はじめに
東京大学の入学式、上野千鶴子さんの祝辞が「波紋」を生んでいるみたいです。
これはあくまで新入生向けの祝辞です。しかし東京大学が上野千鶴子さんに任せたということ、メディアに取り上げられることも予想済み、つまり「東京大学の意思表示」でもあります。
これは東大世界史の第Ⅰ問と同じ構造です。2018年の出題が「女性の権利獲得の歴史」だったことも記憶に新しいです。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
「東京大学が新入生の祝辞に託して世間に意見する」という時点で、「勉強できるだけで勝ち組気取り」と中二病を発症したり、また「フェミニズム」と聞いただけで受け付けない人もいるかもしれません。
だいぶ騒ぎも沈静化してきたようですが、進路指導ときどき人権学習について考える当ブログで、祝辞について考えます。
全文はこちらで見てください。
わたしなりに祝辞をブロック分けし、小見出しをつけました。
◎:すべての人向け 〇:東大生向け(東大の紹介) △:エビデンス
1 女子学生の現実1 △
2 女子学生の現実2 △
3 女子は翼を折られる ◎
4 東大女子をめぐる現実1 △←メディアで取り上げられたところ
- 女性の価値と成績のよさとのあいだには「ねじれ」がある
- 東大男子学生の女性差別意識(『彼女は頭が悪いから』)
5 東大女子をめぐる現実2 △
- 大学の中の責任ある地位になればなるほど女性の割合が減る
6 女性学とは 〇(上野さんの研究紹介)
- 女性学はベンチャー、それができるのが東大のよさ
- 学問の動機はあくなき好奇心と社会の不公正に対する怒り
これは古典
スカートの下の劇場: ひとはどうしてパンティにこだわるのか (河出文庫 う 3-1)
- 作者: 上野千鶴子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2019/05/01
- メディア: 文庫
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これは最近
7 東大の多様性 〇
- 教授陣の構成
8 東大で学ぶにあたっての心構え ◎←メディアで取り上げられたところ
9 東大で学んでほしいこと 〇
- 東大のブランドに甘んじない
- 東大には今後社会で必要となる「未知や変化に対応できる能力」を育むための学びが揃っている
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ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
女子学生の置かれている現実
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
文科省の調査
国公私立大学医学部医学科の入学者選抜における男女別合格率(合格者数/受験者数)
(直近6年間 上記資料より上位5校、下位5校を抜粋)
大学名 | 区分 | 男性比率 | 女性比率 | 男性/女性 |
順天堂大学 | 私 | 9% | 6% | 1.67 |
東北医科薬科大学 | 私 | 15% | 10% | 1.54 |
昭和大学 | 私 | 7% | 4% | 1.54 |
日本大学 | 私 | 7% | 4% | 1.49 |
九州大学 | 国 | 34% | 23% | 1.43 |
産業医科大学 | 私 | 6% | 7% | 0.89 |
三重大学 | 国 | 30% | 34% | 0.88 |
徳島大学 | 国 | 35% | 40% | 0.87 |
岐阜大学 | 国 | 13% | 16% | 0.84 |
弘前大学 | 国 | 13% | 17% | 0.75 |
「医学部の入試不正」についてはここでは省略します。ただ地方の国立大学医学部に女子が多いことには留保が必要です。
上野さんには忘れられていますが(笑)、私の地元の国立医学部医学科も女子合格率が高いです。私もここ10年で現役合格で送り出した生徒は男女半々です。
立場上数値を出せませんが、首都圏から遠い私の県では成績優秀な女子の選択肢が狭い傾向にあります。医師に薬剤師など医療系、公務員に教員、その先が続きません。
男子も最近は家計の事情で家から出られない人が増加していますが、それでも工学部、経済学部など非資格系を志望する生徒は女子より多めです。
また東京大学が関東ローカル大学化し始め、地方国立大学の医学部の人気が高まったのはリーマン・ショック後です(予備校の分析)。
つまり地方国立大学の医学部に女子が多いことは「女子が翼を折られる」の裏面、また地域格差の一面でもあります。
2
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
短期大学は表のように急速に減少しています。かつて短大教育の中心であった教育・保育・栄養・医療など「女子をターゲットとする資格系」は四年制大学に移行しています。「女子は短大」は昔の話です。
私の経験では、保護者に「短大にしとき!」と言われてではなく、女子は四年制大学を受験して不調だった場合に同系統の短大を「滑り止め」に選ぶことができます。
それが女子の四年制大学進学率を低くする原因のひとつと考えますが、「資格系=女子」という構造が課題であることは間違いありません。
また東京大学の合格者上位には関東の私立中高一貫男子校が幅を利かせています。これが男子学生比率を押し上げる理由のひとつです。
私立高校に6年間通うだけでもかなりの出費、首都圏には東大合格を請け負う塾もあります。また下記の高校で現役が5割を超える高校はありません(大学通信調べ)。
東京大学は「すべての人に開かれている」がモットー、学問の発展のために「多様性」を求めていますが、入試では真逆の「閉鎖性」を垣間見ることができます。
2019年度入試、東京大学合格者数 (『大学通信オンライン』より引用)
順位 | 設置 | 学校名 | 所在地 | 合格 | 種別 |
1 | 私立 | 開成 | 東京 | 188 | 男子校 |
2 | 国立 | 筑波大学附属駒場 | 東京 | 113 | 男子校 |
3 | 私立 | 麻布 | 東京 | 97 | 男子校 |
4 | 私立 | 聖光学院 | 神奈川 | 93 | 男子校 |
5 | 私立 | 灘 | 兵庫 | 73 | 男子校 |
6 | 私立 | 渋谷教育学園幕張 | 千葉 | 72 | 共学 |
7 | 私立 | 桜蔭 | 東京 | 66 | 女子校 |
8 | 私立 | 駒場東邦 | 東京 | 61 | 男子校 |
9 | 私立 | 栄光学園 | 神奈川 | 54 | 男子校 |
10 | 私立 | 久留米大学附設 | 福岡 | 50 | 共学 |
こちらも
そうすると、上野さんが指摘する「女子が浪人を嫌って安全に出願する傾向がある」に加えて、首都圏以外の受験生には「わざわざ高いお金を払って東京へ進学する必要はない」という圧力が、特に女子にかかる可能性があります。
*発展:私はある旧帝大の文学部出身ですが、成績上位者は圧倒的に自宅通学の女子でした。なお直近のデータでは地元率が7割、スーパーグローバル大学がスーパーローカル大学と化しています。(´・ω・`)
3
最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
女子であるがゆえに将来の選択肢を狭められる、私の周りの女子も同様の有形・無形のプレッシャーを感じてきたとに語っています。
私が人権係をしていた時、被差別の立場の方と話をすると「どんなに努力をしても、出自のことで突然ポキッと折られてしまう」という体験を、特に年配の世代から聞きました。
それでやる気をなくしたら「ほらやっぱり〇〇の人は辛抱が足らない」という言われ方をされたりもします。これは女子差別にもみられる言説です。
生まれながらに差別されていい人などいません。差別はする人がいるから存在します。つまり「差別をなくす」とは「差別をさせない」、つまり差別を容認しない環境を作ることです。
大学生は将来企業や公的機関に就職し、その多くは管理職、つまり「ルールを作る側」に立ちます。
そこが上野さんの祝辞の核心で、8につながります。
8
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
上野さんが最も訴えたいところです。
東京大学は国家公務員上級に多数合格者を出し、国会議員や知事にも多くの卒業生がいますが、彼らの不祥事(疑惑も含む)の多くはここまで来たことを「自分だけの力」と勘違いし、権限を私利私欲のために利用した結果と言われても仕方がありません。
権力の中枢近くにいる人には「恵まれた環境と恵まれた能力」に感謝し、その力を立場の弱い人のために使って欲しいと切に願います。
*発展:不祥事の中に秘書に暴言を吐いたり(上記の表の卒業生!)、マイノリティーを貶める発言を繰り返した女性が含まれます。彼女たちが男性以上に男性らしくふるまうのは、政治の世界が男性社会だからです。そして4で指摘される「女性の価値のねじれ」も同じ(男が求める「女らしさ」を演じる)構造です。
フェミニズムは、女性にこの「二択」しか用意されていないことが問題としています。
*発展:この部分を「ノブレス・オブリージュ」とまとめる人もいますが、「特権意識を持て」ではなく「偶然に感謝せよ」と言っているので焦点がずれていると感じます。むしろ政財官の特権意識丸出しの人を叱ってください。
まとめ
- 社会には女性差別を含め、様々な差別や不平等が存在する。大学もその傾向から免れない。
- 努力が差別で正当に評価されないと、努力する意欲さえ失わせることがある。
- 学問の動機は「社会的な弱者を何とかしたい」が出発点であることが多い。
- 大学生は勉強ができる環境に感謝し、大学でしっかり学んで、学んだことを社会に還元してほしい。
大学の学問は文系理系を問わず「弱い人を助ける」が根底にあります。世界史の入試問題も難関になればなるほど「反権力」です。上野さんが言われるマインドは高校生のうちから育てるべきことと考えます。
「『反権力ごっこ』そのものが上から目線」と言う声も聞こえてきそうですが。
今回は長くなりました。最後までおつきあいいただいた方、感謝です。