ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

センター・私大世界史直前チェック(東アジア近現代史2 清の滅亡)

 私立大学、国公立大学で頻出の東アジア近現代史、列強の分割から清朝が滅亡し軍閥が跋扈するまでを概観します。 

前回 参考文献もこちら 

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 

6 冊封体制の崩壊

① ベトナム

1802年 [1    ]阮朝を建設。清朝より(2   )国王に封じられる

1883年 (3    )条約…フランス、ベトナム北部・中部を併合

    →(4    )戦争(1884~85)

    (5    )条約(1885)清、仏のベトナム保護権承認

    →1887年 フランス領インドシナ連邦

 

② 琉球

明治政府…中央集権的な近代国家建設整備を目指す

国境の画定…樺太・千島交換条約(対ロシア,1875)

      (6     )出兵(1874)→(7    )処分(1879)

      琉球王国を「沖縄県」に

 

③ 朝鮮

金玉均ら開化派(親日)と閔氏ら事大党(親清)の対立

1884年 甲申政変金玉均のクーデタ 日清両軍が出兵

1885年 (8    )条約…両国軍の撤兵,派兵時の事前通告など

(9     )戦争 1894~95

契機 1894年 (10       )戦争の勃発→日清が出兵→開戦

結果 1895年 (11    )条約

   朝鮮の独立,(12    )半島・(13    )・澎湖諸島の割譲

   賠償金,片務的最恵国待遇,開港場での企業の設立 

補足

 京都大学2015年の問題が「アヘン戦争以後清が列強と結んだ条約とそれに伴う利権の移動や関係の変化」で、受験生は北京条約と北京議定書しか思い浮かばないのですが、清仏戦争日清戦争冊封体制が崩れることも思い出しましょう。 

 特に清朝下関条約で日本に認めた「開港場での企業の設立」は、列強の「片務的最恵国待遇」の対象になります。

 片務的最恵国待遇とは、清朝がA国と条約を結んでいて、後から条約を結んだB国にさらに好条件があれば、それがA国にも自動的に適用されるというジャイアンもビックリな、領事裁判権や協定関税よりもたちの悪い不平等条約です。

 下関条約をきっかけに中国の「瓜分」が始まるのはこの条項が原因のひとつです。

日清戦争の様子。ウィキメディアコモンズ パブリックドメインの画像

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 出典"Bakumatsu Meiji no Shashin" by Ozawa Kenshin, p.340  

空欄

1 阮福暎
2 越南
3 ユエ
4 清仏
5 天津
6 台湾
7 琉球
8 天津
9 日清
10 甲午農民
11 下関
12 遼東
13 台湾
 

7 中国分割と抵抗…領土の「瓜分」に民族意識が高揚

① 中国の分割

日清戦争での清の敗北→利権獲得競争開始

(14   )干渉(1895)露・独・仏が日本に遼東半島を返還させる

           →露、(15    )鉄道の敷設権獲得

ドイツ (16    )湾の租借(1898.3)山東地方に優先権 

ロシア 遼東半島南部(旅順・大連)租借(1898)東北地方に優先権

イギリス (17    )・(18    )半島の租借(1898)

     長江流域と広東東部に優先権

フランス (19    )湾の租借(1899)広東西部と広西に優先権

日本 福建地方に優先権

アメリカ 国務長官[20      ]の(21     )宣言(1899~1900)

     門戸開放・機会均等・領土保全(1900)


② 変法運動・戊戌の政変

背景:日清戦争に敗北…洋務運動の限界

契機:[22     ]、梁啓超ら(23   )学派の科挙官僚の進言

   [24    ]帝の支持

経過:1898年6月 (25    )の変法…立憲制など体制改革を目指す

   [26     ]ら保守派の反対→戊戌の政変,康有為らは亡命

 

③ 義和団事件 1900~1901

背景:欧米列強の華北進出→反キリスト教の(27    )運動へ発展

経過:義和団,(28    )省で発生(義和拳教)

   「(29       )」を掲げて鉄道、電信の破壊や教会焼き討ち

    北京城内入場→清朝による列強への宣戦布告

    →列強の共同出兵→8カ国軍の北京占領

結果:(30     )(辛丑和約,1901)

   賠償金の支払い,(31     )の北京駐留

補足

 東清鉄道は清朝の領域をショートカットするシベリア鉄道の路線です。

 立命館大学2005年のリード文は、東清鉄道の支線(長春~大連)である南満州鉄道(満鉄)の考察です。

 ロシアが遼東半島南部を租借した期間は25年、36年後には建設した鉄道を中国が買収できるという契約で、ポーツマス条約では「権益が日本に移動した」扱いです。

 それで日本は二十一か条要求でこの権益の期限を「99年」に延長することを迫ります。北京政府はやむなくこの要求を飲みますが、その後南京国民政府が米英の資本を借りて平行する鉄道を建設し、満鉄の経営はじり貧になります。

 こうした鉄道利権の不安定さが満州事変につながります。

「世界の歴史まっぷ」さんの地図をお借りしました。とてもわかりやすい。

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sekainorekisi.com

 列強は線路を直線に敷くために田畑や墓地を破壊し、伝統的な運送業者の仕事を奪います。ゴ━━(# ゚Д゚)━━ルァ!!

 民衆の怒りの矛先は最も身近な西洋である教会に向けられます。街の中で外国人宣教師やキリスト教に入信した人々と、郷紳や民衆との間で確執が発生します(仇教運動。当時の史料では「教案」)。

 そうした中で義和団は教会・鉄道・電信柱など西洋の象徴を破壊します。

  西太后義和団が北京の外国公使館を包囲するのを見て列強に宣戦布告をしますが、八カ国連合軍に北京を占領されると、今度は列強に義和団鎮圧を命じます。(゚Д゚)ハァ?「夷を以て亥を制す」という中華帝国的価値観です。

 領土の割譲や賠償金の支払いも、遊牧民に銀や絹を渡してなだめるのと同じ感覚なのでしょうか。

 香港は、香港島割譲(1842)→九龍半島南部割譲(1860)→九龍半島北部(新界)と付属の島嶼を99カ年租借(1898)の3段階で、サッチャーと鄧小平の交渉で租借終了(1997)時にすべてを返還しました。

*「新界」(旅行で香港から深圳に向かう途中で"new territory"って看板がありました)は立命館大学2019年で出題。男女が入れ替わる映画の影響?

空欄

14 三国
15 東清
16 膠州
17 威海衛
18 九龍
19 広州
20 ジョン=ヘイ
21 門戸開放
22 康有為
23 公羊
24 光緒
25 戊戌
26 西太后
27 仇教
28 山東
29 扶清滅洋
30 北京議定書
31 外国軍隊

8 辛亥革命中華帝国から「漢族の国民国家」という発想転換

① 清朝の改革

(32    )新政: (33    )の廃止(1905)

        (34        )の発表、国会開設の公約(1908)

   →増税の実施,中央集権的性格→民衆や地方有力者の反発

② 革命勢力の出現

海外の華僑や留学生が秘密結社(会党)を組織

1894年 (35    )会…[36    ]がハワイで設立

1905年 (37      )会(東京で設立)

 総理 孫文 機関誌『民報』 革命諸団体の結集

 華興会(湖南省 黄興、宋教仁)光復会(浙江省 章炳麟、蔡元培)ら

 (38   )主義の提唱(「民族独立」「民権伸張」「民生安定」)

③ 辛亥革命

背景 民族資本家や華僑による(39       )運動

契機 1911年 清朝幹線鉄道の国有化宣言

       →四国借款団への担保とする

経過

 第一革命

  (40   )で暴動発生→(41   )新軍の革命派が蜂起

  →14省が独立宣言

  1912.1 中華民国の建国を宣言…首都(42    ) 

      孫文を臨時大総統に選出

  清朝,(43    )新軍の[44      ]を派遣→革命側と取引

  →[45    ]帝(溥儀)の退位(1912.2)…清朝滅亡

  袁世凱、北京で臨時大総統に就任 臨時約法の発布

 第二革命

  宋教仁らが(46    )党結成→選挙で勝利も袁世凱の弾圧

  孫文らが武力蜂起も失敗→東京で(47     )党を結成

  第三革命

    袁世凱,正式大総統に就任→帝政宣言(1915)

    革命派が雲南省で蜂起→帝政取り消し(1916)→袁世凱,病死

影響 (48    )の割拠…北京は段祺瑞政権が継承。

   周辺諸民族の独立の動き

   モンゴル…外モンゴルの独立宣言(1911)→ソヴィエト連邦の影響

       (49      )共和国の成立(1924)

       モンゴル人民党 チョイバルサン

   チベットダライ=ラマ13世,独立を布告(1913)

   →モンゴル以外(チベットウイグルなど)は中華民国にとどまる

補足

 康有為は『春秋』の公羊伝を重んじ、孔子を変革者として位置づけます。

 宣教師殺害事件を口実にドイツが膠州湾を占領する(1897年)のを目の当たりにした康有為は、「ヨーロッパが教育によって民を強化し、議院で民の意見を吸い上げ、必要な商品を提供する様子は経典の教えそのものだ」と説き、儒教の枠組みの中で体制改革を志します(岸本『中国の歴史』に彼の演説あり)。

 一方広東の貧しい農家に生まれた孫文は、兄の誘いでハワイに移住し、教会学校で教育を受けます(趣味はサーフィンという若大将ぶり)。

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 光緒新政の下で多数の留学生が渡航します。彼らはヨーロッパ的な「国民国家」(文化的な同質性を持つもののが国家を作る)や「共和制」を学び、華僑の援助を受けて、清朝を打倒し新しい国家を樹立しようと考えはじめます。

 孫文の「三民主義」の元になった四大綱領の「駆除韃虜」「恢復中華」つまり「満州人を駆逐して漢族の支配を恢復する」は「漢族の国民国家」です(華夷秩序は多様な集団を中華皇帝のもとに統合するイメージ)。

 しかし同じく東京に亡命している梁啓超らは清朝皇帝による立憲君主制を主張、革命派の中でも漢族国家か多様性か、共和制か君主制かで論争、国内での武装蜂起はことごとく失敗と、どこかで聞いたようなグダグダぶりです。(´・ω・`)

*最終的に孫文は立憲派の主張を受け入れ「五族共和」(漢・満・蒙・ウイグルチベット)をスローガンにします。

 一方国内では民族資本家が台頭、外国の鉄道や鉱山を買い戻していました。そこへ清朝政府が川漢、粤漢鉄道を国有化して、それを担保に列強から借款して鉄道建設を進めようとします。粤漢鉄道を買い戻していた資本家は激怒、四川(川漢鉄道建設地)で暴動が発生します。ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆ ケシカラン!!

 この先は穴埋めの通りです。孫文は臨時約法で議会制度を規定し袁世凱を牽制しようとしますが、実力組織を持たない孫文は、李鴻章の北洋軍を引き継いだ袁世凱に排除されてしまいます。

 この苦い経験から孫文は後に「国民革命軍」を創設し、黄埔軍官学校の初代校長に蒋介石が就任します。

空欄

32 光緒
33 科挙
34 憲法大綱
35 興中
36 孫文
37 中国同盟
38 三民
39 利権回収
40 四川
41 武昌
42 南京
43 北洋
44 袁世凱
45 宣統
46 国民
47 中華革命
48 軍閥
49 モンゴル人民 

続く