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ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

オーストラリアの多文化主義について考える

 私の住む県は人口に対する外国にルーツを持つ方の割合が全国3位です。特にその割合が高い私の生活エリアでは、小中学校には支援の先生がいたり、公共の施設が多言語表記になっているのは日常の光景です。

 

前回のブログはこちら

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 

 先日生徒向けの人権学習で、県庁で多文化共生社会づくりの推進をしている方々に講演していただきました。

 そのひとり、ケイコ・ホームズさんはオーストラリアのブリスベン出身で、母親が日本人ということから小さい時に日本の学校にも通っていたそうです。

 「Aussieは見た ~多文化共生の歴史~」と題してオーストラリアの多文化主義について話をしていただきました。許可をもらいましたので、以下その内容を紹介します(一部内容を補いました)。

 

 オーストラリアはオペラハウス、カンガルーやコアラ、グレートバリアリーフエアーズロックなど私たちにも馴染みのある国です。

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留学した生徒にもらった写真

 

 オーストラリア大陸には5万年前から「アボリジニ」と総称される先住民が多様な文化を形成していました(昔は250以上の言語があって、今でも120から145ぐらいの言語が使われています)。

 

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出典:ウィキメディア・コモンズ パブリックドメインの写真

 

 18世紀にイギリス人が到来し、オーストラリアの領有を一方的に宣言します。当時イギリスは産業革命が始まり、社会問題が拡大します。その矛盾を解消するためオーストラリアは流刑地と位置づけられ、囚人(といっても些細な犯罪が多数)たちが次々と送り込まれてきました。

 19世紀の半ば、オーストラリアで金鉱が発見されると沢山の人々が一獲千金を狙って入植しました(ゴールドラッシュ)。この中に中国人労働者もいました。技術を持ち、賃金も比較的安い彼らが増加すれば自分たちの仕事がなくなると感じた白人移民たちは、彼らと衝突するようになりました。


*発展 この時期中国ではアヘン戦争、アロー戦争などイギリスの進出が始まり、同時期に奴隷貿易が禁止されたこともあって中国系移民労働者が北アメリカや植民地の新たな労働力になります。インド人労働者もカリブ海マレー半島南アフリカなどに移住しました。19世紀後半のアジア系移民に関しては東京大学大阪大学の世界史で何度か出題されています。

 

 1901年、イギリスの自治領としてオーストラリア連邦が成立した際に、いわゆる「白豪主義」が制度化されます。非白人の移民制限、送還(特に南太平洋の人)、国内在住の非白人の市民権否定などです。

    特にアボリジニは市民とは認められず、子どもたちの多くが親元から引き離されて白人文化を教育されました。その結果アボリジニの文化の多くが消滅し、親の文化を知らない世代(『盗まれた世代』)も存在します。

 第二次世界大戦後、オーストラリア政府は労働者不足から移民受け入れを再開します。東欧、ギリシャブリスベンには多いそうです)、イタリアの移民、さらにトルコやレバノンなど中近東の移民が増加し、彼らが国内で貴重な労働力になると白豪主義は時代遅れになりました。

 ついに1970年代に政府は白豪主義をやめ、憲法で人種差別を禁止し、多文化主義政策を進めます。その後も移民は増加し、現在は市民の約半数が海外出身という多民族、多文化国家になりました。

 

*発展 1960年~70年代は公民権運動やベトナム反戦運動学生運動や女性解放運動など世界中で「異議申し立て」が展開された時代です。また1973年のイギリスのEC加盟は、オーストラリア政府にアジアとのつながりをより緊密にする必要性を感じさせ、1980年代にはベトナム難民を始め東南アジアからの移民受け入れが進みました。

 

 オーストラリアの多文化共生政策は次のような特徴があります。

 まずはオーストラリア人のアイデンティティです。毎月帰化した移民が市民権を取得するセレモニーがあるのですが、帰化とは白人文化を受容することではなく、「オーストラリアは多文化共生国家だということを受け入れる」ことです。

 

*発展 オーストラリアの移民省のウェブサイトを見ると、ビザを申請する際には「オーストラリアの価値を尊重し、その法律に従うことを示すためにオーストラリア価値表明書(Australian Values Statement)に署名をする」必要があります。基本的人権の尊重や法の下の平等などの普遍的な内容が多いですが、その中に「オーストラリア市民権とは共有のアイデンティティであり、多様性を尊重しながら全オーストラリア人を結びつける共通のきずなです」とあります。

 詳しくは移民省のウェブサイトを参照してください。日本語版もあります。

http://www.border.gov.au/Trav/Life/Aust/Life-in-Australia-book

 

 こうしたオーストラリアの方針は小学校の頃から教育されます。

 また異なる文化的背景の人が社会福祉、医療、教育が受けられるような配慮がされています。具体的には多言語表記や通訳です。「経済的援助を受けようとしても手続きの仕方がわからない」と困らないように、社会福祉のウェブサイトは10~20カ国語で読めるなど説明や支援が充実しています。

 異なる文化集団をつなぐのがオーストラリアの場合は英語です(「価値表明書」にもそう書いてあります)。小学校から高校まで、授業について行けるよう英語を教えるサポートの先生がいます。また大人の移民も無料で英語を勉強できるようになっています。


*発展 「白豪主義」の時代は「英語の書き取りテスト」で有色人種の移民を排除していました。

*発展 オーストラリアの学校ではESL (English as a Second Language) の先生は大学でTESOL (Teaching English to Speakers of Other Languages) を専攻する必要があり、第二言語としての英語を教えるための高い専門知識やスキルを持っています。


 しかし、ケイコさんは「人種差別はなお存在するし、先住民と非先住民の格差も存在する」といいます。アボリジニは土地を奪われ、言語や文化を奪われたことによって経済的な基盤が不安定です。

 

*発展 アボリジニに対して首相が公式に謝罪したのは2008年のことです。しかし奪った土地を返したり全額補償する訳にはいかず、経済的な格差の是正が当面の政策のようです。

 

 ケイコさんは「教育が大事」と言っていました。彼女自身、日本で小学校に通っていた時に周囲から外国人扱いされたそうです。

 

*発展 オーストラリアの教育のカリキュラムの中に「General Capabilities」が定められています。「General Capabilities」は社会人に必要な能力のことで、学校であらゆる科目の中で育つべきものだとしています。その中の一つは「異文化理解」です。ただ先生によって力の入れ方に差があると感じたこともあったそうです。

 

 オーストラリアの求人票を見ると様々な職種に「異文化コミュニケーションができること」との記載があります(例えばスーパーのレジ係、保育士、看護師など)。同じように移民が多いカナダでは医学部のカリキュラムに「異文化の患者への接し方」がプログラムされているそうで、「多文化共生は当たり前」という社会の雰囲気だそうです。

 

*補足の部分はこちらを参考にしました。大阪大学文学部 NHK 帝国書院リーフレット 

第1章 先住民の歴史

www2.nhk.or.jp

 

https://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200404/geography200404-16-18.pdf/%E9%AB%98%E5%9B%B32004.04-16-18%E3%80%8C%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%A7%BB%E6%B0%91%EF%BD%9E%E3%80%8D%E9%96%A2%E6%A0%B9%E6%94%BF%E7%BE%8E.pdf#search='%E7%99%BD%E8%B1%AA%E4%B8%BB%E7%BE%A9+%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%9B%B8%E9%99%A2'

 

 

まとめと感想

 

  私が小学生だった約40年前の日本の学校はまさしく「同化政策」の本丸(笑)で、ちょっと人と違うとからかわれたり排除されることが日常茶飯事でした。

 現在は人権教育が進み、外国にルーツを持つ人の増加もあって「多文化共生」の考え方は定着しましたが、今なおマイノリティーに対する差別事象は発生しています。

 国や地域によってマイノリティーの数の大小はあるものの、一緒に暮らしていればコミュニティーの一員です。「相手がどういう文化を持っているか知り、尊重する」ことと「共通のコミュニケーション方法を構築する」ことは欠かせません。

 

 ただ差別はマイノリティーがいるから起こる訳ではありません。そもそも自分の責任以外のことで差別されてよい存在などないはずです。

 私たちが何か得をしようと思い、そうすると誰かに損をさせることになる。その時に「あの人たちは○○だから」と自分の行為を正当化する。この「後付け」の理由に社会の中で立場が弱いもの、他人と違っているものが狙われます。つまり差別は客観的に「ある」のではなく、私たちが「する」から生じるのです。

  差別行為を根本的に退治することは容易ではありませんが、相手のことに無理解だと「差別の罠」に陥るリスクが高まります。それを軽減するためにも相手を知る努力は怠らないようにしたいです。

 

 県庁の多文化共生課の皆さん、ありがとうございました。