3回目は一橋大学の解答例を考えながら、大学の先生が世界史を通じてどのようなことを受験生に求めているかについて検証します。
このシリーズの意図は、「解答例」の発表が目的ではなく、大学はどのようなことを生徒に求めていて、そのためにどのような準備をし、試験当日にどうすればいいかを考察することが目的です。考察が主で入試問題は従(著作権法の引用の範囲)という関係ですのでご了承ください。
また高校生が何も見ないでその場でどこまで書けるかを考察しています。ですから私自身も何も見ないで書いています。だから予備校の解答例の方が立派です(一橋だけちょっと見ちゃいました。ごめんなさい)。
*追記6/5
資料編を別のページにつけました。そちらも参照してください。
世界史の入試問題について考える(付録 東大・一橋の傾向) - ぶんぶんの進路歳時記
入試問題は河合塾と日本経済新聞のサイトを参考にしてください(リンクが切れたら東進の過去問データベースに進んでください。会員登録無料です)。
一橋大学 2016年
Ⅰ 難易度 標準やや易
課題 トマス=アクィナスとアリストテレスの「都市国家」論の相違。
条件 両者が念頭に置いていたと思われる都市社会の歴史的実態を対比。
ヒント 聖トマス:地理的・経済的 アリストテレス:政治組織
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聖トマスの時代 |
アリストテレスの時代 |
時代 |
中世ヨーロッパ12世紀 |
古代ギリシア前4世紀 |
住民 |
商人、職人 |
市民は重装歩兵 生産は奴隷の仕事。 |
成立 |
領主から特許状を得て自治を獲得 |
有力者の指導の下に集住 |
政治 |
ギルドによる市政の運営 |
戦争に参加できる男性市民による政治 |
経済 |
交易の中心 |
平時は議論や交易の場。有事は要塞。 |
社会 |
親方、職人、徒弟などの身分制度 |
市民と奴隷 |
文化 |
解答例(追記 5/23 精神面を追加しました)
聖トマスが生きた12世紀の西ヨーロッパの都市の多くは商業都市であった。イタリア、北海・バルト海沿岸に都市が発達し、遠隔地貿易が行われた。商人たちは領主から特許状を得て自治権を得て、市政には商人ギルドが支配した。都市の内部には身分差があり、都市の中心に建てられたカトリック教会は精神生活を支えた。聖トマスの時代の都市は商業が第一義的であった。一方アリストテレスが生きた前4世紀のギリシアの都市はポリスと呼ばれた。貴族や平民は自らの土地を守るために有力者の元で集住し、前6世紀になると市民が重装歩兵としてポリスを防衛した。アクロポリスは有事は要塞、平時は多神教の信仰の中心で、アゴラは政治の場として機能した。成年男子市民は戦士としての役割が求められポリスの政治に参加する一方、農業や商業は奴隷や在留外国人が行った。このようにアリストテレスの時代の都市は防衛という国家としての機能が第一義的であった。(396字)
*中世都市について200字、ポリスについて200字書けば字数が収まります。「地理的、経済的、政治的」が出題者側の加点ポイントです。
*一橋大学の第Ⅰ問はヨーロッパ中世史、特に大陸側のことが細かく聞かれます。OBの増田四郎、本問題の上田辰之助、阿部謹也先生など中世史の碩学を多く輩出しているから、東京大学はイギリス史中心だから(いわゆる「大塚史学」)でしょうか(個人の感想です)。過去問ではカールやオットーの戴冠、ハンザ同盟で400字書かせるという無茶ぶりもあります。過去問でポリシーが予告されているのですから、愛情を見せましょう。この範囲に関する詳しい概説書、用語集の説明部分をもとに「中世史事件用語ノート」を作りましょう。
*ただし時々裏をかいて(出題に困って?)、ルターの宗教改革、ワット=タイラーの乱、今回の古代ギリシア(すごい久しぶりです)などが出題されています。中世史以外の時は教科書レベルで対応できますから慌てる必要はありません。
Ⅱ 難
課題 18世紀初頭にユグノーのために建てられたプロテスタント教会と、18世紀後半にポーランド人のために建てられたカトリック教会の宗教的、政治的背景
条件 二つの聖堂が建設された理由を比較
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フランス教会 |
聖ヘートヴィヒ教会 |
宗派 |
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理由 |
ベルリンにユグノーが定住した |
ポーランド系新住民 |
いつ |
1701年~1705年 |
1747年~1773年 |
様子 |
ドイツ教会と左右に |
ローマのパンテオンを摸して諸宗派の礼拝場所が集う形 |
ヒント |
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国王自身がデザイン |
宗教的背景 |
宗教寛容令 |
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政治的背景 |
フリードリヒ2世啓蒙専制君主。 シュレジエンの領有。オーデル川流域の灌漑と開発、国外からの開拓者の受け入れ。 |
解答例(追記 5/23 「ポーランド分割」を足して字数を稼ぎ?ました)
フランス教会が建設される前、1685年にフランス王ルイ14世がナントの王令を廃止したため、ユグノーと呼ばれるフランスのプロテスタントが国外に亡命した。宗教改革後にプロテスタントを受容したホーエンツォレルン家はこの頃プロイセン国家の建設を進め強大化しつつあった。そこで商工業者が多いユグノーを多数受け入れた。聖ヘートヴィヒ聖堂が建設された18世紀の中頃の国王はフリードリヒ2世であった。彼は啓蒙専制君主として国家の近代化を進め、宗教寛容令を発して諸宗派の宥和を進めた。またオーデル川流域の灌漑と開発を行って開拓地を広げて国外から農民を誘致した。さらにオーストリア継承戦争でポーランドに近いシュレジエンを獲得し、1772年には第一次ポーランド分割によって東側に領土を拡大した。この結果カトリック教徒のポーランド系領民が増加。これらを背景に宗教融和のシンボルとしてこの聖堂が建設されたと考えられる。(388字)
*これは完全解答が難しいドボン問題。18世紀半ばのプロイセンにポーランド新住民が増えた理由は教科書に載ってないし、推理するのも難しい。問題文は「1747年から」なので「1772年に第一次ポーランド分割が行われてポーランド系住民が領内に増えた」は書いてもいいがメインにはならない(駿台はこの話中心、東進は触れてない)。次の可能性は「シュレジエン」、現在ポーランド領でオーストリア継承戦争で占領された(河合塾の解答例参照)。しかしこの時シュレジエンはオーストリア領なのでポーランド系住民と言えるのか不明。なのでこの二つを書いてどれだけ加点されるか不明。東方の開拓地拡大は聞いたことがあるので解答例に入れたが高校生が書くのは無理。ユグノーのところは完全解答して、後半はフリードリヒ2世の宗教寛容令(ヨーゼフ2世の方が有名)を書いて部分点を期待する。
追記 1/2
同志社女子大学2016年の問題のリード文に、シュレジエンのことが載っていました。「10世紀にポーランド人が征服し、13世紀以降はドイツ人によって植民が進められ、14世紀にはベーメン領となった。16世紀にはオーストリアのハプスブルク家の支配下におかれた」とあります。併願でここを受けておけば…。
*Ⅱは例年ヨーロッパの近代史からの出題です。ただし「フランス革命のとらえ方」「良知力(OB)の向こう岸からの世界史」「二宮宏之の絶対王政の構造」など大学の学部生のレポートのような問題が数多く出題されてます。それに比べれば今回の出題は良心的です。ただしドボン問題は大学からのメッセージでもありますから、調べながらでいいから解答を作って自らの教養にしたいです。
追記
2006年のⅡが「ケルン大聖堂をめぐる中世都市の自治やドイツ帝国のナショナリズム」という出題で、教会建築を枕に国家と宗教の関係を問う良問でした。この問題とテイストが似ています。
*昨年度のⅡは「ECとASEANの成立理由とその後の変化の比較」でした。これは世界史と政治経済の複合問題で、生徒の力(横から縦から比較できる、政治経済に関心がある)を試す良問だと思いました。
Ⅲ 標準
課題 1945年以降の朝鮮半島の情勢を説明と、朝鮮戦争が中国及び台湾の政治に与えた影響。
メモ
WW2後 建国準備委員会が発足、朝鮮人民共和国を宣言するがアメリカが承認せず、朝鮮半島は北緯38度で北をソ連、南をアメリカが分割占領することになる。
1948年 南側は李承晩を大統領に大韓民国が成立、北側は金日成を首相に朝鮮民主主義人民講和国が成立する。
1949年 国共内戦に共産党が勝利して、中華人民共和国の建設が宣言される。蔣介石ら国民党は台湾に逃れ中華民国を維持
1950年 北側の侵入から朝鮮戦争が勃発。朝鮮半島全土をほぼ制圧するがアメリカが安全保障理事会を経て国連軍を組織して朝鮮半島に上陸。中国との国境にまで迫る。中華人民共和国はソ連の援助を受け人民義勇軍を派遣する。同年ソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、社会主義陣営に属する。
解答例
第二次世界大戦が終了して日本の支配から解放された朝鮮半島では北緯38度を境に北側をソ連が、南側をアメリカが占領した。1948年に南側では李承晩を大統領とする大韓民国が、北側では金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が成立した。1950年に北側の侵入により朝鮮戦争が勃発した。北側が半島の大部分を制圧すると、アメリカは安全保障理事会の決議を得て国連軍を組織し朝鮮半島に上陸した。1949年に国共内戦に勝利した共産党は中華人民共和国の樹立を宣言し、国民党は台湾に逃れて中華民国を維持した。翌年中華人民共和国は中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、台湾を攻撃したが、アメリカ軍が中国国境に迫ると人民義勇軍を朝鮮に派遣した。朝鮮戦争の結果、中華人民共和国はソ連との同盟を強化して社会主義陣営に入ったが、台湾を制圧する余力を失った。一方国民党はアメリカと米華相互防衛条約を結ぶなど台湾支配を既成事実化し、独裁体制を確立した。(396字)
*朝鮮戦争の経緯は戦後史の有名トピックだが、「朝鮮戦争が二つの中国の状態を固定化した」が書けるかどうかがこの設問のポイント。池上彰がテレ東の現代史講義や尖閣諸島の解説でこの件を説明していたので、観ていた人はラッキー。現役生だと「米華相互防衛条約」は難しいが(関東私立では1952年の日華平和条約も出題されている)「アメリカが台湾政府を支持した」程度は書く。71年まで台湾政府が国連の代表権を持っていたことはセンターレベルの知識。
*気をつけるのは「中国及び台湾の政治に与えた影響」。「影響」が問われたら、直接の変化ではなくて間接的でスパンの長い変化について書く。この場合は中国がソ連と同盟関係を結んで社会主義陣営入りを内外に示したこと、国民党がアメリカの支持の下一党独裁で台湾政府を維持したこと(1987年まで戒厳令が敷かれていた!)を書く。
*一橋大学のⅢは東アジアの近現代史(たまにヌルハチと康煕帝)が多いです。日本の軍事行動も含め(「自虐史観」とかいっちゃ駄目。国立大学は基本反権力)この部分は日本史の教科書も参考に詳しいところまで整理しましょう。愛情を試されています。2年続けて戦後史が出題されたのは現役生には厳しいですが、社会科学系の最高峰を受験するなら政治経済との乗り入れ問題はクリアしてほしいです。
大学はどこでも研究や教育に強い特徴を有し、プライドを持っています。しかし現実には高校や受験産業は大学を「入りにくさ」という指標だけで「○○大学は難しいから△△大学はどうだ」とやってしまいます。一橋大学は東京大学とそういう文脈で論じられるのが嫌で、独特の出題をするのだと思います。
しかしそうした姿勢は、ややもすれば「高校生の何を試したいのか」がぼやけてしまうことにつながります。実際に一橋大学の過去問の中には「それ高校生に聞いてどうするの?」というものがあります。
ただ今年のⅠやⅢ、去年のⅡやⅢ(清朝の冊封体制が対等外交に変わる過程)は、高校生が学習した内容を違う角度から再構成できるか問うタフな良問です。現場のものとしては、一題は一橋ワールド全開で結構ですから(笑)、他の二題はこれぐらいの難しさでお願いしたいです。