はじめに
12月17日に萩生田文部科学大臣が、共通テストの国語と数学の記述式の実施を見送ると発表しました。「延期」ではなくて「見送り」だそうです。
発言要旨
大臣の「見送りの理由」を私なりに整理すると
- 大学入試センターと受注業者(ベネッセコーポレーションの100%子会社である「学力評価研究機構」)との間に機密保持や採点の質に関する契約が適切に結ばれていた。
- 採点業者は「採点体制のめどが立っている」と言うが、試験や研修を経て実際の採点者が決まるのは来年の秋から冬になる。
- 採点ミスについては、業者も大学入試センターも「更なる採点精度の向上を図ることできる」と言うが、採点ミスを完全になくすのは無理。
- 採点結果を受験生に開示することも考えたが、そのためには試験の前倒しが必要。学校行事や入試の段取りを考えると不可能。
- 自己採点の一致率も上げることは可能だが、完全に一致させるのは無理。一致するように簡単な問題にすると思考力や表現力を評価することにならない。
- つまり、文科省もセンターも業者も悪くないけど、万全の態勢で臨むには時間が足らないしミスは0%にできないから見送る。
ん~?
大臣があげた「採点者の質」「採点の正確性」「自己採点の不一致」は「50万人規模で行う記述式テストで当然予想される問題」で、繰り返し指摘されてきました。
南風原朝和東京大学名誉教授は2017年の最終答申前の会議でこう指摘しています。
www.mext.go.jp
二つ目は,「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」についてですけれども,ここでは記述式を入れるということによって,様々な期待というか想定されるメリットというのが挙げられています。(中略)ここでの乖離というのは,そういう期待,ないしは想定されるメリットと現実に行おうとしていることとの乖離です。
現実に行おうとしていることというのは,単文の記述式である,それから条件付きの記述式である,そして,採点はその条件に適合しているかどうかをチェックするというものであると。悪い言葉で言えば,ちょっと中途半端な記述式ということになるかと思います。国立大学の二次試験などでやっているような本格的なものであれば,先ほどのメリットの最初のもの,思考・判断能力とか表現というものは測れるかもしれませんけれども,そういったものと,今,実際に行おうとしている条件が合っていれば正解とするという,短い記述式でこういったことが実現できるかというと,これはかなり離れてることだと思うんですよね。
大学や高校の教員、予備校講師、高校生、野党議員が「実施するの無理でしょ!」「簡単に採点できる問題は記述式じゃないでしょ!」と指摘しているのに、先日まで文科省も大学入試センターも「業者が『できる』と言っている」の一点張りでした。
さらに野党合同ヒアリングでは批判に耳を貸すどころか論点ずらしとその場しのぎの答弁に終始していました。
*英語民間検定利用の延期も同じでした。「高校を会場にしてその教員が監督で実施すればできた」とか言ってる政治家がいました。高校の先生が大学入試を自校でするんですか?
見送りの決断には敬意を表しますが、大人の変なプライド(や利権)のために判断を先延ばししたために、現二年生はもとより現三年生も多大な迷惑をこうむったことは明らかです。文科省には反省と検証をPDCAでお願いします。
共通テスト記述式の問題点を整理する回、最終回です。
目次 (リンクしません)
1 前提がやばい←第1回
2 問題がやばい←第1回
3 採点がやばい←第2回
4 自己採点がやばい←ここから
5 利益相反がやばい
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
4 自己採点が不可能
共通テストでは出願までに結果が返ってきません。そこで自分の解答を問題用紙に記録し、大学入試センターが発表する正解例で自己採点し、その結果をもとに国公立大学に出願します。
マーク式ならばほぼ正確に自分の解答を記録できますし、正解例も記号ですから自己採点は容易です。
しかし記述式の場合、わずかな言葉の使い方でニュアンスが変わります。正解例と自分の書いた答えとが完全に一致しない「グレー解答」が当たり前、高校生からすれば「え、これどれぐらいの評価?」と判断に迷います。
これではどの大学に出願すればいいのか明確な決定ができません。
二度の試行調査でも国語は3割が自己採点と不一致、何の改善もありません。
高校生のグループがネット上で模擬自己採点を実施し、高校生や大人(私も)が参加しました。案の定、微妙な解答に対して採点が割れました。「身体性が言語を超える」は本質をついていますが、条件を満たしていないので私が採点官ならCです。
これを「ビジネスチャンス」ととらえ、進研模試では「自己採点キット」がついてきます。親切です(´・ω・`)。誘導式記述対策問題集も各社が販売しています。
中央教育審議会や高大接続システム改革会議の委員として共通テストの議論に加わった元堀川高校校長の荒瀬克己大谷大学教授は、
「記述式では自己採点ができない」という反対意見もあるが、自己採点できないことこそが課題。自分の解答と模範解答を比較し、検討する力がないということだ。生徒に自己採点をする力を付けるにはどうするかが重要。
と生徒に責任を転嫁しています。大人のすべきことは、制度がポンコツとわかれば直すか廃止するかです。
さらに文部科学省は国立大学の二段階選抜(一次試験の点数で二次試験に進むものを選抜する)に記述式は使わないよう大学に要望しました。もし採点ミスや自己採点の不一致で生徒が出願して不合格になったら救済できないから、とのことです。
(゜Д゜) ハア??
自分たちがヤバイと思っているものを受験生に受けろと?
まとめ:自己採点、ヤバイどころか滅茶苦茶だぜ!
5 民間に事業を任せば利益相反の疑いがつきまとう
ベネッセは2017年度に実施された共通テストの試行調査で、作問や採点基準の設定を大学入試センターに助言する業務を約100万円で受注していました。
11月21日の衆議院文部科学委員会で城井崇議員は、19年9月にベネッセが開いた首都圏の高校関係者向けの会合で、配布資料に受注の事実を記載した上、自社の「進研模試」が「入試改革に対応した出題」であることや、「記述力向上のフィードバック充実」をうたっていたことを、文部科学大臣に問いただしました。
「弊社は共通テストに深くかかわっているので、弊社の模試を受験するとおたくの生徒さんにいいことがありますよ」と受け取られかねない発言です。
萩生田文部科学大臣はこの事実を認め、「ベネッセに厳重に抗議し、是正を促す」と述べましたが、次の委員会では「この時のアドバイザリー契約ではそうしたことを禁じる条項がない」とも言っています。
また学力評価研究機構の社長がベネッセでは商品企画開発本部長を務めていることも判明、これでは情報が筒抜けです。指摘を受けてから兼務を解消したそうです。
*内緒でバイク通学していた生徒が先生に見つかって「すぐには交通手段に変えられないので1週間後からはバイクに乗ってこない」みたいな感じ?
しかも「学力評価研究機構」が利益相反の疑いをそらすための「ペーパーカンパニー」ではないか、という疑惑も報道されています。
他にも、GTECを共催する関連会社の「進学基準研究機構」に文科省の天下りがいたり(これも指摘を受けてから解消)、その理事のひとりが改革を主導した「教育再生実行会議」のメンバーだったりと、とにかくベネッセさんは「入試は性悪説」=「一片の疑念を挟む余地も与えない」について認識が甘いと言わざるを得ません。
しかし、ベネッセさんの名誉のために申し添えると、
「模試業者が大学入試の採点や正解例の作成に参画したらやばいんじゃない?」
という疑惑はどこの模試業者が受注しても同じです。つまり「模試業者に共通テスト採点を委託すること」がそもそも制度的矛盾の根幹です。判断した人のミスです。
50万人規模の共通試験を作る団体は、高校・大学・業者から独立し、独立採算制で、徹底的に性悪説、高校や大学の教員の力を借りる際も厳しい守秘義務を課すことが求められるべきです。
ん?それ、「大学入試センター」?
まとめ:利益相反、民間に任せたら不可避だぜ!
まとめ
今回の記述式中止で、「また知識偏重に戻った」とか「AIに失業させられる」とか「10年後退した」(前文部科学大臣)とかいう人がいますが、
- 大学入試センター試験は決して知識偏重ではない
- 思考・判断、表現力は知識を前提にするので知識重視は当然
つまり事実誤認から議論を進め、さらに
- 入試改革をすれば教育が変わるだろうという発想
- しかもそれを共通の一次試験にすべて負わせる
- 推進者の功名心や利権が優先される
という当事者不在、大人の事情優先がこのポンコツ入試改革の元凶です。
私は、国公立大学については、現状通り大学入試センターが行う共通のテストで50万人の基本的な知識と思考力を問い、二次試験でそれらに加えて記述式を課す。必ずしも国語や小論文である必要はなく、アドミッションポリシーにもとづいて他教科・科目で試す、と考えます。
私立大学は、大学によっては記述式が難しいかもしれませんので、「英語検定を活用する大学に補助金」ではなく(こんな露骨なことよく言うなと思います)、「記述式入試を行う大学に補助金」が筋でしょう。
英語については、四技能をバラバラに考えず、共通の試験は代替問題も含ませながら高校の基本的な学習内容を問い、二次試験ではライティングを、アドミッションポリシーにもとづいて独自のスピーキングテストや外部検定を利用する。
ただし複数の検定を利用する場合は不公平のないように(点数化は慎重に、セキュアの保証されていない検定は除外)と考えます。
今後行われる英語四技能の評価(民間試験の活用ではなく)や記述式のあり方については、結論ありきではなく大学・予備校・高校の現場で活動している方を交えて、オープンな議論をしていただきたいと、高校生を預かるものとして切に願います。
「餅は餅屋」「馬は馬方」です。
おわりに
教員の「政治弱い」をバックアップし、この問題にいち早く取り組んでいただいた城井崇さんをはじめ、委員会やヒアリングで文科省を追及していただいた議員の皆さん、まさに「馬は馬方」と感じました。
また教員の「メディア受けがいまいち」(笑)を補ってあまりある高校生と、決死の抗議をした大学生、ツイッターやブログで日々発信された保護者の方々の主体性には感服しました。
なにより「洞穴」から抗議を続けた京都工芸繊維大学の羽藤先生をはじめとする大学、予備校、高校の先生がいなければ、改革の見送りはありませんでした。
ブログで後追いするだけで何の役にも立たなかった私には感謝しかないです。運動に参加されたすべての方々に対して、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
しかし、まだ戦いは続きます。英語民間試験の火種はまだくすぶっています。そしてもっとヤバイ「主体性評価」が手つかずです。