私は仕事柄、人権の研修会に参加することが多いです。最近増えているのがLGBTの研修です。
LGBTとはレスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字を取ったもので、最初の三つは「どの性別がどの性別を好きになるか」という「性的志向」が「異性愛」(ヘテロセクシャル)とは違う人を指します。
最後のトランスジェンダーは、生物学的な性別と心の性別(性的自認)が一致しないこと(性同一性障害)を指します。
*いらすとやさん、いつも助かります。
電通の2015年の調査によると、LGBTを自覚している人は約13人に1人、よく研修会では「血液のAB型と同じ割合」と紹介されます。
*研修会でこの話を聞いて「なんで電通?」と思ったのですが、このレポートを読んで納得です。
生物学的な性、性的自認、性的志向、見た目の組み合わせはそれぞれ二者択一ではなく、「男寄り」「女寄り」という幅があり、さらにLGBT以外にも多様な性のあり方があります。そこでLGBTの多様性を表現するためにグラデーションや虹がシンボルに使われ(ホワイトハウスが虹色に染められたのは記憶に新しいです)、LGBTsとかLGBTqと表現されたりします。
追記 7/6
先日、後述する山口颯一さんに久々にお会いしたところ、最近は「SOGI」(Sexual Orientation and Gender Identity(性指向と性のアイデンティティ))という略称がよく使われるそうです。
私も「多様な性のあり方」という点で新しい略称の方がふさわしいと思います。
*ご本人から引用とリンクの許可(フリーだそうですが)を直接頂きました。ありがとうございました。
トランスジェンダーの啓発活動をしている山口颯一さん(一般社団法人「elly」)は各地の学校(生徒向け、教員向け)や行政の研修会にまさに「引っ張りだこ」状態です。私も昨年「性別って、、ひとつだけ?」と題した市民向けの講演に参加しました。
講演の概要を紹介します(是非講演会へ行って生で聞いてください!)。
山口さんは戸籍上は女性として生まれましたが、小さいときから自分の性別に違和感を覚え、周りから女性として扱われることが苦痛でした。中学ではスカートを履くのが嫌で、高校では女子トイレにも男子トイレにも行けず、時には27時間トイレを我慢し、女子の間で「恋バナ」に花が咲くと席を外しました。
ついに高校2年の時山口さんは母親に自分のことを告げました(カミングアウト)。母親は丸一ヶ月山口さんと口をきかなかったそうですが、どう対処してよいのか分からない、何気ない言葉が山口さんを傷つけるのではと悩んだからだそうです。
卒業したらホルモン注射をすることを決めていた山口さんは、卒業前に友だちにカミングアウトしました。皆は「あなたはあなた」と励ましてくれました。卒業後は専門学校に進学し、トイレや更衣などで配慮をしていただけたそうです。その後山口さんは父親にも打ち明けました。成人した山口さんはタイで「性別適合手術」を受け、複雑な手続きを乗り越えて戸籍の性別を変更し、名前も改めました。
山口さんが活動を行っている理由はふたつあります。
まずひとつは同じ悩みを有する人の「ロールモデル」になるためです。トランスジェンダーや同性愛者は進学や就職、家を借りる場合に差別を受けることがあります。自分が乗り越えたことを伝えることで、同じ悩みの人が不自由なく暮らせるようにしたいと考えています。
もうひとつは周囲の啓発です。LGBTの方の居心地の悪さは社会が「異性愛」を前提にしていることに起因します。彼らは周囲の無理解のため悩みを相談することができず、自傷行為などに及ぶこともあります。それを防ぐためには学校、職場などで研修会を通じて「LGBTは当たり前」という認識を広げ、当事者が自分のことを語り、相談しやすい環境をつくる必要があります。
山口さんは自分の経験を語りながら、人々を「ally」(アライ、「同盟する」「味方につける」の意味)し、LGBTの人々が少しでも過ごしやすい社会を作ることを目指しています。
近藤由香さん(NPO 法人「QWRC(クォーク)」)の講演会にも参加しました。
TOP - QWRC【LGBTと女性のためのリソースセンター@大阪】
近藤さんは戸籍上は女性として生まれましたが、中学2年生の時に部活の女性顧問に恋をします。この時にはまだ自分がトランスジェンダーだという自覚はありませんでしたが、周りから「レズだ」といじめに遭います(「レスビアン」はニュートラルですが「レズ」は差別性を含む言葉だと近藤さんは言います)。
LGBTが人権問題なのは、「異性愛」が当たり前とされている社会では、性的な多様性を「オネェ」等の言葉でひとまとめにされてしまうからです。
同性愛は恋愛の話で、トランスジェンダーは自分の「戸籍」の問題です。男から女に移行した人で女の人と恋愛している人もいます。性的な関心がない人もいます(近藤さん自身も先の件でそうなったとのことです)。また戸籍の性別を変えたいという人もいれば、見た目が変わればよいという人など様々です。
近藤さんも山口さんと同じく、周りの無理解や無関心がLGBTの人を苦しめていると訴えます。「異性愛でない」と回答した男性の自殺未遂率は異性愛者に比べ約6倍高いとのことです。学校で同性愛について「一切習っていない」が78.5%という調査もあるとのことです。「異性愛のみが正しい」という風潮が抑圧となり、LGBTの方の自尊心が低下しがちです。
近藤さんが講演で訴えていたのは「アウティング」の問題です。
「カミングアウト」とは相手を信用した上で、知ってもらいたい気持ちがあると打ち明けることです。それに対して「アウティング」とは本人の許可を取らずにその秘密を他の人に言ってしまうことです。
先日問題になった某国立大学法科大学院の件がまさにこの「アウティング」です。周囲がLGBTについて理解をしていない中で、情報だけが一人歩きするのはあってはならないことです。
文部科学省は平成27年4月に「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」という通知文書を出し「性同一性障害に係る児童生徒について、学校生活を送る上で特有の支援が必要な場合があるので、個別の事案に応じ、児童生徒の心情等に配慮した対応を行うこと」を求めています。
性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について:文部科学省
それを受けて学校現場では、相談体制の確立、情報の共有(生徒の「秘匿したい」という気持ちを尊重しながら必要な配慮のために職員、関係機関、保護者と情報を共有する)、学校生活での支援(更衣室、トイレ、名簿、制服の配慮)を進めています。
学校現場でもうひとつ重要なのは「啓発」です。
「周囲の無関心や無理解をどうするか」は、すべての人権問題にとって重大な課題です。当事者が自分の立場を打ち明けて、それをきっかけに周りが「自分の問題だ」と考えてくれて支援の輪が広がればいいですが、それは周りの理解がある程度あればの話です。
周囲がその問題に無理解なら当事者は自分のことを打ち明けづらく(ましてやアウティングなんてもっての外)、ストレスはすべて自分にため込まれます。
もちろん、カミングアウトの「一緒に考えてください」と「付き合ってください」とは別です。後者に「ごめん」というのは個人の自由です。個人の感情の問題と、差別的な取り扱いをなくしていくために連帯することは別の話です。
山口さんの講演の大半は学校です。「実態を知って欲しい」という当事者の体験談を起点に、生徒や教員が「自分の問題」=私の理解や態度が当事者を助ける、ととらえ、「ally」の輪を広げられるかが当面の課題といえます。
*配慮の方法や、「カミングアウト」を受けた時にどうするか、など具体的なことはリンク先を参照してください。