はじめに
2020年度(2021年度入学者選抜)からの「大学入学共通テスト」、不公平と利権(一説では約120億円が見込めるマーケット)が取り沙汰された英語民間検定は、11月1日に英語成績提供システム経由での利用が延期になりました。
この流れで11月14日、野党4党が「大学入学共通テストで国語・数学の記述式導入を中止する法案」を提出します。
11月19日には文教科学委員会で参考人質疑が行われました。
https://online.sangiin.go.jp/kaigirok/daily/select0106/main.html
その後も文教科学委員会や野党合同ヒアリングがあり、野党議員の追及で記述式のグダグダが次々と明るみになりましたが、文部科学大臣および文科省は耳を貸す気配はありませんでした。
ところが、政府与党の公明党から延期の要望書が出て、事態は流動化し始めました。
*大臣は私立中学高等学校連合会(会長の吉田晋氏はお友だち?)や政府与党の要望書は自ら大臣室で受け取るのに、大学の先生や高校生からのは代理の代理みたいな人が玄関先で受け取るんですよね。
この期に及んでも萩生田文科相は「人工知能(AI)による自己採点シミュレーターの活用を検討」と発言しています。「AI!それなら大丈夫だ!」\(^o^)/って受験生が納得するとでも…?
この間、11月6日に高校生が共通テストの中止要請、11月24日に緊急シンポジウム、12月6日には大学教員や予備校講師らが文部科学省に署名を提出し(やっぱり玄関で代理が受け取り)、文科省前では抗議デモも行われました。
#1206文科省前抗議 動画
結論から言うと、私は「50万規模が受験する共通の一次試験に記述式は不要」と考えます。今回は記述式の問題点を、各種資料をもとにまとめます。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
こちらを参考にしています。必見。
目次 (リンクしません)
1 前提がやばい
2 問題がやばい
3 採点がやばい
4 自己採点がやばい
5 利益相反がやばい
*見出しは香川照之の『昆虫すごいぜ!』のスピンオフ『昆虫やばいぜ!』へのオマージュです。
1 前提がやばい
大学入学共通テストの原型は、高大接続特別部会(2012年~2014年)、教育再生実行会議(2013年)、中央教育審議会の答申(2014年12月22日)を受けた「高大接続システム改革会議最終報告」(2016年3月)で提言された「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」です。
中央教育審議会の答申(2014年12月22日)
毎年50万人以上が受験する大規模な試験である現行の大学入試センター試験は、大学入学希望者の基礎的な学習の達成度を判定するという本来的な役割のみならず、高等学校教育における質の保証が課題視される中で、高校生の一定の基礎学力の確保に大きな役割も果たしてきたと評価することができる。
一方で、大学入試センター試験は「知識・技能」を問う問題が中心となっており、これからの大学入学者選抜において評価すべき「確かな学力」の在り方や、下記(2)に示す、高等学校段階の基礎学力を評価する新テストの導入なども踏まえると、「知識・技能」 を単独で評価するのではなく、「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」を総合的に評価するものにしていくことが必要である。
だからセンター試験を廃止して新しいテストでは「思考・判断、表現力を問う」ために記述式を導入するということです。
さてすでにこの時点で事実を誤認しています。
大学入試センター試験は高校修了程度の基礎学力を測る試験としてはよくできていて、知識はもちろんですが、思考力や判断力を問う問題も散見されます。
世界史の場合、「ベトナム戦争~カンボジア内戦~中越戦争の経緯」(2012年)のように、最後は記号で選ぶにせよ、知識と思考を組み合わせて歴史的事象を整理する学習をしていないと解答できない問題も含まれます。
また数学は昔から多肢選択式ではなく、数字や記号を組み合わせる記述式にきわめて近い出題方式が大半を占めます。鉛筆を転がしても正解しません。(´・ω・`)
*むしろ試行調査の方が多肢選択式が増えていて、鉛筆(以下略)が可能です。
したがってセンター試験は「マーク式=丸暗記、多肢選択式=鉛筆(以下略)」という批判は当たらない、教育改革を議論する人がこの認識では「素人考え」と言わざるを得ません。
なお「知識偏重」と言いますが、知識がなければ考えも深まらないし、考えを他人に伝えることもできません。これも「素人考え」だと思います。
「高大接続システム改革会議最終報告」(2016年3月)のダイジェスト版
国公立大学では二次試験で自由記述式を導入しているので「一定の条件を設定し、それを踏まえて結論や結論に至るプロセス等を解答させる条件式記述式」を行うとしていますが、そのタイプの問いは国立でもあります(地歴や理科の説明問題)。
またよく見ると実施時期は両論併記、先に記述式だけやれば入試の早期化、一緒にやれば採点が間に合いません。採点方法も50万人規模を正確かつ公平に行う具体性に欠けます。
反対派が指摘している危惧がこの時点でわかっていながら何ら有効な対策が打てないまま今に至っています。
旗色が悪くなったのか、文科省は「「国立大学の二次試験において国語、小論文、総合問題のいずれも課さない学部の募集人員は全体の61.6%」というデータをだして「国立大学がやらないから共通テストで記述式」と改革を正当化しています。
しかし東北大学の調査では、国立大学の募集人員の87.5%で数式や文などを書く記述式が導入されています。国語と小論文だけが記述式というのは姑息なミスリード、文部科学省は英文和訳や数学の論証問題を何に分類されているのでしょうか。
まとめ
- センター試験はマーク式で知識だけでなく思考力や判断力も試してきた
- 約9割の国立大学は二次試験で知識、思考・判断、表現を統合的に試している
- 進学率5割なのに「大学入試を変えれば高校教育が変わる」は短絡的
つまり中教審答申の時点で「素人考え」による事実誤認が含まれていて、それに対する疑問を放置して突っ走った結果が現在、ということです。
前提、ヤバイぜ!
2 問題がやばい
これはすでに前回のブログで書きましたし、参考人質疑の木村先生、紅野先生の国語の記述式に関する話が参考になります。また11月24日のシンポジウムで小川先生が指摘したこと(6つめの・)も深刻です。以下はその抜粋です。
- 試行調査の問題は、採点の都合から複数の文章から情報を拾い読みしてガチガチの条件に当てはめて解答するにとどまっている。
- こうした勉強を受験生が反復するようになると、条件を与えられねば書けなくなる。主体的な思考を停止させ、出題意図を忖度するばかりになる。
- 「自由に物を考える」という若い人たちの柔軟な発想を、受験勉強の段階でどんどん硬直させていってしまう。改革の理念とは真逆の方向になっている。
- 問題に「学校の一場面を入れよ」という指示、命令が出されて、そこから逃れられなくなっているとしか思えないような強迫的反復が起きている。それによって問題の質が落ちている。
- レポートを書く場面や対話に関する問題が解ければ「その受験生にそのスキルが身についている」といえるわけではない。
- 対話型問題(いわゆる「太郎と花子問題」)は、出題者の思想を受験生に刷り込むことが可能である。
*2017年の試行調査の「部活動の時間延長問題」、生徒会は「多数が延長を望んでいる」と言ってますが、アンケートの数値をよく見ると「多数」とはいえません。この辺を指摘するのが「批判的にテクストを吟味する」です。
つまり「思考・判断力、表現力を共通のテストで試すことで高校教育を改革する」理想のもと記述式を導入したものの、「50万人規模で採点できる問題を作れ」「複数のテクストを読ませろ」「アクティブラーニングを想定した問題にせよ」という無茶ぶりの結果、できた問題は主体性も思考も判断も停止し、出題者に忖度した解答が正解になる、という指摘です。矛盾の極みです。
問題、ヤバイぜ!
*なお世界史Bの試行調査にも「強迫的反復」が見られますが、問題として成立しているのは出題者の学者としての見識とレジリエンスの賜物でしょう。(´・ω・`)
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
以下次号
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