ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

客家と日本@国立民族学博物館2024

はじめに

 大阪府吹田市万博公園内にある国立民族学博物館みんぱく)本館企画展示場で開催中の創立50周年記念「客家と日本」を鑑賞してきました。

 写真OKとのことなので(一部NGあり)、展示物の紹介を交えながら客家について考えます。

 記事は会場のパネルの記述を参考にしています。

公式

www.minpaku.ac.jp

入り口

目次

1 客家とは?

 客家(はっか、ハッガー)とは漢大陸南部を中心に世界各地に居住する独自の言語や文化を維持する集団のことです。

 客家の祖先は漢大陸の「中原」(古代王朝が栄えたいわゆる「中国」)に居住していて、相次ぐ戦乱を逃れて山沿いに南下して大陸南部に移り住み、さらに世界各地へ広がりました。

 客家は政治、経済、文化、学術の世界に数多くの著名人を輩出しています。教科書に登場する人物としては、太平天国を率いた洪秀全、中国革命の父孫文、改革・開放政策の鄧小平、台湾初の民選大統領となった李登輝シンガポールの初代首相であるリー・クワン・ユーなどが客家にルーツを持ちます。

2 華南の客家

 現在でも広西、広東、福建の境界地域は客家の主要な居住地域です。彼らの一部は明清時代に東南アジアへ移住し、現地で交易や金融に従事しました。海外に移住し、現地に根付いた中国系の人々を華僑・華人と呼び、客家もその一系統をなします。また清代に人口が増加すると隣接地域への移住が進み、台湾にも客家が移り住みました。

展示より ○が客家の居住する地域で赤○は客家が人口の80%以上を占める地域

福建省永定県に見られる客家の特徴的な住居である円形土楼の模型

you tubeの動画


www.youtube.com

2 客家と日本の関わり

 19世紀後半になると広東省東部の客家が日本を訪れるようになります。中国人労働者の渡航アヘン戦争後(1842年)に始まり、1860年の北京条約で本格化する時期です。

 広東省梅州市は日本と深いかかわりを持っています。何如璋は1877年に初代駐日公使となり、彼とともに来日した黄道憲は日本の近代化や風俗習慣を記録した『日本国志』などを著し、中国の知識人たちに影響を与えました。

 福建省永定県も日本とかかわりが深い地域です。この地にルーツを持つ胡文虎はミャンマーに生まれてシンガポールや香港で実業家として活躍しました。彼が開発した「タイガーバーム」はかつては日本の家庭でよく使われていました。

3 台湾の客家

 日本は日清戦争に勝利し、下関条約で清から台湾を得ますが、客家など漢人系を主体とする一部住民が抵抗し、1895年に台湾民主国の独立を宣言しました(乙未戦争)。民主国はベトナム黒旗軍を率いてフランスを苦しめた客家出身の劉永を大将軍に迎えてゲリラ戦を展開しますが、日本の軍事力の前に敗北しました。

 初代台湾総督の樺山資紀劉永福の戦いを描いた画報(複製)。

 日本は台湾を植民地とすると様々な産業を導入しました。客家は台湾の原住民の隙間を縫うように平野部と山間部の間に定住し、米、茶、ミカン、タバコの栽培や樟脳を取るためクスノキを伐採していました。これに目をつけた日本はクスノキプランテーションを開発し、樟脳は茶やタバコと並んで台湾の主要な輸出品となりました。

茶と樟脳伐採許可証。樟脳はタバコと同じく専売制でした。

樟脳は現在でも防虫剤として広く使われています。

 日本は効率的に植民地経営を進めるためには客家の調査が必要と考え、彼らの言葉(日本は「広東語」と呼んだ)の研究を進めました。警察によって広東語の辞書が作成されていて、日本側の支配のあり方が垣間見えます。

 また1920年には台湾客家地域の地名が日本風に変更されました。さらに日本語が話せる住民の家には玄関先に「日本の家」という表札がつけられ、徴兵可能な男子がいる家には「壮丁団」という表札がつけられました。

 台湾で日本語教育が進むと1920年代に客家の日本への留学が増加しました。留学生の一人である丘念台は東京で「東寧学会」というサークルを作りました。東寧学会の活動自体は長続きしませんでしたが、戦後日本での客家団体の結成に影響を与えました。

 1930年代になると台湾客家の中から日本に移住するものが出始めます。一方産業促進のために台湾各地に官営の移民村が作られ、日本からの移住を受け入れました。花蓮市にある吉野村は徳島県吉野川近郊の出身者が多いためにその名がつけられました。彼らは周囲の客家を小作農にして茶、タバコ、ミカンを栽培しました。

客家が農耕時に着る藍杉(ランシャン)と涼帽(リャンマオ)

4 戦後日本と客家

 第二次世界大戦後も日本に移住する客家は絶えませんでした。彼らは客家団体を結成して親睦を図るようになり、現在は東京、名古屋、大阪、沖縄に「崇正会」と呼ばれる客家団体があります。

 最近は台湾客家のシンボルである花布や紙傘がチャイナタウンや台湾料理店で飾られることが多く、台湾料理店では客家料理(山間部ならではの山の幸や保存の効く塩分の強い食材を含む)が出されたり、客家のお茶である擂茶(れいちゃ 食べる茶)も日本で販売されています。

花布と紙傘

通販にありました。

ナショナルジオグラフィックの予告編に出てくる料理がおいしそうです。


www.youtube.com

  「日本で活躍する客家にルーツを持つ俳優」として紹介されていたのが、『サインはV』の「ジュン・サンダース」役で人気を博した故范文雀さん、その従妹で最近では『虎に翼』で認知症で壊れていく「百合さん」を熱演した余貴美子さんで、お二人ともぶんぶんのお気に入りです。

www2.nhk.or.jp

alpha-agency.com

おわりに

 ぶんぶんは歴史上の人物の何人かが客家にルーツを持つことは知っていましたが、客家が日本にこれほど縁がある(植民地支配という負の部分も含めて)とは知りませんでした。勉強になりました。

 紹介したのは一部で、来場すると客家の世界が堪能できます。常設展の料金で鑑賞できるとは贅沢です。会期は12月3日までです。