ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

私大の世界史「差がつく」部分で得点する(4 慶応大学経済学部)

 世界史の入試問題を解きながらその大学が発するメッセージを読み解き、どう適切な準備をするかについて考えます。

 第4回は慶応大学の経済学部です。

 慶応大学は学部ごとに問題が違い、それぞれ学部特性が色濃く出ています(早稲田、明治も同様)。

 経済学部は世界史の経済史部分、「政治・経済」との重複内容、東京大学大阪大学で頻出のグローバル化や帝国に関する小論述が好んで出題されます。慶応第一志望組も国立併願組もどこかで点数が取れる親切設計?です。

 問題は予備校のサイト等を参考にしてください。解答例は私の創作です。論述の字数(解答欄は1行17cm)はアバウトです。

 

sokuho.yozemi.ac.jp

 

慶応大学経済学部 2018年

難易度(個人の経験と勘)

◎:必答  ○:解答したい  △:差がつくところ 

▲:難しいけど書けるとでかい ×:無理

 

問1

a ゴードン◎

b 洪秀全

c ムハンマド=アフマド▲

d グラッドストン

c:過去ログ「紛らわしいスペシャル」で紹介。

bunbunshinrosaijki.hatenablog.com

 

d:アヘン戦争で軍艦を派遣することに反対演説をし、教育法、労働組合法、アイルランド自治法案とリベラルの申し子といえるグラッドストンが。ウラービー運動やマフディー派の蜂起を鎮圧したことに「うーん」と思える感性が問われている。

 

問2

(1) ヴィクトリア朝の出来事並び替え○

2(穀物法廃止46)→3(ロンドン万博51)→5(労働組合法71)→4(第3回選挙法改正84)

(2) 自由党の政策1と保守党の政策2の判別

ア:1(教育法)◎ イ:2(インド帝国)◎ ウ:2(スエズ運河株買収)◎

問3

(1) 太平天国の政策○

アヘンの吸引、辮髪、纏足の禁止、天朝田畝制度による土地の均分などを掲げた

(2) 太平天国関連地図 ア(挙兵):8金田村△ イ(天京):3南京◎

問4 この時代の清軍に関する誤文◎

2(八旗にはモンゴル族、漢族も含まれる)

問2(1):ロンドン万博は「世界の工場」のピークと理解できていれば、1870年代の大不況の前と想像がつく。

 

問5 インド大反乱後の英国のインド統治の方法の変化△

東インド会社を解散させて、間接統治から直轄領と藩王国からなる直接統治に切り替えた。藩王国へは取りつぶし策をやめて懐柔し、カーストや宗教集団で住民を分断する分割統治を行った。

問6 ベルリン会議で定められたアフリカの植民地化の原則▲

アフリカを無主の地と考え、先に占領した国の優先権を認め、治安維持など実効支配を義務づけた。

 

東京大学の第Ⅱ問テイスト。

問5:「統治方法の変化」なので、間接統治から直接統治、強圧策から懐柔と分断の流れで書きたい。

問6:2015年、2011年にも同じ問題あり。問1dと同じく、授業中に「そりゃひどい」と思える感性が問われている。

 

問7

(1) ア:3(シャルル10世)◎ イ:2(ヴィルヘルム2世)◎

a:1(アルジェリア)◎ b;4(チュニジア)○ c:3(ジブチ)△ d:7(モロッコ)◎

(2) α:6(ファショダの位置)◎ β:1(アガディールの位置)○

問8 19世紀のエジプトについて誤文○

2(ムハンマド=アリーはギリシア独立戦争ではオスマン帝国を支援)

問9

(1) 19世紀後半のイギリスの対外政策について誤文◎

2(イランはシーア派が多数、カージャール朝はここでは滅亡しない)

(2) a:7(ラサール)▲ b:5(べーベル)▲

c:6(ベルンシュタイン)○ d:8(ローザ=ルクセンブルク)△

e:3(バーナード=ショー)◎

*「紛らわしい」「重要事項の細かい部分」「抵抗もの」が連続。

(2)β:進出は手前から奥へ。「紛らわしいスペシャル」も参照。

イギリスのインド進出(マイソール→マラーター→シク)

フランスのインドシナ進出(メコン川東部3州→カンボジア→ユエ条約→仏領インドシナハノイ総督府ラオス併合)も海岸から奥地へ。

問8:ストーリーで覚える。

 ムハンマド=アリーはギリシア独立戦争オスマン帝国を支援したから、その見返りにシリアの支配権を要求してエジプト=トルコ戦争が勃発した。

 なお「ロシアはエジプト=トルコ戦争ではオスマン帝国を支援した」は正誤ポイントの定番。

問9(2):「経営者は労働者の気持ちも理解できないとダメですよ」というメッセージ?    難関大学を受験するなら社会主義のダレ何、インターナショナルの判別はいえるように。a,bは覚えていても選びにくいところ。

 

問10 銀◎

問11 朝貢体制とその動揺の誤文◎

2(鄭和の南海遠征がヴァスコ=ダ=ガマの航海よりも先)

問12 銀が複数の産地から流入してくる経路について○

日本の銀がポルトガル商人の生糸取引を介して中国に流入した。またアメリカ大陸で産出した銀がスペインのアカプルコ貿易によって流入した。

問13 
(1) 16世紀中国で行われた税制の改革○

従来の両税法が複雑化したので、各種の税を一括して銀納する一条鞭法がまず江南で、次いで全国で実施された。

(2) 16世紀の西ヨーロッパにおける銀の流入におる社会・経済の変化○

銀の価格が下落して固定地代に頼る封建領主が没落し、農民が自立した。また貿易の中心が地中海から大西洋側に移り、商業や毛織物工業が活発化した。

*アジアの銀に関する問題。国立併願組はマスト

問11 新テストの試行問題(2017)。過去問にもあり。

問12 問13 国立の論述の定番。

 


問14

a:李承晩◎ b:金日成

問15

(1) ドイツがポーランドに要求した内容▲

ダンツィヒの返還とポーランド回廊の通過権

(2) ヒトラーの政策並び替え◎

3(国連脱退33)→1(英独海軍協定35)→2(オーストリア併合38)→4(スロヴァキア保護国化38)→5(独ソ不可侵条約39)

問15(1):教科書の見落としがちなところは難関私立のツボ。

問15(2):ナチ党第1党(1932年)からポーランド侵攻(1939年)はストーリーで記憶。 4は「ミュンヘン会談の約束を反故にした」で判断。

 

問16

(1) α:2(ソ連)◎ β:3(中華民国)◎

(2) ア:8(南樺太)△ イ:6(千島列島)△ ウ:7(満州)◎ エ:4(台湾)◎ オ:5(朝鮮)◎

(3)資料の並び替え〇

(4)4(大西洋憲章41)→2(カイロ宣言43)→1(ヤルタ協定45)→3(ポツダム宣言45)

2009年にほぼ同じ問題あり。

(2):アはイで一瞬迷うが「返還する」のは南樺太で「引き渡す」のは千島列島。

 

問17 年表のどこに入るか 冷戦体制

a:7(パリ協定はワルシャワ条約機構の前)○

b:5(NATO調印はベルリン封鎖中)▲

c:3(マーシャルプランはトルーマン=ドクトリンのあと)◎

問18 ベトナムに関する誤文◎

4(パリ和平協定は米軍の撤退より前)

問19 第三勢力に関する誤文▲

3(非同盟諸国首脳会議はティトー、ナセル、ネルーの呼びかけ)

問20 冷戦終結の並び替え▲

2(INF全廃86)→1(アフガニスタン撤退88)→4(マルタ会談89)→3(STARTⅠ 調印91)

問21 ソ連解体の並び替え▲

2(ゴルバチョフ大統領90)→1(エリツィン大統領91)→4(保守派クーデタ91)→3(共産党解散91)

*怒濤の年号と整序問題!ここが合格の胸突き八丁。

問17 この形式は「慶応経済スペシャ」で毎回出る。

 「西ドイツが主権を回復してNATOに加盟したことに反発してワルシャワ条約機構が結成された」というように、冷戦体制の成立は「やられたらやり返す」で記憶

問21 私はこれをリアルタイムで観ました。エリツィンの決死の抵抗が印象的でした。

 出題者にとってはリアルタイムだけど高校生にとっては「?」な問題を私は「ジェネレーションギャップ問題」(略してGG(じーじ)問題)と呼んでいます。

    この対策には「授業で聞いたことを保護者と話し合う」が有効です。主体的で対話的な深い学び!

 

問22 NATOセルビア空爆の理由×

セルビア南部のコソヴォ自治州で多数を占めるアルバニア系住民の分離独立要求をセルビア勢力が激しく弾圧した。その過程で死者や難民が続出し、人道的見地から支援が必要と判断したため。

*満点防止問題?    この機会にユーゴスラヴィア内戦をおさらい。

 セルビアクロアチアの長年にわたるいがみ合い、ボスニア紛争ではセルビア人勢力のムスリム人女性に対するレイプや強制出産(いわゆる「民族浄化」)など、目を背けたくなる、しかし忘れてはいけない凄惨な出来事が繰り広げられました。

    立命館大学の大問4(ウクライナスコットランドなど最近の話題を紐解く出題が多い)で出題されています。 

 ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国(6つの共和国から構成)は第二次世界大戦後、パルチザン勢力を率いたティトーによって独立を達成する。

 ソ連から距離を置き独自の社会主義国家としての地位を保ち、「解放者」であるティトーのカリスマ性で国内の民族主義者の活動が抑えられ、統一が保たれる。

 チトーの死後は集団指導体制が敷かれたが、東欧革命で各地の社会主義政権が崩壊すると、民族主義が再燃する。

 

1991年~1995年 スロヴェニアクロアチアの独立紛争

 スロヴェニアは10日で独立。クロアチアセルビアとの歴史的な対立が背景にあって泥沼化するが、95年に独立を達成した。

 

1992年~1995年 ボスニア紛争

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言。同国にはムスリム(モスレム)人、セルビア人、クロアチア人が混在し、ムスリム人とクロアチア人が独立推進、セルビア人はこれに反対し分離を目指したため、軍事衝突に発展した。

 内戦は泥沼化するが1995年に和平合意がなされ、ムスリム人とクロアチア人の国家、セルビア人の国家の連合体となった。

 

1996年~1999年 コソヴォ紛争 上述

*さらにマケドニアでも紛争が起こります

 1848年革命以後バルカン半島民族主義が台頭(背景はロシアのパン=スラヴ主義)、ヴェルサイユ体制で無理やりひとつにまとめられて対立が加速、英雄ティトーがそれを「社会主義」で抑制していたが東欧革命で吹き出した、というイメージ。

 

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 セルビアクロアチアの対立。

 分析は次回。