世界史の入試問題を解きながら、大学が発するメッセージを読み解き、受験生が何をどう準備するかについて考えます。
第三回は一橋大学です。
問題は新聞各社発表のものを参照してください。
解答例は私のオリジナル解釈であって、正解ではありませんので念のため。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
一橋大学 2018年
Ⅰ
課題:11~13世紀ヨーロッパにおける「空間革命」の契機と結果として生じたヨーロッパの経済、社会、文化上の変化
ヒント:空間は人々の生活を規定する。空間の拡大によって人間の意識も変わる
メモ
11世紀:農業革命…三圃式 重量有輪犂の発明 修道院の開墾運動
12〜13世紀:十字軍運動
空間の広がり:地中海(十字軍) エルベ川以東(東方植民) イベリア半島(レコンキスタ)
経済:地中海交易の繁栄 東方貿易 北海・バルト海貿易
社会:封建制度の解体(王権の伸張、諸侯の没落)
解答例
11世紀には気温の温暖化や三圃式農業や重量有輪犂の発明により生産力が拡大し、また修道院の開墾運動で耕地も広がりキリスト教が農村でも普及した。この経済発展とキリスト教の信仰が結びついて十字軍、東方植民、国土回復運動が発生し、ヨーロッパ世界が拡大した。この結果、経済面では北イタリア諸都市を中心に地中海での東方貿易が発達し、北ドイツ諸都市もバルト海、北海貿易で繁栄した。またエルベ川以東の開発も進んだ。さらに貨幣経済の発展により荘園では貨幣地代への移行が進み、独立自営農民が出現して封建制が解体に向かった。社会的には十字軍の失敗で教皇権が低下し諸侯が没落する一方、十字軍の指揮を執った国王の権威が高まって集権化が進行した。文化的にはイスラームやビザンツの文化が流入してラテン語に翻訳され、アリストテレスがスコラ学に取り入れられ、各地に大学が生まれるなど十二世紀ルネサンスと呼ばれる文化の復興が起こった。399字
ポイント
「11世紀からヨーロッパ世界の空間が広がった」なので、十字軍運動の背景とその結果について高校生レベルで知っていることを書けば400字に届きます。
ただし「空間の広がり」なので、イスラーム十字軍以外にも触れる必要があります。「文化」は、イスラームやビザンツの文献の翻訳運動とスコラ学が必須です。
*一橋レジェンドの阿部謹也先生は中世後期ヨーロッパが専門で、一般向けの本でまず有名になったのがこちらです。一橋の過去問にも東方植民の出題があります。
Ⅱ
課題 歴史学派経済学と近代歴史学の相違について それがどのようにして生じたのか。両者の成立した歴史的コンテクストを対比しつつ。
メモ
歴史学派経済学:フリードリヒ=リスト。古典派経済学(自由主義)に対抗。各国の経済を歴史的な発展段階でとらえる。保護関税貿易を正当化
→古代の経済は経済の発展段階のどこかに位置づけられる。
近代歴史学:ランケ。従来の聖書の歴史やヘーゲルの(おおざっぱな)歴史法則論を否定し、厳密な史料批判に基づく実証主義的かつ科学的な歴史学を確立する。
→古代の経済はその時代の固有のあり方ととらえる。
解答例
歴史学派経済学は啓蒙思想など普遍を重視する立場に対して人間の感情や民族を重視するロマン主義の流れを受け、経済を市場の原理や法則からとらえる古典派経済学に対抗して各国の歴史的な違いを踏まえて国民経済の段階的進化を解明する立場を取る。当時のドイツは工業が未発達なため自由貿易主義ではなく保護関税政策をとる必要があり、歴史学派経済学はこのドイツの国情を背景としていた。近代歴史学は同様にロマン主義による過去への関心の高まりとドイツ国民意識の発揚を背景とするが、同時期に科学的方法論が信頼を得たことも背景に、従来の聖書を拠り所とする歴史ではなく、史料批判に基づく実証主義的な研究方法で歴史学を科学に高めた。そのため歴史を現在との連続性の観点やヘーゲルのいう法則性ではなく、過去を事実としてありのままにとらえようとする傾向を持つ。したがって前者は古代経済を発展段階の一局面ととらえ、後者は固有のあり方と考える。400字
ポイント
「なんじゃこりゃー!」です。受験生の皆さんは面食らったと思いますが、19世紀の文化史でランケとリストは取り上げます。習ったことをひねり出すしかありません。
リストの「歴史学派経済学」は「ドイツ関税同盟」との関わりで、授業で必ず扱います。
古典派経済学の「市場原理主義」や「自由競争」には「公正」(フェア)が前提です。しかし現実の国民経済だと国ごとの経済力、政治力に差があります。ボクシングで言うと減量しないで体重オーバーしているチャンピオンと戦うようなものです(あれ、どこかであったような)。
だからドイツの言い分は「僕はまだ子どもだから大人のイギリスとガチ勝負は不公平、大人になるまではちょっと保護させて」ということです。似たようなことは現在の多国間協定でもあります。
*発展:昨今自由主義、市場原理主義の名の下に(高校も他人事じゃないです!)弱者切り捨てがまかり通っていますが、アダム=スミスは『諸国民の富』の中で、経済で必要なのは「他者への共感」とも言っています。ちゃんと読んで欲しいですね。
ランケに始まる「近代歴史学」は大学一年生の史学概論で習います。高校生には酷ですが、上記の解答例を見ればだいたいイメージできると思います。
イギリスは「工業力は世界一イイイイイ!」、フランスは「自由・平等とフランス語は世界一イイイイイ!」を「国民の誇り」にしたのに対して、ドイツは「ゲルマン民族の固有性」をナショナル・アイデンティティにした、と理解できます。
「歴史は科学か」と突きつけられると微妙ですが(笑)、人間の書いた文書には必ず書き手の意図があるわけで、それを鵜呑みにせず様々な史料と照合するという実証主義的手続きは不可欠です。
なおリストもランケも19世紀ヨーロッパに出現する「国民国家」という枠の中で議論しているので、「ドイツの国民経済」「ドイツ民族の歴史」というナショナル・ヒストリーの点では共通しています。
*発展:日本もかつては「大塚史学」と呼ばれるナショナル・ヒストリーが西洋史研究の中心でした。
Ⅲ
問1 三・一独立運動 五・四運動
問2 両運動の背景および展開過程、意義(問1とあわせて400字)
メモ
日露戦争~ 3次にわたる日韓協約
第2次、外交権を奪う(保護国化)→第3次 軍隊の解散
→義兵闘争の盛り上がり
→武断政治 土地調査
1915年 日本、二十一か条要求。山東省のドイツ利権の譲渡
1918年 ウィルソンの14か条 植民地問題の公正な解決 民族自決
山東省のドイツ利権は日本が引き継ぐという秘密約束
ソウルで三・一独立運動→文化統治に切り替え
北京で五・四運動→北京政府、ヴェルサイユ条約の調印拒否
解答例
日本は日露戦争後に列強の承認を得て韓国を保護国化し軍隊を解散させた。これに対して義兵闘争が発生したが、日本は1910年に韓国を併合し、朝鮮総督府を置いて武断政治を行った。1918年にウィルソンの14か条が発表され、翌年にパリ講和会議が始まると民族自決の気運が高まり、ソウルで独立運動が発生した。日本はこれを弾圧するが、その後は文化政治と呼ばれる同化政策を推進した。また上海の大韓民国臨時政府は独立運動の継続を訴えた。一方中国は二十一か条要求など日本の圧迫に苦しみ、戦勝国としてパリ講和会議に出席して山東省の利権の返還を求めたが、ヴェルサイユ条約ではこれを日本に譲渡するとしていたので、北京で反対運動が発生し、全国に波及した。この影響で北京政府はヴェルサイユ条約の調印を拒否した。両運動は日本への反発を契機に発生し、両地域の民族意識を高めて反帝国主義運動の原点となった。384字
ポイント
背景は日本の植民地主義、意義は後の反日運動、反帝国主義運動と民族意識の高揚と考えて、その線に沿って事項を時系列に並べていけば400字に到達します。
うーん。「民族意識と反日」という枠組みは今でも継続しているような気が。
せっかくなので「土地調査事業」も覚えておきましょう。
朝鮮総督府は農民に対し「近代的土地所有権を認めますからあなたの農地を申告しなさい」と求めます。ところが前近代の農民からすれば「どこまでが自分の農地」かは曖昧です。
申告の結果、広大な「持ち主不明」の土地が発生し総督府が没収、その一部が貴族、官僚、日本人企業に払い下げられます。この結果多くの農民が土地を失います。
これはフランスがインドシナ植民地で行った方法と同じです。日本政府は植民地経営でフランスの手法をかなり研究したそうです。
おわりに
ここ2年ほどは教科書の範囲から難問を作るというスタンスだったのですが、ひさしぶりにヨーロッパ中世史、無茶ぶり(笑)、東アジア近現代という「黄金リレー」(勝利の方程式?)が復活しました。
一橋大学の出題を見ていると時々類似した問題が出るので(同じ先生が作っている?)過去問研究は大事です。中世ヨーロッパ史と東アジア近現代史には穴がないようにしたいものです。
こちら
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次回は大阪大学
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