はじめに
私立一般と国立二次試験対策のテーマ史、今回は時節柄知っておきたい世界史における感染症トピックです。
使用する画像はすべてウィキメディアコモンズ、パブリックドメインのものです。
参考図書の一部
目次
1 ペスト
原因:ペスト菌 クマネズミからノミを経て人間に感染
症状:出血斑や壊死から全身があざだらけになる→(1 )病
流行
6世紀:ユスティニアヌス帝の頃に首都(2 )で流行(542年)
ビザンツ帝国の衰退の一因に
7世紀:隋代の中国で流行
14世紀:1347年からコンスタンティノープルや地中海域で流行
ヨーロッパ全土に波及
流行の要因
11世紀以降 人口の増加
13世紀 [3 ]のユーラシア支配 交通路の発達 東西の往来
15世紀 鄭和の南海遠征
影響
労働力の急激な減少(人口の1/3が死亡)
領主が労働力を確保するために賃金を上昇させたり身分的束縛を弱める
農民の一部は経済力をつけて領主から自立する
→(4 )農民 イギリスでは(5 )
荘園制の解体(農奴制→自作農と小作農)、封建的身分制度の解体
困窮した領主が一時身分的束縛を強める(封建反動)
→農民反乱 仏(6 )の乱
英:[7 ]の乱
*ジョン=ボール「アダムが耕しイブが紡いだ時誰が領主だったか」
17世紀:ロンドンでペスト流行(1665~66)
19世紀:広東、香港でペスト流行(1894)→台湾、日本に広がる
労働者の移住でハワイや北米大陸に波及
エルサン(スイス)と[9 ](日本)がペスト菌を発見
野口英世…横浜の検疫で活躍
20世紀:抗生物質の使用
ペストと文学
ボッカチオ(10 )(14世紀)邸宅に引きこもった10人の小話
デフォー『疫病流行記』(1722)ロンドンのペストを描く
[11 ]『ペスト』(1947)街の人々の連帯を描く
補足
ペスト拡大の原因は人の移動です。ペスト菌はDNA解析から中国由来であることがわかってきました。6世紀には「絹の道」による東西交流、13世紀にはモンゴルによるユーラシア支配によって人やモノの往来がさかんになります。
*10~12世紀は温暖で遊牧民は北上する一方、ヨーロッパでは三圃制など農業生産が増大して人口も増えます。しかし13世紀頃から寒冷化が始まり、遊牧民が穀物を得るため南下してきて、モンゴルのユーラシア支配に至ります(森安孝夫『シルクロード世界史』)。
当時の黒死病対策は感染者の隔離と家財道具の廃棄、街のロックアウトでした。感染していない人は『デカメロン』のようにステイホームしたり、郊外へ脱出したりしました。今も昔も同じです。
学生時代に読んだ論文なので要出典ですが、「人口の三分の一が亡くなった」の出処は教皇への報告書で、計量歴史学がそれを証明するため教区簿冊の埋葬記録を調査したところ、「三分の一」はあながち間違いではないことがわかりました。
死の舞踏 身分が高かろうが死神に魅入られたら即終了
ペスト医師 マスク必須
2 天然痘
原因 天然痘ウイルス 人と動物(牛・馬など)の双方に感染
症状 発熱と水疱
流行 16世紀に(12 )人が新大陸に天然痘を持ち込む
免疫のない先住民(インディオ)が感染して人口が激減
*コロンブスの「交換」
ヨーロッパ→新大陸 牛や馬、砂糖、天然痘・はしか・インフルエンザ
新大陸→ヨーロッパ ジャガイモ トウモロコシ トウガラシ 梅毒
18世紀末 [13 ]が種痘法を考案→予防接種の先駆
20世紀 世界保健機構(WHO)の天然痘根絶計画
→1980年に根絶を公式に宣言
補足
天然痘は牛や馬から人間に感染するので、まさに農耕や牧畜という人類の文明とともに歩んできた感染症といえます。
コロンブスの「交換」といいますが、実際には新大陸がヨーロッパに一方的に収奪されている「不等価交換」です。
インディオが激減したために、スペインはポルトガルと契約して黒人奴隷を新大陸に輸入します。ラテンアメリカでは白人、インディオ、黒人が混血して複雑なエスニシティの社会になります。
ジェンナーは「乳搾りの女性は牛痘にかかったことがあるので天然痘にはかからない」に注目し、牛痘と思われる水疱の液体を「接種」する方法を考えました。
ジェンナーは研究の成果を論文にまとめ、1797年に英国王立協会の機関誌に投稿しますがコメントもつけずに突っ返されました。しかし彼の研究は予防医学と免疫学の基礎となり、炭疽菌に対する免疫研究の道を切り開きました。彼がいなければパスツールもコッホもいません。ジェンナーさんありがとう。青い飛行機(以下略)。
3 結核
症状 咳や喀血など呼吸器症状、全身の倦怠感
流行 18世紀以降、産業革命で都市環境が悪化する中で流行
対策 1882年に[14 ](ドイツ)が結核菌を発見
補足
結核菌は感染しても多くの人は発症しません(結核菌の「休眠」)。しかし産業革命で都市化が進み、狭い部屋で大人数が暮らし、栄養状態も悪いという生活環境の中で結核が拡大します。
結核は文学作品で「薄幸」のメタファーとして描かれたりします(堀辰雄の『風立ちぬ』とか)。一方でHIV感染者に対してはネガティブなイメージが意図的に流布されて社会的差別が蔓延しました。
病いに対する意味づけを明らかにした名著。
4 コレラ
症状 高熱 下痢 脱水症状
流行 19世紀 イギリスのインド植民地化で世界中に拡散
産業革命で環境が悪化した都市部で感染拡大
対策 公衆衛生
チャドウィック(英) 公衆衛生法(1848) ロンドンの下水道整備
[15 ](仏) セーヌ県知事 パリの都市改造
1883年 コッホがコレラ菌を発見
補足
ヨーロッパの都市は比較的小型で、パリでは汚物は道に捨てるとそのうちセーヌ川に回収されるというのが「下水システム」でした。しかし産業革命で都市の人口が急速に増えると「自然の摂理」では汚物が処理できなくなります。
コレラ菌に罹患すると、もう出すものがないのに激しい下痢が続き、全身が真っ青になって死亡するので「青いペスト」と恐れられました。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
コレラは下水道が完備していない都市、特に貧しい中で肩寄せ合って生活する下層労働者に甚大な被害を及ぼします。
『パンチ』の挿絵
古典
国民国家は国民を直接統治し、国民は国家に帰属意識を持ち、生産・納税・国防で貢献するシステムですから、国民の健康は国家にとって一大事です。
こうして「健康」という私的領域が公的な意味合いを持ち、国家は国民の生活を保障し、20世紀には国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(社会権)が明文化されるようになります。コレラは国家の役割を転換する契機になりました。
厚生労働省のHP 「生活保護は国民の権利」と言っている割に申請のハードルは高いままです。www.mhlw.go.jp
国民をコマのように使うくせに、その健康のための金を出し渋って自助を強要する一方、自分とその支持者のために税金を私物化する似非自由主義は19世紀の国民国家にも劣ります。(# ゚Д゚)
*発展:大阪の古地図では、現在の大阪市立大学医学部(天王寺)の位置に「避病院」とあります。大阪でもコレラは猖獗を極め、罹患した人は避病院に隔離されました。
避病院は埋葬のために墓地の近くに立地しました。そういえば阿倍野には霊園が。
桃山病院(JR桃谷駅付近にあった)は天王寺の避病院廃止後は市内唯一の「伝染病院」として機能し、現在は大阪市立総合医療センターに統合されています。
5 マラリア
原因 マラリア原虫 ハマダラカが媒介
症状 高熱 黄疸
流行 熱帯、亜熱帯が中心、ヨーロッパや日本でも流行
対策 ペルーのキナノキの樹皮が特効薬→キニーネ
17世紀にイエズス会宣教師がヨーロッパに持ち込む
補足
マラリアの歴史は古く、アレクサンドロス大王や平清盛の死因はマラリアではないかと言われています。
ローマにはハマダラカが繁殖する沼地が多いため、しばしばマラリアに襲われました(「マラリア」はローマの「悪い空気」(mal aria)が語源)。ローマ教皇を選ぶコンクラーベは密室で何日間にも渡って行われるため、クラスターが発生することもあったそうです。
康熙帝は遠征先でマラリアに罹患して死の淵をさまよいますが、イエズス会宣教師が持ち込んだキニーネのおかげで一命をとりとめます。康熙帝はイエズス会宣教師を重用し、宣教師も大砲を作ったり、『皇輿全覧図』(実測地図)を作ったり、ネルチンスク条約の交渉に参加するなどして宮廷に取り入りました。
19世紀にヨーロッパが東南アジアやアフリカを植民地化する際にキニーネは大きな役割を果たしました。新大陸ではパナマ運河建設の際に移民労働者によってマラリアが持ち込まれ、工事は難航しました。
日本も太平洋戦争で東南アジアを占領すると兵士はマラリアに苦しめられました。
マラリア対策と帝国主義は不可分です。感染症が拡大するのは帝国主義政策のせい、統治のために感染症医療が発展すると、今度はそれが「未開の地域にヨーロッパの医療を広めるのは正義である」と帝国主義の正当化に使われます。(# ゚Д゚)
現在でもアフリカではマラリアの害は深刻で、ワクチン・殺虫剤・蚊帳など様々な手段が講じられています。温暖化が進めば北でも再び蔓延し、日本でも拡大する可能性があります。発熱でお湯を沸かすのは勘弁です。(´・ω・`)
6 インフルエンザ
原因 インフルエンザウイルス(A/H1N1亜型)
症状 高熱、関節痛、咳
流行 1918~19 「スペインかぜ」
(16 )末期にヨーロッパ、アフリカの前線で流行
戦後、動員されていた植民地の人員が復員して世界的に広がる
5000万人以上の死者
最近 鳥インフルエンザ(1997 2003)
重症急性呼吸器症候群(SARS 2009年)
新型インフルエンザ(2009)
中東呼吸器症候群(MERS 2012)など呼吸器系感染症が流行
補足
「スペインかぜ」と称されるインフルエンザの第1波は1918年、この年に第一次世界大戦に参戦したアメリカ軍の訓練所で発生し、ヨーロッパへ広がります。交戦中の国々は情報統制を敷いていて(「アンダー・コントロール」)、中立国のスペインの様子が多く報道されたため「スペインかぜ」と呼ばれました。
Soldiers from Fort Riley, Kansas 1918年
さらに感染はアフリカに広がります。アフリカでは英・仏・南アフリカ軍がドイツの植民地(トーゴ、南西アフリカ、カメルーン)を占領し、その際現地のアフリカ人を植民地軍に組み込んだため大規模な人の移動が発生しました。
特にシエラレオネから始まった第二波(アメリカ、フランスでも同様の流行)は致死率が高く、鉄道や河川交通を通じてアフリカ中に広がり、多数の犠牲者を出しました。
スペインかぜはインドでも猛威を振るいました。飢饉による食糧不足で免疫力が低下しているのに、穀物は戦争物資としてイギリスに輸出されました。
第一次世界大戦は植民地を巻き込んだ「総力戦」、ヨーロッパの代理戦争でアフリカにインフルエンザが持ち込まれ、植民地経営を支えた鉄道で感染が拡大しました。スペインかぜは帝国主義による収奪が招いた「人災」と言っても過言ではないです。
マスクをする東京の女学生 1919年
7 入試問題演習
① 大阪大学 2009年
課題
ユーラシアの多くの地域が14世紀に戦乱、伝染病などによる大きな戦乱に見舞われた。その原因は第一に北半球の気候の寒冷化による農業生産力の低下、第二にモンゴル帝国時代の交流の活発化がかえって危機の拡大を招いたことなどにあると考えられている。どの地域がどんな混乱に襲われたか。日本列島を含む三つの地域の例をあげて説明。120字程度
解答例
日本列島では南北朝の動乱の時代になり、海上では倭寇が活動し中国や朝鮮半島を襲った。中国では交易の拡大で銀が不足して経済が混乱し、天災で農民反乱が相次ぎ、紅巾の乱を機に元から明に交代した。ヨーロッパでは百年戦争が発生、黒死病が流行して人口が激減した。124字
*解答のポイント
文中ヒントを次のように変換
② 大阪大学 2014年
課題1
14世紀の黒死病と、20世紀のスペインかぜの世界的規模の流行を引き起こした要因のひとつとして、地域間移動の頻度が増加したことが考えられる。それぞれについて最も重要と思われる点を述べる。100字程度
解答例
黒死病はモンゴルのユーラシア支配による東西交流の促進でヨーロッパにもたらされた。スペインかぜは鉄道網や汽船の発達を背景に第一次世界大戦による兵士の地域間移動や動員された植民地の人の帰国によって全世界に広まった。107字
*解答のポイント
字数が厳しいが背景と原因を詰め込んだ。
課題2
黒死病によってヨーロッパでは人口が激減し、社会的に大きな混乱や変動が起こった。その内容を短期的影響と、数世紀にわたる長期的結果に分けて述べる。200字程度
解答例
短期的には領主が労働力を確保するために農民の賃金を上げたり身分的束縛を弱めたりしたので農奴制が解体し、独立自営農民が出現した。そのため領主は収入が減って没落し封建制が解体に向かった。長期的には荘園に依存する封建諸侯や教会が没落する一方で王権が伸長し、国王を中心とする主権国家体制が確立した。また王権と結んだ商人が台頭し、自立した農民と問屋制など毛織物工業で結びつき、重商主義時代の工業化を準備した。200字
*解答のポイント
短期的は最初の方で勉強した通り。長期的は主権国家体制と重商主義について書けば字数に到達する。
まとめ
- 感染症は人の移動で拡大する
- 感染症は「人災」でもある。18世紀以降の感染症拡大は産業革命による環境の悪化、労働者の移民、帝国主義政策によって引き起こされている。
- 感染症が社会の在り方を変えた。公衆衛生が国家の関心事となり、国民国家や国民統合を促進した
- 感染症は人類よりしたたか。適度に毒性を減らしたり、わざと発病しないなどさまざまな戦略で生き残りを図る
- 国民の健康を重視しない国家は近代国家を名乗る資格がない
- 人類の危機の時こそ人文知の出番
最後までお読みいただきありがとうございました。
空欄
1黒死病
4独立自営
5ヨーマン
6ジャックリー
7ワット=タイラー
8ユダヤ
10『デカメロン』
11カミュ
12スペイン
13ジェンナー
14コッホ
15オスマン
16第一次世界大戦