はじめに
新型コロナウイルス感染症は収まる気配がありませんが、感染リスクの低いイベントは開催されています。緊急事態宣言(県独自)が解除された三重県津市にある三重県立美術館の「ショック・オブ・ダリ」展に感染対策万全で行ってきました。
美術館めぐりのブログは久しぶりです。
日本最大のダリ・コレクションを誇る諸橋近代美術館(福島県耶麻郡北塩原村)の収蔵品を中心に、ダリに影響を受けた日本人画家の絵画が展示されています。
諸橋近代美術館。冬季は豪雪により休館です。
目次
1 美術館の様子
入り口
写真撮影可能ポイント 「ダブル・イメージ」(後述)になってます。
三重県立美術館は昔から展示室の広さが特徴、ぶんぶんが行った日は鑑賞者もまばらで、ソーシャルディスタンスは万全です。
2 展示の見所
① サルバドール・ダリ(1904~1989)
今回の記事は本展覧会の図録の文章を参考にしています(2,000円)。フライヤーも載せておきます。出典を示しているのであって、絵はたまたま映り込んでいるだけです。
サルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネクはスペインのカタルーニャ地方の出身で、 シュルレアリスムの代表的な作家です。
アメリカ議会図書館のコレクション収蔵品なのでパブリックドメイン
シュルレアリスム(超現実主義)は理性に基づく近代合理主義を批判し、無意識の領域の中に「よりたしかな現実」(超現実)を求めた運動で。1920年前後に始まりました。
ダリはそれまでのシュルレアリスムが「オートマティズム」(無意識を発露するために何を書くか決めずに高速度で紙にペンを走らせていく。こっくりさん?)のような受動的な方法だったのに対して、「偏執狂的=批判的」方法(パラノイア・クリティック)で能動的に無意識の世界を表現しようとしました。
具体的には、強迫観念の状態を自身で意図的に模倣し、そこで生じた心象風景を客観的に分析して、非合理な世界を意識的に表現します。
この方法はフロイトの精神分析を元にしています。 2021年早稲田大学の文学部で出題されています。
『記憶の固執』は載せられないのでパブリックドメインのもの。時間のプロフィール(1984) Wrocławのスカイタワー入り口のオブジェ(2008-2012 ショッピングモール内に展示中)。 撮影者が権利放棄。
ダリの絵のもうひとつの特徴は「ダブル・イメージ」です。
「ビキニの3つのスフィンクス」(1947年 図録の表紙絵)で、後頭部の白髪と核のキノコ雲の両方がイメージされたふたつの物体と、キノコ雲を連想させる大樹が画面奥に向けて並んで描かれています。
こうした反復(形而上学的こだま)によって、絵を見ている人が「これは頭なのかキノコ雲なのか大樹なのか」と不条理な世界に引き込まれます。
抽象画だとモチーフの原型がわからないことがありますが、ダリの絵は写実的です。それを歪めて反復することで、私たちの脳が物体が歪んでいくように錯覚する、それがダリの「戦略」なのでしょうか。
ダリはまた『反陽子的聖母被昇天』や『蝶と葡萄の風景』で核やDNAなど「人間がふたを開けてはみたが手に負えそうにないもの」を描いています。ある意味それは20世紀の「不条理」であって、ダリが強い関心を抱くのも不思議ではありません。
ダリの飽くなき好奇心や多方面での活動を知ることができる展示です。
*展示の中に、女性の身体がいくつかの引き出しになっていて、それが開いて中が見えるというのがありました。新種の「ヘブンズ・ドア」?
② 日本でのダリの紹介
ダリの絵画が日本に知られたのは1930年代ですが、特にダリの日本での紹介に貢献したのは詩人で美術評論家でもある瀧口修造と山中散生です。
瀧口は1936年に『みずゑ』誌に「サルウァトル・ダリと非合理性の絵画」と題してダリを本格的に紹介し、山中は1936年代にフランスのシュルレアリストたちと文通してその動向を日本に伝えました。
この二人は1937年に「海外超現実主義作品展」を開催しました。展示の多くは複製写真でしたが、シュルレアリスム作品を大規模に紹介し、若い画家に影響を与えました。
会場にはダリらの動向を伝えた雑誌が多数展示されています。
③ 日本の前衛芸術
今回のメイン展示です。
1930年代半ばに日本に伝えられたダリの絵画は、若い前衛画家の作風に急速に作用します。まさに「ショック・オブ・ダリ」です。
1930年代はヨーロッパではスペイン内戦(『内乱の予感』はそれ)、東アジアでは満州事変の拡大、20世紀最大の不条理といえる第二次世界大戦は目前です。多感な画家たちが時勢を嗅ぎ取り、ダリの表現に感化されて思いを表現しています。
靉光(あい みつ)『鳥』(1940年) 講談社版日本近代絵画全集11「三岸好太郎・長谷川利行・靉光」講談社、1963年、より。日本の著作権法では創作者の作品の出版から50年後にパブリックドメインに入ります。
1937年に日中戦争が始まると次第にシュルレアリスムは弾圧され(どう考えても戦意高揚や体制翼賛とは真逆)、画家の多くは出征しました。
戦後復員した画家たちはシュルレアリスムを発展させ、日本の前衛美術をけん引します。小河内村ダム建設反対など社会運動に身を投じた山下菊ニや、ウルトラ怪獣を数多く手掛けた高山良策もこの系譜です。
*身体の9割が実写特撮とSFアニメでできているぶんぶんは、幼い頃ウルトラシリーズの再放送をループで視聴していたため、シュルレアリスムには何か懐かしさを覚えます。反体制気質もそのせい?
一方で戦没した画家もいます。矢崎博信は輸送船が魚雷攻撃を受けて戦死します。靉光も終戦を迎えた上海で病にかかり帰らぬ人となります。
画家たちの不条理に対する心の叫びが直接脳に伝わってくるような展示です。
*発展:矢崎ら戦没した画学生の作品は長野県上田市にある無言館で観ることができます。
おわりに
このブログを書いているのは3月11日、東日本大震災から丸10年です。亡くなられた方々にはやりたいことがたくさんあったはずです。
私たちは常に不条理と隣り合わせで生きています。普通な日常は「有難い」です。
会期は3月28日まで、その後は本家諸橋美術館で行われます。ぶんぶんが美術館に行ったら、朝から県外ナンバーの車が駐車場に並んでいました。感染対策をバッチリしてお越しください。