は現実を重んじ、項羽を本紀を立てる一方、皇帝でありながら母である呂后に実権を握られた恵帝に本紀を立てなかったのは有名な話です。

 『史記』の著述の目的を、司馬遷自身は「天人の際を究め、古今の變に通じ、一家の言を成す」と「任安に報ずる書(『漢書司馬遷伝)」で述べています。

 「天道是か非か」と「伯夷列伝」にあるように、司馬遷は天は天、人は人として国家の興亡や個人の功績を通じて毀誉褒貶を論じ、それを後世に伝えようとしました。まさにリアリストです。

 

過去に学び、今を将来に伝えることは大事!

 

参考

https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl222/pdf/222-23.pdf

 

 地動儀。後漢の張衡が132年に考案した世界最古とされる地震計。円筒の周囲8方向に突起した竜が配置され、そのそれぞれの口には球を含んでいる。地震にが起きると発生方向の1つの竜の口から球が転落して、ヒキガエルの口に落ちる仕掛け。

 

天変地異に備えるのは国家の役目!

 

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続く