ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

源氏物語と斎宮@斎宮歴史博物館2024

はじめに

 NHK大河ドラマ『光る君』の放映に合わせて『源氏物語』ゆかりの各地で関連イベントが開催されています(誰ですか?「便〇商法」なんて言ってる人は?)。

公式

www.nhk.jp

 三重県明和町にある斎宮歴史博物館でNHKの巡回展が来るのに合わせて『源氏物語』関連の企画展があると聞いたので行ってきました。

www.bunka.pref.mie.lg.jp

*うわさに聞くところ、三重県大河ドラマに地元の武将を取り上げてもらうよう働きかけているそうですが、順番待ちがすごいらしいです。最近だと『江 姫たちの戦国』で浅井長政三姉妹が伊勢上野城(現三重県津市)に匿われたとのことで盛り上がったのですが、その説には異論もあるそうです。(´・ω・`)

目次

 

1 斎宮歴史博物館

 最寄り駅。近鉄斎宮駅

 駅前の土産物屋にポスター発見

 博物館に行く途中に斎宮跡が広がります。1970年に古里遺跡(中世村落遺跡)で民間会社による大型宅地造成計画が持ち上がり、明和町教育委員会が試掘調査を実施したところ、奈良時代や中世の遺構・遺物が確認されました。これが斎宮跡だということがわかり(つまり放棄されて長い月日が経っていた)、保存活動の結果1979年に斎宮跡が国史跡指定となりました。

 エントランスではNHKの巡回展をしていました。

 特別展は写真NGなので(´・ω・`)、似た画像で企画展の紹介をします。

2 斎王とは?

 斎王は天皇に代わって伊勢神宮に仕える役職で、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されました。

 平安時代に編纂された法令集延喜式』によると、斎王は天皇が即位すると未婚の内親王(または女王)の中から卜定(ぼくじょう)と呼ばれる占いの儀式で選ばれます。

 斎王になると宮中に定められた初斎院に入り、翌年の秋に野宮(ののみや)に移り潔斎の日々を送り、翌年9月に伊勢神宮に出発します。

*途中で立ち寄るところが「頓宮」で野球選手にそういう名前の人がいます。

 斎王がその任を解かれるのは天皇の譲位・崩御、斎王の病、肉親の不幸などの場合に限られます。したがって天皇一代に斎王一人が原則でした。

 野宮神社は現在は縁結びや子宝の観光スポットとして有名です。

www.nonomiya.com

3 『源氏物語』と斎王

 紫式部が生きた10世紀後半から11世紀初頭の少し前、朱雀帝の頃の徽子(よしこ)女王は前斎王(醍醐帝の皇女)が急逝を受けて8歳で斎宮に卜定され、938年に10歳で伊勢へ赴きました。945年に母の死により都に戻り、948年に叔父である村上帝に請われて20歳で入内し、女御の宣旨を受けました。前斎宮であったので「斎宮女御」の通称で知られています。

 村上帝が崩御すると彼女は娘の規子内親王と内裏の外で暮らしていましたが、娘が円融帝の斎宮に選ばれると帝の制止を振り切って斎宮と共に伊勢へ下向し、前例のないこととして人々を驚かせました。

 その後円融帝の譲位で規子内親王斎宮を退下すると、翌年共に帰京しましたが、この時すでに徽子女王は病に侵されいて、同年に亡くなりました。

 斎宮女御三十六歌仙中5人しかいない女流歌人のひとりで、歌仙絵にも描かれています。上畳本歌仙( 鎌倉時代、フリーア美術館、ワシントン) パブリックドメイン

 『源氏物語』の中で六条御息所が源氏との関係を断つために斎王となった娘(秋好中宮)と伊勢に下るのは、この話がモチーフになっていると考えられます。

 ただし斎宮歴史博物館のHPによると紫式部が『源氏物語』を執筆したとされる時期には斎王の交替はなく、彼女自身は斎宮には行っていないし、野宮の描写も想像ではないかとことです。

 六条御息所は桐壺帝の前東宮の妃で、東宮の死後六条京極に居を構えていたことにちなみます。源氏の初期の恋人で、年上の六条御息所は源氏に入れ込む一方、源氏は気品高い彼女を持て余すようになります。六条御息所葵祭で源氏の正妻葵上とトラブルになり、恥をかかされたことから生霊となって妊娠中の葵上を悩ませる話は『源氏物語』前半のクライマックスです。

 この話を切り出したのが能『葵上』で、生霊がその嫉妬心を表現するためにつける鬼の面は「般若」と呼ばれます。展示会にも出品されていました。耕漁「能樂百番」より『葵上』、松木平吉版木版画 著者死後50年以上経過のためパブリックドメイン

4 展示の内容

 最初のブロックは紫式部や『源氏物語絵巻』に関する展示です。藤原実資の『小右記』は藤原道長・頼通の全盛時代の社会や政治、宮廷の儀式、故実などを詳細に記録する貴重な資料ですが、実資が皇太后の彰子に遣いを出したところ「越前守為時女」=紫式部が応対した、という一節があります。

  メイン展示は『源氏物語』に描かれた斎宮に関してです。

 第十帖「賢木(さかき)」第一章は源氏が23歳の頃の話です。葵上の件で源氏との縁が遠くなり、関係を断つために娘と一緒に伊勢に行くことを決意した六条御息所を、源氏が野宮に訪ねる話です。榊は葉の色と同じように源氏の六条御息所への変わらぬ気持ちを表すもので、榊の枝を暖簾越しに差し入れて歌を詠み交します。

bunka.nii.ac.jp

 第十七帖「絵合」は源氏が31歳、須磨から都へ戻り後宮を掌握する話です。

 朱雀帝が譲位し冷泉帝(故桐壺院と藤壺の子となっているが実父は源氏(/ω\)イヤン)が即位します。秋好中宮は斎王の任を解かれ六条御息所とともに帰京しますが、すでに病に侵されていた御息所は亡くなります。

 朱雀院は秋好中宮斎宮に行く前に面会した時に💛を撃ち抜かれていて(エロおやじ)、彼女を入内させようとしますが、六条御息所の死に際に「娘を守って」と頼まれた源氏は彼女(斎宮から帰ってきたので「斎宮女御」)を冷泉帝に入内させます。

 冷泉帝のもとにはすでに弘徽殿女御(こきでんのにょうご)(権中納言=頭中将=源氏のライバルの娘)が入内していました。絵が上手な斎宮女御と冷泉帝が急接近し、危機感を抱いた権中納言が新しい絵を持ち込んで対抗し、ついに帝の前で「絵合わせ」(どちらの持ってきた絵がすごいか勝負)をすることになります(少年マンガの世界)。両者譲らぬ中で最後に源氏が出した絵とは?!

bunka.nii.ac.jp

おわりに

 大河のファンの人はNHKの展示だけでおなか一杯になりそうですが、ドラマを見て『源氏物語』を復習したくなった人はこちらも参考になります。斎宮は作品中で「処女性」と「源氏からの逃避」の装置のように思えますが、斎宮関係の2帖は『源氏物語』の面白さを堪能できる回です。

 会期は6月2日(日)まで。お急ぎください。

 駅前の土産物屋でガイドさんを頼めます。これは名物ひじきうどん。

過去回

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

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