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ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

世界史論述 定番テーマに挑む(2 経済史)

世界史

国公立大学で課される世界史論述テーマの典型問題、第2回は経済史です。


*大西洋の三角貿易や東南アジアの植民地化は「グローバル化」で扱います。

*解答の方針、著作権の考え方などは過去ログを見てください。

 

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 

 

例題1 中国の経済史


大阪大学 2009年

課題 中国華北から華南における経済的中心の移動について 180字程度

条件 7世紀~14世紀

語句 大運河 江南 ムスリム商人 稲作 海運


マトリックス

 

政治

経済

南北の統一

大運河で華北と江南が接続

唐初

長安中心 律令国

ムスリム商人の来港 市舶司

唐末

安史の乱

江南の経済力で延命

北宋

首都開封

物流盛んに 江南の開発 稲作

南宋

南へ逃げる

江南の開発

首都大都

ユーラシア循環 海運

首都南京

江南の経済力

 

解答例
隋代に大運河が建設され江南華北と結ばれた。唐は長安が政治経済の中心であったが8世紀にはムスリム商人が華南に訪れ、安史の乱後は江南の経済が王朝を支えた。宋では江南は囲田の開発や占城稲の導入で稲作が盛んとなり、開封に穀物を供給した。宋が南に逃れると江南の開発は進み、元代には大運河の改修や海運の整備で江南の穀物が大都へ運ばれた。14世紀には江南の経済力を背景に南京を首都として明が成立した。(193字)

 

ポイント

 江南の開発は京都大学(2011年)でも出題されている定番問題。「中心の移動」が引っかかるが、政治の中心は華北だが、次第に江南の経済に依存するようになり、最終的に江南の経済力を背景とした王朝が成立する、というように長いスパンでじりじりと経済の中心が江南に移動したことを書く、というのが私の見解。

 まずは縦軸。7世紀から14世紀なので、王朝に変換すると隋~明。指定語句に「大運河」があるので、大運河の建設の意図や影響を書く。ムスリム商人はヒントに「華南」とあるので唐で使いたい。「海運」は元で14世紀だが、明まで書いた方がいい。

 高校生に難しいのは安史の乱後の唐。節度使が内地におかれて唐はぼろぼろになるが、その後10世紀まで生き延びるのは江南の地主が協力したから。授業で先生が言っている(はず)。

 

*発展 大阪大学は「○○字程度」。解答欄は1行余分にあるので、20字オーバーは許してください(笑)。

 

類題演習

 

1 大阪大学 2013年

課題 10世紀中国の経済規模拡大の背景となった社会経済の動態 100字程度

語句 商業 都市 貨幣経済 農業開発

 

メモ

都市 商業→草市 鎮 首都開封の繁栄

貨幣経済→銅銭、交子・会子

農業開発→長江下流の開発、稲作

 

解答例

長江下流域では囲田の形成や占城稲の導入など農業開発が進んだ。その結果首都開封や草子や鎮など都市商業が盛んになった。貨幣経済も発達し、銅銭が大量に発行され手形から発達した交子や会子など紙幣も流通した。100字

 

ポイント

 マスト問題。教科書に『清明上河図』が載っているが(私大だと書かされる)、長安では東市と西市が置かれていて営業の場所や時間(昼しか営業できない)が定められていた。この絵から開封には常設店舗が軒を連ね(夜間営業できる)自由取引していた様子がうかがえる。

 

2 大阪大学 2012年

課題 クビライ以降の「海と陸をつなぐ交通ネットワーク」 150字程度

条件 どのように形成されたか。交易で活躍した人。用いられた通貨。

語句 泉州 海運 大都 ジャムチ

 

メモ

泉州→ユーラシア循環経済の海側

海運→江南~山東半島~大都

ジャムチ→ユーラシア循環経済の内陸側

 

解答例

草原やオアシス地帯ではジャムチと呼ばれる駅伝制が整備された。また泉州からイルハン国へいたる海の道が繁栄した。これらの交易ルートでは中央アジアやアラビアのムスリム商人が往来した。漢大陸では大運河が改修され、江南から大都への海運も整備されたのでユーラシア循環ルートが形成され、銀や銅銭の他、紙幣の交鈔が流通した。(154字)

 

ポイント

大阪大学を受験するなら「13世紀 モンゴル」は必ず復習すること。

 

3 大阪大学 2013年

課題 18世紀中国の経済規模の拡大の背景 150字程度

条件 政治、経済、社会的動態を説明する

語句 人口 トウモロコシ 移住 開発

 

メモ

人口→17世紀、明清交代で人口減少 18世紀、政治の安定で人口増加

トウモロコシ→人口増加で山間部が開発、トウモロコシを栽培

移住→南洋華僑

 


解答例

戦乱が終わり18世紀に清の統治が安定すると人口が増加し、内陸部で新たな耕地が開発されて人々が移住した。新大陸から伝わったトウモロコシが人口増加を支えた。台湾平定後は海禁が解除され、海上貿易が発展し銀が中国に流入して経済が繁栄した。福建や広東では商業目的で東南アジアへ移住するものが現れ、南洋華僑の元となった。153字


ポイント

 「トウモロコシ」の下りは教科書に載っている。難関国立大学を目指すなら授業中から「グローバル化」の視点で教科書を読む。

 

 

例題2 ローマの社会経済史

 

大阪大学 2016年

課題 ローマの征服戦争と版図の拡大がローマ社会にもたらした変化 100字程度

語句 重装歩兵 属州 無産市民 公有地 奴隷制大農場

 

メモ

重装歩兵→共和政ローマの軍の中核 自作農

属州→自作農が長年の征服戦争への従軍と属州からの穀物の流入で無産市民に

公有地→征服地はローマの公有で貸し出されるという建前。有力者が集積

奴隷制大農場→ラティフンディア

 

解答例

重装歩兵の中心であった農民が長年の従軍と属州からの安価な穀物の流入で没落し無産市民として都市に流入した。一方徴税請負で台頭した騎士階級は公有地を占有してぶどう酒やオリーブ油を作る奴隷制大農場を形成した。101字

 

ポイント

 共和政が対外発展をする中で変質してくる過程はローマ史の論述の鉄板のひとつ。ただ高校生には「公有地」という概念が難しい。リキニウス法を「大土地所有の制限」ではなく「公有地の占有の制限」と理解しているかがふるい落としどころ。

 軍制の変化(市民皆兵→有力者の私兵)に注目する出題もあるので要復習。

 コロナトゥス制度、元首政から専制君主政の変化も説明できるように。

 


例題3 封建制の比較

 

大阪大学 2013年

課題 10世紀~12世紀 ヨーロッパ、日本、西アジアにおける土地や農民への新しい支配・経営の状況 150字程度

条件 どのような勢力、どのような土地や農民の支配・経営が展開したか


メモ

共通点 武士、騎士、戦士が土地や農民を支配する

相違点 封建制度 軍役の負担の代わりに土地の安堵 自給自足的

    イクター制

    アター制:征服地からの徴税、カリフが俸給を戦士に支給

    →征服地から滅茶苦茶徴税する可能性

    →戦士に俸給に見合う土地の徴税権を認める(裁判権などはない)

    →滅茶苦茶な徴税はしなくなる

 

解答例

3地域とも軍人が土地や農民を支配・経営する体制が形成された。日本やヨーロッパでは武士や騎士が領主として荘園を領有し、有力者に忠誠を誓う代わりに土地の支配を保障され、農民を使用して自給的な経営を行っていた。西アジアではブワイフ朝の時代に軍人はカリフから給与に見合う土地の徴税権のみを授かるというイクター制が創始され、各地で一般化した。166字

 

ポイント

 用語だけ覚えずに内容を理解する。イスラームでは他にオスマン帝国のティマール、ムガル帝国のマンサブダール制も説明できるようにしておく。

 

 

例題4 中世封建制の解体

 

大阪大学 2014年

課題 黒死病によるヨーロッパの人口減少と、社会的な大きな変動と混乱の内容、短期的な影響と、数世紀にわたる長期的結果に分けて 200字

メモ

短期的:農民の人口が減少→領主が束縛を緩める 貨幣地代の拡大

    →農民の地位向上→領主が困窮→封建反動→農民反乱

長期的:領主が没落→王権の伸張→主権国家体制

    西欧で人口回復→食糧不足→東欧でグーツヘルシャフト

 

解答例

短期的には農民の人口が減少し、領主は束縛を緩めたので農民の地位が向上した。貨幣経済の浸透から独立自営農民も現れた。困窮した領主が再び農奴制を強めると農民反乱が起こり、荘園制が解体に向かった。長期的には諸侯が没落し、都市商人と結んだ国王が諸侯を廷臣化して中世封建制が解体して主権国家体制が形成された。また西欧では商工業が発達し、東欧では輸出穀物を作るため農奴制が強化されるなど両者の違いが明確になった。200字

 

ポイント

中世後期の有名な論理問題。短期:荘園制の解体と、長期:主権国家体制の形成を書く。東欧の再版農奴制は大航海時代の影響でも出てくる。

 

 

例題5 中世ヨーロッパ、商業の発達

 

一橋大学 2008年

課題 13世紀から17世紀のハンザ同盟の活動 400字

条件  担い手、地域、交易品、衰退の理由 レヴァント貿易との比較

 

メモ
担い手:北ドイツ商人 リューベックが盟主 デンマークに対抗

地域:北海、バルト海が中心

   ロンドン、ブリュージュ、ベルゲン、ノヴゴロドに在外商館

交易品:材木、穀物など日常品

衰退の理由

14世紀:カルマル同盟との争い

16世紀:オランダ商人が東欧の穀物貿易に乗り出す。イギリスがロンドンの在外公館を閉鎖して東インド会社を設立する

17世紀:三十年戦争による荒廃。領邦国家の台頭。自治都市の衰退

レヴァント貿易:香辛料、絹など奢侈品を扱う イスラームとの取引

 

解答例

ハンザ同盟デンマークに対抗してリューベックを盟主として結成された北ドイツを中心とする都市同盟であった。北イタリア諸都市のレヴァント貿易がイスラーム商人と香辛料や絹など奢侈品を取引していたのに対して、ハンザ同盟は北海やバルト海を中心に北欧の木材、鉄、ニシン、東欧の穀物を扱った。またロンドン、ブリュージュ、ベルゲン、ノヴゴロドに在外商館をおき、14世紀には共通の通貨や海軍を持った。しかし15世紀にデンマークを中心とするカルマル同盟に敗北してバルト海制海権を失い、またポーランドが強大化して北ドイツ都市を圧迫した。16世紀に大航海時代が始まり西欧の人口増加で穀物需要が高まるとオランダやイギリスの商人がバルト海貿易に乗り出し、17世紀にはオランダがバルト海穀物貿易を独占し、イギリスやロシアは在外公館を閉鎖した。また三十年戦争の被害や領邦君主の集権化によって都市への圧力が強まり、ハンザ同盟も衰退した。399字

 

ポイント

経済界に圧倒的な人脈を持つ一橋大学らしい無茶ぶり問題。ただ17世紀オランダの繁栄は、東インド会社ではなくバルト海穀物貿易を独占したから(オランダ船は小回りがきくのでユトランド半島を突破して大西洋側に直接穀物を運べた)というのは覚えて損はない。

 

次回は外交。

 

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