難関国立大学の世界史の論述問題を解答して大学が受験生に求める力を探るシリーズ。第6回は九州大学です。
文学部のみの実施です。大論述・史料読解を含む小論述・一問一答という東京大学に似た出題形式で、大論述は500〜600字でタフです。
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九州大学 2020年
1
設問 古代~19世紀までの西洋文明における政治と宗教との関係
条件 古代ローマ帝国期から西ローマ帝国の復興、11世紀の教会改革、王権と教皇の争い、宗教改革期、主権国家の成立と啓蒙思想、フランス革命による非キリスト教化運動、19世紀にかけて
用語 自然法思想 カール大帝 理性の崇拝 コンスタンティヌス帝
イギリス国教会 グレゴリウス7世 文化闘争 ルター テオドシウス帝
リード文のヒント:西洋では普遍的な真理を標榜する宗教がこの世の社会の秩序や権力、政治的行為の正当性を長く保証していたが、近代以降、政教分離と呼ばれる思想や政治体制が支配的となっている。信仰が普遍性を標榜する合理主義思想が宗教に取って代わったとする見方もある。20世紀には普遍性を標榜する特定の思想が国家権力の正当性を保証する体制も現れた。
メモ 指定語句を時系列化してみる *は隙間の事項
*ローマ帝国は祖先崇拝、皇帝崇拝を政治の正当性にする
コンスタンティヌス帝:キリスト教を公認。自らの政治権力の正当性に使う
テオドシウス帝:キリスト教以外の信仰を禁止
↓ *帝国教会政策:皇帝が教会を建設し司教を叙任 聖職売買や妻帯
↓ *教皇権が高まり十字軍運動を指導→失敗で権威低下
教会大分裂:アナーニ事件 フランス王が教会に課税
↓ *ウィクリフやフスの教会批判
ルター:贖宥状販売を批判
領邦教会制:領邦がカトリックから離脱。領邦君主が教会の首長となる
イギリス国教会:イングランド王がカトリックから離脱。教会の首長になる
↓ *主権国家体制。国王が国内の教会を支配する
自然法思想:人民には天賦の人権があり、主権は人民にある
↓*啓蒙思想:理性重視。非合理なものを排除する。身分制やキリスト教を批判
アメリカ独立革命やフランス革命…自然法思想や啓蒙思想を正当性の根拠に
文化闘争:ビスマルクがカトリックの強い南ドイツで教会の政治介入禁止
*19世紀末にドレフュス事件→カトリック教会の政治介入→1905年政教分離法
古代ローマ帝国ではコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、テオドシウス帝がキリスト教以外の信仰を禁止するなど権威の根拠を祖先崇拝からキリスト教に変えて帝国の統一を保とうとした。フランク王国はカール大帝が教皇からローマ皇帝の冠を授かりローマ教会を権威の根拠とした。11世紀には皇帝が帝国内の教会を統治機関にしようとしたため、教皇グレゴリウス7世との間で叙任権闘争が発生した。教皇が勝利しその権威は高まったが十字軍の失敗で権威は低下、フランス王が国内の教会を支配下に置こうとして教皇と対立して教会大分裂を招いた。16世紀にルターが宗教改革をはじめると、ルター派諸侯は領内の教会の首長となる領邦教会制を敷き、イングランドでも国王を首長とするイギリス国教会が成立し、ローマ教会の権威は失墜した。こうして主権国家体制下では国王が教会を支配し絶対王政では王権神授説も唱えられたが、17世紀の自然法思想は社会契約説や人民主権の源になり、18世紀の啓蒙思想は宗教を非合理なものとした。フランス革命はこれらを新政府の権威の根拠とし、教会を旧体制と見なして理性の祭典など非キリスト教化運動を展開した。ウィーン体制ではキリスト教精神に基づく神聖同盟が提唱されたが、政治の正当性は国民主権やナショナリズムに移行し、ビスマルクは政治に介入する南ドイツのカトリック教会に対して文化闘争を起こすなど、公的場面での教会の影響力は縮小した。599字
補足:
壮大なスケールの出題で、最初何も考えず書いたら800字を越えてしまった(笑)。
リード文のヒントにあるように、政治的権威の源が宗教から合理主義に転換する過程を書く。「理性の祭典」がやや難しいが、指定語句の説明を時系列につなげていけばそれらしい文章になる。
個人的には19世紀末のドレフュス事件が20世紀の政教分離法につながったことも書きたいが字数的に厳しい。
2
(1) 論評されている戦争:日露戦争
(2) 戦争中止を求めたデモ隊に軍が発砲した事件:血の日曜日事件
問2
(1) トルストイのナポレオン戦争を題材にした小説:『戦争と平和』〇や
(2) ロシアが違反したナポレオンが発した命令:大陸封鎖令
(3) 農奴解放令を発した皇帝:アレクサンドル2世
問3
(1) ベトナムから日本に留学生を送る運動:ドンズー(東遊)運動
(2) (1)の運動が挫折した理由 60字以内 △
日仏協約で日本が朝鮮半島での、フランスがベトナムでの優先権を相互に承認し、日本がベトナム人留学生を国外退去にしたから。59字
問4 南アフリカで人権闘争をした弁護士:ガンディー 〇て
補足
問3 「東遊運動」「ファン=ボイ=チャウ」などはセンター試験や私立の入試では語句のみ出題されるが、日頃から語句だけ覚えず、背景や結果にも注意を払う。
問4 『映像の世紀』に出てくる。南アフリカで一等車に乗っていたガンディーが有色人種という理由で追い出された話は有名。奴隷制が廃止になった後、インド人労働者が南アフリカの鉱山やケニアの農園で劣悪な環境で働いていた。
問5 史料2 『父が子に語る世界史』
(2) 平和五原則はどれ ▲ま
ロ)相互不侵略 ニ)内政不干渉 ホ)平等互恵 チ)平和的共存
ヌ)領土と主権の相互尊重
問6 史料1から史料2にかけて、朝鮮の国際的地位はどのように変化し、その変化の中で下線部(1919年の蜂起)はどのようにして勃発したか。150字 〇り
指定語句:大韓帝国 日韓協約 韓国併合 朝鮮総督府 武断政治
・朝鮮は清朝から独立して大韓帝国と国号を変更したが、日露戦争が勃発すると日本は三次に渡る日韓協約で韓国を保護国化し、1910年には韓国併合で韓国を植民地化し朝鮮総督府を置いて武断政治を行った。第一次世界大戦中のロシア革命やウィルソンの民族自決に刺激されて1919年に三・一独立運動がソウルで発生し全国に拡大した。150字
補足
問5(2) 間違い選択肢にウィルソンの十四か条が混じっているので5つすべて選ぶのは現役高校生には無理ゲー。
問6 このブログの愛読者には「ズバリ的中!」。指定語句が時系列に並んでいるという親切設計なので、そのまま語句の説明をつなげていく。
朝鮮の「国際的地位の変化」とあるので、清の冊封から独立(大韓帝国)→保護国化(日韓協約)→植民地化(韓国併合)という流れは必須。日韓協約の詳しい内容、ハーグ密使事件は省略しても話が通じる。義兵闘争と安重根は不要。
三・一独立運動が「どのようにして」勃発したのかは、1918年のふたつの事象に触れたい。パリ講和会議についても書きたいが字数がオーバーする。(´・ω・`)
3
問1 死者の書
問2 カタコンベ
問3 広開土王
問4 ハギア=ソフィア大聖堂
問5 吐蕃
問7 アイバク
問8 グラナダ
問9 テノチティトラン 〇や
問10 タージ=マハル
問11 アロー戦争
問12 レニングラード △ゆ
問13 A UNESCO(国連教育科学文化機関) B ハーグ △り
補足
完答可能。問9はど忘れもの。問12はソ連を知らない世代には?。問13Bはヒントに「1907年に平和会議が開催された」と書いてある。2の問6で思い出すはず。
まとめ
九州大学の大論述は過去問を見るとテーマに対してタテ(時系列)に説明するものが基本なので、まずはオーソドックスに教科書、学習ノート、一問一答、定期考査のサイクルで単元別理解につとめましょう。
*発展:私は九州が拠点の啓隆社の教材を授業で使っています(学校専用教材)。教科書準拠の手堅い作りです。土地柄?