ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

水木しげる魂の漫画展@龍谷ミュージアム

 京都市にある龍谷ミュージアムで「水木しげる魂の漫画展」が開催されていて、記念講演に水木しげるのファンを公言している作家の京極夏彦さんが来ると聞いたので、龍谷大学大宮学舎に行きました。 

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展示会場はこちら

龍谷大学 龍谷ミュージアム

 

 講演の内容抜粋

 妖怪というと私たちは「キャラクター」を想像しますが、民俗学で言う「妖怪」とは「不可思議な現象」を指します。それを「キャラクター化」したのが水木しげるさん、といえます。

 水木さんは境港市で幼少期を過ごし、小さい頃から絵の才能を示します。10代後半には絵本や童話の挿絵、昆虫を主役にした物語を描いていて、特に「昆虫戯画」は目を引きます。

 またお手伝いの女性から「世の中には見えないものがある」ということを教えられます。

*自伝に詳しいです。 

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

 

 

 水木さんはその後日本美術学校(現東京藝術大学)への進学を目指して日本大学付属大阪夜間中学で絵の勉強をしますが、召集され、ラバウル島で左腕を失いながらも九死に一生を得ます。

*外せない一冊。水木さんは貸本漫画の時代に戦記物を多く残しています。実際の出征経験者による戦記マンガなので、リアル感が違うとのことです。 

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

 

 

 水木さんは収容された野戦病院で食べ物に困り、辺りを探検すると現地人の集落に行き着き、大歓迎を受けます。

 このように水木さんは南方でまさにこの世の地獄と天国の両方を目の当たりにします。水木さんの作品では生と死、この世とあの世が連続しているように描かれるのはこの経験からでしょう。

 戦後復員し、武蔵野美術学校に通うも生活が行き詰まり、神戸で「水木荘」というアパートを譲り受けます(ペンネームの由来)。

 その住民の縁で紙芝居を描くようになります。この時に「鬼太郎」や「目玉おやじ」の原型が生まれます。

 その後貸本漫画家を経て商業誌にデビューし、『週刊少年マガジン』に連載した「悪魔くん」「墓場の鬼太郎」が大ヒットします。

 さて「鬼太郎」は紙芝居の頃は因果応報がテーマでしたが、毎週連載となると怪奇現象で毎回ストーリーを作るのは難しい、そこで水木さんは怪奇現象を「キャラクター」 にします。

 江戸の「妖怪画」や柳田国男の作品を参考にしたり、海外の民芸品を参考に、水木さん自身の経験や南方での体験を重ね合わせてキャラクターを造形しました。

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ミュージアム内の撮影OKポイント

 

 水木さんが『鬼太郎』を描き出して50年が経ました。水木さんの「日本的」な妖怪は実は戦後の創作、しかしそれは水木さんの実体験を通じて紡ぎ出されている、だから私たちは妖怪の中に日本の「原風景」を見いだし、懐かしい気持ちになるのです。

 

感想

    人文学は「土台を疑う」学問です。

    物事をアプリオリなものと捉えず、常に時代や地域の制約、その人の意識または無意識も考慮する、いわゆる「フィルター」も研究対象とします。

 私たちが「古式ゆかしい伝統」と思っているものの多くは近代の創作、「過去を近代から読み直したもの」と捉えるのは、近代国民国家ナショナリズムの関係でよく論じられます。

 水木さんの妖怪はそうした「上から」の国民文化ではなく、戦前、戦中、戦後の市井を這いずるように生きた水木さんの経験の結晶、まさに魂の声です。

 妖怪は水木さんの創作だからどうだではなく、水木さんのフィルター、つまり水木さんの背負ってきた人生も含めて、私たちは妖怪の意味を理解し、楽しみたいと感じました。

 

 会場には他にも水木マンガの秘密(詳細な背景画)や最晩年の虫の絵などが展示され、水木ファンならずとも必見です。

 会期は11月25日(日)までです。お早めに。