ぶんぶんの進路歳時記

学習方法、進路選択、世界史の話題について綴ります

モンゴル家系図@天理参考館

 先日ぶんぶんは研修で奈良県天理市にある天理大学および天理参考館に行きました。本日は天理参考館収蔵の「モンゴル家系図」に関する研究について、同館学芸員の梅谷昭範さんから聞いた話をもとにまとめました。

 地の文章が講演の内容、枠の中はぶんぶんの考察です。

天理参考館HP

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場所 open street map 名阪国道天理東インター下車約5分。近鉄・JR天理駅から徒歩約15分。


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天理参考館外観。天理参考館提供。

目次

 

1 天理参考館

*パンフレットの内容を参考にしています。

 天理参考館は海外布教に際して諸外国の生活習慣や歴史の知識を深めることを目的に、国内外から民族資料や考古資料を収集し、展示しています。

 1階と2階は世界の生活文化に関する展示で、東アジア、南・東南アジア、太平洋の民俗資料と、日本から南北アメリカへ移住した人々の歴史が展示されています。

 3階は世界の考古美術の展示で、日本、朝鮮半島、中国、オリエント、天理大学の敷地下にある布留遺跡の遺物が展示されています。

 この収蔵品のひとつが今回取り上げる「モンゴル家系図」です。

 常設展入口にあるオルメカ文明の巨大石頭像の原寸大レプリカ。天理参考館提供。常設展内部は写真撮影可ですがSNSへのアップは不可です。

2 モンゴル家系図

 円形で幅5.55mの「モンゴル家系図」は、目録の記録から戦前または戦中に天理参考館にもたらされたと考えられますが、収蔵の時期や経緯についての記録は残っていません。また参考館にはモンゴル語がわかる職員がおらず、その大きさから展示が難しいこともあって収蔵庫で保管され続けていました。

考察

 1932年に「満洲国」が建国されると日本の「満蒙開拓団」が内モンゴルにも入植しました。軍部は「満蒙は日本の生命線」と宣伝して内モンゴルでの権益拡大を狙い、華北分離工作を続けました。この日中の争いは1937年に日中戦争に発展しました。

 10年前に内モンゴルの人に解読を依頼したところ、中心に「チェチェン・ハーン・ショロイ」と書かれていて、その子孫の家系図ということが判明しました。

 2025年度の企画展は「絆」がテーマで、絆を象徴するこの家系図を展示するために本格的な調査が始まりました。

  企画展のサイト。「モンゴル家系図」の現物はこちら。

sankokan.jp

特別展を伝えるローカルニュース(読売テレビ)


www.youtube.com

 調査の結果、類似する家系図がモンゴルに現存することがわかりました。

 モンゴルに現存する家系図は19世紀に作成された90㎝四方のもので、中心にチンギスと直系の子孫の来歴が書かれ、モンゴル東南部のハルハ諸地域のリーダーが放射的に記されています。これはユネスコの「世界の記憶」に登録されています。

 参考。文部科学省の「世界の記憶」に関する研修会。


www.youtube.com

MONTSAME News Agency

https://www.montsame.mn/jp/read/231474

 これら情報を総合すると、「ショロイ」は実在するチンギス・ハンの男系子孫で、16~17世紀にハーン(王侯)としてハルハを治め、1635年にアイシン(のちの清)に朝貢してその支配を認められました。ショロイの血筋は1924年にモンゴル人民共和国が成立するまで19代を数えました。

 家系図は光緒31年(1905年)に作成され、ショロイを中心に18代までのハーン(「チェチェン・ハーン・〇〇」と表記。19代目は即位前で名前のみ)を含む男系子孫が世代別、同心円状に約12,000人記されていることが判明しました。

考察

 ショロイが朝貢したのはアイシンのホンタイジがチャハルを制圧し、満洲人・漢人・モンゴル人の三者からの推戴を受けて皇帝に即位し、1636年に国号を「大清グルン」(「大元ウルス」の後継国家)とした時期です。

トムルさん作成のモンゴル高原の勢力図。図中の「建州女直」がアイシンを建てた部族。CC0 パブリックドメイン

 世界史では「清は満州人の長、中華皇帝、モンゴルの大ハン、チベット仏教の守護者の『四つの顔』を持つ」と学びます。モンゴル王侯は八旗(軍事・行政組織)に組み込まれ、清に軍事力を提供する代わりに自治を認められました。しかし家系図を分析すると全19代のハーンの在位期間うち短期間で交代する時期があり、清が次第に位の継承に干渉した様子がうかがえます。

 また新課程の世界史探究の教科書には「ティムールがチンギスの血統の男子を名目上の君主とし、自身はチンギスの家系の女性を娶って婿として実権を握った」が追加されました。似た事例は他のモンゴル後継国家にも見られます。チンギス血統は騎馬遊牧民にとって強力な「ブランド」、モンゴル帝国衰退後もその血統は政権の正統性の根拠とされ続けました。

 チンギスの血統のうち跡をたどりやすいのが15世紀のモンゴル帝国(明は認めていないので「韃靼」と呼称)第34代ハーンのダヤン・ハーンです。彼は長らく分裂状態だったモンゴル諸部族を再統一し、西部のオイラトも征服して勢力を誇りました。ショロイもダヤンの末裔という位置づけです

補足

 入試頻出、16世紀に北京を包囲しゲルク派の僧侶に「ダライ・ラマ」の称号を贈ったアルタン・ハーンはトメト部の族長でダヤンの傍系の孫にあたります。

 これらから「モンゴル家系図」はモンゴル王侯が自らの血統の正統性を保障し、清から正統な「旗」と認められるための証明書と考えられます。家系図は木綿製の帯状の布を継ぎ合わせて作られていて、継ぎ目にチェチェン・ハーンの認印が割り印のように押されているのは偽造を防ぐためと考えられます。

考察

 この家系図が作成されたのが1905年、義和団事件に乗じて列強に宣戦布告した西太后が敗北して列強の圧迫が強まる中、科挙が廃止され「光緒新政」と呼ばれる憲法や国会開設が準備されていた時期です。清の支配が動揺する中、モンゴル王侯もまた家系図で自らの地位を守ろうとしたのかもしれません。

 ソヴィエト=ロシアの支援で活仏のボグド・ハーンを建てて中華民国から独立したモンゴルは、ハーンの死後モンゴル人民革命党が社会主義を宣言、1924年にモンゴル人民共和国が成立しました。この際戸籍制度が廃止されてモンゴル人は父親の名前を名字にすることになり、自分の一族の名前を失う人が増えました。

補足

 大相撲の第68代横綱である朝青龍の本名は「ドルゴルスレン(ギーン)・ダグワドルジ」で「ドルゴルスレン」が父親の名です(ギーンは「の」に当たる助詞)。

 ソ連のペレストロイカや東欧革命に触発されてモンゴルでも民主化運動が起き、モンゴル人民革命党は1990年に一党独裁を放棄、複数政党制、自由選挙、大統領制、議会制度が導入されました。1992年にはモンゴル国と改称し新憲法を制定して社会主義を放棄しました。

 この結果、社会主義時代に否定されていたチンギス・ハンが復権するなど遊牧文化が再び人々のアイデンティティになると、「ファミリーヒストリー」を求める人が現れ、モンゴルで家系図に脚光が当たっているそうです。

チンギスハーン国際空港。日本のODAによる円借款で建設されました。

まとめ

 「モンゴル家系図」は、「中央ユーラシアからの歴史の見直し」「政治の権威」といった昨今の歴史研究の最前線の資料であると同時に、ポスト冷戦後のアイデンティティという「国民統合と記憶の表徴」でもあると感じました。

 なお天理参考館では授業での活用を念頭に置いて、学校と参考館をオンラインで結んで展示物の紹介や解説をするシステムを準備しているそうで、実現すれば教室にいながら博物館を体験できます。早期の開設を期待しています。

 最後にこの場をお借りしまして、実りある研修の機会を提供していただいた天理参考館様に感謝しお礼を申し上げます。

2026年の企画展はこちら。

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