全国的に高等学校の休校はだいぶ前に終わりましたが、休校中の自学自習プリントをきりのいいところまで作っておきます。
重商主義の時代の最終回、グローバルトピックの定番、ヨーロッパの新大陸での争い、大西洋三角貿易についてです。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
目次
3 対「新大陸」貿易
ポイント…既存の権力を破壊、自己の都合に合うような植民地経営
① 各国の進出の様子
(1)スペイン
1521年 メキシコの(14 )王国を滅ぼす(コルテス)
→カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の頃
鉱山開発
ボリビアの(16 )銀山(1545年)→ヨーロッパへ
メキシコのグアナファト銀山(1558年)→アジアへ
インディオが疫病等で人口激減→黒人奴隷の輸入
(17 )制…征服者に王領地の管理を委託
→アシエンダ制(プランテーションなど大農場経営)へ移行
(2)ポルトガル
(18 )の領有 砂糖プランテーション 黒人奴隷の輸入
(3)オランダ
西インド会社の設立(1621)→アフリカ西岸とアメリカとの通商
ニューネーデルラント植民地を領有…(19 )の建設
(4)フランス
17世紀初頭,カナダに進出 (20 )を中心とする
(21 )の獲得…ルイ14世の時代 毛皮取引
(5)イギリス
私掠船(私拿捕船)がスペインの「銀船隊」を襲う
→ドレーク(世界周航を達成)、ホーキンズら
17世紀初頭,(22 )植民地の建設(ジェームズタウン)
ピューリタンの移住→(23 )植民地の形成
18世紀の世界 世界の歴史まっぷより
補足
上智大学TEAP方式2016年の問題で「北米と南米の人種構成の違い」という出題がありました。
北米大陸では先住民は淘汰される存在で、家族での入植が多い白人との混血は進みませんでしたが、スペイン領では征服者(コンキスタドール)は一攫千金目当ての独身貴族が多く、スペイン政府も先住民との結婚を奨励しました。
スペイン人ドミニコ修道会士のラス=カサスは『インディアスの破壊についての簡潔な報告』で先住民の虐待を非難しました。その結果先住民の奴隷化は禁止されましたが、それが黒人奴隷輸入を促す要因になりました。 (´・ω・`)
ニューヨークの証券取引所がある地域は「ウォール街」と呼ばれますが、これは1652年にニューアムステルダムを管轄していたオランダ西インド会社が、原住民やイギリス人からの攻撃に備えて、木材などを利用して築いた防護壁(wall)に由来します。
19世紀末の保険業のオフィス。ウィキメディアコモンズ パブリックドメインの画像
② イギリスとフランスの抗争
*①~④は地図上の位置
ファルツ戦争(新大陸ではウィリアム王戦争)
1697年 ライスワイク条約で講和
スペイン継承戦争(新大陸ではアン女王戦争)
1713年 ユトレヒト条約
イギリス フランスから(24① ② ③ )獲得
スペインから(25 ・ )を獲得
スペインの持つアフリカ黒人奴隷専売権(26 )獲得
オーストリア継承戦争(新大陸ではジョージ王戦争)
七年戦争(新大陸では(27 )戦争)
1763年 (28 )条約締結
イギリス…フランスからカナダ・(29 )川以東ルイジアナ
(30④ )を、スペインからフロリダを獲得
ユトレヒト条約、パリ条約関係図 上記の地図の拡大版
⑤はアカプルコ。メキシコの銀を積み出す港町
補足
1)第二次英仏百年戦争と「財政=軍事国家」説
イギリスとフランスの植民地での争いを「第二次英仏百年戦争」と称しますが、一般的にはウィリアム王戦争からナポレオン戦争の終結までを指します。
ルイ14世はスペインから王妃を迎えていましたが(ピレネー条約)、スペインの新王が王妃の弟であることを口実に南ネーデルラントの領有を主張して出兵しました(1667~68)。次にルイ14世はこれに干渉したオランダに対して侵略戦争を開始(1672~78)、イギリスのチャールズ2世と密約して共同で戦います(第3次英蘭戦争)。この時オランダのウィレム3世は激しく抵抗しました。
さらにルイ14世はドイツのファルツ選帝侯の継承問題に介入し出兵(1688~97)、それに対しオランダ、オーストリア、スペイン、スウェーデンが「アウクスブルク同盟」を結成して戦います。
この時名誉革命にょってオランダ総督ウィレム3世がイギリス王ウィリアム3世となり、イギリスも同盟に加わります。アメリカ大陸ではイギリスとフランスの戦争が開始、これが「ウィリアム王戦争」です。
国家や貿易の規模で優るフランスですが、イギリスでは17世紀の革命で絶対王政が精算され、特権商人の独占権も廃止されて議会主権が確立されました。
政治制度が安定する中、政府の徴税能力も高まりました。さらにイングランド銀行が創設され(1694)、国債制度も整備されました。イングランド銀行が国債を引き受け、元本は政府が税金で保障することで国債の信用が高まりました。
オランダはイギリスとの争いに敗れ、17世紀末から次第に衰退しますが、名誉革命でイギリスと同君連合になり、金余りの商人がこのイギリス国債を購入します。
こうしてイギリスがオランダをジュニアパートナーとし、対外戦争遂行能力を高め、身分制や絶対王政が続くフランスを植民地争いで圧倒することになります。
ユトレヒト条約でイギリスに割譲されるアカディア(ノヴァスコシア)の近くに『赤毛のアン』の舞台であるプリンスエドワード島があります。またニューファンドランドとその対岸のラブラドール州は犬好き案件です。
ジブラルタルはイベリア半島最南端の岬で、海峡を挟んだアフリカ大陸側はエンリケ航海王子の頃にポルトガルが攻略したセウタ(現スペイン領)とモロッコ事件のタンジール(現モロッコ領)です。
ギリシア人には「ヘラクレスの柱」として知られていて、フェニキア人が地中海の海流を利用して交易を行うために訪れていました(名古屋大学で2回出題)。
イギリスにとってジブラルタルはインドへのシーレーンの中継地、トラファルガーの海戦もこの沖で行なわれました。第二次世界大戦後はイギリスの衰退とともに役割も低下していますが、現在もイギリス領で、海軍が駐留しています。住民には高度な自治が認められていますがスペインは再三にわたり返還を求めています。
2)七年戦争は歴史のターニングポイント
ラテンアメリカも含む「環大西洋革命」の出発点になるのが、七年戦争とその講和条約である1763年のパリ条約です。
フランスに勝利したイギリスは大西洋の三角貿易やインドとの取引で大きな利益をあげ、この原資が産業革命になります。一方戦費と新大陸植民地の維持費が莫大になり、これを北米13植民地に負担させようとしてアメリカ独立革命が始まります。
フランスはアメリカ独立戦争に入れ込んで財政が破綻、イギリスに有効な対抗策を打てない絶対王政に対してブルジョワジーの不満が高まり、革命につながります。
そしてふたつの革命はカリブ海、ラテンアメリカの革命に影響します。
一橋大学で出題
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新大陸で七年戦争と同時期に発生したのがフレンチ=インディアン戦争です。
フランスは毛皮交易が中心で先住民とは取引関係でしたが(その利権を巡って17世紀半ばに「ビーバー戦争」と呼ばれる争いが発生)、イギリスは先住民から土地を奪って定住しようとします。この三者の複雑な関係が戦争に発展します。
なお1763年のパリ条約でミシシッピ川以西ルイジアナはフランスからスペインに割譲されますが、管理しきれないスペインがフランスに譲渡、さらにナポレオンがジェファソン大統領期のアメリカ合衆国に売却します。
よくわかる動画 youtube埋め込み
4 奴隷貿易と三角貿易
スペイン植民地→労働と伝染病でインディオ人口の激減
実態
アフリカの王国と奴隷貿易
ベニン王国:現在のナイジェリア付近
ポルトガル、オランダ、イギリスと交易
イギリス商人から鉄砲を購入し、奴隷狩りを行なう
他…ダホメー王国 アシャンティ王国
労働力として黒人奴隷が1千万人以上が北アメリカに移動
大西洋三角貿易の影響
ヨーロッパ諸国に大きな利益 資本の蓄積→産業革命の前提条件
ヨーロッパ人の消費生活を変革(コーヒーハウス)
アフリカの西海岸地方…甚大な社会的被害
新大陸…南米は混血によって複雑な人種構成に
補足
Eテレ 高校講座世界史
ベニン王国はアフリカ分割の際に関係が深いイギリスが植民地としました。八村塁さんで有名になったベナンはその隣で元フランス領です。
セネガル沖のゴレ島。ここから奴隷が「出荷」されました。ユネスコの世界遺産に認定されています。忘れてはいけない歴史です。ウィキメディアコモンズ、パブリックドメインの画像。
その内部。奴隷はこの丸いところに立たされ、上から仲買人が品定めする。John Crane さんの投稿写真 クリエイティブ・コモンズ 表示 2.0 一般
リヴァプール ビートルズの街として有名な港町で、奴隷貿易で繁栄しました。街の建物が当時の繁栄を物語ります。ウィキメディアコモンズ パブリックドメインの画像
こちらにリヴァプールの回があるので探してください。2014年放送。
空欄
14 アステカ
15 インカ
16 ポトシ
17 エンコミエンダ
18 ブラジル
19 ニューアムステルダム
20 ケベック
21 ルイジアナ
22 ヴァージニア
23 ニューイングランド
24 ①アカディア
24 ②ニューファンドランド
24 ③ハドソン湾地方
25 ジブラルタル
25 ミノルカ島
26 アシエント
27 フレンチ=インディアン
28 パリ
29 ミシシッピ
30 ④セネガル
31 タバコ
32 砂糖
33 武器(鉄砲)
おわりに
受験的には地名がたくさんでてきて、その位置やどこの支配下にあるのかがややこしいですが、この単元は「ヨーロッパ主導のグローバル化」の端緒でもあり、18世紀の「大西洋革命」や1870年代の「帝国主義の時代」へと続く部分です。
「自学自習プリント 重商主義の時代」はこれで終了です。最後までおつきあいいただきありがとうございました。