ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

平山郁夫展@奈良県立万葉文化館2022

 新型コロナウイルス感染症の拡大はとどまるところを知らない中、学校は二学期突入です。(´・ω・`)

 さてぶんぶんはお盆夏休みを利用して、奈良県高市郡明日香村にある奈良県立万葉文化館で開催されている「平山郁夫展―その旅路を辿る―」に行ってきました。

www.manyo.jp

 写真は一部のみ撮影可、SNSは個人の趣味の範囲内とのことなので、100%非営利の本ブログで奈良県立万葉文化館の素晴らしさを全世界に紹介します。(`・ω・´)

目次

 

1 平山郁夫

 日本画家の平山郁夫(ひらやま いくお1930~ 2009)は瀬戸田町(現尾道市瀬戸田町)生まれで、旧制広島修道中学3年在学時、勤労動員されていた広島市内の陸軍兵器補給廠で原子爆弾投下に遭遇しました。

 瀬戸田町生口島にあたります。openstreetmap


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 戦後東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し、前田青邨に師事します。原爆後遺症に苦しみながら仏教をテーマとした作品を発表し、1960年代後半からたびたびシルクロードの遺跡を訪れています。

 後進の育成や文化財の保護でも大きな業績を上げています。ユネスコ親善大使・世界遺産担当特別顧問、東京国立博物館特任館長、文化財赤十字活動を提唱する文化財保護・芸術研究助成財団の理事長などをつとめました。

参考

hirayama-museum.or.jp

 

2 展示の内容

① 広島 瀬戸田町

 最初の展示は被曝した広島の様子や、自身が育ったしまなみ海道の島々の様子です。

 1945年8月6日、爆心地から3kmにある陸軍兵器補給廠にいた平山は、空襲警報が解除されたあと(原爆投下前に気象観測機B-29の1機が広島上空を通過した)、空を見上げると落下傘が降りてくるのを発見しました。

 米軍はよくこの方法でプロパガンダチラシを撒いていたので、彼はみなに知らせようと建物の中に入ったとたん原子爆弾が炸裂しました。

 室内にいたため一命を取り留めましたが、自宅に戻る途中、彼は壊滅した広島市内と被災者の惨状を目の当たりにしました。

 会場ではその時見た落下傘をはじめ、きのこ雲、原爆ドーム、廃墟と化した広島を描いた素描、瀬戸田の漁村の風景が展示されています。

原爆ドーム パブリックドメインQより

② 東京美術学校

 仏教美術、海外の寺院の素描が展示されています。

 八甲田山の残雪を描いた素描が展示されていました。平山は学生たちと八甲田山に取材旅行に行った道中で強い吐き気とめまいに襲われ、医者から「通常の半分しか白血球がなく原爆症」と診断されました。

 体調不良の中で書き上げたのが、三蔵法師玄奘を描いた《仏教伝来》でした(平山郁夫美術館のHP参照)。

 17年にも及ぶ命がけの旅をして仏典を持ち帰った玄奘は、原爆症に苦しみながら創作を続ける平山と重なります。「この作品が私の画家としての出発点」と平山を回顧しています。

発展:玄奘三蔵

東京国立博物館蔵(鎌倉時代。重文)。作者である中国語版ウィキペディアのAlexcnさんによって権利が放棄され、パブリックドメインとされました。

 玄奘は仏典を研究をする中、当時の中国に伝わっている経典だけでは限界を感じていました。彼は629年に唐王朝(当時の皇帝は太宗)に出国許可を求めましたが認められず、国禁を犯して密出国し、河西回廊を経て高昌国に至りました。

 高昌王麹文泰は熱心な仏教徒で、玄奘を高昌国の国師として留めおこうとしましたが、玄奘はハンストで抵抗、諦めた王は旅の資金を援助し、西突厥の王に玄奘の保護を求める手紙を持たせて送り出しました。

 西突厥でも玄奘は引き止められましたが、玄奘の熱意に負けた王は通訳と先の国々への書状を持たせて送り出しました。西突厥の客人だからVIP待遇です。 

 玄奘はその後ソグディアナのオアシス都市を経由し、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに至りました。

地図あり

topics.tbs.co.jp

 彼はナーランダ僧院唯識(一切の諸法は識としての心が現わしだしたものにすぎず、識以外に存在するものはないという説)を学び、また各地の仏跡を巡拝しました。まあたヴァルダナ朝のハルシャ王の保護を受け、ハルシャ王へも進講しています。

 玄奘は学問を修めた後に帰国の途につき、645年に657部の経典を長安に持ち帰りました。彼は麹文泰と「無事天竺に着いたら帰路に仏の教えを進講する」と約束したので高昌国に立ち寄りましたが、すでに唐に滅ぼされた後で麹文泰も亡くなっていました。

 玄奘の頑固だけど信仰に篤く義理堅いところがオアシス都市の支配者に気に入られるところなのでしょうか。

 帰国後は仏典の翻訳に専念し、玄奘が訳した仏典によって法相宗という宗派が成立しました。またその旅の様子は『大唐西域記』として伝わっています。

③ しまなみ海道

 西瀬戸自動車道本州四国連絡橋3ルートのうち一番西側に位置し、広島県尾道市愛媛県今治市を結ぶ延長46.6kmの自動車専用道路で、1999年、約25年の歳月をかけてルートの全橋が完成しました。

 平山の地元であり、各橋の様子を描いた素描が展示されています。

 写真撮影OKポイント

④ 薬師寺 玄奘三蔵院伽藍

yakushiji.or.jp

 薬師寺玄奘三蔵を顕彰するため1991年に伽藍を建設しました。平山がこの事業に参加し、伽藍の壁面に長安からシルクロードを経由してナーランダ僧院に至る絵画を作成しました。

 長安の大雁塔が早朝、ナーランダ僧院が月夜と、壁画が進むにつれて時刻も変化するように描かれています。

撮影OKポイント

伽藍の模型

西方浄土須弥山

⑤ 京都

 最後のブロックは晩年に京都を描いた作品で、フライヤーにある「平成の洛中洛外図」は、平安時代と現在の京都の様子が合成されています。

 

まとめ

 不勉強なぶんぶんは平山郁夫画伯というとシルクロードなのですが、被爆体験と原爆症が彼の創作の動機だということをいまさらながら知りました。

 彼の描くシルクロードの絵からは、旅の過酷さと同時に「よくここまできたものだ」という異世界へのレスペクトを感じます。彼が意識する「命の限界」が創作の根底にあるからかもしれません。

 広島、瀬戸田町の素描は適度に抽象化されていて、特に漁村の様子はぶんぶんの自治体のそれと似た風情で、何か懐かしく暖かな気持ちになりました。

 戦争について、生きるについて考えさせられる展覧会で、平山郁夫のファン以外の方にも鑑賞していただきたいです。

 会期は9月25日までです。

追伸

 定番のシルクロードの版画は展示会の出口で販売されていましたが、ぶんぶんはお値段を見て Σ(・ω・ノ)ノ! εεεεεヾ(*´ー`)ノトンズラッ