はじめに
暇を見つけてシンポジウムに出席し、博物館・美術館を巡るぶんぶんにとって無意味の極みであった教員免許更新制度がようやく滅亡したと思いきや、文科省は性懲りもなく四月から違う研修制度が発足させるみたいです。(#ノ゚Д゚)ノ ・゚・┻┻゚・
今回は大阪市にある国立国際美術館で開催中の「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行ってきました。個人の趣味の範囲で写真撮影(一部除く)とSNSでつぶやくのはOKなので、宣伝を兼ねて様子をレポートします。
公式
入り口。振替休日を取って平日の朝イチに行きましたが、すでに10人ぐらい開場を待っていました。
目次
1 ベルリン国立ベルクグリューン美術館
ハインツ・ベルクグリューン(1914~2007)はベルリンでユダヤ人の家庭で生まれました。1936年に彼はナチ・ドイツのユダヤ人迫害を逃れてアメリカ合衆国に渡り、評論活動や美術館勤務を通じて美術への関心を深めました。
彼は第二次世界大戦後にヨーロッパに戻り、パリで20世紀美術を専門に扱う美術商として30年間活動し、ピカソやマティスと知り合いました。彼は晩年まで美術品の購入と売却を繰り返し、最終的にはピカソ・マティス・クレイ・ジャコメッティの作品に重点をおきました。
画廊の展覧会のリーフレット
ベルリン国立ベルクグリューン美術館は彼のコレクションを収蔵・展示する美術館として1996年に開業し、2004年に現在の名称となりました。
2 展示のみどころ
① セザンヌ
ベルクグリューンは1990年代までは後期印象派の作品も扱っていましたが、20世紀の美術に特化するためその多くを売却しました。ただしセザンヌだけは手元に残していました。ピカソやクレーがセザンヌの影響を受けていたからだと考えられます。
② ピカソとブラック
ピカソとブラックが作り上げた新しい表現方法、いわゆるキュビズムの形成とその変化についての展示です。
キュビズムは、複数の視点から対象の把握し画面上で再構成すること、対象を極端に解体し単純化・抽象化することが特徴です。
このブロックでは、対象を面で分割してカットグラスのようにしたり、周囲と融合させたり、画面に文字や新聞の断片を貼り付ける作品が展示されていました。
初期は風景や静物が解体されて完全に模様化していましたが、次第にこの絵のように構成的になり、第一次世界大戦後には対象が有機的なつながりを持つようになります。この変化は現場で堪能してください。
③ 戦間期のピカソ 古典主義とその破壊
第一次世界大戦後半から戦争終結にかけてフランスでは保守的傾向が強まり、それは芸術にも影響します。ピカソも1920年代には古典的な絵を描いています。
しかし1920年代後半からはピカソは彼を師と仰ぐ若きシュールレアリストの影響を受け、キュビズムの手法で人間や動物を残酷なまでに変形させ、その内面をえぐり出す作風になります。スペイン内戦を描いた『ゲルニカ』はまさにその代表です。
その『ゲルニカ』完成直後に描かれた『サーカスの馬』。人間は被害者にもなり加害者にもなりうるということです。
④ 戦間期のピカソ 女性のイメージ
目を引くのが1936年から1943年にかけてピカソの恋人であった女性芸術家ドラ・マールの肖像画です。先述の複数の視点を画面上で再構成する手法を用いて、戦争が迫ることへの不安感をにじみ出させています。
『黄色のセーター』(1939)。第二次世界大戦勃発直後の疎開先で描かれました。椅子に座るドラ・マールは玉座に座っているようにも見えるし、椅子に拘束されているかようにも見えます。
裸婦像も1920年代から抽象的、幾何学的に描かれるようになります。パリ占領後に描かれた『大きな横たわる裸婦』(1942)は、独房のような狭い部屋の中で女性が人間としての何もかもを奪われたように横たわっています。
⑤ クレーとマティス
パウル・クレー(1879~1940)はスイスの画家で、ワシリー・カンディンスキーらとともに「青騎士 (ブラウエ・ライター)」を結成し、バウハウス(1919年にドイツのヴァイマルに設立された美術学校でモダニズム芸術の発信地)で教鞭をとりました。
その画風は独特のものでピカソとの作風とは違いますが、彼自身はピカソに強い関心を持ちキュビズムの影響を受けているそうです。
植物と窓のある静物画。
アンリ・マティス(1869~1954)はフランスの画家で。フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在として知られます。フォーヴィズムとしての活動は短期間で終了しますが、その後も独自に活動を続けました。
ベルクグリューンの収蔵品の中ではピカソの次に多く、有名な赤を基調とした活気にあふれる絵画だけでなく、初期の頃の落ち着いた絵も収蔵しています。
雑誌『ヴェルヴ』の表紙図案。切り絵や文字のなどキュビズム由来の手法です。
⑤ 第二次世界大戦後
最後の展示は第二次世界大戦後のピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティの作品です。二度の世界大戦と全体主義は人間の尊厳を徹底的に蹂躙しました。戦後の彼らの作品は人間の尊厳を回復することに向かいました。
ジャコメッティ(1901~1966)はスイスの彫刻家で、針金のように極端に細く、長く引き伸ばされた人物彫刻で知られます。哲学者の矢内原伊作と深い親交を結び、彼をモデルとした彫刻も作っています。
ヴェニスの女。『ウルトラセブン』にこんな宇宙人出てきました。
ピカソの『海岸に横たわる裸婦』(1961)。先ほどの裸婦像とは大違い、のんびりと平和を謳歌しています。
おわりに
芸術家は時代の流れと無関係ではいられません。ピカソはパリ陥落後も仲間から逃亡を勧められるのを拒否し、ドイツ軍の厳しい監視を受けながらもパリで創作活動を続けました。時代に対する批判や抗議は創作の源です。
身体の9割がアニメと特撮でできているぶんぶんは、幼少期に食い入るように視た作品を今見返すと当時の社会の矛盾に対する鋭い批判を含んでいて、この体験がぶんぶんの反権力気質の源になっていると自覚しています。
*発展
最近それらがリメイクされていますが、オリジナルの批判精神はどこかに行き、ただ映像を美しくしたり監督お気に入りのシーンを再現するだけにとどまっているように思えます。ぶんぶんは高校演劇の顧問をしていて、過去の作品を上映すると必ず審査員から「今この作品をやる意味は?」と問われるので、観ていて何かもの足らないと感じることがしばしばです。
創作とは作家の違和感を芸術作品を通じて普遍的なメッセージに昇華して人々と共有すること、彼らの課題は私たちの課題でもあることを実感しました。特に20世紀の芸術はメッセージが人々の感覚へダイレクトに伝わります。芸術の力を考えさせられる展示会でした。
会期は5月21日(日)までです。連休中のお出かけ先候補にしてください。