ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

ラテンアメリカの民衆芸術@国立民族学博物館2023

はじめに

 暇を見つけて博物館・美術館を巡るなど自主研修を欠かさないぶんぶんにとって無意味の極みであった教員免許更新制がやっと滅亡したと思いきや、文科省は性懲りもなく四月から違う研修制度を発足させます。(# ゚Д゚)

 今回は吹田市万博記念公園内にある国立民族学博物館で開催中の特別展「ラテンアメリカの民衆芸術」に行ってきました。個人の趣味の範囲で写真撮影(一部除く)とSNSでつぶやくのはOKなので、宣伝を兼ねて様子を本ブログでレポートします。

公式

www.minpaku.ac.jp

入り口 何やらファニーな方がお出迎え

目次

 

1 ラテンアメリカの民衆芸術

 展覧会はラテンアメリカで"arte popular"と呼ばれるものを三つの様相から考察しています。ひとつ目は諸文化が生み出したもの、二つ目は国民の芸術として表現されたもの、三つ目は市民による批判的精神の表現とみなされるもの、です。

 いわゆる「アメリカ大陸」では、氷河期にモンゴロイドがマンモスを追って当時陸続きであったベーリング海峡を渡って住みついた先住民が、各地で独自の文化を形成していました。そのうち「ラテンアメリカ」は16世紀にスペインの征服に遭い、ヨーロッパ諸国の植民地となりました。

 地図は啓隆社さんよりご提供。記号抜き白地図は使用OKというお言葉をいただいたのでありがたく使用させていただきます。

www2.keiryusha.co.jp

 先住民を排除して白人が植民する北米とは異なり、ラテンアメリカでは白人男性と先住民の結婚が奨励されたり、先住民の激減(特にヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病が原因)で黒人が「輸入」された結果、複雑な民族構成となり様々な文化が出現しました。

 アメリカ独立革命フランス革命の影響でナショナリズムが高まりスペインの勢力が衰えると、19世紀以降ラテンアメリカの国々は独立を達成しましたが(大西洋革命)、実権を握ったのは現地生まれの白人層で(クレオール革命)、彼らの寡頭支配が長く続きました(オリガルキア)。

無料白地図さんより。お暇ならプリントアウトして、スペイン領、ポルトガル領、イギリス領、フランス領、オランダ領を色分けしてみてください。

 第二次世界大戦後には下層民の不満を背景にしたポピュリズム政治家が現われます。しかしキューバ革命後にラテンアメリカ社会主義が広まると、1970年代には各地で軍事政権が成立、強権的な政治手法に対する民衆の激しい抵抗も起こりました。

 こうした中で、政府の側から国民芸術を「創出」して国家統合を図ろうとする一方、民衆が芸術を政府批判の手段に用いたりしました。

 このように"arte popular"の背景にはラテンアメリカの複雑な歴史があります。

2 展示のみどころ

① 民衆芸術と出会う

 民衆芸術が「儀礼用品」「実用品」「娯楽用品」「装飾品」に分類されて展示されています。

 焼き物 まさかロッ〇ちゃん?

② 民衆芸術の誕生

 コロンブス以前の文化と、コロンブス以後に現地の文化とスペイン人がもたらした文化が混交した様子の展示です。

 古代布

 メキシコの先住民ウイチョルの毛糸絵。毛糸絵は民族の伝統に最近の流行も取り入れられて土産物として販売されています。

 コロンブス以後ラテンアメリカではキリスト教が普及して、先住民の文化と混交しています。11月1日と11月2日はキリスト教の万霊節にあたりますが、メキシコでは死者の日とされ、亡くなった家族の霊が家に戻る日と信じられています。お盆ですね。

 髑髏はメキシコでは大切なものです。アステカ時代に人々は人間の心臓を太陽の神ウイツィロポチトリに捧げて太陽が再び回ることを祈りました。この時生け贄になった人の髑髏を神聖なものとあがめていました。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 多数のアフリカ系の人々がラテンアメリカに労働力として連れてこられました。ガリフナはセント・ビンセント島でアフリカ系と現地人が混交した人々を祖先とします。18世紀末にイギリスは抵抗するガリフナをホンジュラスに強制的に移住させました。そこで収集された踊りの衣装が展示されています。

 会場には他にも東南アジア、東アジアの文化の影響を受けた展示物もありました。

③ 民衆芸術の成熟

 メキシコやペルーでは国民意識の形成のため政府によって文化振興が行われました。

 ペルーの首長人形。アルパカをモチーフにしているそうです。日本のあの方の親戚?入り口の謎の人は後ろに映り込んでいます。

 生命の木。メキシコ国民のアイデンティティが何でも取り込む「多様性」と、いつでも元気な「力強さ」と表現されています。

 しかし民衆芸術が成熟するにつれて、そのまなざしは現実へ向けられます。

 ブラジルの木版画は「紐の文学」という店先で吊されて販売されていたのが発祥です。やせた貧乏な子どもが「オレオ」の缶を蹴っています。他にも「金の生る木」など貧富の差、社会の不平等を絶妙なエスプリで批判する作品が並んでいます。

こ、これは日本の某人気マンガに登場する100tハンマー?

④ 民衆芸術の拡大

 1970年代にラテンアメリカ諸国で相次いで軍事政権が登場し、反対派に対する非人道的な措置を行いました。キューバ革命後、ラテンアメリカ社会主義化を恐れたアメリカ合衆国の支援が背景にあります。

 選挙で社会主義政権を樹立したチリのアジェンデ政権を1973年にアメリカ(ニクソン大統領)の支援で倒したピノチェト政権などが典型で、後にフォークランド紛争を起こしたアルゼンチン(1973)やウルグアイ(1975)でも軍事政権が成立しました。

 こうした軍事政権の人権蹂躙に対して民衆が抗議する際に民衆芸術が用いられました。先述の「紐の文学」の批判精神が政治的主張に昇華したといえます。

 チリの軍事政権下では徹底した人権弾圧が行われ、多数の「行方不明者」が出ました。「アルピジェラ」は手縫いのパッチワークの壁掛けで、行方不明者の家族の様子を描いています。

 軍事政権終了後も80年代の累積債務、90年代以降の「新自由主義」と最底辺の民衆には厳しい時代が続きます。民衆芸術はそれらへの異議申し立てにも向かいます。

 メキシコのオハアカ市では州政府への抗議活動の一環としてストリートアート活動が盛んで、女性やアフリカ系メキシコ人の地位、「アメリカ化」が進展するする先住民、国境を越える危険な移住など、彼らの先鋭な問題意識が描かれています。

 2014年9月にメキシコのゲレロ州でアヨツィナパ師範学校の学生43名が警察に拉致され行方不明になりました。女性はおそらく行方不明の学生の母親で、スカーフには43と書き込まれています。政府による人権蹂躙は私たち自身の課題でもあります。

⑤ ラテンアメリカの多様性

 最後の展示は仮面を通じてラテンアメリカの多様性を解説しています。

おわりに

 今回の展示で強く感じたのは「黙っていては人権は守られない」ということです。

 自然法思想は「人権は神から授かったもの」と訴えますが、本当に神から備わったものなら何もしなくても消えたりはしません。日本国憲法第97条にあるように、基本的人権は私たちの先輩の長年にわたる戦いの結果勝ち取ったものであり、「人権=天賦」はその戦いを正当化するための言説(ディスクール)です。

*関西人であるぶんぶんの言い方だと、基本的人権という概念は「ゴルァ、人権は神様からもらったものや、おまえらなに勝手なことしとんねん!ちゃんと保障せんかい!」という戦いの武器です。

 人権は口を開けて待っていれば空から降ってくるのではなく、戦い続けて保持しなければなりません。そのためには表現の自由、言論・出版・集会の自由は必須、日本国憲法にこれらの条文に何の制限もついていないのは、これが人権を将来に伝えるために必須の武器だからです。

 主権者である私たちは、権力者は隙あらば私たちの人権を制限しようとするものだと思って常にその行動を監視し、おかしいことは即抗議する(両論併記は権力側が利するだけ)、人権を理解しない代議士は選挙で落とすことができます。

 もうひとつ感じたのが「芸術の力」です。

 いくらある人が「おかしいな?」と思っても所詮は個人、権力は個人の意見など簡単にひねりつぶせます。そこで多くの人とその「違和感」を共有し、ともに行動する必要があります。

 その時芸術は効果的です。特に絵や音楽は言葉の壁を越えて普遍的なメッセージを人々に伝えることができます。そしてそれを受け取った人が自分事として具体化することができます。

 「芸術家は政治的発言をするべきではない」というツイートが流れる一方、テレビで芸能人が政治家をヨイショするメディアに違和感をお感じの方は、ぜひご来場ください。

 会期は5月30日(火曜日)までです。