高校は夏休みとはいえ補習、部活、AO入試の準備と休む暇がありません。(;´д`)
先日「トルコ至宝展-チューリップの宮殿 トプカプの美-」を鑑賞するため京都国立近代美術館に行ってきました。
公式サイト
地下鉄東山駅下車。駅の広告。
1 オスマン帝国の歴史(建国~17世紀)
オスマン帝国(オスマン朝)は13世紀末ごろにアナトリア地方に建設され、その後バルカン半島に進出、アドリアノープルを首都とします。
1402年にティムール朝に敗北しますがその後盛り返し、1453年にスルタンのメフメト2世がコンスタンティノープルを征服してビザンツ帝国を滅ぼし、以後ここを首都としました。
この時トプカプ宮殿はボスフォラス海峡を望む丘に新たな首都の宮殿として建設され、19世紀半ばまで行政機関とスルタンの住居として使われました。
1517年にはセリム1世がマムルーク朝を滅ぼしてエジプトとシリアを支配下におさめ、メッカとメディナの保護権を得て、イスラームのトップに登りつめます。
さらにスレイマン1世は現在のイラクやハンガリーを征服し、1529年にウィーンを包囲して神聖ローマ皇帝(スルタンからすれば滅亡した「ローマ皇帝」をかたる不届き者)を圧迫し、地中海ではプレヴェザの海戦でヨーロッパの連合艦隊を破ります。
*発展:オスマン帝国の脅威がプロテスタントを後押ししたこと、カール5世と争っていた仏王フランソワ1世がオスマン帝国と同盟し、後の「カピチュレーション」につながる、はテストに出ます。
下の図は1571年のレパントの海戦で、スレイマン1世より後でオスマン帝国は負けました。ウィキメディアコモンズ パブリックドメインの写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Battle_of_Lepanto_1571.jpg
17世紀末に第二次ウィーン包囲に失敗し、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーとトランシルヴァニアを手放しますが、その後もオスマン帝国はバルカン半島を版図に収め、ヨーロッパに睨みを利かせます。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese-Ottoman1683.PNG
2 チューリップ時代
18世紀前半、アフメト3世の治世は「チューリップ時代」と呼ばれています。
チューリップはオスマン帝国領内に自生する花でしたが、15世紀頃から園芸種の栽培が盛んになり、16世紀になると織物、タイル、陶器、その他の工芸品を装飾するモチーフとして流行しました。特に18世紀にはチューリップの栽培と品種改良(2000種類!)に多大な情熱が注がれました。
*発展 17世紀に世界商業の覇権を握っていたオランダにオスマン帝国からチューリップがもたらされ、チューリップの球根が高値で取引されました(チューリップ・バブル)。当時のカタログ。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Semper_Augustus_Tulip_17th_century.jpg
チューリップはトルコ語で「ラ一レ(lâle)」と言います。アラビア文字でラ一レの綴りの文字配列を変えると唯一神「アッラー」に、さらに語末から読むと国旗のシンボルでもある三日月(ヒラール)という言葉になります。
そのような事情からチューリップは帝国の宗教的、国家的な象徴でもありました。
3 展示内容
場内は撮影禁止。( ノД`)シクシク… フライヤーでご勘弁ください。
最初のブロックはスルタンの権威を示す玉座、花押、儀式用の武具などが展示されていました。短剣や手鏡には金や宝石がちりばめられていてキラキラです。東西の交易路をおさえたその財力には驚くしかありません。
一方で玉座の背もたれに施されている金細工には刀、槍、モルゲンシュテルン(鉄球にトゲトゲがついてる武器)が描かれていて物騒です。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
次のブロックはチューリップをあしらった品々です。
イスラームは偶像崇拝を禁じていますから植物やアラビア文字の図案がよく用いられます。衣装、お祈り用絨毯、日用品、ヘルメットの前飾り、ありとあらゆるものがチューリップ柄です。中国製の染付にもチューリップが描かれていました。
オスマン帝国ではチューリップは花卉が長いほど価値があったそうです(フライヤーの上下参照)。そのため一輪挿しにするとバランスが悪いので、チューリップ用の花瓶は首が長くなっています。
と思ったら「バラ水入れ」がありました。ムハンマドの肌はバラの香りがしたという伝承があり、それをリスペクトして信者がバラの香りの水を体にふりかめたそうです。
そういえば私も最近身体から何やら香りが。こっちは加齢(以下略)。
最後のブロックは日本からオスマン帝国に送られた品々が展示されていました。エルトゥールル号の話は有名です。
まとめ
京都国立近代美術館はコンパクトな作りで、サクサク見学できます。宝石やテクスタイルが好きな人には楽しいし(食い入るように見ている人多数)、歴史好きにはオスマン帝国の繁栄と、政治的権威と象徴の関係を考える良い機会です。
展覧会は7月28日までなのでお早めに。
最後に
クラシックと世界史の話題が豊富でいつも楽しく拝見させていただいています。当時のヨーロッパの上流階級がオスマン帝国をどのように見ていたか参考になります。