はじめに
今年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の受験生のヒントにしたいと考えます。
今回は名古屋大学です。文学部、情報学部文系のみの設定です。古代ギリシア史でたまに奇問が出題され(理由はお察しの通り)、しばしば『絶対に解けない受験世界史』で批判を受けます。東アジア史や中央ユーラシアの問題も出題ミスや「詰めの粗さ」は目立ちますが、内容が悪い訳ではありません。
新版出ました。
解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。
解答例作成の方針と凡例 問題
- 受験生と同じく何も見ないで解答する。ただし途中でお茶を飲んだりトイレに行ったりはする(ルール違反)
- 解答を作ったら、受験生がアクセスできる教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)、資料集(帝国書院、浜島書店)、参考書(詳説世界史研究)でウラを取る(イカサマ)
- 仕上げに河合塾、駿台、東進、代ゼミの解答速報と比較する
- 解説は関連する一般書を利用する
問題は東進過去問データベース(要会員登録)
一問一答と小論述の難易度
◎:必答
○:まあいける
△:やや難しいが解答すれば合格に近づく
▲:かなり難しい
×:ドボン
出題パターン
ま:判別が紛らわしいもの
や:書くのがややこしいもの
こ:事項の細かいいつどこだれ
り:教科書の記述内容を理解できている、またその知識から推理する
ぜ:有名な事項のあとひとつ
ゆ:現在の言葉の由来、フルネーム
て:権力に抵抗した、または宥和しようとした人や事件
ク:他教科クロスオーバー
グ:グローバルもの
公式の解答例と出題意図
目次
過去12年分の大問構成
年度 | Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ |
2013 | 古代・中世のイスタンブル | 中国の歴史書と史書 | 中世のキリスト教 | 19世紀の東南アジア大陸部、マレー半島におけるイギリスとフランスの動き350字 |
2014 | 秦~唐の官吏登用制度 | 秦・漢と匈奴の抗争 | 16~19世紀半ばのアメリカ大陸 | アレクサンドリアに灯台が建てられた歴史的背景350字 |
2015 | 秦~清の政治・統治体制 | 中世西ヨーロッパ世界 | 近代ヨーロッパの政治状況 | 16世紀末頃までの、ユーラシア東半部におけるムスリム海上勢力の活動と影響350字 |
2016 | フェニキア人の海上交易 | 魏~宋の財政政策 | 古代~現代東南アジア | ヨーロッパ中世末期、ドイツとイタリア北部の状況350字 |
2017 | 儒教 | 古代~16世紀の東南アジア | 17~19世紀のイギリス | キリスト教が普及する以前の古代地中海世界における伝統的な宗教の特徴350字 |
2018 | 唐と周辺民族 | 中世ヨーロッパ世界の膨張 | 16~19世紀におけるアレクサンドリア | 第二次世界大戦後の東西ヨーロッパの分断350字 |
2019 | 古代中国の文字と文学 | 1400~1800年のインド交易史 | 18~19世紀前半のヨーロッパ | 世界遺産としてのパルテノン神殿350字 |
2020 | 先史~中世のイベリア半島 | 騎馬民族 | 教皇権の衰退とルターの宗教改革 | アカプルコ貿易350字 |
2021 | シバの女王 | 梁啓超の歴史観 | 16~18世紀のヨーロッパ | 社会主義諸国における国家体制の変化350字 |
2022 | 中国史における内乱 | 15~20世紀の経済統合 | 19世紀のヨーロッパ | 紀元前後~5世紀頃の東南アジア地域350字 |
2023 | 中華の概念 | 19~20世紀のヨーロッパとアフリカ | 日中共同声明をめぐる北京政府と台北政府の態度 | 第一次世界大戦ののちの国際協調と軍縮を柱とする新しい国際秩序の展開450字 |
2024 | 乾燥移動民地域の興亡 | ハプスブルク家 | 19~20世紀のアメリカ合衆国 | 前近代の中国で文化人が王朝を支える官僚であった状況はどのように生み出されたと考えられるか450字 |
コメント
西洋史(前近代と近現代)2題、アジア(東アジア・遊牧地域・南アジア・東南アジア)2題という構成で、文学部(西洋史専攻と東洋史専攻)と情報学部のスタッフが設問を分担しているみたいです。第Ⅳ問の論述は当番制のようです。
西洋史専攻がⅣの当番だと、2014、2017、2019のように高校生のどのような力を測りたいのか不明な古代史が炸裂します。なお2023年から字数が450字になりました。
中央ユーラシア前近代史の出題が目立ちます。中国史は得意でも遊牧民は苦手な人が多いので準備しておきましょう。
bunbunshinrosaijki.hatenablog.com
問題Ⅰ
解答例
問1 a契丹◎ bセルジューク朝◎ cガズナ朝◎ dエフタル(フーナ)◎
問2 契丹は乾燥移動民地域と定住農耕地帯をいかに統治したか。50字以内。○
乾燥移動民地域には北面官を置いて部族制を敷き、定住農耕地帯には南面官を置いて州県制を敷いて統治した。50字
問3 一般に近代以前のイスラーム国家では異民族はどのような扱いを受けたか、50字△
降伏すれば保護民とされ、ジズヤやハラージュを納める代わりに生命・財産の安全や従来の信仰が認められた。50字
問4 ヴィジャヤナガル王国△(14~16世紀の南インドのヒンドゥー政権)や
問5 契丹文字◎
問6 デリー・スルタン朝時代の南アジアの状況◎
○イ:ヒンドゥー教徒は基本的に保護の対象
問7 イクター制の説明 50字 ○
軍人に給与に相当する土地の徴税権を認めた制度。ブワイフ朝で創始されセルジューク朝で一般化した。47字
問9 ムガル帝国がヒンドゥー教徒を抱えるインドを安定的に統治できた理由 100字○
アクバルはラージプート諸侯と婚姻を通じて同盟し、非ムスリムに課されたジズヤを廃止してヒンドゥー教徒との融和に努め、彼らの協力を得て有力者を等級化して軍事奉仕を義務付けたり徴税制度を整えたりしたから。99字
解答のポイント
乾燥遊牧地帯から台頭した勢力が遊牧地域に拠点を置きながら定住農耕地帯を支配下に置き、現地の文化を受容しながら統治していく様子に関する問題。最近の学会の関心事からの出題ですが、設問は平易で教科書の知識で解答できます。
記述問題はどれも定番ですがやや字数が多いので、問7イクター制については実施された王朝の名前を、問9ムガルのヒンドゥー融和策については、ヒンドゥー諸侯の協力のもとに中央集権制度を築いた(マンサブダール制と土地の測量)ことで字数を整えました。その辺の調整は小論述をたくさんやって慣れておきましょう。
なおぶんぶんがテストを作るときには内容が被る発問は避けてなるべく多くの知識を問うようにしていますが、問3、問6、問9は発問の狙いが類似しているのが気になります。『絶対に解けない受験世界史』のブログで「教員ひとり一問出題説」が疑われていました。分担するのは構いませんが「すり合わせ」はしてほしいです
エフタル
空欄d「エフタル」は5世紀に中央アジアからバクトリア地方に侵入し、パミール高原以西のオアシス都市を支配し、アフガニスタンに進出してササン朝ペルシアを破りました。同時期モンゴル高原では南下した鮮卑に代わって柔然が台頭し、トルコ系の高車も加えて中央ユーラシアは柔然・高車・エフタルの三国時代の様相を示しました。
「歴史=暗記科目からの脱却」の発信元である大阪大学の2024年の問題にも「エフタル」を暗記して答える設問があり、このところ人気なのには理由があります。
空欄dのヒント「グプタ朝の衰退の一因とされる遊牧民」は、インド側の資料では「フーナ」と呼ばれています。以下東京書籍『世界史探究』の引用。
(フーナは)従来は6世紀中頃まで中央アジアを広く支配したエフタルの一部とされることが多かったが、近年ではエフタルとは別の集団とする説が有力になりつつある。フーナとフン人との異同についても諸説があり、はっきりしない。
そもそも「匈奴」などの遊牧民は雑多な遊牧集団の集まりで、単一の民族ではありません。農耕民の間からはその区別はつきませんし、遊牧民側も過去の強大な遊牧民の名を借りて存在を示すことは考えられます。
したがってグプタ朝に侵入した遊牧民が本家の「エフタル」や「フン」と別な集団であっても、そこに本家が多少混じっていても、遊牧民の集合・離散を繰り返す特徴から十分あり得ることです。フン人が匈奴と同一なのかという議論も同様です。
なおぶんぶんが高校生の時の教科書や資料集にはエフタルのことを「白匈奴」と書いてあり、今回この用語にウン十年ぶりに再会しました。
「コーランか剣か貢納か」
問3は、各社の教科書(世界史B、世界史探究)とも「被征服民には改宗を強要せず、ジズヤやハラージュを納めるかわりに生命・財産の安全や従来の信仰を認めた」という趣旨の記述で、東京書籍の世界史探究はさらに「抵抗せず降伏した都市も多かったと言われる」と付け加えています。
これは『クルアーン』の教えの中に「宗教は強制してはいけない」という一節があり、「イスラームの国」に入るのはあくまで合意の上という考え方があるからです。
参考 IslamReligion.com
ぶんぶんは高校生の頃に「コーランか剣か貢納か」(改宗しないと○す)と習いましたが、今思い起こすと「これがオリエンタリズムの力か」と感慨深いです。
また「啓典の民」(ムハンマドの啓示に先立つユダヤ教徒やキリスト教徒)については帝国書院と東京書籍には詳しい記述があり、多神教のゾロアスター教については、前者は「啓典の民と同様に扱った」、後者は「差別された」とニュアンスが違います。
問題Ⅱ
解答例
問1 アウクスブルクの和議◎
問2 フェリペ2世◎
問3 スペインがアメリカ大陸やアジアで得た利権でどのような交易をおこなっていたか(簡潔に)○
一行バージョン
アメリカ大陸の銀をガレオン船でアカプルコからマニラへ運び中国の絹や陶磁器と交換した。42字
二行バージョン
アメリカ大陸の銀をガレオン船でメキシコのアカプルコからフィリピンのマニラへ運び、その銀でマニラに来航した中国商人から中国産の絹や陶磁器などを購入した。75字
問4 金印勅書◎ カール4世◎
問5 ウィーン包囲◎ プレヴェザの海戦◎
問7 ユトレヒト同盟◎
問9 三十年戦争の発端の地域と、この戦争の特徴(簡潔に)
二行バージョン
ベーメン。一見旧教国と新教国の宗教戦争だが、仏が新教側を支援するなど主権国家とハプスブルク家の政治的戦争であり、戦場では傭兵が用いられ略奪や暴行しドイツは荒廃した。80字△
三行バージョン
ベーメン。一見旧教国と新教国の宗教戦争だが、旧教国の仏が新教国のスウェーデンを援助するなど、主権国家とハプスブルク家の政治的戦争であった。各国の常備軍は傭兵が中心で略奪や暴行が頻発し、ドイツは人口の三分の一が死亡するなど荒廃した。115字△
問10 ウェストファリア条約◎ イ(×スウェーデンはデンマークでなく西ポンメルンを獲得)〇り
解答のポイント
問題Ⅰは論述に字数指定がありましたが、こちらはいつも通りのアバウト(名古屋大学の解答例を見た感じでは80字程度)。大問ごとに連絡を取らないのでしょうか。
問題自身は平易で教科書の内容ができていれば完答できます。
問3は大航海グローバル問題の鉄板で、アカプルコ・マニラ・銀・陶磁器が思い出せればOK。難関私立ではガレオン船の絵を選べという問題もありました(*_*)。
コロンブスの船はキャラック船でガレオン船の一世代前でずんぐりむっくりしている。日本人が描いた「南蛮船」はこれ。神戸市立博物館蔵。パブリックドメイン。
石巻にあるガレオン船サン・ファン・バウティスタ号(1613年)のレプリカ。同じく三段甲板ですがキャラック船より細長いです。パブリックドメイン。
問6、長期の波動を重視するブローデルは「レパントの海戦の勝利をことさらいうのはヨーロッパ中心史観で、この戦いでオスマン帝国とヨーロッパの関係は大きく変化しなかった」という立場で、『詳説世界史』はそれに沿った記述をしています。
問9、三十年戦争の特徴について、見た目は宗教戦争、頭脳中身は神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)と新興主権国家間の戦争、実態は傭兵戦、という3点を押さえましょう。
問10、大阪大学は「歴史用語の精選」といいますが、「スウェーデンは大陸に領土を得た」みたいなアバウトな覚え方より「西ポンメルンを得た」の方が記憶に残ります。
問題Ⅲ
解答例
問1◎
A:2(キング牧師→非暴力的抵抗)
B:5(ジョン・オサリヴァンの「併合論」)
C:4(ジェファソン大統領の教書→ルイジアナの割譲)
D:3(リンカン大統領の奴隷解放宣言→反乱地域の…)
E:6(ポツダム宣言→日本の無条件降伏)
F:1(ジョン・ヘイ→中国国民とわが市民の平和)問2 A~Eを並び替える ◎
C(1804)→(B)→D(1863)→F(1899)→E(1945)→A(1950年代)
問3 ガンディー(Aに影響を与えた)◎
問5
(1)ナポレオン(ボナパルト 終身統領時代)◎
(2)スペイン(ミシシッピ川以西ルイジアナの前の所有者)△ぜ
問6 南北戦争後南部で普及した小作人制度について簡潔に説明▲
二行バージョン
シェアクロッパー制と呼ばれ、地主から土地や農具を借りて収穫の半分程度を地主に収めた。奴隷は解放されたが経済的保障はなく、債務から土地を手放して困窮するものも多かった。82字
問7 ソヴィエト連邦(ポツダム宣言の「われわれ」に含まれない)×り
問8 扶清滅洋◎
解答のポイント
定番の近現代資料並べ替え問題が復活。文章中のヒントを事件に変換して年号を特定します。
A:「非暴力的抵抗」からキング牧師→1950年代の公民権運動を思い出すのは戦後史をやっていないと厳しいですが、英語の教材には出てくるので選べるはずです。ぶんぶんは関口宏の『知ってるつもり?』の最終回を視聴し、ガンディーとキング牧師の関係について考えます。
Aさえわかれば他は事件を特定するヒントが親切なのでクリアです。Bは共通テスト的な初見の資料ですが、問2、問4から推理できます。
問5、スペインは1763年のパリ条約でミシシッピ以西のルイジアナを領有しましたが、その統治が本国の財政を圧迫し、さらに移住してくるアメリカ人との衝突に苦しみました。そこで秘密裏にナポレオンと交渉、1800年にフランスに返却しました。
「あれいつの間に領有権が変わった?」で有名なのが南ネーデルラントで、スペイン領だった地域がユトレヒト条約の翌年のラシュタット条約でオーストリア領になり、ヴァレンヌ逃亡事件につながります。
問7がドボン問題。ポツダム宣言の時には日ソ中立条約が有効なので、ソ連はポツダム会談には参加しているが宣言発表時にはスターリンは署名していません。問題文の通りイギリス・アメリカ合衆国・中華民国の名前で発せられました。
問題Ⅳ
設問
近代以前の中国社会の特徴の一つに、文学者・思想家などを含む文化人のほとんどが王朝に仕える官僚であったことがあげられるが、そのような状況はどのように生み出されたと考えられるか。450字
指定語句から芋づる
郷挙里選
九品中正
- 魏の時代から行われた官僚を9つに等級化して上位から官僚に採用する制度。豪族が貴族として王朝政府から認定され、上位者が門閥貴族を形成し上級官僚を独占した。
科挙
文治主義
形勢戸
- 唐末五代の騒乱で没落した門閥貴族に代わって荘園を集積した新興地主層。
士大夫
郷紳
- 明代の地方の大土地所有層。多くの佃戸を抱え、地域の指導者として台頭する一方、科挙官僚を出した。
- 彼らは都市に住んでぜいたくな生活を送り、骨董の収集など優雅な趣味を楽しんだ。官僚としての地位や財産だけではなく文化的な素養も社会的尊厳を得るためには必要な条件で、董其昌は画家・書家としても名声を得た。
解答例
前漢で儒教が官学化されると官僚に儒教の素養が求められるようになり、郷挙里選は地方豪族を中央官僚に推薦する際に儒教の素養を基準にした。魏から始まる九品中正では官僚は家柄で採用されたが、隋代に試験で官僚を採用する科挙がはじまり、儒教の素養や詩の才能が重視され、杜甫や李白を輩出した。この傾向は北宋の文治主義への転換で一層強まり、貴族に代わって新興地主層である形勢戸が科挙を通じて官僚になり、士大夫層と呼ばれる政治・地域社会・文化の担い手となった。王安石や司馬光は官僚でもあり学者でもある。元代には実務官僚が重用されたが、明代には朱子学が官学化されて儒教的支配原理が強まり、大土地所有者で科挙合格者・官僚経験者である郷紳が地方の名士として都市で優雅な生活を楽しんだ。董其昌は画家、書家として名高い。このように儒教を王朝の統治理論とした時代には学問は国家に従属し、官僚に儒教的素養が求められ文化的教養も社会的尊厳を得るために必要だったので、教養を活かして政府の統制の範囲内で学問や文化を発展させる状況にあった。449字
解答作成に向けて
京都大学の「士大夫層の新しさ」「科挙の展開」の類題。書くことは山のようにあるので、450字は少ないぐらい。
京都大学の問題との違いは「そのような状況はどのように生み出されたと考えられるか」という問い。ただ単に中国の官僚制度の変遷を描いて終わりではなく、「どうして官僚が学問や文化の担い手だったのか」について触れる。
最初の視点は「中国では儒教が公認学問の時代は自由に研究活動ができないから官僚になって学問するしかない」ので、指定語句の誘導に従って中国の官吏任用制度とその折々の官僚を取り上げ、政府の統制のもとで学術が発展した様子について述べた。
もうひとつの視点は、現在の政府が競争的予算配分とか、大学に実務家教員を増やせとか、日本学術会議の名簿から政府が気に入らない学者を排除するとか、運営方針会議を置いて民間企業の実務経験がある人を加えろなど、文化・教養・学問に無理解(または「学者風情が偉そうに!」)な人々に対して、「官僚にこそ教養が求められる」という名古屋大学のささやかな抵抗と受け取って、解答例の最後はぶんぶんがセカンドオピニオンにしている山川出版社『新世界史』の記述を参考にして(インチキ)締めた。
なお大学の解答例を見るとそれは穿ち過ぎの模様。
まとめ
- 名古屋大学の世界史は古典・古代以外は教科書レベルです。ヒントから用語を言えるだけでなく、用語を説明することも求められます。一問一答の学習をするときに逆コース(用語→説明)もやりましょう
- 名古屋大学の過去問研究は当然ですが、他の国立大学の論述や、難関私立大学のリード文がしっかりしている問題にも取り組みましょう
- 出題者は複数の教科書を見ながら作っています。普段使いの教科書が物足りない人は世界史の教員に相談しましょう
- 今回はありませんでしたが、一般書をリード文にすることが多いです。山川のリブレットはお薦めです。余裕があれば最近の新書も読みましょう
- 歴史は現在から過去への問いかけ、今起きている問題に通じる内容が出題されます。授業中に「これってあれと似てる」と主体的に考えましょう
- 過去に資料を読んで世界史の知識を使いながら要約する問題がでているので、新課程に向けて概念知識(中華帝国、冊封や朝貢、政体(貴族政、共和政、立憲政など))に強くなっておきましょう