徳川美術館所蔵の『源氏物語絵巻』が修復を終了して展示されると聞き、名古屋市に行ってきました。今回はその様子を紹介します。
館内の撮影はNGなので、絵巻はパブリックドメインのものを使用します(900年前の作品なので原本は著作権切れです)。
目次
1 徳川美術館の様子
庭園は紅葉がきれいでした。庭園部分は整備前は野球場だったそうです。
入り口
写真OK、SNSアップ歓迎ゾーン
2 『源氏物語絵巻』と徳川美術館
『源氏物語絵巻』はその名の通り『源氏物語』を題材にした絵巻物で、国宝に指定されている現存最古のものは、12世紀前半に白河院・鳥羽院を中心とする宮廷サロンで製作されたとされています。
現存するものは阿波蜂須賀家に伝来した一巻分が東京・五島美術館に、尾張徳川家伝来の三巻分が徳川美術館に所蔵され、すべて合わせても絵十九段とそれに伴う詞書(ことばがき。本文の抄出文)、詞書のみの一段で、諸家に分蔵されている断片(切り取って掛け軸にしたなど)を集めても『源氏物語』全帖のうち二十帖のみです。
両大名家に伝わった経緯は不明ですが、徳川本に付随する鑑定書から、江戸時代には絵巻が大名間の献上品、贈答品として用いられ、分散したことが判明しています。また目録には、幕末に尾張家の当主が上洛した際に持ち出し、戻ってきたという記録が残されています。
つまり『源氏物語絵巻』は大名間の臣従関係のために贈答品や献上品、幕末の動乱期には徳川家が天皇・公家に接近する際の政治的アイテムとして機能したと考えられます。
3 『源氏物語絵巻』展のみどころ
ここからは公式チャンネルの解説を参考にしています。
絵はやまと絵特有の「作り絵」という描法で、人物の顔は「引目」(ひきめ、目が一本線)「鉤鼻」(かぎはな、鼻が「く」の字)」で表現されています。これは絵が下手とかという話ではなく、徳川美術館の学芸員によると、単純化されているが故に読者が自分のイメージを絵に重ねあわることができるそうです。
「宿木」3の拡大図。匂宮が中君に対して薫との仲を邪推する
サンリオキャラクターの総大将に口がないのも同じ理由です。
また絵巻は屋根や天井を取り払って俯瞰的に描かれています。これを「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」といいます。これによって読者が物語や登場人物の心の動きにまで入り込むことができるということです。
「宿木」1 帝が薫と碁を打ちながら暗に女三宮の降嫁を伝える
ドールハウスで使われる技法です。
詞書は、11世紀以来の伝統を受け継ぐ優美な連綿の書風や、藤原忠通(1097~1164)にはじまる法性寺流の新様の書風など5種類の書風(徳川美術館所蔵分は4種類)が混在しています。
「横笛」の詞書
展示は江戸時代の絵巻を保管するための道具類、近代から現代までの絵巻の改装(痛みが激しいので)や模写、修復・改装後の絵巻と修復作業の様子からなります。
修復作業の際に透過赤外線写真の撮影を行ったところ、下書き線、描きなおし、図様の変更などが明らかになりました。ぶんぶんが興味深かったのは「柏木3」で光源氏が薫(わが子だけどわが子ではない)を抱くシーンで、何度も光源氏の手の位置や薫の向きが変更されています。写真は載せられないので、直接現地で鑑賞してください。
参考
まとめ
シンプルに『源氏物語』の世界に浸れる展覧会ですが、歴史を教えているぶんぶんは絵巻周辺の展示物にも強く関心を持ちました。
ぶんぶんは『源氏物語』の千年紀展覧会にも行きましたが、千年間にわたって「読み物」として人々をひきつけ、その時代ごとに「消費」される様子が興味深かったです。
絵巻物もこの「消費」の一面ですが、なぜこれを絵巻にしようと考えたのか、その絵巻(断片も含めて)が大名の権威に利用されたことなど、同時展示の「唐物」と併せて「文化と権威のあり方」について考えされられました。
とはいえ虎の皮よりも美術品を贈答しあう方が平和的です。最近は文化を無駄なものと目の敵にして図書館や司書を減らす政治家もいますが。
会期は12月12日(日)までです。お早めに。
おわりに
「読む」「絵を見る」という行為は絵巻の中にも出てきます。「東屋」1、匂宮の所業に心傷つき泣き伏している浮舟(画面左奥)を中君(後ろ向きで髪をといてもらってる)が自室に招き、物語を取り出させて右近に詞を読ませます。そうすると浮舟も熱心に絵に見入りはじめます。むしゃくしゃした時の癒しには読書ですよね!