ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

ゲルハルト・リヒター展@東京国立近代美術館2022

はじめに

 東京都は新型コロナウイルス感染症の蔓延で2022年7月下旬から感染者が毎日約3万人を数えています。医療現場が逼迫しているとも聞きます。

 そんな中ぶんぶんは仕事(全国の文化部の生徒が集まる大会)で東京に来ているのですが、一瞬の隙をついて東京国立近代美術館で開催されているゲルハルト・リヒター展に行ってきました。

 平日の午後に飛び込みで行きましたが混雑はなく予約なしで入館できました。中はまあまあのお客さんでしたが、展示会場が広めで(理由あり)ゆっくり鑑賞できました。

richter.exhibit.jp

入り口

 受付の人によると、一部撮影不可のものがありますがそれ以外は静止画撮影OKとのことなので、当ブログで展覧会を全世界に紹介します。(`・ω・´)シャキーン

 本文は会場でいただいたガイドを参考にしています。

目次

 

1 ゲルハルト・リヒター

 ゲルハルト・リヒター(1932年~)はドレスデンの生まれで、地元の芸術アカデミーで絵を勉強しますが、1961年、ベルリンの壁によって東西ドイツが分断される寸前に西ドイツのデュッセルドルフに移住し、その後ケルンを拠点に活動を続けてきました。

 ドレスデンと言えばドレスデン大空襲を思い浮かべます。

リチャード・ピーターさん撮影の有名な写真。Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Germany

commons.wikimedia.org

 長きにわたる芸術的実践の中で、リヒターは非常に多岐にわたる作品を生み出してきました。今回は生誕90年、活動60年を記念する個展です。

 

2 展示紹介

① フォトペイント

 写真をキャンバスに写し取って油絵にしています。

『モーターボート』 1965年 傍でジーっとみたら油彩です。

 リヒターは自由にあこがれて西ドイツに移住したものの、逆に自由であることそれ自体や、作家の主体的な意志や作為事態に疑念を抱きました。

 *そういえば「主体性」の定義を議論しないまま点数化できるものを「主体性」と呼んで評価するというでたらめが日本の教育で横行しています。

 そこであえて撮影者の主観が入りにくい写真をトレースすることで絵画の約束事を回避する、つまり絵画における主観的判断を極力排除しようとしました。

 1966年にシカゴで看護学生8名が惨殺されるという凄惨な事件が発生しました。リヒターはこの事件を扱った新聞記事の写真をもとに1966年に描かれたポートレイトを作成していて、今回は1971年に作られたフォトエディションが展示されています。

 今の日本では殺人事件が起こるとテレビは被害者の生前の写真をこれでもかと取り上げますが、この作品はわざとピントをぼかすことでセンセーショナルな事件性を排しています。

 こうした写真と絵画、写実と抽象が拮抗しあう様子がリヒターの作品の魅力です。会場には静物画、風景画、肖像画といった古典的ながら写真的な風合いを感じる作品、「フォト・エディション」という絵画の複製写真も展示されています。

 『ルディ叔父さん』。写真を絵画にし、さらに焦点をぼかして写真にしています。

② グレイ・ペインティング

 写真は灰色の階調で対象を描きます。この灰色を最大化したのがグレイ・ペインティングです。したがってただの灰色ベタ塗りなのですが、よーく見ると凸凹やグラデーションがあります。

 絵具を混ぜると最後は灰色になります。いわば色彩の最終形態です。フリーザ様も最終形態はシンプルです。

 

③ アブストラクト・ペインティング

 1970年代後半から、パレットにたまたま載っていた絵具の写真や自作の一部分の写真を拡大して描くことから始まりました。抽象「画」ではなく「ペインティング」と呼んでいるのは「抽象的に描くとは何か」を考察する狙いからです。

 これは2017年の最後の油絵で、モネの『水連』を思わせます。油彩はやり切ったとのことで、現在はシンプルなドローペインティングを製作しています。


 ④ カラーチャート

 ケルン大聖堂の改修の際にリヒターは聖人をモチーフにしたステンドグラスを依頼されましたが、悩みぬいた末2007年に完成したのがこのモザイクです。

 ステンドグラスは通常聖書を題材にしますが(定番のイエスやマリアだけでなく、商工業者が寄進したものは各ギルドにゆかりのある聖人の物語が好んで描かれた)、このリヒターのステンドグラスは物語がないだけではなく、全体が9.6センチ四方の無数の正方形の色ガラスで均質になっていて、中心もなければ周縁もありません。

 東ドイツで壁画制作を職業にしていたリヒターにとって、公共空間でイメージがどのように機能しうるかは重要な課題でした(社会主義体制ではプロパガンダの手段としてポスターやモニュメントが公共空間を埋め尽くします)。

 ケルン大聖堂は13世紀に再建開始、途中財政難と宗教改革によって工事中断、19世紀にドイツ帝国国威発揚政策で完成、第二次世界大戦で被害、と常に政治的な公共空間でした。リヒターのステンドグラスは21世紀のケルン大聖堂のあり方に関する彼なりの解答でしょう。

 彼は統一ドイツの連邦議会の絵も依頼されましたが、ドイツの国旗のカラーチャートにしました。旧最高裁の大法廷には聖徳太子を題材にした絵が描かれていたのとは対照的です。

⑤ ビルケナウ

『ビルケナウ』は4点からなる絵画で、アウシュヴィッツ強制収容所で密かに撮影された4枚の写真イメージが基層に描かれています。しかし油絵が塗り込められているため、写真イメージの原形は見る影もありません(元の写真は横に展示。撮影不可)。ただ赤と緑の色は、亀裂から滲み出ている内部の何かのようにも感じます。

 塗り込められて写真がが見えないことそのものが抑圧であり、しかし私たちは塗り込められた先で起きた出来事を写真を手がかりに想像しなければならない、この具体と抽象の行き来そのものこそ、まさに私たちがアウシュヴィッツに向き合う時に求められる姿勢です。

 展示も絵画と写真を向かい合わせに配置し、横に鏡を置くことでこの部屋に入るとビルケナウが私たちを取り囲むような仕掛けになっています。

発展 アウシュヴィッツ強制収容所

地図

 一般にアウシュヴィッツと呼ばれている場所には三つの強制収容所があり(地図の黄色部分)、「労働は自由にする」の看板で有名なアウシュヴィッツ第一強制収容所、鉄道の路線が引き込まれたビルケナウ第二収容所、強制労働のための第三収容所(モノヴィッツ)、それ以外にも小規模な労働収容所や親衛隊の工場、ドイツ人入植者の宿舎など、があり、一帯は収容と強制労働の複合的な施設でした。このうち「絶滅収容所」と呼ばれるのがビルケナウ収容所でした。

おわりに

 19世紀半ばには現実をありのままに描く写実主義自然主義絵画が発展しましたが、写真が登場して写実性では絵画は太刀打ちできなくなります。

 19世紀後半からは絵画は光の動きを捉えたり、見えないものを描いたりする、つまり写真の客観性に対して主観性を重視するようになります。

*20世紀後半には写真も見えないものを描くことに挑戦するようになります。

 リヒターはあえて写真に縛られることで、主観性や絵画の型から自由になり、その上で独特な対象との距離の取り方を模索し続けます。

 ルディ叔父さんからは、絵画でも写真でも表現できない距離感を感じますし、ビルケナウは事実を隠すことで逆説的に私たちに事実に向き合えと訴えます。

 抽象と具体、さらにその境界とは何か、私たちは対象とどう向き合っているのかについては考えさせられる展覧会でした。紹介しきれなかった作品も多数あります。是非会場でご覧ください。会期は10月2日までです。