ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

ゴジラ展@名古屋市博物館2017

 世間では「学校は夏休み」ということになっていますが、平日は課外授業(7月中は全員課外という進学校もあると聞きます!)で休日は部活と休みなしです。

 

 さて、仕事の隙を縫って名古屋市博物館で開催されている「ゴジラ展」に行ってきました。

www.museum.city.nagoya.jp

 

*「ゴジラ」は東宝著作権があります。会場は撮影禁止で、撮影可スポットにゴジラスーツが展示されていましたが、「ネット上での公開等は著作権法に触れる場合があります」とありました。掲載は控えさせていただきます。

 

*ブログの内容は主に当日の出品リストと展示品横の解説、福岡と北海道で行われた「ゴジラ展」の冊子、東宝の公式サイトを参考にしています。

 

名古屋市博物館入り口

f:id:tokoyakanbannet:20170722163804p:plain

 

 この日はまだ学校は夏休み前で、まだ混雑と言えるほどではありませんでしたが、年配の方、家族連れ、コアなファンなどが展示を楽しんでいました。

 

 会場は4つのブロックで構成されています。


 第1ブロックはシリーズの最初、『ゴジラ』(1954年)に関する展示でした。

 

 説明によると、プロデューサー田中友幸は当時インドネシアとの合作映画を企画していましたがビザの問題で断念、急遽代替企画を立てることになります。

 同じ年にビキニ環礁での水爆実験と、第五福竜丸被爆が社会問題となっていました。これに着想を得た田中は、「海底に眠る恐竜が、水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」という企画を立てます。

 監督には本多猪四郎が迎えられ、特撮担当として円谷英二(戦中に戦意発揚映画で腕を振るったが戦後に公職追放)も参加します。

 

 会場には初期の企画書(「G作品」)や「ピクトリアル・スケッチ」(場面ごとのイメージ 、いわゆる絵コンテ)が展示されていました。

 テレビ塔が壊されて人々が落下する、急行列車が引きちぎられる、百貨店裏の逃げ遅れた母親(子どもたちに「お父さんのところに行きましょう」という台詞から戦争遺族とわかる)など、名シーンの原案が並びます。

 最終兵器「オキシジェンデストロイヤー」(ガラスの円筒の中に球体が入っている、「シズマドライブ」?)と、開発者である芹沢博士の潜水マスクも展示され、オールドファンが食い入るように見ていました(私も)。

 

 次のブロックは『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年公開)の特撮美術に関する展示でした。

 

 メカゴジラ(機龍)のスーツが展示されていました。左胸に機種名と桜(自衛隊)が刻まれ、両肩にロケットランチャー(弾倉付)が装備されていて、ロボットアニメの影響を感じさせます。

 驚いたのはセットの概略図や、各パーツのプラン図の多さです。国会議事堂をどの縮尺にするとゴジラの見栄えがよくなるか、雲海を飛ぶモスラをどう表現するか、などが念入りに計画されています。

 特にこだわりを感じたのが東京タワーです。作品中、ゴジラのビームが直撃して展望台から折れて倒壊するシーンがありますが、その演出を実現するためにどこにどういう仕掛けをするかが図面に詳細に書かれていました。

 

 私は昔、芝居の裏方を少しかじったことがありますが、演出が「こここんな風にできない?」と急に言い出すと、役者はその場で何とかなるかもしれませんが、大道具・照明・音響は一からプランを練り直す必要があります。

 時間にすればわずか数秒の演出、しかしそれを実現するための労力は半端ではない、映画は多くのスタッフの膨大な努力の結晶だと感じました。

 

 と思ったら、モスラの幼虫が殻を破って出てくるシーンは、スタッフ2人が手にモスラの幼虫をはめて中から手を出す、というお茶目な仕掛けでした(笑)。

 

 三番目のブロックは各映画に登場した怪獣やメカのデザイン、スーツなどおなじみの面々が展示されていました。

 四番目のブロックはゴジラに触発された各種アートの展示でした。特に酒井ゆうじさんのフィギュアが凄すぎです!

 

g-dream.cocolog-nifty.com

 

 撮影OKポイントにはシン・ゴジラのスーツと壊れた東京駅がありました。

 

 東京駅のジオラマ(一部)。これはたぶん?大丈夫(さすがに壊れ方にまで意匠権は設定されてないですよね…)

f:id:tokoyakanbannet:20170725142116p:plain

 

 

感想

 

 会場に1954年の『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』までのポスターの複製が一同に展示されていました。

 

東宝の公式HP、まとめサイトで検索してください。

 

 初期のポスターは当時の映画風(写真じゃなくて絵)で、真ん中でゴジラが暴れ、下部では登場人物が(特に志村喬が渋い!)描かれています。

 しかし次第にゴジラから社会批判的な要素が薄れ、ゴジラが「人類の味方」と描かれる、つまり子ども向け怪獣映画になると、ポスターもほぼ怪獣だけなります(私が映画館で観たのがその頃)。

 「ゴジラと人類の戦い」→「怪獣のバトル」→「ネタ切れ」(迷走?)→観客動員低迷→休止→「初代ゴジラ」に帰る、というサイクルがポスターから見て取れます。

 

*発展    怪獣バトルがメインになると、ロケが減って絶海の孤島が舞台に選ばれます。あれ、有名な刑事ドラマの映画版にも絶海の孤島編が…。

 

 最初の『ゴジラ』はやはり秀逸です。

 

 核兵器の恐怖、人類が制御できない力の前で私たちはいかに無力か、など「伝えたいこと」がまずあり、それを現実の戦争等ではなく「怪獣」で表現したことで、戦争の記憶や政治の暗部など「リアルさを担保するパーツ」が「現実」と「フィクション」との微妙な距離の中に収まり、抽象度が増しました。

 その結果、私たちは『ゴジラ』のメッセージを常に私たちの時代の課題に置き換えることができます。

 

*発展 そうしたメッセージ性と「東京を破壊する」というエンターテイメント性(会場の説明に「国会議事堂が壊れるシーンでは拍手が起きた」とありました)が絶妙なバランスで両立しているところも『ゴジラ』の魅力です。

 

 続編やリメイクは、当然ですが先にゴジラがあって、ゴジラをモチーフに何を描くかが問われます。

    個人的には、よくできているものもあればそうでないものもある、というのが正直な感想です。

 『ゴジラ』に限らず、「今そのコンテンツを使って何をしたいか」がはっきりしないまま、営業上の理由やクリエーターの個人的な思いから「続編、リメイクをしたい」ばかりが先行する作品が近頃多いような気がします(個人の感想)。

 そういう作品ほど現代の世相が「後付けの単なる背景」に過ぎず、観た後で「で、何をしたかったの?」と言いたくなることが多々あります。

 

    私が関わっている高校生の演劇も、「創作」(部員のために書き下ろされたもの)ではなく「既成」(別の所で過去上演されたもの)を上演する時に必ず審査員に聞かれるのが「なぜ、今、それ?」です。

 「その古典を通じて何を表現したいか」「私の課題は何か」、いわば「私の立ち位置」がはっきりしなければ、上演はたんなるコピー、現代風にリメイクしてもただのコラージュにすぎません。

 

 『ゴジラ』は誰もが「リメイクの欲求」に駆られる、しかし作り手は必ず「なぜ今『ゴジラ』?」が問われる、まさに「古典」です。だからこそ世代や国を超えて人々から愛されるのだと思いました。

 

 会期は9月3日(日)までです。お早めに。

 

 

 あ、これは進路指導のブログでした。担任は「手に職をつけたい」先行で医療系学部を志望する生徒に対して、面接のために志望動機を「後付け」するのは慎みましょう(笑)。