運動部は大型連休中は練習や公式戦がありますが、ぶんぶんは希望しない運動部の顧問はお断りしているので(文化部の顧問はしてますよ)、この期間を利用して家族と青森市と弘前市に行ってきました。
目次
1 道中
ANAの積み立てとマイルを使っての旅行なので飛行機はANA。機体はボンバルディアのDHC8-Q400で、プロペラ機としてはANAの中で福岡~新潟に次ぐ飛行距離。このことが帰りにさんざんな目に遭う原因に…。
飛んでいるところが低いからか木曽三川がよく見える。
岩木山。弘前市はこの裏側。しかしこの日は気流の影響で飛行機が揺れまくりました。_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ
青森空港からリムジンバスで青森市に入り、翌日弘前市へ行きました。
青森から弘前まで自由席特急券が510円(新幹線接続の新青森駅までは特急代無料)と良心的。2023年5月17日からSuicaが使えるようになります。
車窓から先ほどの岩木山が見えました。
弘前駅到着。「りんご自販機」とありますが生のリンゴは出てきません。
2 弘前城界隈
例年なら大型連休中は桜が見所なのですが、2023年は全国的に桜が早くに開花し、八重桜が多少残っている程度でした。(´・ω・`)
弘前市は初音ミクとタイアップしているみたいで(桜ミク)、グッズが売られていました。観光会館でクリアファイルを購入。縄文遺跡も重要な観光資源のようです。
ここで弘前城についておさらい。
参考
1590年、津軽地方を統一した大浦為信が豊臣秀吉から4万5千石の領地を得、津軽と改姓しました。為信は関ヶ原の戦いでは東軍につき、徳川家康より更に2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立しました。
1611年、第2代藩主の時に五層の大天守を有する弘前城が落成しました。しかし1627年に天守が落雷で出火、地下の火薬庫が引火して大爆発をおこしたそうです。
武家諸法度により自由に城を築くことも5層以上の天守閣の建築も厳しく制限されていたので、天守は再建されず櫓で代用され、弘前城は約200年も天守がないままの状態が続きました。
第9代藩主寧親が1810年に石高が昇格したのを契機に天守「櫓」移築という名目で幕府の許可を取り、隅櫓を改造する形で新築され完成したのが現在の天守です。東北地方では唯一の建設当時のままの天守です。
2012年に天守付近の本丸石垣の膨らみや天守の傾きが見つかり、石垣の修理のために2015年に天守を曳家で移動させました。このため現在天守は仮天守台の上にあります。石垣には足場が組まれていました。
3 ねぷた村
大型ねぷたと内部の骨組みを見学できる実物大の大型ねぷたが展示されています。実際に太鼓を叩いたり、津軽三味線のミニコンサートもあります。
ここでねぷたについておさらい。
参考 先述のリンクも参照
国の指定無形文化財である弘前ねぷたまつりは毎年8月1日~7日まで開催されます。人形の形である「組ねぷた」や「扇ねぷた」が弘前市内を運行します。
観光会館に展示されていたもの
ねぷたが記録されている最も古い書物が1722(享保7)年の「御国日記」で、5代藩主である津軽信寿が「祢むた流」をご高覧した、と記されています。
ねぷたの由来には諸説ありますが、その中でも定説なのが「江戸時代に七夕祭の松明流しや精霊流し、盆燈籠などが変化したもの」のようです。
ねぷたは青森県の広い範囲で行なわれていて、地域によってねぷたの形(青森や弘前は横型、五所川原は縦型)やかけ声などが異なります。
動画 YouTubeより ゆきと支配人さん
4 洋館
弘前市街には洋館が各所に残っています。
旧弘前市立図書館
その裏に市内に点在する洋館のミニチュアがありました。現存しないものもここでそのかつての姿を見ることができます。
スタバも旧第八陸軍師団長の官舎として建設された木造の建物を利用しています。こちらは洋館というより和洋折衷の建物。
洋館のカフェで休憩。2時間待ち。(゜Д゜)
アップルパイと紅茶。店員はメイドの衣装(画像なし)。
ここ
おわりに
内堀でアオサギ先輩が弘前市の平和を守っていました。大型連休中もおつとめご苦労様です。