運動部は大型連休中は練習や公式戦がありますが、ぶんぶんは希望しない運動部の顧問はお断りしているので、この期間を利用して家族と青森市と弘前市に行ってきました。後半は青森市編です。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
目次
1 青森市内散策
青森港
ウミウがいました。
ウミウとカワウの見分け方は、ウミウはくちばしの基部の黄色い部分が小さく、口角で三角形に尖っていて、頬の白い部分も多いです、カワウはくちばしの基部の黄色い裸出部が口角で尖ってなく、頬の白い部分が目の後方にまっすぐ延びています。上が今回撮影のウミウ、下が地元で撮ったカワウ。うーん肉眼では無理。
鳥の名前がついた神社があるとのことで、善知鳥神社に行きました。
青森発祥の地とのことです。由緒はHPを見てください。野鳥とは直接関係なさそうです。龍神のわき水の方が有名です。境内に鳥のオブジェが奉納されていました。
信号が縦長なのは知ってましたが、歩道が広い(道路を除雪しても歩道が雪で埋まらないように?)のはびっくりしました。
喫茶店を発見。「庵野秀明展」は県立美術館で開催中でしたが時間の関係でパス。
中は昔ながらの「純喫茶」で、エジプトのグッズ等が置かれています。
青森駅前の飲食店は朝早く開店し夕方早くに閉店するところが多かったです。次の日に朝イチ(7:00)で行きましたが、後で常連さんとおぼしき人がやってきました。コーヒーに蜂蜜が付いてきました。トーストを注文しましたがけっこうなボリューム。
夕飯は「お食事処おさない」へ行きました。ものすごい行列。青森名物のホタテのバター焼きをいただきました。朝・昼・晩の三部制で営業しています。朝も行列ができていました。
2 三内丸山遺跡
あいにくの雨と、11時30分までに青森駅に戻らないと帰りの飛行機に間に合わないので朝から一時間ほど駆け足で見学してきました。天気がよければ半日は過ごせます。
三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期(紀元前3900年~紀元前2200年)にかけての集落跡で、1992年から発掘調査が行なわれて、竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓(大型の土器に埋葬されていた)などのほか、多量の土器や石器、木製品、骨角製品などが出土しました。
遺跡には縄文時空館が併設されています。ジオラマ。
柱を建てていた穴を調べて、当時の建物を再現しています。
竪穴式住居。これは土葺きの再現。他に茅葺き、樹皮葺きなどがありました。
樹皮葺きの住居の前に小学生の卒業制作らしき看板が
大型の建物。NHK『四大文明』でメソポタミア地方の住民が昔ながらの葦葺きの大型集会所で村の運営を話し合うシーンがあります。それと似ているので、三内丸山でも住民自治が行われていたのかもしれません。
特別展はヒスイについてでした。三内丸山から出土するヒスイはほぼ新潟県の糸魚川産なので、縄文時代に広範囲での交易が行われていたことがうかがわれます。
ヒスイの原石
ヒスイは青森県地域の縄文遺跡の晩期にも見ることができ(同時に出土する土器の編年でわかる)、ヒスイに対するこだわりを感じます。
大きなもの(大珠)、ネックレス用、加工の途中のもの、焼けた大珠などが見つかっています。
常設展には三内丸山遺跡から発掘されたものを中心に、北東北の縄文時代の様子がわかるようになっています。
こ、これは縄文時代のゴルフクラブ?民明書房に連絡して「ゴルフの由来」を書き換えてもらわねば!
民明書房をご存じない方はこちら
帰路
青森と弘前を満喫し、青森空港から帰ろうとしたら、視界不良で青森に向かっていたANAのプロペラ機が仙台空港へ着陸しました。このため機体のやりくりがつかず、乗る予定の飛行機がキャンセルになってしまいました。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン 他社はジェット機でちゃんと定時に出発したのに…。
チェックインはアプリやメールで行い、荷物預けや搭乗は送られてきた二次元バーコードで行ないます。欠航の悲しいお知らせもアプリで連絡…。
急遽タクシーで新青森駅に行きましたが帰省ラッシュと重なり東北新幹線は満員(自由席はない)、東京駅まで約2時間半デッキでカバンに腰掛けることに。(´・ω・`) 。おかげで職場へのお土産の箱が凹んでしまいました(桜ミクのクリアフォルダは死守)。同じ方法を採った人たちが各号車のデッキを占拠していました。
立ってるだけで5000円以上も取られたので、腹いせに盛岡駅でこまちとの連結の様子を写真と動画で撮影しました。
とても有意義な家族旅行でした。プロペラ機はこりごりです。(´・ω・`)
おまけ写真
うちの近所では滅亡したHI-Cが売ってました。北東北限定とのこと。
指導主事がしきりに「SDGs」を連呼するせいで、つい「アスベスト」と誤読しました。眼科へ行ってきます。ホテルチェーンです。