数年前から合否にかかわる出題ミスが相次いだこともあって、文科省は大学に解答例や出題意図を公開するよう指導しています。
先日、京都大学がそれらを公開したので、著作権法の範囲内で引用しつつ、過去記事を更新します。
通常は「受験生がその場で書ける最低ライン」の解答例を作っていますが、京都大学の出題意図を読むと、特にⅠは「こんなことに注意して勉強してください」という将来に向けてのメッセージのようです。
そこで今回は予備校の真似をして(笑)複数の教科書に当たりながら、未来の受験生のお役に立ちたいと考えます。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
京大のHP。「リンクは貼るな」とは書いてないです。
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/admissions/undergrad/past_eq
目次
第Ⅰ問
課題
6世紀から7世紀にかけて、ユーラシア大陸東部では相次いで大帝国が生まれ、ユーラシアの東西を結ぶ交通や交易が盛んになった。この大帝国の時代のユーラシア大陸中央部から東部に及んだイラン系民族の活動と、それが同時代の中国の文化に与えた影響について。300字
解答の方針
ヒントから芋づる
6~7世紀 ユーラシア東部の大帝国
→6世紀:突厥 7世紀:唐
黄色い部分が6世紀の突厥帝国の範囲 『世界の歴史まっぷ』さんより
→ソグド人
活動と同時代の中国の文化に与えた影響
活動
実教出版 『世界史B』(着色部は使いたい部分 以下同様)
・アム川とシル川にはさまれたソグディアナ地方には、イラン系のソグド人が都市にわかれて居住した。彼らは東西交易の中継商人として中央ユーラシアや中国各地に居留地を設けて活躍し、ソグド語・ソグド文字は中庸ユーラシアの共通語・文字として広く使用された。遊牧民の突厥やウイグルもソグド人を交易や外交に重用した。85頁
・高車は6世紀にエフタルと従前の攻撃を受けて勢力を失ったが、その後身の鉄勒の一派突厥が、6世紀なかばに強大となった。突厥は柔然を滅ぼし、華北の北周・北斉を服属させたうえ、さらにササン朝ペルシアと協力してエフタルを攻め、やがてモンゴル高原から中央アジアに至る大帝国となった。また、ソグド人を交易や外交に用い、ビザンツ帝国とも使節を往来させた… 87頁
帝国書院 『新詳世界史B』
・6世紀半ば、トルコ系の突厥が急速に勢力を拡大し、柔然のカガンを倒して新たにモンゴル高原の覇者となった。突厥は当方では華北の北周・北斉を従属化におき、製法ではエフタルを撃破して中央アジアへ勢力を伸ばし、史上初めて中央ユーラシアの東西にまたがる遊牧帝国となった。またソグド人を貿易・外交に活用し… 61頁
・ソグド人は、東西南北の交通のかなめであるソグディアナのオアシス出身のイラン系住民である。多言語・多文化に通じていたソグド人は、遊牧国家の保護の下、すぐれた国際商人として東は中国から西はビザンツ帝国まで、広範な経済活動を展開した。61頁 ソグド人の土俑の説明
・唐の軍隊の主力は、服属したトルコ・ソグドなどの騎馬軍団であり、中でも両者の血を引く節度使安禄山は強力な軍隊を指揮していた。69頁
東京書籍 『世界史B』
101頁のほぼ1ページを割いてソグド人について記述。
・ソグド人の進出は草原地帯では柔然・突厥。ウイグル、中国では北朝や隋唐の華北全域に及び、得意とされる交易のみならず、政治・外交・軍事・芸術の幅広い分野で活躍した。101頁
・モンゴル高原からカスピ海北岸あたりまで、草原地帯を広く支配した突厥のもとで、ソグド商人が交易や外交面で活躍し、突厥の繁栄を支えた。102頁
山川出版社 『詳説世界史B』
・6世紀中頃に中央アジアから中国東北地方にいたる台遊牧国家をうくった突厥は、同世紀末に東西に分裂したものの、唐の建国に際し騎馬軍団をもって援助するなど、大きな勢力であった。90頁
・ソグド人は、ブハラ・サマルカンドなどのオアシスに住むイラン系の民族で商業活動に優れ、突厥・ウイグルなど遊牧国家の領内に植民集落をつくったのみならず、隋・唐の領内にも進出して中継貿易を行い、ユーラシアの東西を結ぶ交易ネットワークを構築した。155頁
中国の文化に与えた影響
実教
・西方との交流がさかんになると、ゾロアスター教、マニ教、ネストリウス派キリスト教、イスラームなどの世界宗教も伝来した。95頁
・生活面では前代に西方から伝わった椅子とテーブルが、唐代には中国の生活に根付いた。また北方民族の騎馬の風習がひろまり、男性だけでなく女性も馬にのるようになった。遊戯では、ペルシア伝来のポロも貴族の間で流行した。 95頁
帝国
・新たにササン朝文化をはじめとする西方文化が流入・融合したのが隋唐の文化である。 「融合」の注で伝来した4宗教について言及 67頁
東書
・中国で祆教と呼ばれたゾロアスター教は、中国人には広まらなかったが、唐の首都長安やソグド人の集落には祆教寺院があった。ソグド人の音楽や芸能は、北朝や隋唐の皇帝・貴族を魅了し、唐を代表する都市文化の一つとなった。ソグド文字は突厥やウイグルに広まり、ウイグルではソグド文字を基にしてウイグル文字が作られ、のちにモンゴル文字や満州文字へと発展した。101頁
山川
・ソグド人がもたらしたアラム系文字を基にウイグル文字が作られ、それはのちにモンゴル文字や満州文字の原型となった 155頁
長安には(中略)ネストリウス派、ゾロアスター協、マニ教の寺院もつくられた。とくにササン朝の滅亡時には多くのイラン人が長安に移住し、ポロ競技などイラン系風俗が流行した。イラン系風俗の流行は当時の絵画や唐三彩の陶器にも反映されている。89頁
解答例
6世紀に突厥がユーラシア東部に大帝国を作り、東では北周・北斉を服属させ、西ではエフタルを滅ぼした。ソグディアナのイラン系オアシス民のソグド人はユーラシア各地に居留地を設け、遊牧民の保護のもとユーラシア東西を結ぶ交易活動を展開した。突厥はソグド人を貿易や外交に重用し、ソグド文字の影響を受けて突厥文字を作った。7世紀に唐は東突厥、西突厥を服属させてユーラシア中央部を支配下におさめた。ソグド人は引き続き東西交易で活躍し、騎馬軍団として唐の軍事力を支えた。ソグド人の音楽や芸能は唐を代表する都市文化の一つとなり、また景教・祆教・マニ教、ポロ競技といったイランの風俗はソグド人の交易活動の下で中国に伝わった。300字
解説
京都大学の出題意図は次の通りです。
中央アジア出身のイラン系のオアシス民であるソグド人はユーラシア東西を結ぶ交易ネットワークを構築し、文化交流を促進するなどユーラシア史に大きな足跡を残した。この出題は近代以前におけるユーラシア大陸広域間の人間集団の移動・交流に焦点を当て、それがある地域の文化の伝播・形成に及ぼした影響を問う問題で、複数文化圏のつながりのなかで世界史を考えることの重要性に注意を喚起する狙いをもつ。
最近の第Ⅰ問は「匈奴」「マンチュリア」など漢大陸周辺地域の時代的展開を問うものでしたが、今回は「ヨコのつながりも楽しんで!」という「注意喚起」だそうです。次も似たような主題が来るってこと?
ヨコのつながりを問う出題は大阪大学(ソグド人の問題も既出)や東京大学の過去問に多いです。他大学の過去問に取り組み、最初は教科書を調べながら「あ、こことここがつながっている」ということを意識して知識を増やしましょう。
発展1
山川出版社の『新世界史』にはソグド人のコラムがあります。
中国の人々からはソグド人はお金持ちというイメージで、中国の史書にサマルカンドの風俗として「子供がうまれれば氷砂糖を口に含ませ、手のひらに膠をおく。成長してから口がうまくなり、銭が膠にねばりつくように手の中に集まることを願うのである」だそうです。Σ(・ω・ノ)ノ!
唐三彩にも豊かな様子の胡人の像がありますし、有力者の副葬品からはソグド人のおしゃれな様子がうかがい知れます。
胡人俑。ヒョウ柄パンツがクール。
これ
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発展2
今回は「6、7世紀」というスパンなので8世紀のウイグルは省きます。ウイグルもソグド人を交易・外交・軍事に利用し、マニ教を受容しました。
また安史の乱の首謀者である安禄山はサマルカンド出身で、ソグド人の父と突厥の母の間に生まれました。
中国に入ったソグド人は出身のオアシスに由来する名を名のりました。安禄山はもとは父方の康(サマルカンド出身)姓を名乗っていましたが、のちに母親の再婚相手の安(ブハラ出身)姓を名のりました。
安禄山は貿易関係の業務で唐王朝に仕えて頭角を現し、三つの節度使を兼任するにいたります。(東京書籍 101頁のコラムより)。
今回は「安禄山は点にならなくても、ほかのソグド人も同じことしてたかも」と機転を利かせて、貿易と外交以外に「軍事力でも貢献した」がひねり出せるかが試されているといえます。
第Ⅲ問
課題
第二次世界大戦末期に実用化された核兵器は戦後の国際関係に大きな影響を与えてきた。1962年から1987年までの国際関係を、核兵器の製造・保有・配備、および核兵器をめぐる国際的な合意に言及しつつ、説明する。300字
解答の方針
時系列に書き出し 国際関係=国 核兵器=核
1962年 国:キューバ危機
1963年 核:部分的核実験禁止条約 米・英・ソ
→大気圏、宇宙、水中での核実験禁止(地下は対象外)
1968年 核:核拡散防止条約(NPT)米・英・ソ含む62カ国
国:デタント~多極化の時代
1972年 核:SALTⅠ(第1次戦略兵器制限交渉)
→ミサイル保有制限数
→SALTⅡ 核兵器の運搬手段の数量制限
1980年 国:レーガンのSDI構想 新冷戦
1987年 核:中距離核戦力(INF)全廃条約
1989年 国:冷戦終結宣言
解答例
1962年にソ連がキューバに核ミサイルを配備したことで国際的緊張が高まったが、翌年に部分的核実験禁止条約が米英ソ間で結ばれた。60年代後半にデタントが進む中、68年に核拡散防止条約が調印され、72年に米ソが第1次戦略兵器制限交渉に合意したが、多極化の中で核保有国のフランスと中国は部分的核実験禁止条約に参加せずインドが核の保有を宣言した。核兵器の運搬手段制限を意図した第2次戦略兵器制限交渉は79年のソ連のアフガニスタン侵攻で発効せず、アメリカがSDI構想を打ち出すなど米ソは再び核兵器開発に転じたが、80年代半ばにソ連のゴルバチョフが新思考外交を唱え、87年に米ソ間で中距離核戦力全廃条約が調印され冷戦が解消に向かった。300字
補足
トランプ大統領がINF全廃条約をやめると言ったので直前に核開発についてまとめました。いわゆる「ズバリ的中」!?
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京都大学の出題意図は次の通り
近現代における国家間の対立は大量破壊兵器の開発を促し、大量破壊兵器の拡散は世界に多大な政治的・社会的・文化的影響を及ぼしている。本問ではキューバ危機を戦後国際関係の大きな転換点の一つととらえ、中距離核戦力全廃の合意を核兵器に関わる国際的な動向の一応の区切りとみなした。記述においては、核兵器に関わる重要な諸事象の内容を把握していること冷戦構造の変化の流れの中にそれらを位置づける能力が問われる。
テーマについて、歴史的な流れの中に位置づけながら事項を取捨選択して叙述する、という京都大学の典型問題。出題意図は予想通り。
戦後史をちゃんとやってあるor「政治・経済」の国際政治のところを戦後史の時間と思って学習していれば難しくない問題。
まとめ
「教科書でバラバラに記述されていることを、テーマにもとづいて拾い集める」は合格するのが難しい国立大学の大論述の典型です。
これは普段の授業から「これ前どこかで出てたっけ」「これのひとつ前ってどんな話だっけ」と、常に戻って芋づるで学習する、という習慣が求められます。
京都大学の場合、2題のうち一方はヨコ(比較・つながり)、もう一方はタテ(変遷)で論述するようになっています。中島みゆき?
またここ5年は第Ⅰ問が周辺地域へのまなざしなど最近の歴史学の傾向でやや難しく、第Ⅲ問が高校世界史の定番で点を取らせる、という構成です。
- 2020年 ソグド人 核兵器と冷戦
- 2019年 マンチュリア 16~18Cのヨーロッパのインド亜大陸進出
- 2018年 オスマン帝国とトルコ共和国の国家統合 十字軍運動
- 2017年 匈奴 1980年代のソ連、東欧諸国、中国、ベトナム
- 2016年 トルコ系のイスラーム化 啓蒙思想とイギリス、プロイセン
「ヨコのつながり」も楽しんでほしいそうなので、次に示す部分を資料集や教材を使っておさらいしておきましょう。
- 2世紀 8世紀 13世紀の「世界帝国」の時代
- 5世紀 10世紀 12世紀の群雄割拠の時代
- 14世紀、17世紀の地球滅亡寸前の時代
- 16世紀 18世紀 19世紀の「世界の一体化」の時代
- 20世紀 戦間期 冷戦のヨーロッパ 被支配地域の民族運動と独立
リンク集
年号語呂合わせと〇〇世紀はどんな時代化をイメージするならこれ
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過去の出題リンク集