ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

国立・私立大学世界史直前チェック(移民の歴史④アメリカ合衆国と黒人2)

 移民の歴史、第4回はアメリカ合衆国の黒人(アフリカ系住民)の続きです。

 2021年1月末の補習教材をブログ用に整えてアップしようとしたら時期を逸してしまいました。早稲田大学商学部の問題でベタで出題され、うちの生徒には「ズバリ的中!」と思いきや、だれも受験してなかったです。(´・ω・`)

 画像はすべてウィキメディアコモンズパブリックドメインからの借用です(一部除く)。参考文献は①と②にあります。

*呼称は便宜上「黒人」で統一します。

過去回 

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 

目次

  

1 アメリカ合衆国と黒人(アフリカ系住民) 

③ 黒人差別と黒人解放運動

1860年代 テネシー州で(14         )(KKK)結成

     黒人へのリンチ、放火を繰り返す

黒人の生活:解放後も経済的に自立できないものも多数

(15      ):地主が土地と生産用具を小作人に貸し収穫を分割

1880年代 南部諸州 (16      )(黒人差別的な法律)を制定

     黒人の投票権の剥奪、公共施設等での白人と黒人の分離  

第一次世界大戦後 保守的傾向 KKKの復活

第二次世界大戦  黒人兵士の活躍

1954年 ブラウン判決

    公立学校の人種分離制度は憲法違反

    公民権運動が高揚するきっかけに

1955年 バス=ボイコット運動

    [17         ]牧師の非暴力運動

1964年 (18     )法成立 [19     ]大統領の時

    黒人は白人と平等な権利を保障

    しかし白人による差別は続く→ブラックパワー

1968年 キング牧師暗殺

    メキシコ=オリンピックの表彰式での抗議活動

    (ブラックパワー=サリュート

1992年 ロサンゼルス暴動

 白人警官がスピード違反の黒人に暴行→警官に無罪評決

2008年 初の黒人大統領として[20     ]大統領が当選

2010年代~ BLM(Black Lives Matter)運動の高揚

 補足

 戦争終了後に南部は連邦軍の占領下におかれましたが黒人への農地の分配が行われなかったため、農園主は自己の農場をいくつかに分け,これを小作人(黒人や白人の貧農)に貸し与える制度を採用しました。

 小作人は土地を持たず手に職もないので、耕作用具や生活必需品を農園主や商人から前借りし、収穫物の半分を農園主に支払うシェアクロッパーとしてニューディールの頃まで厳しい状況におかれました。

 選挙権については、憲法修正当時は黒人の代議士が現れるなど効果を見せましたが、1890年頃から新州憲法の制定や修正などにより,黒人選挙権の剥奪が図られました。

 具体的には「人頭税」(選挙人登録の時に係官に人頭税受取証書を提出させる)「読み書き能力試験」(登録時に示された憲法の一節を読解させる)など選挙人登録の際に資格を設けました。

 また南部諸州では乗り物・学校・ホテル・レストランなど公共施設での人種の分離(ジムクロウ)が様々な州法によって合法化されていきました。

 最高裁は「プレッシー判決」(1896年)で、白人と黒人とで別々の車両に乗車することを強制する州法に対して、「分離すれども平等であればよく、人種分離制度自体は憲法の平等権を侵害しない」と判断しました。(~_~メ)

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 第一次世界大戦が発生してヨーロッパ移民が減少する一方で軍需生産が拡大し、南部の黒人労働者が大量に北部に移住し、出征した白人に代わって雇用されました。

 とはいえ黒人にとって北部が「自由の地」であった訳ではありません。仕事は単純労働に限定され、住居や公的サービスの隔離は南部とそう変わりがありませんでした。

 世界恐慌が発生すると南部の農業は壊滅、北部も失業者であふれかえります。失業率は白人の約2倍と恐慌は立場の弱い黒人を直撃します。

 一方、黒人が「隔離」されたが故に様々な居住地内でのビジネスが生まれます。識字率も向上し、ニューヨークの黒人街ハーレムでジャズやダンスなど黒人文化が育まれます。

1930年代のコットンクラブ。ハーレムにある高級ナイトクラブで、顧客は全て白人、スタッフと演奏者は全て黒人でした。旧版『映像の世紀』に出てきます。

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出典:https://archive.org/stream/newmoviemagazine01weir#page/n323/mode/2up

 第二次世界大戦では多くの黒人が徴兵されました。軍隊内の黒人差別は厳しく、当初は非戦闘要員でしたが、次第に黒人だけの部隊が作られます。

*大学時代にスポーツ万能でならしたジャッキー・ロビンソンも徴兵され、成績優秀にもかかわらず軍隊で差別を受けました。MLBも戦前は黒人お断りでした。 

 

 徴兵によって教育や技術を身につける機会が与えられ、海外派兵によって違う世界(米軍はヨーロッパでは歓迎された。今で言う「自尊感情」の芽生え)を知ります。

 黒人の解放運動の転機となったのが1954年の「ブラウン判決」です。近所の白人校への転入を拒否された黒人生徒の父親が市の教育委員会を提訴し、最終的に最高裁が「公立学校における黒人と白人の別学を定めた州法は違憲」と認めました。

 1955年の「バス・ボイコット事件」は、市営バスに乗車したローザ・パークスが白人優先席に座っていたところ、運転手が後から乗車した白人のために席を空けるように指示しますが、パークスはこれに従わなかったため逮捕されました。

 モンゴメリーの教会のキング牧師がバス乗車ボイコット運動を呼びかけると、多くの市民がこれに応じました。

キング牧師はガンディーの非暴力運動に強い感銘を受けていました。『知ってるつもり?』最終回でやってました。著作権的にヤバいので貼れませんが『未来への伝言』で検索すると出てくるかも?

 パークスが逮捕されたバス。Henry Ford Museum に展示。クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植

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 こうした流れの中でケネディが動き(成立はジョンソン)、1964年と1965年に公民権法が成立します。投票権行使における人種差別の禁止(1965年の投票法がだめ押し)、ジムクロウの禁止、アファーマティブアクション(公的機関が被差別のグループに対して進学・就職・昇進で優遇措置を取る)が盛り込まれました。

 しかしその後も黒人差別解消は進みませんでした。1960年代には北部の大都市で経済的に恵まれない黒人の不満から暴動が発生します。彼らは白人の理解(融和)によってではなく、黒人の直接行動で平等を勝ち取る、いわゆる「ブラックパワー」を唱えるようになります。

 これに影響を与えたのが「ネイション・オブ・イスラム」(NOI)のマルコムXです。彼はキング牧師の語る「アメリカン・ドリーム」は「白人の価値観」であり、それは黒人の犠牲を前提にしている、それを黒人が求めるのは違うと訴えます。

*マルコム「X」とは、黒人の姓は奴隷制時代に白人につけられたもので、それを拒否するために未知を表す「X」に置き換える、というNOIの教えに由来します。

 マルコムは黒人民主主義や黒人の自立を唱え、南部の小作人や北部の労働者の中に入って有権者登録や教育に尽力します。彼の言葉「投票か弾丸か」は一見物騒ですが、「黒人が選挙権を行使して世の中を変えていく」と解釈できます。

 マルコムはメッカ巡礼後、すべての人間が尊重される社会の実現を目指して急進的な立場(白人との和解や統合は不可能という分離主義)からは身を引きますが、1965年に暗殺されます。

マルコムX アメリカ議会図書館のコレクション収蔵品なのでパブリックドメイン

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 その後も白人と黒人の暴力の応酬が続き、黒人の生活は不安定なままでした。しかし1960年代は公民権運動に加えてベトナム反戦運動(黒人も多数派兵された)や女性解放運動が高揚し、「人権」は政策上無視できないものになっていきます。

 文化面では音楽に代表されるように、黒人が「黒人」(白人の言葉「ニグロ」ではなく「ブラック」)であることを誇りにする動きが広がりました。

 ジェームズ・ブラウンキング牧師暗殺後に各地で黒人の暴動が発生しますが、その4ヶ月後にリリースされた"Say it loud -I'm black and I'm proud" の中で彼は暴力ではなく「黒人が自らの文化を誇りに思い、自らが声を上げていこう」と訴えます。 

セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド
 

   2020年の全米オープン大坂なおみ選手が決勝戦までの7試合で過去の黒人犠牲者7名の名前をそれぞれ記したマスクを着用して黒人差別への抵抗を示したことは記憶に新しいですが、アスリートの反差別行動の嚆矢となったのが1968年のメキシコ・オリンピックです。

 200メートル走で金メダルを獲得したトミー・スミスと銅メダルのジョン・カルロスはアメリカ国旗が掲揚されている間、表彰台で黒い手袋をはめた片手の拳を握りしめ突き上げました。また黒人の貧困を象徴する黒いソックスを履いていました。

 IOCはこれを「内政に関する政治パフォーマンス」とみなし、オリンピック憲章違反として二人をオリンピックから追放します。

 二人はアメリカスポーツ界からも事実上追放され、メディアからのバッシングを受けましたが、その後もスポーツに関わりながら黒人の権利獲得運動をし続けています。

 銀メダルのノーマン(オーストラリア)も二人に同調し、胸に反差別のバッジをつけました。そのため彼も帰国後非難を浴びました。

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 「Black Lives Matter(BLM)」は、黒人に対する暴力と社会システム全体に広がる人種差別の根絶を訴える人権運動で、直訳すると「黒人の命は大切だ」です。

 大坂なおみ選手のマスクにもあったジョージ・フロイドさんは2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで、偽札でたばこを買った事件を捜査していた警官に呼び止められ、そのときに警官が膝でフロイドさんの首を9分間近くにわたって圧迫、フロイドさんはその後病院で死亡が確認されました。

 その様子の動画がSNSで拡散し、全米のみならず世界各地でBLM運動のデモが広がりました。

www.sankei.com

 

空欄

14クー=クラックス=クラン

15シェアクロッパー

16ジムクロウ

17キング(マルティン・ルーサー・キングJr)

18公民権

19ジョンソン

20オバマ

 

入試問題

東京大学 2017年

アメリカ合衆国では南北戦争を経て奴隷制が廃止されたが、その後も南部諸州ではアフリカ系住民に対する差別的な待遇が続いた。その内容を一行(30字)でまとめ、その是正を求める運動の成果として制定された法律の名称と、そのときの大統領の名前をあげなさい。 

解答例

選挙権を奪い、州法で交通機関や公共の施設で人種を分離した

公民権法 ジョンソン

 

まとめ

 黒人差別は過去ではなく現在の課題です。差別は「行為」なので「ある・ない」の問題ではなく「行動」つまり「見かけたらやめさせる」です。そのためには過去に学び、「何が差別に当たるか」アンテナを高くしておく必要があります。

 キング牧師の「市民的権利の平等」はもっともですし、マルコムXの「白人の自由平等と黒人差別はコインの表裏」も慧眼で、あらゆる差別に通じます。

 「アファーマティブアクションは逆差別だ」「少数派が特権を得ている」という議論に対して、アメリカでは「マジョリティ側が労することなく得ている特権(優位性)に気づき、意識を変えること」という運動があります。

 確かに黒人と言うだけで犯罪者扱いされて警察官から暴行を受ける一方、トランプ氏を支援する白人団体が国会議事堂の壁をよじ登るのを止めもしない、を目の当たりにすると、「白人であるだけで特権」と言いたくなります。

  現在の様々な反差別運動のヒントは黒人解放運動の中に多く詰まっています。

 

おわりに

 黒人の立場や意識の変化は次のように世界史の流れに位置づけることができます。東京大学の第1問や、京都大学の大問Ⅲに最適な課題です。

18世紀 重商主義         →奴隷貿易

    産業革命         →奴隷制の拡大

19世紀 国民国家と国民統合    →南北戦争奴隷解放

    帝国主義         →北部への移住

20世紀 二度の世界大戦      →意識向上

    冷戦の時代        →解放への取り組み

21世紀 ポスト冷戦        →オバマ大統領

   世界史の学習が微力ながら「差別を許さない姿勢」の助けになれば幸いです。