放送大学の教員免許講習、必須領域の「教育の最新事情」を「ひとりアクティブラーニング」しながら、教育と教職にまつわる問題について考えます。
*引用部分は放送大学を視聴しながら私がメモを取った内容の一部です。自説が主で引用が従の関係という著作権法の範囲内で使用します。
前回
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
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結果が帰ってきました。
5領域とも〇Aでコンプリート!
一方向的な講義形式でも、自分の問題に引きつけながら内容を再構成し、仕上げに予想問題を反復すれば理解が定着するという「ひとりアクティブラーニング」の正しさを立証できました!(宣伝乙)
受験生の皆さん、このやり方ですよ!
*予想問題についてはこちらのサイトにお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
第2章 社会の変化と教師の役割
マンガに見る教師像の変化
- 高度成長期以前の少年漫画には,大人文化を体現する「師範的教師」の姿を読み取ることができる(例:『赤胴鈴之助』)
- 高度成長期以降1980年代にかけての少年漫画には,子ども文化と交流する「仲間教師」の姿を読み取ることができる(『東大一直線』)
- 80年代半ば以降から90年代にかけての少年漫画には,既成の秩序から逸脱した「不良(アウトロー)的」教師(生徒の代弁者)の姿を読み取ることができる(『GTO』)
- 21世紀の少年漫画には,「異能力的」教師の姿を読み取ることができる(『暗殺教室』)
ん?身体の大半がアニメと特撮でできている私には聞き捨てならないですね!異論大ありですが、本論から外れるので別の機会に。
教師像に関する論点整理
- 戦前:人物論(人格論・精神論)…教師は「子どもの模範」
- 戦後:職業論(制度論)…教師は「聖職者」か「労働者」か「専門職者」かという議論
- 高度成長終了後:教育行為論 生徒・保護者に教育サービスを提供する「学校」の先生
戦前の学校教育は「帝国臣民」を育成する装置、教師は「帝国の吏員」であることが権威の源でした。相応しい倫理観も必要でしょう。
今では教師は完全にサービス業化していますが、倫理観だけは戦前並みです。他の職種なら停職相当の事案でも懲戒免職と言われたりします。教師を目指すなら神に仕えるぐらいの覚悟?が必要かも。
「教育政策と学校の組織的対応」第6回より
福岡高等裁判所判決(平成18 年11 月9 日)
「少なくとも教員については,児童生徒と直接触れ合い,これを教育・指導する立場にあるから,とりわけ高いモラルと法及び社会規範遵守の姿勢が強く求められるものというべき」
*当然ですが、同僚や関係者へのセクハラ、杜撰な金品管理などは教師、官僚、民間に関わらず重大なコンプライアンス違反です。あれ、公文書改ざん(以下略)。
このように教師は高い倫理性が求められる上に、職務(部活動顧問は厳密には職務ではないが当然含む)のために私生活や健康を犠牲にしてでも昼夜を問わず児童・生徒第一で行動する先生が「教師の鏡」という風潮が存在します。
しかし労務管理はザル、残業代はほぼゼロ(正確には4%)です。
これは「やりがいの搾取」に他なりません。
教師は「労働者」です。勤務時間内の仕事の対価として報酬を得る。議論の余地はありません。
教師が児童・生徒第一で仕事をするのは当然ですが、管理職、教育委員会および文部科学省はそうした教師の熱意に甘えず、総労働時間抑制のために仕事内容の精選、必要な人員や資源の配置など労働環境を整えるのが職務です。期待しています。
*深夜に家庭訪問に行った先生は別の日に超過勤務分を休みましょう。「でも児童・生徒のことを考えると…」といってまた学校に出てくるので労働時間が膨張します。その先生がちゃんと休みを取れるようにするのが「組織の力」です。
教師の職業モデル(社会的地位)
- 「私」の求めに応える営みに対して,「私」がその報酬を支払う形態は師匠(知識の商人)
- 「公」の求めに応える営みに対して,「公」がその報酬を支払う形態は学校教員(国家の教育事業を請け負う准官吏)
- 「私」の求めに応える営みに対して,「公」がその報酬を支払う形態は学校の先生(教育サービスを提供する公務員)
- 「公」の求めに応える営みに対して、「私」がその報酬を支払う形態は「新しい専門職者集団」(教師)
公と私による4象限です。4はグローバル人材を養成する私学?
第3章 教職専門性の発達
教職の専門性
- 1960~80 年代には「専門職性」教職全体の「地位」
- 1980 年代以降は「専門性」教師個人の「役割」
- 1990 年代からは,「学校改善」教師の教育行為の「協働性」
教員の資質
- 勤務校での問題解決と課題達成の技能
- 教科指導・生徒指導の知識・技能
- 学校・学級マネジメントの知識・技能
- 子ども・保護者・同僚との対人関係力
- 授業観・子ども観・教育観の練磨
- 教職自己成長に向けた探究心
教職は「対人関係専門職」、探求心を持ち、学校の課題をチームとして取り組む姿勢が必要。
研修体制
- 教員の資格を得るときの研修、初任者研修、その都度ステージごとに受ける研修(5年研、10年研)
- 現職研修が充実しているところが特徴
- 研修をキャリア後半の見通し(管理職など)とリンクさせる
評価
- 教職員の専門性が「協働性」であるなら、目標設定がどのように達成され,その結果を踏まえて次の目標設定をどのように立てていくのか,プロセスを自己評価することが望ましい。
- 教員の評価は発達モデル、協働モデルであるべき。
教職の専門性は「協働性」なので、教員養成段階だけでなく教職活動段階でも常に専門性の成長発達を図ることが重要であって、「教員採用試験に合格すれば十分」とか、「教師個人の専門的知識と技術があれば事足りる」とか、「専門職か一般職かという地位の問題」だけではないということです。
しかし自分の授業の専門性はともかく、この「対人関係専門スキル」の育成が大学の教職ですべてカバーできているのか疑問です。
かといって民間企業みたいに最初の何ヶ月間かは研修というのもありません。4月からいきなり「先生」=その道のプロとして教室に立つことになります。
繰り返しになりますが、教師は「従来型」の業務(登下校の指導、授業、提出物の確認、給食や掃除の指導、生活指導、部活動、会議)をこなし、さらに「協働型」の業務(教育相談、保護者への説明責任、家庭訪問、地域との連携、アクティブラーニング型の授業開発)も求められます。
教員はOJT(on-the-job training)が中心とはいえ、この状態では自主的に勉強をする時間がありません。
やはり「超過勤務が前提」という制度設計そのものが間違っています。
この講義のように「いきなりすべてできなくていいから、年齢が上がるにつれてできることが増えればいいし、教員の評価は「査定」=量的成果の評価ではなくプロセスの自己評価であるべき」と暖かく?見守っていただけるとありがたいです。
それから放送大学さんがおっしゃるとおり、校内および校外のステージ別研修体制は整っているのですから、それらと被る免許更新は廃止しましょう(笑)。
ちょうど今第10グループが研修開始、一巡したので今がやめどき?!
(続く)