入試問題を解きながら大学からのメッセージを読み解き、受験生が何をどのように準備するかについて考えます。
前回
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第4回は大阪大学です。
次の学習指導要領から始まる「歴史総合」や「歴史用語の精選」に関わっている先生がいることから、出題にその影響を感じます。
*発展:阪大を受験するならこちらを読むといいです。
問題は予備校のサイト経由で各新聞社発表のものを参照してください。
解答例は私のオリジナルです。
日本経済新聞に飛びます。ご入用の方はお早めに。
大阪大学 2018年
Ⅰ
問2 (1) 「人主」の地ではどのようなシステムで周辺の諸民族・国家を支配し、外交関係を結んで帝国を維持しようとしたか。唐から宋を中心に。150字程度
解答例
唐は周辺の諸民族には自治を認める羈縻政策を、新羅や渤海には爵位を与えて君臣関係を結ぶ冊封関係を、日本やチャンパーには使節の来朝を認める朝貢関係を、有力な遊牧民には家人の礼をとり同盟関係を結んだ。宋は高麗や大越とは冊封関係を結び、契丹とは兄弟の礼、西夏とは君臣関係、金には臣下の礼をとり毎年絹や銀を送った。153字
*ポイント:「システム」なので概念用語を中心にしました。唐の対外関係は資料集に載っています。冊封・朝貢関係については何度か出題されています。
(2) 均田制
問3 「宝主」の地で7世紀後半に誕生した新たな帝国の影響でどのような社会や国家になったか。100字程度
解答例
7世紀後半にウマイヤ朝が成立すると、イスラームの宗教的責任者かつイスラーム共同体のウンマの長であるカリフが世襲の権力者となりイスラーム法のシャリーアを施行して、それを基準に政治、社会、商業が秩序づけられた。104字
*ポイント:社会の秩序がシャリーアをベースにするようになったことが肝。
問4 「馬主」の地に移住してコロニーを形成した人々の7~9世紀の「馬主」の地における政治・宗教・文化面での貢献。120字
解答例
ソグド人は中国と遊牧国家を交易で結び、政治的には突厥やウイグルの統治や財務に協力して強大化を助けた。宗教面ではゾロアスター教やマニ教を唐代の中国に伝えた。文化面ではソグド文字を東方に伝え、それはウイグル文字やモンゴル文字の元になった。117字
*ポイント ソグド人は教科書での扱いは少ないが、中央ユーラシアのキーパーソン。断片的に教科書に出てくる事項をかき集める。『市民のための世界史』にはがっつり載っている。
こちらも見てくださいね!
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Ⅱ
問1 孔子像1が描かれた8世紀のアジア、同2が描かれた17世紀末のヨーロッパ、それぞれの学問、思想をめぐる文化的な背景 200字程度
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8世紀アジア |
17世紀ヨーロッパ |
学問 |
経験論 合理論 |
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思想 |
自然法思想 社会契約説 |
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文化的な背景 |
科学革命、近代的合理主義。市民社会の台頭 |
解答例
8世紀の中国では儒学が官学とされて科挙の出題科目となり、経典の解釈を中心とする訓詁学が盛んになった。しかし儒学が国家と結びついたため学問的発展は乏しかった。東アジアの王朝もその権威付けのために儒学や仏教を受容した。17世紀のヨーロッパでは科学的な発見、主権国家体制の確立、市民層の成長を背景に王立アカデミーが整備され、経験論や合理論、社会契約説など近代合理主義思想が広まり、市民革命の理論的根拠を用意した。203字
*ポイント:学問は自由でなければ発展しませんが、為政者の保護がないと成り立たないのも確かです(自由な研究を保障されている国立大学法人も税金で運営)。
しかし設置者に資する(権威付けや実用の)学問しかしないのか、その目を盗んで(笑)時代を変えるような学問を目指すのか、今も昔も悩みは同じです。
なお17世紀ヨーロッパの学問は二年前に出題されています。阪大お得意の「出来が悪いと続けてくる」パターンです。過去問はやりましょう。
*発展:儒学に革新が起こるのは宋代、周辺民族の圧迫の中で禅宗の影響を受けて物事の道理から大義名分論や華夷の別を説く(「僕たち中華の方が偉いんだぞ!」という強がり?)宋学が形成されます。
*発展:18世紀の啓蒙思想は大西洋革命の理論的支柱になりますが、元々は貴族が主催するサロンで花開きます。
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問2 清朝の「異民族の王朝」という非中華イメージと「歴代中華王朝の最後のもの」というイメージの共存が、どのような清朝の特徴から導き出されるか。180字程度
メモ
◇「異民族王朝」イメージ
藩部では「モンゴルの後継者」。チベットのダライ=ラマやウイグルのベク制の維持。夏場は遊牧世界で過ごす。
満漢併用制、辮髪、禁書、文字の獄
◇「歴代中華王朝の最後のもの」イメージ
明の官制をそのまま流用
科挙の実施。儒教を尊重→編纂事業は反清思想の取り締まりの一面も
解答例
満州人である清の皇帝はモンゴルの大ハーンと明の中華皇帝の両方を受け継ぐ存在であった。藩部ではチベット仏教やイスラームを保護し、漢人や周辺国に対しては中華皇帝としてふるまい、冊封・朝貢関係を維持した。また明の官制を流用し、科挙を実施して儒教を尊重し、編纂事業で伝統的学問を保護する一方、重要な官職は満漢併用制をとり、辮髪を強制し、禁書や文字の獄で反清的な言論を取り締まった。186字
ポイント:リード文は先生と生徒二人の会話、第2問は「先生からの宿題」です。新テストの形式を踏襲していますが、内容は清の政治の特徴で教科書に載っています。
*発展:オスマン帝国も「スンナ派イスラームの最高責任者」という建前と「多様性の尊重」を両立させていました(阪大の過去問に「ミッレト制」がありましたが、今は諸説あります)。
しかしフランス革命を経験したヨーロッパが「専制君主の恩恵で与えられている自治など自由ではない!ヨーロッパの自由主義、国民主義こそ正義!」と諸民族に揺さぶって「オスマンつぶし」を仕掛けてきます。その端緒がギリシア独立戦争です。
Ⅲ(外国語学部以外)
問1 欧米諸国で人口調査が確立されていった背景について、国民国家の形成と関連づけながら 120字程度
解答例
従来は身分制のもと人々は多様な社会集団を形成していたが、国民国家は国家のまとまりを高めるために識字能力を持つ労働者や国家のために戦う国民軍を必要とした。そこで国家が人々を直接管理し教育、徴税、徴兵を通じて均質な国民を形成するために人口調査を行った。123字
*ポイント:帝国書院や東京書籍は、フランス革命のまとめで国民国家についてページを割いています(『詳説世界史』はやや少なめ。頑張って!)。
フランス革命は「政治・経済」では自由や平等など近代民主主義の原点として語られることが多いですが、「世界史B」では国民国家の文脈で叙述される傾向にあります。
18世紀にイギリスはイングランド銀行など国家体制を整え(財政軍事国家)、フランスを圧倒し始めます。一方フランスはいまだ身分制が強固です。
何とかしたい有産市民が改革を求めますが力はない、そこで貴族や都市民衆を巻き込んで改革を進めようと考えます(複合革命)。
その後フランス革命は紆余曲折しますが、最終的にはナポレオンが、イギリスに対抗すべく国内経済を保護し、武力をチラつかせて自国の商品を海外に売りつけようとします。
そのためには「政治力」が不可欠です。そこでナポレオンは国家のために戦う国民軍(農民が中心。権利保障とのバーター)を編成し、軍事的勝利と内政改革を織り交ぜて国民意識を高揚させます。
こうして身分制や中間団体が徐々に解体し、国民が教育、徴税、徴兵で国家と直接向き合う国民国家モデルが形成されます。
そしてナポレオンと戦った各地にこの種がまかれ、国家統合の動きが広がります。
問2 東南アジアで実施された人口調査で民族・人種的分類に基づくデータ収集が行われたが、これが植民地経営やその地域における政治運動に与えた影響 100字程度
解答例
ヨーロッパ人が植民地経営のために中国人やインド人を優遇したり特定の民族や宗教集団を官吏や軍人に採用して住民の分断を図ったが、一方で伝統文化の見直しが進み、新しい民族文化やナショナリズムが形成され後の独立闘争を準備した。108字
*ポイント:帝国書院の19世紀東南アジアの項にガッツリ書いてあります。
オランダ領東インドではオランダ政庁は技術を持つ中国系移民(華僑)の協力で製糖業を立ち上げます。
華僑は現地の人からは「オランダの手先」と反発を食ったそうです。ただ彼らが孫文たちの革命運動を支援しているのに影響を受け、バザールの商人を中心に「イスラーム同盟」が結成されます。
またフランスはベトナム人をカンボジアやラオスの統治に利用します(「清の冊封を受けていた」という優越意識を利用します)。いわゆる「分割統治」です。
Ⅲ 外国語学部
問1:マーシャルプランを巡る演説と各国のGDPの推移を踏まえて、マーシャルプランの影響の影響について、1947年から1970年のヨーロッパにおける経済と国際関係に焦点を絞って 150字程度
メモ
1947年 マーシャルプラン コミンフォルム結成
1948年 通貨改革 ベルリン封鎖
アデナウアー、奇跡の復興
1952年 ECSC発足
1967年 EC発足
1968年 プラハの春
解答例
西欧諸国はマーシャルプランを受け入れて復興し、特に西ドイツは奇跡の復興とよばれ、フランスと共にECの中心となった。一方ソ連は東欧諸国にその受け入れを拒否させ、コメコンを結成して西側に対抗したが、ソ連式社会主義経済は西欧の経済発展には及ばなかった。そうした不満からチェコスロヴァキアで自由化運動が発生したが鎮圧された。158字
*ポイント:資料のフランス、西ドイツ、チェコスロヴァキアをうまく拾う。ソ連型社会主義経済の限界をグラフから読み取って「プラハの春」につなげる。
経済相互援助会議はマーシャルプランに対抗するソ連の東欧「囲い込み」。
ソ連の指導のもと東欧諸国の社会主義的な工業化を目指したが、1960年代からソ連が加盟国間の国際分業を言い出して、独自に工業化を進めたいルーマニアが反発(「プラハの春」も出動せず)、アルバニアも中ソ論争を機に脱退します。
問2 資料中でアフリカの年に独立した国:ザイール(コンゴ)
*発展:難関私立ではルムンバ、ベルギーによるカタンガ州の分離なども出題されます。
まとめ
「高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次)」では、文部科学省が提唱する「高大接続改革」と新学習指導要領の「歴史総合」を見据えて、歴史学習を暗記型から思考型に変えることを目指しています。
そこでは細かい用語は減らす一方、「概念用語」は重視する提案をしています。
すでに難関国立大学では帝国、冊封・朝貢、主権国家、国民国家、移民、総力戦、グローバル化など抽象的概念のオンパレードです。
受験生が論述の準備をする際には大きく歴史を把握するトレーニングが必要です。そして教員自身が抽象的な概念に強くなること、適切な教材選びが求められます。
教員も勉強しなければなりません。