ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

国立・私立大学世界史直前チェック(世界史のなかのジェンダー①18世紀まで)

はじめに

 入試問題で女性の権利獲得の歴史(東京大学)、女性参政権運動(九州大学)、「オランブ=ド=グージュ」(早稲田)が出題され、ジェンダーの視点から歴史を再考する動きが高校現場に及んできています。

 実教出版の『世界史B』には「世界史のなかのジェンダー」というコラムが掲載されています。今回はそれをベースに、受験生が大学入試で解答できることを目標に、世界史の教科書に出てくるジェンダー関連についておおまかに整理します。

 前半はフランス革命の前、女性の権利が歴史の舞台に上がるまでです。

 「教科書に出てくる女性」は、ジェンダーや女性の権利獲得とは直接関係ない人名もありますが、私立の空欄補充で出題されるので参考までにつけておきます。

 教科書は実教出版帝国書院、東京書籍を、資料集は帝国書院タピストリー』と浜島書店『アカデミア』を使用しています。

 一般書では『論点・西洋史学』(ミネルヴァ書房)、辻村みよ子、金城清子『女性の権利の歴史』(岩波市民大学 人間の歴史を考える⑧)、中村俊子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書)その他を参考にしています。 

 WEBでは「比較ジェンダー史研究会」を参考にしています。

ch-gender.jp

 画像は断りがない限りウィキメディアコモンズパブリックドメインのものです。 

目次

 

1 オリエント 古代ギリシア

オリエント:

ハンムラビ法典:一夫一婦制 法律上の妻に法律上の行為能力あり

スパルタ:

(1     )の制 女性は強い戦士を生み育てることが求められる

アテネ

巫女役以外は人前に姿を現さない→(2       )の神託

母と乳母奴隷とともに習い事や家事仕事を習得する 

実家が断絶しそうになると実家戻り婿養子を取る

→持ち分地(3      )を継承する男子を産むため

女性や奴隷、在留外国人(メトイコイ)には参政権が与えられない

[4       ]の市民権法

アテネ市民権を両親とも市民身分のものに限定する

*教科書に出てくる女性

ネフェルティティ:古代エジプト アメンホテプ4世の妃

[5      ]:前7~前6世紀 抒情詩人

補足

 ハンムラビ法典では、妻は契約を結んだり、夫が死亡したときに子どもに対する父の権威を引き継ぐことができ、両性の合意や配偶者の残虐行為があれば離婚も認められていました。ただ妻は(内縁も含む)子どもを産むことが義務で、子どもを産まない妻は持参金などを返して離婚されてもやむなしとされていました。

参考

geolog.mydns.jp

 

  スパルタでは男子は7才から集団生活を開始し、20才に正規兵となり兵舎に常駐します。その間に妻をめとることは可能ですが単身赴任で、30才になると家庭に戻ることが許されます。

 女子は丈夫な子どもを産むため裸で身体と鍛え、夫が了解すれば他人の夫との間に子どもを産み、土地や財産の所有権を持っていました(浜島『アカデミア』より)。

 「ペリクレスの市民権法」(前451年)は、アテネ市民は両親ともアテネ人である嫡出の男子のみに限定するというもので(それ以前は父親はアテネ市民であればOK)、市民権をより閉鎖的にしました。

 しかし当のペリクレスは子どもを疫病で失い、ミレトス出身の遊女アスパシアと同棲し男子をもうけました。上記の規定だとペリクレスは跡継ぎがいないことになるので、ペリクレスは民会に訴えて特例で市民権法の解除をしてもらいました。まあアテネに貢献した「上級市民」ですから。(´・ω・`)

 このようにオリエントやギリシア、後述するローマでは女性の家庭内では一定の地位を持っていたといえますが、公的地位(参政権)はありませんでした。

 

2 古代ローマ

ローマ法:家父長制 家長は子ども、妻、奴隷に対して生殺与奪の権利を持つ

→女性は政治・法律上の権利を認められない。土地財産を所有できない

→家庭内で子どもの教育や家内労働の奴隷の監督を担う

元首政時代には財産を所有し、手工業や商業の経営に携わるものも出現

*教科書に出てくる女性

[6     ]:プトレマイオス朝の女王。アクティウムの海戦で敗北

補足 

 弓削達さんの『ローマはなぜ滅んだか』に、若い男性は年上のご婦人とエッチして経験値を積むのが美徳みたいに言われていた一方で、「姦通罪」は女性の方が重罰とあり、ダブルスタンダードだと思いました。 (`Д´) 


3 中国

秦漢:皇后として政治の実権を握ることも(劉邦の妃 呂后

唐:[7      ]…唯一の女帝 国号を周とする 科挙官僚を重用

科挙が定着し儒教が国の学問になると男性原理が社会の基準に

宋:(8     ) 足の先を縛って成長を止める

補足

 「傾国」(国家を崩壊に導いた女性)「武韋の禍」(唐の高宗の皇后で帝位についた武則天と、中宗の皇后の韋皇后による政治の混乱)など、正史的価値観では「女性が政治に関わるとろくなことがない」みたいな言われ方をされます。

 しかし皇后が実権を握った話は枚挙にいとまがありません。特に遊牧民の世界では、男性が留守中に女性が移動式テントや家畜群といった財産を守る役割を果たしたことから、家族や社会の中で女性の発言権は大きかったと考えられています。

唐三彩には馬に乗る女性の像が多数存在します。帽子がおしゃれ。東洋陶磁美術館。著者撮影。

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 最近は隋唐を「拓跋国家」(鮮卑遊牧民とその力を借りた漢人の複合国家)ととらえる説が普及していますが、 隋の建国者楊堅の妻である独孤伽羅(鮮卑の名門独孤氏出身)が政治で活躍したことは遊牧民の女性の力を物語っています。

内容チラ見せ


www.youtube.com

  纏足とは20世紀初頭まで漢族の女性に見られた「身体変工」の習俗で、幼児期から足に布をきつく巻き、足を小さいままにします。(TДT)

 北宋の時代には存在していて、当初は「妓女」のあいだで流行し、その後上流階級の女性、さらに庶民層へと広がったとされています。女性に仕事をさせないのが男性のステータスシンボルなのでしょうか。

 太平天国は纏足を禁止し、女性を戦闘や労働に動員します。YouTubeに時々落ちている太平天国のドラマにも女性のチャンバラシーンがあります。

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4 イスラーム

『 (9      ) 』やハディース

女性の人格は認める 所有権もある

女性は保護されるべき存在 男性優位の原則

女性はヴェールを着用 一夫多妻制:4人妻。平等に扱うことが条件

*教科書に出てくる女性

ファーティマ:ムハンマドの娘で[10     ]はその婿

補足

 『コーラン』と『ハディース』では「女性は男性を誘惑するもの」とされ、「大事なところは慎み深く隠す」ということで女性は人前に出るときはヴェールを着用、それ以外にも種々の男女隔離の習慣があります。

 一夫多妻制について『コーラン』「女人の章」第3節はこうあります。

気に入った女性を二人なり三人なり、あるいは四人なり娶れ

もし妻を公平に扱いかねることを心配するなら、一人だけを娶っておけ。お前たちがいかに切望しても、女たちを公平に扱うことはできない(第129節) 

 当時は男性が戦争等で死亡し、寡婦や孤児が発生するのが日常ですから、それを救済する措置(五行のひとつ)とも言えます。四人の妻を公平に扱うにはよほどの財力が必要なので、基本は一夫一婦と考えられます。

 現在は一夫多妻制を法的に規制しようとする国が増えており、また一夫多妻制に関する法的な規制のない国でも、経済的、倫理的な理由から実質的には一夫一妻制がほとんどだそうです。

 またヴェールの着用が現代では女性の社会進出を進めている面もあるようです。

 

5 中世ヨーロッパ

ゲルマン法:女性は父や夫に従属

      夫の同意がなければ財産を自由に処分できない

キリスト教:『創世記』を根拠に女性蔑視が正当化される

農村では労働に従事

女性が領主権を与えられたり、夫が不在の場合は家長として振舞う例も

*教科書に出てくる女性

テオドラ:ユスティニアヌスの妃 サン=ヴィターレ大聖堂のモザイク

[11         ]:英仏百年戦争 オルレアンの包囲を破る

補足

 イヴはアダムのあばら骨のひとつから作られ、イヴの「やらかし」で楽園を追放されたとする『創世記』の「原罪」物語が、キリスト教世界での女性蔑視の起源のひとつになっていることは否定できません。

 宗教会議令や教皇令を通じて、ローマ=カトリック教会では性行為は教会が認めた結婚に限定され、離婚・妻の姦通・中絶の禁止などが確立され、現在に至ります。

 なお異端のキリスト教には女性の司祭を認めるものもあり(グノーシス主義)、女性排除は正統派教会組織の論理かもしれません。

ミケランジェロの『天地創造』 バチカン、システィナ礼拝堂

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皇后テオドラ。踊り子のテオドラに一目惚れしたユスティニアヌスは法律を変えて(当時踊り子と元老院議員の結婚は法律で禁止)結婚します。テオドラは532年の首都市民による「ニカの乱」の時、ビビったユスティニアヌスを一喝しました。サン・ヴィターレ聖堂ラヴェンナ)のモザイク画。

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6 近世ヨーロッパ

父や夫の権威に従属し、財産も夫の同意がないと処分できない

貴族、上層ブルジョワジーには家の維持や管理を引き受けるものも

ジョフラン夫人 (12    )(学者・文人・政治家の会合)を主催

民衆層では召使、産婆、お針子、行商など仕事に携わる女性の増加

*教科書に出てくる女性の人名(16世紀~18世紀)

[13         ]:シャルル9世の母。ユグノー戦争

[14      ]:イングランド王 カトリックに復活

[15      ]:イングランド王 統一法 イングランド国教会

[16      ]:オーストリア 外交革命

[17      ]:ロシア 啓蒙専制君主

補足 

 「結婚すれば夫は妻にかかわるすべての権利を使用できる」は「カヴァチャー」(庇護された妻の身分)と呼ばれ、19世紀後半まで続きます。

 17世紀、18世紀のヨーロッパでは社会契約説、啓蒙思想が開花します。

 ロックは名誉革命を擁護し、アメリカ独立革命に影響を与えました。彼は王権説(国王は父だから絶対に従うべき)に対抗して国家と家庭を切り離し、国家は社会契約で成り立つとしますがその契約者は男性で、女性は家庭にとどめられました。

 たしかにワシントンは「建国の父」と呼ばれますし、合衆国の白人女性は「共和国の母」(次世代の市民を育てる存在)と位置づけられました。

 ルソーも『エミール』の中で、女性が男性に従属するのが「自然的」ととらえ、男性に役に立つことが求められ、女子教育の内容もそうあるべきとします。

 このように市民革命を準備した思想は公的空間と家族を分離し、男性は公的空間での自由や平等を訴えますが、女性はそこから排除され、従来通り家庭の中で男性の庇護の元に男性を支える役割を求められます。

 この矛盾がフランス革命で噴出します。

 なお女性には学問の機会が基本与えられませんでしたが、『化学論集』を著したマリー・ラヴォワジェ(夫があのラヴォアジェ)、『物理学教程』を出版したエミリー・デュ・シャトレ(父が教育熱心で、自宅で開催されたサロンでヴォルテールと交流)のような例もあります。 

 

空欄

1 リュクルゴス

2 デルフォイ

3 クレーロス

4 ペリクレス

5 サッフォー

6 クレオパトラ

7 則天武后

8 纏足

9 クルアーンコーラン

10 ファーティマ

11 ジャンヌ=ダルク

12 サロン

13 カトリーヌ=ド=メディシス

14 メアリ1世

15 エリザベス1世

16 マリア=テレジア

17 エカチェリーナ2世

 

 続く