私の生活エリアは「忍者の里」として有名ですが、三重大学が古文書等の研究を進める中で忍者の実態が掘り起こされ、メディアで描かれる忍者とは大きくかけ離れていることがわかってきました。
理由は明白です。私たちが忍者に願望(特殊能力を駆使するヒーロー)や、商業的な戦略(カラフルな忍者服)を投影するからです。
その辺の事情を映画史・時代劇研究家の春日太一さんがお話していただけると聞いたので、三重大学伊賀サテライト伊賀連携フィールドが入居しているハイトピア伊賀に行きました。
「講演の内容をブログにしていいですか?」とお尋ねしたところ、かまわないとのことでしたので、様子を伝えます。
箇条書きが講演の概要、*は私の突っ込みです。
春日さんの新刊
講演の概要
はじめに
- メディアで描かれる忍者は史実の忍者とことごとく違っている。
- 忍者は諜報活動が主な任務、野良着にほっかむりの装束が多い。手裏剣は使わない(鉄は貴重品)。「抜け忍」も『カムイ伝』の作者の創作とのこと。
- メディアで描かれる忍者は時代ごとに違う。制作されたその時代の「今」が盛り込まれる。
- 時代劇は史実を再現する劇ではなくファンタジー。「こんな時代があってこんな活躍をする人がいたらいい」という現代の視点から描かれている。
- 忍者は秘密の活動をする謎の多い存在であるが故に、その折々の願望が盛り込める、ファンタジーの中核となる存在である。
忍者映画のはじまり
*『仮面の忍者赤影』第1部にガマガエルを操る術士が登場します。
忍者小説
- 1960年代に忍者は大人向けのキャラクターとして描かれるようになるが、それは忍者小説のヒットを背景にしている。
- この頃の映画の作り手は戦中世代で、戦前と戦後で社会が180度転換したことを目の当たりにし、安保闘争もあって、国家や体制に対する不信感から単純なヒーローを描くことに違和感を覚えていた。
- 1960年代の小説やマンガは忍者を「組織や権力に翻弄される人々」として描いた。
*『忍法帖』では伊賀と甲賀が10対10で対決し、次々死んでいきます。『魁!男塾』の展開です。
*1960年代はアメリカでベトナム反戦運動が公民権運動や女性解放運動と結びつき、フランス(五月危機、ド=ゴールが退陣)や日本でも学生運動が高揚する(「カムイ伝」は『ガロ』に連載)など、既存の権力に対する「異議申し立て」が噴出した時代でした。
なお「忍びの者」は『しんぶん赤旗』が初出です。
「忍者時代劇」
- 同時期に『ナバロンの要塞』(1961年)『007』(1962年)などスパイ映画がヒットしたことに刺激されて、忍者を主役とした日本版スパイアクション映画が企画された。
- 『忍びの者』(大映 1962年)で、忍者の衣装として没個性で組織の歯車を暗示する「黒装束」が採用された。
- テレビ時代劇の『隠密剣士』(1962年)には忍者が敵役として登場する。没個性で集団で襲ってくる忍者は以後敵役の定番となり、「ヒーロー対悪の組織とその戦闘員」という「特撮ヒーローもの」に受け継がれる。
「忍者もの時代劇」の完成と衰退
- 『真田風雲録』(1963年)には戦う女忍者が登場する。霧隠才蔵は実は女という設定で、女忍者のホットパンツ、網タイツ、ポニーテールという装束は「くノ一」スタイルとして定着する(千田是也のアイデアらしい)。
- 『くノ一忍法』(1964年)では女忍者が主役となり、性的な秘術を使う。お色気は『水戸黄門』のお銀やVシネマに受け継がれる。
* 「忍者もの」は『子連れ狼』から『影の軍団』にかけて、権力闘争を主題にサスペンスやアクションに人情を交えたエンターテイメントに成長します。
*1980年代には忍者は『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』で主君のために諜報や戦闘を担う「お庭番」として活躍します。吉宗にかかっていくと峰打ちなのに「お庭番」には斬られます。
- 『鬼平犯科帳』(1989年)は江戸の人情や風情を中心に描き、大きなアクションや政治抗争はあまり描かれなくなる。
- この頃から時代劇の「ミニマム化」が始まり、同時にテレビ時代劇そのものが縮小する。
- 2000年代になると『RED SHADOW 赤影』(01年)『SHINOBI -UNDER THE HEART-』(05年)『GOEMON』(09年)など、MV出身の監督が現代的なビジュアルで「忍者もの」をリメイクするが、興行的に成功したとは言い難い。
感想
身体の大半がアニメと特撮でできている(笑)私は、「忍者がその時代のアイコンとして機能していた」と直感していましたが、今回その辺を具体例を交えて体系的にお話ししていただけたので、すっきりしました。
忍者が子ども向けのヒーローから反体制の象徴、和風エンターテイメントのアクターと変貌していく中で、黒装束や手裏剣など「忍者スタイル」が創作されます。
しかし時代劇は基本「勧善懲悪」です。一方私たちは何が善で何が悪か判別しづらい時代を生きています。時代劇はめっきり減りましたが、時代劇を通じて「今」を表現することは難しくなっていることは確かです。
その点マンガやアニメの忍者は「戦いと友情」(『少年ジャンプ』の価値観)に絞って描かれています。この「割り切り」が成功につながっています。
東映の「特撮ヒーローもの」も「忍者もの」の正統な後継者です。
また「子どもの頃に見て楽しかったものを、クリエーターになった今、映像技術を駆使してリメイクしたい」という動機で制作された作品は、個人の印象ですが「忍者を使って何を伝えたいか」が不明瞭で、興行的にもイマイチのようです。
*『GOEMON』の監督の前作『CASSHERN』が、NHKBSの『新造人間キャシャーン』の特番で、会場のファンが口々にキャシャーンの魅力を語る(しかも作品の本質を言い当てている)中、気の毒なぐらいディスられていました。私も同感でしたが(笑)。
最近、中間管理職の悲哀を時代劇に託す映画も制作されています。
忍者の実態の掘り起こしが進む現在、私たちの違和感を新しい忍者像を通じて巧みに描く作品が発表される日も近いかもしれません。
でも興行的にはアクションとお色気か…。
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bunbunshinrosaijki.hatenablog.com