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ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

「忍者」と「忍び」について考える

 私の生活エリアは「忍者の里」として有名で、行政も忍者を「町おこし」の中心に据えています。

    観光客への忍者衣装の貸し出し、忍者のラッピング電車、忍者アクション部隊や忍者のゆるキャラもいます。2月22日に「忍者市宣言」をしていました(にんにんにん?)。春の週末には「NINJAフェスタ」と題して各種催しものが行われます。

 

こんな感じ(著者撮影) この車両はすでに廃車になりました。

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 しかし忍者がマンガのヒーローや観光資源になると、歴史上の忍者と乖離してしまい、イメージの忍者の方が本物のように思えてしまいます。

 

*補足:忍者といえば黒装束ですが、真っ昼間にその格好でうろうろしていたら目立ってしょうがないですし、貸し出し衣装にはピンクもあるし犬用もあります!

 

 先日三重大学人文学部山田雄司先生の「忍者の世界」という講演に参加しました。「ブログにあげてもいいですか」と伺ったところ快諾をいただきましたので、その様子を記します。

 

 

講演の内容

 

 忍者に関する本はたくさんありますが、根拠がないものが多いです。大学の研究は原典を示す必要があります。私は古文書を元に忍者の実像を調査しています。

 

 「忍者もの」と呼ばれるジャンルは江戸時代からあります。戦後だと司馬遼太郎の『梟の城』(1958年)、最近では『NARUTO』(1999年)が有名です。

 「忍者もの」はその時代を反映しています。『梟の城』では忍者は社会から阻害されている人として描かれます。

    アメリカで忍者=ninjaが広まったきっかけは『燃えよNINJA』 (“ Enter the Ninja” 1981年 主演はケイン・コスギの父ショー・コスギ)のヒットですが、元ネタはブルース・リーの『燃えよドラゴン』(“Enter the Dragon” 1973年)で、忍者はアクションヒーローとして描かれます。

 

 しかし古文書を調べていくと、忍術は現在の格闘的なイメージとは違って「生きるための術」だということがわかります。

 

 「忍者(にんじゃ)」という語が定着するのは昭和30年代頃で、江戸時代では「忍者(しのびのもの)」と呼ばれていました。それ以前は「忍び」「乱波(らっぱ)」「透波(すっぱ)」「草」「かまり」などと呼ばれていました。

 忍者の主な活動は時代によって職務は異なりますが、戦闘ではなく情報収集が中心で、「職業」として認知されていました。

 17世紀初頭に刊行された『日葡辞書』(宣教師用に日本語をポルトガル語で解説)では、“Xinobi”.(シノビ)は「戦争の際に人目を忍んで敵陣に潜入する間諜」と説明されています。

 14世紀の『太平記』には(巻第二十「八幡宮炎上の事」)「逸物の忍び」が石清水八幡宮に火をかけたと記録されています。

 

 「忍び」を職業とする人は伊賀から甲賀一帯に多く住んでいました。映画では対立しているように描かれる両者ですが、実際には通婚の形跡もあります。

 この地域が選ばれた理由は、京都から適度に離れていて周囲を山に囲まれているので秘密が守りやすい、領主の力が弱く、国人・土豪の力が強い、が考えられます。

 現在でもこの地域には多くの砦や石垣や壕を持つ館の跡が残っています。「伊賀惣国一揆」「甲賀郡中惣」といった自治組織を形成し、掟をつくって連帯していました。

 

 15世紀には第9代将軍足利義尚が近江六角高頼を責めた際、甲賀衆はゲリラ戦で抵抗し、16世紀後半の天正伊賀の乱では織田軍を悩ませました。また本能寺の変後に堺から地元に戻る徳川家康を伊賀者・甲賀者が護衛したことは有名です。

 これがきっかけで伊賀者(衆)・甲賀者(衆)が知られるようになり、江戸城の警備も担いました。半蔵門服部半蔵(正成)に由来します。また諸大名も伊賀者や甲賀者を忍びとして重用したので両地域は「忍び」の供給地となりました。

 

 忍びに必要な資質が『軍法侍用集』(1618年)に記録されています。それによると、「第一、智ある人。第二、覚のよき人、第三、口のよき人」とあります。つまり城内に潜入してその様子を暗記したり、旅人や僧侶に変装して町の人々から情報を聞き出すなど、今風に言うと記憶力やコミュニケーション能力が必要とされました。

 『万川集海』(1676年)には、「忍び」は「音モナク嗅モナク智名モナク勇名モナシ、其功天地造化ノ如シ」と、名前も残さず大きなことをする人と書かれています。

 また「正心」といって、主君のために忠節を尽くし、自分の利益のために術を使ってはいけない、というのが、忍者の心得です。「忍」という字は「刃」の下に「心」を置きますが、どのような状況でも堪え忍ぶ心持ちが重要ということです。

 

 忍者の道具も敵の城に潜入するためのものが大半です。有名な「水蜘蛛」も足に付けたのではなく、浮き輪のようにして使ったと考えられます。

 「忍び」の術も同様で、記録によると手足の関節を自由自在に外して狭いところを楽々通過する術があったそうです。

 幕末には「忍び」が現在の津市へ赴き「観海流」という古泳法を習ったという記録があります。「黒船」に潜入するための訓練だったと思われます。

 

 職業である「忍び」はこうして様々な忍術を身につけて「忍び」と認められました。「忍び」の免許状や主君に使える際の「誓約書」が現存しています。

 

 忍術は知識の集合体で、宗教・兵法・心理学・生物学・医学・薬学・武術など「総合アート」です。また忍者は日本人のあり方をよくあらわす存在でもあります。堪え忍ぶことや、無名の技術者が作る高い技術のねじなどは、まさに「音モナク嗅モナク智名モナク勇名モナシ、其功天地造化ノ如シ」です。

 


感想

 

 私の身体の大半は漫画とアニメと特撮もので構成されているので(関節を外す術は『レインボーマン』の「蛇変化の術」!)、過去の作品を振り返ると、私たちは時代の矛盾や「こうありたい」というイメージを忍者に投影してきたといえます。

 

 少年漫画の「忍者もの」の草分けは、貸本漫画の白土三平忍者武芸帳』(1959年)、少年サンデーの横山光輝伊賀の影丸』(1961年)です。

 

 前者は司馬遼太郎と同じくアウトローの世界を描きます。主人公はいわれのない差別を受け社会から追われます。さらに『カムイ伝』(1964年)は江戸時代を舞台に社会の矛盾や差別を正面から描き、反戦運動学生運動を背景に大きな支持を得ました。

 一方後者は「チャンバラもの」や「戦記物」(特にゼロ戦もの)と同じく(忍者の子孫がゼロ戦を操るという漫画もあります!)必殺技を繰り出して敵と戦いを繰り広げます。

 

 夏目房之介さんが『マンガと戦争』(1997年)ですでに指摘していますが、戦後まだアメリカの物量の前に敗北した経験が生々しい中、不利な状況下で少年主人公が必殺技で敵を倒すモチーフが少年漫画雑誌で繰り返し描かれます。

 「戦記物」はどうしても日本の敗北で終わりますが、「忍者もの」は歴史上の人物を借りて多少リアリティーを確保しながら無限に話を作ることができます。忍者ものは後の少年漫画雑誌のメインコンテンツとなるスポーツもの、SFアクションヒーローものの原点といえます。

 

 小熊英二さんは『民主と愛国』(2002年)で戦後思想を「新しいナショナリズムの構築」という視点でとらえていますが、少年漫画に描かれる忍者も「権力からの自由」や「物量の不利を技術で補う」という戦後日本の新しいナショナリズムの「アイコン」かもしれません。

 山田先生が掘り起こした「忍び」の「音モナク嗅モナク智名モナク勇名モナシ、其功天地造化ノ如シ」も、NHKの『プロジェクトX』と同じく「技術立国」という戦後日本のアイデンティティに通じるものがあります。

 

*補足 おそらく『忍者ハットリくん』は核家族、『忍たま乱太郎』はコミュニティーとしての学校、『あずみ』は戦う女性の表象でしょう。忍者は常にその時代のあり方を示す「アイコン」として生き続けています。ちゃんと研究したら面白そうです。

 

*補足 話は忍者から外れますが、戦記物から派生した『サブマリン707』(1963年)や『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)は「外から借りた技術をアレンジし、使いこなして国益ではなく人類の平和のために戦う」という出口を見つけました。

 また『沈黙の艦隊』(1988年)では米軍と共同開発した原子力潜水艦が独立国家「やまと」と名乗り、卓越した操艦で米軍を出し抜き、常設国連軍を提案します。まさに戦後ナショナリズムの総決算のような作品です。


 こうして「忍者」は「忍び」以上のポピュラーな存在になりました。

    そこでひとつ気になったことがあります。

 

 最近「町おこし」で萌えキャラを使用する自治体が増えましたが、私の生活圏のくノ一萌えキャラには何の異論もありませんでしたが(個人的には赤の忍者服はどうかと)、同じ人が監修した海女の萌えキャラには地元から反対が起こりました(画像は検索してください)。

 海女は現地の人にとってリアルな存在であり、萌えキャラが実態に即していないからです。一方私の町には本物の忍者はいないので、忍者は完全に表象と化しています。

 

*補足 ちなみに私は歴史に名を残す「忍び」の直系子孫を担任したことがあります。実家には江戸時代の武具などがありますが、もちろん職業は忍者ではありません(笑)。

 

 忍者の故郷に住む私たちは「表象としての忍者」を観光資源としています(現代文の評論風に言うと「消費」している)。古文書に基づく「忍び」の実像より、激しいアクションやカラフルな忍者コスチュームの方が好まれて当然と思います。

 私はそれに目くじらを立てる気は毛頭ありません。表象だからこそ忍者は時代を超えた「アイコン」たり得ますから、観光客の方には存分に忍者を楽しんでもらえればと思います(忍者電車もどんどん乗って欲しいです。赤字なので(泣))。

 

 ただ地元民は史実としての「忍び」と、「忍者が日本や世界の文化の中でどう語られてきたのか」をちゃんと分けて外部の人に説明できるようにはしたいです。

 

 そういう私も今回講演を聴いて初めて知ったことも多いので、三重大学でちゃんと勉強したいと思いました。

    山田先生、ありがとうございました。