ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

国立・私立大学世界史直前チェック(世界史の中のジェンダー③女性参政権とフェミニズム)

はじめに

 世界史の教科書(実教出版帝国書院、東京書籍)と資料集(帝国書院タピストリー』と浜島書店『アカデミア』)の範囲内で、「世界史のなかのジェンダー」について整理します。

  第3回は女性参政権運動、フェミニズム運動についてです。

 『論点・西洋史学』(ミネルヴァ書房)『女性の権利の歴史』(岩波市民大学 人間の歴史を考える⑧)中村俊子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書)『女性たちの世界史大図鑑』(河出書房新社)を参考にしています。

 WEBでは「比較ジェンダー史研究会」を参考にしています。

ch-gender.jp

 画像は断りがない限りウィキメディアコモンズパブリックドメインのものです。 

目次 

  

9 女性参政権

①女性参政権運動の始まり

 19世紀後半 [24       ](英)が女性参政権を議会で提唱

 女性参政権運動の拡大:パンクハースト(英)アリス=ポール(米)

②女性参政権の実現

 1869年 アメリカ合衆国 ワイオミング州で女性選挙権が実現

 1893年 英領ニュージーランド(被選挙権は1919年から)

 1902年 オーストラリア

 1906年 ロシア領フィンランド 男女平等選挙権・被選挙権

第一次世界大戦と女性参政権

 (25    )戦体制による女性の社会→女性参政権が認められる契機に

 男性の職場(官庁、運輸業)への進出 軍需産業 軍隊の後方支援

 1917年 ソビエト連邦

 1918年 イギリス 第4回選挙法改正[26     ]内閣

 →男子普通選挙権、女子制限選挙

 1919年 ドイツ (27     )憲法で男女普通選挙

 1920年 アメリカ合衆国 カナダ

 1928年 イギリス 第5回選挙法改正 男女21才以上

 1931年 ポルトガル、スペイン

 1934年 トルコ

 1944年 フランス

第二次世界大戦後の女性参政権の広がり

 1945年 ハンガリー、イタリア

 1946年 日本

 1947年 台湾(中華民国)、アルゼンチン、ベネズエラ

 1948年 ベルギー、イスラエル、韓国

 1949年 中国(中華人民共和国)、コスタリカ、チリ

 1950年 インド、エルサルバドル、ハイチ

 1952年 ギリシャボリビア

 1953年 メキシコ

 1953年 コロンビア

 1955年 ホンジュラス、ペルー、ニカラグア

 1956年 エジプト、パキスタン

 1957年 マレーシア

 1959年 シンガポール

 1961年 パラグアイ

 1963年 イラン

 1984年 リヒテンシュタイン

 1993年 スイス

 2002年 バーレーンオマーン

 2003年 カタール

 2005年 イラククウェート(2007年の選挙から)

*教科書に出てくる女性の人名(20世紀前半)

[28      ](独):カール=リープクネヒトとともにスパルタクス団結成

ココ・シャネル(仏):女性の服装を革新

平塚らいてう(日):新婦人協会

市川房枝(日):女性参政権運動

補足

①イギリス

 功利主義で有名なジョン=スチュアート=ミルは、1865年の下院議員選挙に立候補し「女性参政権」を掲げて当選し、『女性の隷従』を出版して広く女性解放を訴えました。1867年の第2回選挙法改正が審議されたときも、ミルは女性参政権を認める修正案を提出したが否決されました。

 その後ミドルクラスの女性たちを中心に「女性参政権全国協会」が結成され、1870年代には毎年女性参政権が議会で議論されましたが、1884年の第3回選挙法改正の際に女性参政権グラッドストン首相の反対で否決されると、女性参政権運動は低調になってしまいます。

 女性参政権全国協会は1897年に「女性参政権協会全国連合(NUWSS)」として再結成され、1903年にはエメリン=パンクハーストらにより労働者女性を中心とする「女性社会政治同盟(WSPU)」が結成されます。

 女性参政権協会全国連合はミルの『女性の隷従』の内容に従い、女性にも男性が獲得した権利が認められるべきと主張し、妻や母としての役割を果たしながら社会的活動に携わることを目指しました。

 一方女性社会政治同盟は「ミリタンシー」と呼ばれる過激な活動、政治集会における野次、デモ、座り込みを行い、逮捕されるとハンガーストライキで抵抗しました。彼女らは自らをサフラジェット(Suffragette 、suffrage は投票権)と称しました。 

 最初は労働党と連携していた女性社会政治同盟でしたが、運動が過激化して袋小路に入り込んだ1914年に第一次世界大戦が勃発すると、キャンペーンを中止して排外的な愛国運動を展開しました。いわゆる「挙国一致」「城内平和」です。

 第一次世界大戦によってこれまで男性が担っていた仕事に女性が進出します。1918年の第4回選挙法改正では30歳以上の女性に、1928年の第5回選挙法改正では21歳以上の男女に選挙権が認められました。

 これは戦争で労働力として、また「妻」「母」として国家に貢献した、つまり女性が「国民」として認められたからといえます。女性参政権協会全国連合の主張が「妻や母としての意見を政治に反映させる」という穏健な主張だったことも一因でしょう。

 つまり女性の社会進出は進んだものの性的役割分業はそのままです。戦争中の兵士募集や戦意高揚ポスターの女性も多くはジェンダーロールの枠組みにとどまります。 

 同時期にドイツやフランスでは男女の差異を前提とし、特に母親の社会的意義を強調することで国家に権利や保護を求める流れもありました。

 性的役割への批判は1970年代のフェミニズム運動を待つことになります。

*発展

 模試の過去回を整理していたら、興味深い資料問題があったので引用します。2020年度ベネッセ2年共通テスト模試より

 ヴァイマル共和国の1919年国民議会選挙における政党ごとの男女別代議士数

出典:Die politische Tut der Frau,Gotha,1920

  独立社会民主党 社会民主党 中央党 民主党 人民党 国家人民党
代議士数 22 165 90 75 22 42
うち女性 3 22 6 6 1 3

 政党ごとの男女別得票率

出典:Schnneider,Die deutsche Waeherin,In:Die Gesellschaft,Jg.1927

  独立社会民主党 社会民主党 中央党 民主党 人民党 国家人民党
男性 66 55 37 48 45 36
女性 34 45 63 52 55 64

 1919年2月に発足したヴァイマル政府は、社会民主党・中央党・民主党による連立政権でした(いわゆる「ヴァイマル連合」)。

 しかし6月にヴェルサイユ条約最後通牒のように提示され、左右から政府への攻撃が相次ぎ、政治は混乱します。1920年の選挙ではヴァイマル連合は議席を減らし、左派の独立社会民主党国粋主義的な人民党や国家人民党が票を伸ばしました。

 この表から、中央党(カトリック教徒が支持基盤)、国家人民党など保守的な政党が、女性議員比率は少ない一方で男性よりも女性から支持されていたことが読み取れます。

 

アメリカ合衆国

 アメリカ合衆国も独立宣言で自由と平等が掲げられながら、黒人奴隷、先住民、女性の権利は否定され、女性は「共和国の母」として将来の市民を生み育てる役割が与えられ、奴隷や未成年者と同様家父長に依存し権利を剝奪されていました。

 19世紀に北部で産業化が始まると、イギリスと同様に「女性=家庭」が中産階級アイデンティティ、つまり労働者階級や非白人社会との「差別化」に寄与しはじめます。

 その中で1830年代からキリスト教の信仰心から(前回参照)奴隷制撤廃を掲げる女性の結社が作られます。1837年にクェーカー教徒のルクレシア・モットが「奴隷制反対女性協会」の全国大会を開催した際に女性の権利のための運動を提唱し、1848年にはニューヨーク州セネカ・フィールズで「女性の所信宣言」を発表します。

 この宣言は「独立宣言」を模したもので(ジョージ3世の悪行の代わりに男性のそれが書いてある)、身体的特徴で黒人の白人への従属を正当化するのと、男女の身体的差異を理由とする社会的差異(ジェンダー)で女性の男性への従属を正当化するのは同じだとします。

 この女性参政権運動は、女性がジェンダー規範を守りながら女性の地位を向上させる運動とは一線を画する、人間としての平等や普遍的な女性の権利を求めているので「第一次フェミニズム運動」とされています。

 アメリカ合衆国では19世紀末から州レベルで女性参政権が実現しますが、参政権運動の中心はミドルクラスの白人女性中心で、人種(黒人は南北戦争後に公民権が認められたものの選挙から排除されていた)や階級を越えた連帯については一枚岩ではなかったとする研究もあります(『論点西洋史学』)。

 女性の黒人奴隷は「奴隷」であることと「女性」であることの両方の差別を受けました。別回で紹介しましたが、ハリエット・タブマンは奴隷を逃がす「地下鉄道」の運動に参加し、南部での奴隷解放の後は黒人と女性の権利のために活動家として講演旅行に出かけるなど活躍しました。

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 アリス=ポールはクエーカー教徒の家に生まれ、イギリスで女性社会政治同盟の運動に参加、合衆国に戻って全米女性参政権協会(NAWSA)に加わります。しかしNAWSAの州レベルでの参政権を目指す穏健な運動に飽き足らず、憲法の修正で女性参政権を獲得することを目指して全国女性党を立ち上げました。

 アリス=ポールらは戦争中にデモやハンストでウィルソン政権に女性参政権を訴え、逮捕・投獄を繰り返します。ついにウィルソンは折れて、1920年憲法修正19条によって女性参政権が認められました。

 憲法修正を祝ってブドウジュースで乾杯するアリス=ボール

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 第一次世界大戦が終了するとアメリカ合衆国は空前の繁栄を迎え、大量消費社会が実現します。社会進出した女性(事務員、タイピスト、デパートの店員など働き口が増加)は自由に使えるお金が増え、また掃除機や洗濯機の発明により多くの女性が家事の時間を減らすことができ、自由な時間が増えました。

 こうした中で一部の女性たちは家で結婚の時期を待ったりせず自由を謳歌します。酒やたばこをたしなみ、車を運転し、短いスカートに短い髪、こうした女性はフラッパーと呼ばれました。

アメリカの女優ジョーン・クロフォード(1929年)

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 これのアメリカ合衆国

 女性のファッションに大きな影響を与えたのがフランスのココ・シャネルです。「婦人服」へのジャージー生地の導入、日常生活における利便性とファッション性を両立したスーツ、リトル・ブラック・ドレス(現在のフォーマルドレスの原型)など、戦間期の女性の社会進出と相まって女性の新しいスタイルを確立しました。 

 

10 第二次世界大戦後の女性の権利獲得

1948年 (29      )宣言

→性別を含むあらゆる差別をなくす

1949年 [30      ]『第二の性

→第二波フェミニズムに影響

1960年代後半~1970年代前半 女性解放運動が高揚

アメリカ合衆国ウーマン・リブ運動

フランス…女性解放運動 (MLF) 

1972年 第27回国連総会で1975年を国際婦人年と決議

1979年 (31      )条約

1986年 日本 (32       )法施行

→1999年に改正男女雇用機会均等法

1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

→「民族浄化ムスリム人女性への組織的な性暴力

2007年~ SNS上でのMeToo運動

*教科書に出てくる女性の人名(20世紀後半)

インディラ=ガンディー(インド):ネルー娘。インド首相

マザー=テレサ(現マケドニア):カルカッタでの貧民層への奉仕活動

[33         ](ミャンマー):民主化運動の象徴

[34     ](中華人民共和国):毛沢東の妻。文化大革命の「四人組」

[35     ](英):保守党。新自由主義フォークランド紛争

補足

①戦争と女性

  第一次世界大戦後に女性参政権は実現したものの、女性の多くは家庭に戻ります。

 世界恐慌で経済が破綻すると欧米各国でファシズムが広がります。ムッソリーニヒトラーは女性に「家庭で暮らすもの」「次世代の兵士を生み出す母」としての役割を期待します。

 日本でも1930年代から婦人団体が貯蓄や節約といった社会の統制に積極的に関わり、市川房枝もこの時期は節約運動には婦人の協力が必要であると論じて、女性が国家に貢献することで参政権の獲得を目指しました。

 似た動きは部落解放運動にも見られ(水平社博物館の展示を参照)、社会的弱者の権利運動が総動員体制に協力することで国家に「絡めとられ」ていきました。

参考

 

 第二次世界大戦は未曾有の世界戦争となり、多くの人々の命が奪われました。

 大戦中、女性が戦士(特に連合国側)、労働者として動員されました。ドイツ占領地下ではレジスタンスやパルチザンのグループで女性がスパイ活動や破壊工作に従事しました。

 一方で空爆により「銃後」の女性も直接戦争の被害を受けるようになり、占領地での組織的な性暴力など女性の尊厳を傷つける事件が横行しました。

 第二次世界大戦後はこの反省を踏まえて「人権」が国際的な課題となります。

ぶんぶんは小さい頃にこれを読んで「慰安所」を知りました。

フェミニズム運動

 ボーヴォワールは『第二の性』で女性とは、歴史的に「もう一方の」性、つまり「通常の」男性から逸脱した性として定義されてきたと主張し、有名な「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉はジェンダー(社会的性差。セックスは生物的性差)を簡潔に言い当てていて、のちのフェミニズム理論の支柱になります。

 ウーマン・リブ運動は、アメリカでは1966年に全米女性組織(NOW)が結成、1968年にはフランスでMouvement de Libe’ration des Femmes=MLF(女性解放運動)が開始されます。ドイツでも1968年に新しいフェミニズムが生まれました。

 この時期はベトナム反戦運動公民権運動、ド=ゴールの退陣(五月危機)、学生運動など世界中で既存の権力への異議申し立てが噴出した時代です。 

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 この時期のフェミニズムの中核は「リベラル・フェミニズム」で、「性的平等」の権利を「性別に基づき他者と異なる扱いをうけることはないという個人の権利」、すなわち女・男のいずれもが「女」「男」という集団として扱われることを否定し、個人として権利を保障されるかどうかを問います。

 これはロック以来の「公と私の分離」「男は仕事・女は家庭」を克服する試みです。

 「個」を基礎に置くリベラル・フェミニズムに対し、「ソーシャル(マルクス主義的)フェミニズム」は、女性抑圧の根源を資本主義にもとめます。つまり集団としての「女性」に振り分けられた労働(家事・育児含む)は社会におけるモノの生産の基礎であるのに「無価値」なものとして扱われることを問題視し、平等化達成のためには体制変革が必要であると考え、抑圧された他の諸集団との連携を重視します。

 さらに「ラディカル・フェミニズム」は、「性抑圧」(性と生殖の秩序)をあらゆる形態の抑圧の根源とする考え方をとり、男性を抑圧者とみなし、女・男の利害は競合・敵対すると考え、女・男の分離を前提としたうえで、「女性という集団」の独自の存在意義を強調しようとする傾向があります。

 「ラディカル・フェミニズム」は「ジェンダー」を理論とし、「家父長制」への批判、「身体」「セクシュアリティ」といった新しい研究方法、女性に対する暴力や「リプロダクティブ・ライツ」への取り組みなど、ジェンダー研究やフェミニズム的な実践活動を切り開きました。

*ぶんぶんは幼少の頃テレビで観た「中ピ連」を強烈に記憶しています。

 フェミニズム運動の結果、欧米各国で職場や教育における不平等の改善、大学での女性学やジェンダー研究の設置、メディア等の差別発言の是正など、社会に様々な変化をもたらしました。

 近年のSNS上での「MeToo」運動は、ポストフェミニズム(第二波フェミニズムは使命を果たし終えたとする論)時代の新しい運動形態といえます。

 SNS上で石川さんに「粘着」する人がいて裁判になりました。若い男性の間で「フェミニズム嫌い」が広がっているという記事もあります。なお裁判は石川さんが勝訴した模様です。 

電通の調査

www.advertimes.com

ジェンダーギャップ

 日本における女性の社会進出については、「ガラスの天井」(誰かが言ってたのは誤用)と呼ばれるように「目に見えない障壁」があるのは事実です。

 世界経済フォーラムジェンダー・ギャップ指数2021」は、「経済」「政治」「教育」「健康」の4つの分野のデータから作成されています(0が完全不平等、1が完全平等)2021年の日本の総合スコアは0.656、順位は156か国中120位でした。

 レポートでは、日本は特に政治分野において女性の参加割合が低く、国会議員の女性割合は9.9%、大臣の同割合は10%、過去50年間女性の行政府の長は存在していないことが指摘されています。

 また経済分野についても、管理職の女性の割合が低いこと(14.7%)、女性の72%が労働力になっている一方パートタイムの職に就いている女性の割合は男性のほぼ2倍であり、女性の平均所得は男性より43.7%低くなっていることが指摘されています。

 そういえば某党の関係者が「女性は話が長い」「議員に女性が少ないのは地盤を世襲するから」と平気で発言しています。その党の女性議員が選択的夫婦別姓制度に反対するなど男性議員以上に「保守」をアピールしているのを見ると、女性が男性社会に合わせないと出世できない集団が今なお存在すると感じます。

内閣府HP > 内閣府男女共同参画局HP >より引用

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www.gender.go.jp

 

まとめ

 フェミニズム運動の「世の中を社会的弱者の側からみると違う景色が見えてくる」は自らへの批判として帰ってきます。

 1960年代以降に勃興した多文化主義は、第一次フェミニズムが白人至上主義ではないか、第二次フェミニズムは白人女性中産階級の利害関心を女性全般の利益と同一視しがちで、非白人・労働者階級・第三世界女性の利害とは必ずしも一致しないのでは、と批判しました。

 またフェミニズムが可視化した「ジェンダーアイデンティ」(セックス・ジェンダーセクシュアリティの組み合わせ人それぞれであること)の新たな課題、すなわち性別は男女だけはないこと、いわゆる「LGBT」の課題は、フェミニズムに従来の「女と男」というパラダイムを乗り越えることを迫っています。  

 上野千鶴子さんが東京大学の入学式の式辞で「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」と話していました。

 フェミニズムの根底にある問題意識は今なお研究や社会実践に有効ですし、他の社会的弱者との共闘を可能にするものです。

 

空欄

24 J・S・ミル

25 総力

26 ロイド=ジョージ

27 ヴァイマル

28 ローザ=ルクセンブルク

29 世界人権

30 ボーヴォワール

31 女子差別撤廃

32 男女雇用機会均等

33 アウンサウンスーチー

34 江青

35 サッチャー