ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

世界史論述 定番テーマに挑む(3 外交政策)

 世界史の論述試験の典型テーマ、第3回は外交政策です。

 最近大国が「一国行動主義」に傾こうとしています。「覇権」「帝国」は反権力を標榜する最難関大学を受験するなら用意しておきたい部分です。

 

過去ログ

 

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例題1 冊封体制

 

大阪大学 2008年

課題 中国の近代以前の世界観と外交関係 近代以降の変化 150字程度

語句 朝貢 冊封 アヘン戦争 不平等条約 日清戦争 宗主権


マトリックス

 

世界観

外交関係

近代以前

中華が世界の中心 周辺はその延長

周辺国は中国と形式的な君臣関係を結ぶ。貢ぎ物と贈り物の交換

朝貢冊封

近代以降

中国と外国は対等な主権国家

アヘン戦争 不平等条約

日清戦争

中国と冊封諸国は対等な関係。外交は力関係

宗主権

 

 

解答例

近代以前の中国は中華思想に基づき、周辺国の朝貢を受け入れ称号を与える形式的な君臣関係を結ぶ冊封体制を構築した。清はアヘン戦争敗北後ヨーロッパ列強と不平等条約を結び、アロー号戦争後は総理衙門を設置するなど対等外交を受け入れた、さらに清仏戦争日清戦争で敗北してベトナムと朝鮮の宗主権を放棄し冊封体制は崩壊した。

154字

 

ポイント

 「中華思想」は論述マスト概念(2015年の京都大学、2015年と2012年の一橋大学)。世界観は「中華思想」と「主権国家体制」、外交関係は「冊封」と「対等外交」を比較する。

 「対等外交の原則」は南京条約に出てくる。高校生だと「不平等条約って対等じゃないよ」と思うところだが、タテ社会で恩恵の冊封と、ヨコ社会で実力主義主権国家体制とを比較する。

 中華思想の理解は2の問題でも必要。また朝鮮王朝の「小中華」(朝鮮王朝は明の正当な後継者、清は夷狄、日本も夷狄)、江戸幕府の「四つの口」もバリエーション。

 

 一橋大学の類題は「外交の一環としての貿易」と「自由貿易」の比較もしたい。

 大阪大学朱印船貿易の理由を問う問題があった。日本は諸般の理由で明と朝貢貿易が出来ない(いわゆる「出禁」)ので、東南アジアで中国の絹などを手に入れた(「出会い貿易」)。

 

 

例題2 中華と遊牧民

 

京都大学 2007年

課題 中国歴代王朝が北方民族にとった懐柔策や外交政策

条件 紀元前2世紀から16世紀 できるだけ多くの事例を挙げる

 

マトリックス

 

北方民族

懐柔策

参考 討伐策

前漢 

匈奴

高祖 和親策 張騫を大月氏へ派遣

武帝の討伐

後漢

匈奴

東西に分裂 南匈奴の服属

 

隋  

突厥

突厥を分裂させる

高句麗の討伐

唐  

突厥 吐蕃 ウイグル 

突厥を服属させる 羈縻政策 家人の令 公主降嫁 安史の乱

 

宋  

契丹

澶淵の盟

 

南宋 

女真

紹興の和議

 

明  

オイラトタタール

海禁の緩和

 

 

解答例  追記 3/1 間違いを直しました

前漢の高祖は匈奴冒頓単于に敗北し毎年銀や絹を送るなど和親策をとった。武帝匈奴を挟撃するため張騫を大月氏に派遣した。後漢は分裂した匈奴のうち南匈奴を服属させた。隋は突厥を分裂させ、唐は東突厥を服属させ都護府を置いて間接統治を行った、有力な遊牧民とは家人の礼をとって同盟し、安史の乱後台頭したウイグルとは絹馬貿易で懐柔した。北宋契丹と澶淵の盟を結んで燕雲十六州の領有を認め、兄弟の礼を取り毎年銀や絹を送り、西夏とも君臣関係を結んだ。南宋は金と和議を結び、金に臣下の礼をとった。明は冊封体制を再整備して朝貢貿易を行ったが、15世紀にオイラト、16世紀にタタールが台頭すると和議を結んで貿易を拡大した。297字

 

ポイント

 匈奴の分裂、家人の令(『漢宮秋』に出てくる公主降嫁がまさにそれ)は現役生には難しいが他は書ける。東突厥の服属や絹馬貿易は難関私立の過去問にあり。

 清朝にとってアヘン戦争講和条約は「遊牧民に金を渡して懐柔する」みたいな認識だったので貿易額は増えず、アロー戦争につながる。

 


例題3 ヨーロッパの主権国家国民国家

 

東京大学 2006年

課題 戦争を助長したり戦争を抑制したりする傾向がどのように現れたか。510字

条件 三十年戦争フランス革命第一次世界大戦の三つの時期

語句 ウェストファリア条約 国際連盟 十四カ条 『戦争と平和の法』 総力戦 徴兵制 ナショナリズム 平和に関する布告

リード文のヒント

近代以降のヨーロッパで主権国家が成立→民主主義が発展するが各地で戦争が多発するという矛盾→民主化国民意識の高揚をもたらし、対外戦争を支える国内的基盤を強化したため→国際法制定、国際機関設立など戦争の勃発を防ぐ努力もなされた。


マトリックス

 

戦争を助長

戦争を抑制

主権国家と民主主義

国民意識の高揚 戦争を支える国内基盤

国際法 国際機関

三十年戦争

主権国家の利害対立 傭兵の使用

ウェストファリア条約→勢力均衡

 『戦争と平和の法』→国際法の必要性

フランス革命

革命防衛戦争→ナショナリズム

徴兵制→国民軍、農民が戦争の主体

ウィーン体制 勢力均衡

民主主義

第一次世界大戦

秘密外交→祖国防衛戦争

総力戦→国民生活が戦争のために再編成される。

平和に関する布告→無併合無賠償

十四カ条

国際連盟  集団安全保障

 

解答例

三十年戦争主権国家成立後初の国際戦争であった。王朝の利害対立が戦争を引き起こし、傭兵の略奪によってドイツに大きな被害を出した。ウェストファリア条約でドイツの領邦を含む主権国家の権利が認められ勢力均衡が図られる一方、グロティウスは戦争と平和の法』国際法の必要性が訴えた。フランス革命では政府が民主主義など革命の成果を防衛するという名目で戦争を起こし、その結果ナショナリズムが高揚し徴兵制による国民軍が編成された。ナポレオンの大陸支配によってナショナリズムと国民軍がヨーロッパに広まると、国民国家を建設するための革命運動や統一戦争が19世紀後半まで断続的に発生した。その後国民国家体制が確立すると国家間の軍事同盟網が形成され、第一次世界大戦が勃発した。各国はナショナリズムを高揚させ総力戦体制を敷いたため、国民全員が戦争に巻き込まれることになった。総力戦に耐えかねたロシアで革命が起こり、ボリシェヴィキ平和に関する布告を出して即時停戦や民族自決を訴えた。それに対抗して出されたウィルソン大統領の十四か条には秘密外交の禁止や国際的平和機構の創設が盛り込まれ、戦後に初の集団安全保障体制である国際連盟が発足した。

505字


ポイント

 民主主義が戦争を助長する、国民国家の外交手段であった戦争が自己目的化する、など民主主義と戦争について考えさせられる良問。

 三十年戦争主権国家フランス革命国民国家、WW1=総力戦という意味づけができていて、その影響を抽象的に整理できているかが勝負所。

 高校生に難しいのが「ウェストファリア条約」から「主権国家の勢力均衡」をひねり出すところ。次にフランス革命について「自由・平等」だけでなく「国民統合と国民軍」に着目する。総力戦体制の部分は指定語句がたくさんあるので書きやすい。

 

 

例題4 戦後の世界

 

京都大学 2014年

課題 第二次世界大戦終結から冷戦の終わりまでのドイツ史 300字

条件 ヨーロッパでの冷戦の展開との関連に焦点を当てて


マトリックス

 

ドイツ

冷戦

1940年代

4国で分割 ベルリンも4国分割

冷戦の開始

 

東西ドイツの分離独立

ベルリン封鎖 

1960年代

ベルリンの壁建設

キューバ危機

1970年代

ブラントの東方外交 東西ドイツ国連加盟

デタント

1980年代

ベルリンの壁崩壊 東ドイツ社会主義政権崩壊 ドイツの統一

ゴルバチョフペレストロイカ 冷戦終結

 

解答例   2/12修正

第二次世界大戦後ドイツとベルリンは東西に分割され西側を米英仏が、東側をソ連が占領した。ソ連ベルリン封鎖を契機に西側はドイツ連邦共和国、東側はドイツ民主共和国として独立し、それぞれNATOワルシャワ条約機構と東西陣営に組み込まれた。50年代にソ連の平和共存路線によって緊張が緩和するが東から西への人口流出を契機に東ドイツが東西ベルリン間に壁を建設して対立が再燃した。70年代の緊張緩和の中で関係改善が進み、両国は東西ドイツ基本条約で相互を承認し、国連に同時加盟した。80年代にソ連ゴルバチョフが現れ89年に冷戦が終結すると、ベルリンの壁が開放され東ドイツ社会主義政権が崩壊して90年に東西ドイツが統一された。299字

 

ポイント

 テーマに沿って必要な事項をピックアップする京都大学の定番問題。現代史は手が回らない受験生が多いと思うが、冷戦は一通り押さえておきたい。解答例は名前を削り、冷戦の対立と緩和の流れを重視した。

 

 

類題演習

 

1 大阪大学 2009年

課題 1947年~1949年のヨーロッパを舞台とした国際政治の情勢 300字程度

 

解答例

1947年にアメリカ合衆国がマーシャルプランを発表し、ヨーロッパの共産化を防止するため復興支援を表明した。それに対してソ連は東欧諸国らとコミンフォルムを結成し、翌年にはコメコンを結成した。48年にチェコスロヴァキア共産党のクーデタが起こると西ヨーロッパ諸国はブリュッセル条約を結び、49年に北大西洋条約機構に発展した。ドイツとベルリン市は西側を米英仏が、東側をソ連が占領していたが、48年に西側が通貨改革を行うとソ連が反発してベルリンを封鎖したが、西側は空輸による物資輸送で抵抗した。1949年にソ連ベルリン封鎖を解除したが、西側はアデナウアーを首相とするドイツ連邦共和国、東側はドイツ民主共和国として分離独立した。301字

 

ポイント

 授業で戦後史をしっかりやっているかどうかで差がつく問題。

 

 

2 京都大学 2007年

課題 米ソ冷戦下で1960年代に世界各地で起きた多極化の様相 300字

条件 1950年代半ばに変化の兆し、60年代に本格化

 

解答例

西側陣営ではフランスのド=ゴールが核保有を宣言し、NATOを脱退するなどアメリカと距離を置く姿勢を取った。また67年にはECが発足してアメリカの経済力に対抗した。東側陣営では中華人民共和国ソ連の平和共存路線に反発して中ソ論争を起こし、69年にはソ連と国境紛争を起こした。またフランスと共に部分的核実験禁止条約に参加せず核実験に成功した。東欧ではアルバニアルーマニアソ連と距離を置くようになり、68年にはチェコスロヴァキアドプチェクらが「プラハの春」と呼ばれる民主化運動を起こしたが鎮圧された。ユーゴスラヴィアでは非同盟諸国首脳会議が開かれ、アフリカでは1960年に17の国が独立するなど第三勢力が台頭した。296字

 

ポイント

 「多極化」から東西陣営の独自路線と途上国からの異議申し立ての両方を思いつく。「50年代から変化の兆し」がヒント。アルバニアルーマニアは難関私立2周目知識。

 

* 1980年代の歴史は東京大学の2016年の問題をやっておく。

 

 次回はグローバル化について。