はじめに
今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
今回は京都大学です。Ⅰ・Ⅲが論述で計40点、Ⅱ・Ⅳが一問一答(小論述含む)で計60点の構成です。新課程初年度はⅣに新傾向問題が登場しました。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。著作権法の範囲内(考察が主で問題が従)で問題文を引用しています。
*解答例作成の方針
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベースより(要会員登録)
一問一答の難易度
◎:即答 ○:たぶん正解できる
△:合否崖っぷち問題。やや難しいが正解したい。
▲:かなり難しい ×:ドボン(満点防止問題)
一問一答の出題パターン
ま:判別が紛らわしいもの
や:書くのがややこしいもの
こ:事項の細かいいつどこだれ
り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する
ぜ:有名な事項のあとひとつ
ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム
て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件
ク:他教科クロスオーバー
グ:グローバルもの
地:地理的知識
目次
過去23年分の大論述(すべて300字)
| 年度 | 問 | 枝 | 課題 | 地域 | 時代 | タイプ |
| 2003 | Ⅰ | 宋・明・清の皇帝独裁制強化と政治制度の改変について | 東アジア | 前近代 | 変遷 | |
| 2003 | Ⅲ | 第一次大戦前後のインドとエジプトに対するイギリスの政策、第二次世界大戦後を踏まえて | ヨーロッパ | 20世紀 | 変遷 | |
| 2004 | Ⅰ | 非アラブ軍事国家であるセルジューク朝・モンゴル帝国・オスマン朝のイスラームに対する姿勢や対応のあり方 | 西アジア | 前近代 | 比較 | |
| 2004 | Ⅲ | 4世紀のローマ帝国がヨーロッパ中世世界形成に重要な意義を有した事象。特に政治と宗教 | ギリシア・ローマ | 古代 | 説明 | |
| 2005 | Ⅰ | 辛亥革命から日中戦争までの日本と中国の関係 | 東アジア | 20世紀 | 変遷 | |
| 2005 | Ⅲ | 七年戦争からナポレオン帝国の崩壊にいたる時期のイギリスとフランスの関係の変化 | ヨーロッパ | 近代 | 変遷 | |
| 2006 | Ⅰ | 1910~50年代、旧オスマン領中東地域の英仏による植民地化と諸国独立・勢力離脱の経緯 | 西アジア | 20世紀 | 変遷 | |
| 2006 | Ⅲ | 4~8世紀、地中海世界の統一・分裂を中心とした地中海域での政治的変化について | グローバル | 中世 | 変遷 | |
| 2007 | Ⅰ | 前2~16世紀の中国王朝がとった対北方民族の懐柔策・外交政策 | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
| 2007 | Ⅲ | 1960年代に世界各地でおきた多極化の諸相 | グローバル | 戦後 | 比較 | |
| 2008 | Ⅰ | 宋以降の士大夫層の新しさを前代指導層と比較、土地制・学術にも言及して | 東アジア | 前近代 | 比較 | |
| 2008 | Ⅲ | 前6世紀末から1世紀間におけるアテネ民主政の歴史的展開 | ギリシア・ローマ | 古代 | 変遷 | |
| 2009 | Ⅰ | インドの民族運動でのヒンドゥー・イスラム教徒の関係・立場と英の政策 | 南アジア | 20世紀 | 変遷 | |
| 2009 | Ⅲ | 新大陸発見が引き起こした新・旧両大陸での直接的変化 | グローバル | 近代 | 説明 | |
| 2010 | Ⅰ | 結成から中華人民共和国成立までの中国共産党について 国民党との関係を含めて | 東アジア | 20世紀 | 変遷 | |
| 2010 | Ⅲ | 古代ギリシア・ローマと中世の軍事制度の特徴と変化(政治・社会的背景・影響も) | ギリシア・ローマ | 古代・中世 | 比較 | |
| 2011 | Ⅰ | 4~12世紀にかけての江南開発の過程 | 東アジア | 前近代 | 変遷 | |
| 2011 | Ⅲ | 1920年代のアメリカが形成した政治的・経済的国際秩序について ヨーロッパと中国 | グローバル | 20世紀 | 変遷 | |
| 2012 | Ⅰ | 魏晋南北朝時代の仏教・道教の発展と政治、経済、社会への影響 . | 東アジア | 前近代 | 説明 | |
| 2012 | Ⅲ | 南北アメリカの独立運動と独立後の支配体制の特徴 | アメリカ | 近代 | 比較 | |
| 2013 | Ⅰ | ウンマの形成と正統カリフ時代のウンマの重大な変化 | 西アジア | 前近代 | 変遷 | |
| 2013 | Ⅲ | 19世紀のロシアとフランスの関係 | ヨーロッパ | 近代 | 変遷 | |
| 2014 | Ⅰ | 科挙制度の変遷 政治、社会、文化的側面から | 東アジア | ぶち抜き | 変遷 | |
| 2014 | Ⅲ | 戦後のドイツ史 冷戦の動きと絡めて | ヨーロッパ | 戦後 | 変遷 | |
| 2015 | Ⅰ | 19~20世紀初頭までの中国と列強の4度の戦争と利権の承認 | 東アジア | 近代 | 変遷 | |
| 2015 | Ⅲ | 前3~前1世紀のローマ国家の軍制と政治体制の変化 | ギリシア・ローマ | 古代 | 変遷 | |
| 2016 | Ⅰ | 8~12世紀のトルコ人の活動と各地への影響 | 中央・西アジア | 前近代 | 変遷 | |
| 2016 | Ⅲ | 啓蒙主義思想がイギリスとプロイセンに与えた影響の比較 | ヨーロッパ | 近代 | 比較 | |
| 2017 | Ⅰ | 前3世紀から後4世紀初頭の匈奴について、中国との関係を中心に | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
| 2017 | Ⅲ | 1980年代のソ連・東欧・中国・ベトナムの経済体制および政治体制の動向、類似点、相違点に着目して | ヨーロッパ | 戦後 | 比較 | |
| 2018 | Ⅰ | ミドハト=パシャ~ムスタファケマルまでのオスマン帝国、トルコ共和国の国家統合の変遷 | 西アジア | 近代 | 変遷 | |
| 2018 | Ⅲ | 十字軍運動の性格の変化と政治・宗教・経済への影響 | ヨーロッパ | 中世 | 説明 | |
| 2019 | Ⅰ | 4世紀から17世紀前半におけるマンチュリアの歴史、諸民族・国家の興亡を中心に 周辺地域の支配と被支配 | 東アジア | 前近代 | 変遷 | |
| 2019 | Ⅲ | 16世紀から18世紀におけるインドア大陸へのヨーロッパ諸国の進出の過程。交易品と勢力争いと関連づけて | ヨーロッパ | 近代 | 変遷 | |
| 2020 | Ⅰ | 6~7世紀に中央ユーラシアを支配した勢力とイラン系民族との関係 | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
| 2020 | Ⅲ | 1962年から1987年までの国際関係を説明、核兵器の製造・保有・配備、核兵器をめぐる国際的な合意に言及しつつ | ヨーロッパ | 戦後 | 変遷 | |
| 2021 | Ⅰ | 16~18世紀の中国におけるヨーロッパ宣教師の来訪の背景と彼らの中国での活動と影響 | 東アジア | 前近代 | 説明 | |
| 2021 | Ⅲ | 1871年のドイツ統一への過程。プロイセンとオーストリアに着目。1815年の起点にして | ヨーロッパ | 19世紀 | 変遷 | |
| 2022 | Ⅰ | 15~16世紀のマラッカ王国の歴史。外部勢力との政治的経済的関係、周辺地域のイスラーム化に与えた影響に言及 | 東南アジア | 前近代 | 説明 | |
| 2022 | Ⅲ | 民主政アテネと共和政ローマの違い。前者はペルシア戦争後、後者は前4~前3世紀を対象に、国政を担った機関と構成員の実態。 | ギリシア・ローマ | 古代 | 比較 | |
| 2023 | Ⅰ | 5世紀~12世紀のモンゴリアの歴史。遊牧国家の興亡を中心に | 中央ユーラシア | 前近代 | 変遷 | |
| 2023 | Ⅲ | アンダルスの形成と消滅の歴史。宗教的状況の変化および文化の移転 | ヨーロッパ | 前近代 | 変遷 | |
| 2024 | Ⅰ | 16世紀末から19世紀末にいたる朝鮮と中国の関係について | 東アジア | ぶち抜き | 変遷 | |
| 2024 | Ⅲ | キリスト教世界がローマ=カトリック教会とギリシア正教会に分裂していく過程について、8世紀に力点を置いて、教皇領の形成と関連付けながら | ヨーロッパ | 前近代 | 変遷 | |
| 2025 | Ⅰ | 15世紀中ごろから17世紀末に至る、オスマン帝国とヨーロッパの諸勢力との抗争 | 西アジア | 前近代 | 変遷 | |
| 2025 | Ⅲ | アジア産商品とラテンアメリカ産商品の対比、16世紀~18世紀のスペインのラテンアメリカ植民地経営の特徴と変遷 | アメリカ | 近代 | 比較と変遷 |
コメント
京都大学の論述2題はアジアかヨーロッパ、前近代か近現代の「バーター」(例えば中国の前近代史とヨーロッパの近現代史)になっています。今年は両方とも今話題の「近世」からの出題です。
ここ数年アジア史パートは中国史のど真ん中ではなく、境界地域と関係性を問う出題がされています。今年は2題ともヨーロッパの境界地域からの出題です。
Ⅰ
設問
15世紀中ごろから17世紀末に至るオスマン帝国とヨーロッパの諸勢力との抗争と、それによるオスマン帝国の支配領域の変化。2度のウィーン包囲とその帰結に必ず言及。300字
解答に向けてメモ
- 14世紀末 バヤジット1世はニコポリスの戦いでヨーロッパ諸国連合軍に勝利し、バルカン半島のほとんどを支配下に置く。
- 15世紀中ごろ 1453年にメフメト2世がコンスタンティノープルを占領してビザンツ帝国を滅亡させる
- 16世紀前半 スレイマン1世が1526年にモハーチの戦いでハンガリーを属国とし、1529年にはウィーンを包囲するが戦力が整わず最終的に撤退する。1538年にはプレヴェザの海戦でヴェネツィア、ローマ教皇の艦隊を撃破し、北アフリカ沿岸にかけての地中海の制海権を手中にする
- 16世紀後半 1571年のレパントの海戦でスペインに敗北するが、東地中海での優位は揺らがなかった
- 17世紀前半 領土拡大がとまるがヨーロッパにとってオスマン帝国は脅威でありつづけた
- 17世紀後半 オスマン帝国は第二次ウィーン包囲を行うがオーストリアやヨーロッパ諸国連合軍に敗北する
- 17世紀末 1699年のカルロヴィッツ条約でオスマン英国はハンガリーとトランシルヴァニアを失う
解答例
すでにバルカン半島を押さえていたオスマン帝国は1453年にコンスタンティノープルを攻略してビザンツ帝国を滅ぼしその支配を確実にした。また黒海に進出しクリム=ハン国を属国とした。スレイマン1世はフランスと結んでハプスブルク家と対抗し、1526年にハンガリーを征服し、1529年にウィーンを包囲したが撤退した。また地中海ではスペイン、ヴェネツィア艦隊をプレヴェザの海戦で破って制海権を得、彼の死後レパントの海戦に敗北したが東地中海での優位は揺るがなかった。17世紀になると領土拡大は止まり、1683年の第二次ウィーン包囲はヨーロッパ諸国連合軍の前に失敗し、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーとトランシルヴァニアを失った。300字
解答のポイント
私立のリード文穴埋め問題の定番。15世紀半ば=1453年=コンスタンティノープル占領、17世紀末=1699年=カルロヴィッツ条約の間の出来事のうちヨーロッパとの抗争と領土の変更について書けば300字に収まる。
解答例は大阪大学で出たクリム=ハン国もウラル山脈の西=ヨーロッパなので字数を整えるために入れてみた。ぼやかして「黒海沿岸を支配下に置いた」でも可。
第一次ウィーン包囲の様子を描いた16世紀の版画。パブリックドメイン。

『角川まんが学習シリーズ世界の歴史』ではハプスブルク家にヨーロッパ勢が加勢してオスマン帝国を打ち破る話が出てくる。
あらいつの間にか別巻2冊がついたのね。
休憩
18世紀になるとオスマン帝国はまだ勢力を保つもののヨーロッパやロシアなどに対して融和的になり、トルコ風の音楽はヨーロッパで大流行することになります。モーツァルトの「トルコ行進曲」はそうした中で生まれました。
youtubeより
Ⅱ
A
空欄
a 大運河◎ b クビライ(フビライ)◎
(1) 燕〇地図
(2) 東突厥○り
(3) 節度使◎
(4) ゾロアスター教◎
(5) 塩◎
(6) 燕雲十六州◎
(7) 開封(汴州)◎
(8) 千戸制△こ
(9) 『世界の記述』◎
(10) 黒死病◎
(11) (ア) ティムール朝(ヘラートから永楽帝に使節を派遣した国))△り
(イ) 鄭和◎
(12) 呉三桂◎
解答のポイント
(8)、遊牧民は匈奴以来十進法の集団を作る。金の「猛安」=ミンガンは女真語で「千」のこと。明の里甲制もそれを真似ている。
(11)ア、「ヘラート」から「ティムール朝」即答だが(サマルカンドとヘラートに分かれて抗争した)、永楽帝(ティムールがその遠征途上で死去。アンカラの戦いと靖難の役は同じ1402年)からでも判断できる。
昨年啓隆社さんから地図をお借りして、中央アジアの都市を特集していました。Pがヘラート、Rがブハラ、Sがサマルカンド。

B
空欄
c アロー(戦争)◎ d 遼東(半島)◎ e スターリン◎
(13) ウラジヴォストーク◎
(14) 曾国藩◎
(15) 戊戌の変法○や
(16) 科挙◎
(17) 魯迅◎
(18) 汪兆銘○て
(19) 銀○り
(20) 西安事件◎
(21) ヤルタ協定○り
(23) インド○り
解答のポイント
漢字の書き取りは曾国藩、戊戌の変法、汪兆銘が緊張する試験会場だと一瞬迷うぐらいで、全クリ可能。
(22)(23)は年号問題。(22)史料アは1950年から「中ソ友好同盟相互援助条約」。史料イは1972年から「ニクソンの中国訪問」。それぞれの決め事から仮想敵を答える。(23)は1959年から中印国境紛争。。
北京空港到着したニクソン大統領を周恩来国務院総理が出迎える。アメリカの公務員が撮影した写真なのでパブリックドメイン。

Ⅲ
設問
アジア産商品とラテンアメリカ産商品を具体的に対比した上で、16世紀から18世紀に至るスペインのラテンアメリカ植民地経営の特徴とその変遷を、労働力の供給源の変化に留意しながら説明する 300字
リード文のヒント
アジア産の商品はヨーロッパ人をヨーロッパの外部世界へといざなった。ポルトガルに対抗しようとしたスペインは、西回りでアジアを目指したが、結果的にアメリカ大陸を「発見」し、そこに植民地を建設した。
解答に向けてメモ
アジア産商品 香辛料、宝石、絹織物、陶磁器
- インド洋~南シナ海の海域で生産され、複数の商人の手を経由して入手する
- ヨーロッパ人が来る前から交易ネットワークが構築されていて、ヨーロッパ人は時には武力を用いながらネットワークに参加した
ラテンアメリカ産商品 銀、さとう、コーヒー
- ヨーロッパ人が欲しいものを採掘したり、プランテーションを開発して生産する
- ヨーロッパ人が既存の権力を破壊して植民地化した
スペインのラテンアメリカ経営
- 16世紀:スペイン王室は征服者に先住民の保護とキリスト教化を条件に土地と先住民の支配を委託した(エンコミエンダ制度)。
- 先住民は大農園や鉱山で酷使され、植民者が持ち込んだ感染症で人口が激減した
- スペイン本国は先住民の奴隷化を禁止した代わりに、外国商人と契約して(アシエント)アフリカから黒人奴隷を輸入した
- スペインはサトウキビのプランテーションやポトシ銀山などの鉱山を開発した。新大陸の銀をアカプルコからマニラ運んで、中国の絹や陶磁器を入手した
- 17世紀になるとスペイン植民地ではアシエンダという大規模な土地所有にもとづく農園が広がり、先住民を債務奴隷化して労働力とし、農業や牧畜が営まれた。
- 17世紀からスペインは衰退し、18世紀のユトレヒト条約でアシエントはフランスからイギリスに移った
解答例
アジア産商品は香辛料、絹織物、陶磁器など各地の特産品を交易で入手する。他方ラテンアメリカ産商品は貴金属、砂糖、コーヒーなど植民者が生産し輸出する。16世紀にスペインは征服者に先住民の保護とキリスト教化を条件に先住民と土地の支配を委ねるエンコミエンダ制を導入し、彼らを労働力としてサトウキビのプランテーションや金、銀の鉱山を開発し、中国の絹や陶磁器を購入した。植民者が持ち込んだ伝染病で先住民の人口が激減すると外国商人と契約してアフリカから黒人奴隷を輸入した。17世紀にアシエンダと呼ばれる大土地所有農園が形成され、先住民の債務奴隷を労働力として農業や牧畜が営まれ、銀の生産が減少した17世紀後半に拡大した。300字
解答のポイント
「具体例を抽象化して他の地域や別の時代と比較する」という京都大学的世界史探究問題。京都大学は従来からどの教科でも「具体と抽象の出し入れ」を試すのが特徴だったが、それが可視化された印象。
まずアジア産商品とラテンアメリカ産商品を抽象化し、その上で後者の商品を生産するために採られた16世紀と17世紀の土地制度を比較する。
前半は「大航海時代」と「17~18世紀のヨーロッパの対外進出」の単元で習う内容。アジアとの交易と「新大陸」の交易の違いを、先行するインド洋海域の「大交易時代」を踏まえながら比較する。世界史教員の抽象的な話が記憶に残っているかが勝負の分かれ目。
後半は「エンコミエンダ」「アシエンダ」「アシエント」という私立大学で鉄板のややこしい用語の内容を正確に書けるかが正解の肝。高校生には厳しい。
解答例は社会経済史の記述が充実している実教出版の世界史探究に拠った、というかほぼベタ写し(インチキ)。「18世紀に至る」なので、アシエンダ制が17世紀後半から拡大したことで締めた。ユトレヒト条約(1713年)でアシエントがイギリスに移ったことを書こうと思ったが字数が足らない。

Ⅳ
A
空欄
a メソポタミア◎ b ナイル◎ c クレタ◎ d フランドル◎
(1) 同害復讐法◎
(2) 綿花○グ
(3) 僭主になる恐れのある者の名前を陶片に書いて投票し国外退去にする△り
(4) コロヌス◎
(5) ベネディクトゥス◎
(6) 国王の役人による荘園への立ち入りや課税を拒否する権利○り
(7) 領主直営地で働く賦役。農民保有地の収穫物を納める貢納。○り
(8) リューベック◎
(9) ドイツ騎士団(バルトか沿岸に拠点を築いて一帯を支配した修道会)△り
解答のポイント
(2)、産業革命で綿花需要が高まり、南北戦争でアメリカの綿花供給が滞ったのでエジプトやアラル海流域で綿花の生産が拡大したのは論述問題のマスト知識。
(9)、修道会??騎士団は修道会。バルト海がヒント。
B
(10) サルデーニャ王国◎
(12) ゴヤ○て
(13) フォークランド諸島の領有権○り
(14) 2つの史料から読み取れるチェロキー国憲法の特徴を3つ挙げる△り
アメリカ合衆国の方法を真似て憲法で権利を保障しようとしている
白人とチェロキーの成人男性を対等な市民とみなしている
女性や黒人を差別している
(15) アメリカ合衆国◎
(16) (ア) タバコ=ボイコット運動○て
(イ) 帝国の住民を宗教に関わらずオスマン臣民として法的な平等を保障する▲り
(ウ)憲法大綱◎
(17) ロシア ベラルーシ ウクライナ ザカフカースから2つ〇ゆ
(18) (ア) 19世紀から20世紀前半において、特に欧米の外側の世界で、多くの国や地域の人々が憲法を求めた(あるいは外来者が憲法を与えた)理由
憲法は権力者を規制して住民の近代的な権利を保障する性質を持つ。欧米の圧迫を受けた人々は憲法によってそれを排し独立を保とうと考えたから。
(イ) この時代にそれが可能となった技術面での条件
印刷技術の発達。汽船、鉄道、海底ケーブルなど交通・通信網の発達。
解答のポイント
(14)が資料を抽象化する探究問題。グージュの『女権宣言』と同じ構造で、チェロキー憲法は合衆国憲法(イギリスの外圧を排して植民地人の権利を守る)を剽窃していること、白人とチェロキーを対等な市民とする一方女性や黒人を差別していることを書いた。
(18)は共通テストの「探究スペシャル」で、ここまでの議論を抽象化する問題。
憲法は某国首相が言うように「国(権力者)の理想」ではなく、権力の濫用防止が目的である(公共で習う「立憲主義」)。もとはヨーロッパの思想だが、それがメディアやインフラを伝って世界中に広がり、圧迫を受けている側の武器になった。
イランのタバコ=ボイコット運動(電信を使ってボイコットを呼びかけた)や立憲革命の授業で胸熱になった人は書ける問題。
ぶんぶんは「立憲主義を理解していない人が代議士を務める国ってどんだけ~!」という京都大学の控え目な政治批判と受け取った。
まとめ
- 一問一答は各ブロック2ミス程度に抑えましょう。過去問だけでなく難関私立大学の問題(選択肢を見ない)に数多く当たりましょう
- 一問一答、論述とも授業で世界史の教員がする説明や小ネタがヒントになることが多いです。つまり「へぇー」と持った話が即座に記憶できる学生を京都大学は求めています。特に権力に抗った人や融和に努めた人の話は大事です。授業はギラギラしながら臨みましょう
- 論述は最近は周縁から歴史を見直すような出題が増加傾向です。京大の過去問だけでなく他の国立大学の論述や、難関私立大学の似た話題でリード文がしっかりしている問題にも取り組みましょう
- 京都大学は旧課程から受験生の「具体と抽象を出し入れする力」が合否をを分けるポイントです。普段の授業から「具体と抽象」を意識し、また身の回りの出来事を抽象化して授業で習ったことと比較・関連付けしましょう
